161 2026年5月22日(金)_05 武人陥落
通り沿いの居酒屋。
そのまま暖簾をくぐらず、
外階段を二階へ。
二十人規模の小上がり。
三十五人がすし詰めになる。
主賓の橘だけ、お誕生日席。
畳の匂い。 卓上のコンロ。
なんとなく各々席に座る。
とりあえず飲み放題。
児島が立ち上がる。
「本日の飲食は経費から補助が出ます。なので一人二千円です」
安堵のざわめき。
すかさず斎藤が笑顔で続ける。
「コース外のオーダーは、ハコ子さんがすでに監視していて――」
一拍。
>後日、個別に請求いたしますねー!
一瞬の静寂。
「はーい」
乾杯。
グラスがぶつかる。
店の名物、モツ鍋を待つ間。
お通しで一杯目。
ポテト。 チーズ。 よくわからない創作メニュー。
誰かが頼み、 誰かが追加し、 誰かがもう一杯。
日本酒。
山倉は、飲む前から酒の匂いがしていた。
そして飲む。
がぶがぶ。
石原。 青山。 三浦。
三人はそっと距離を取る。
浮雲は不思議そうに見る。
「山倉さん、雰囲気変わったな」
1999年当時。
山倉は無口な武人だった。
口数は少なく、視線は日本刀のように鋭く、背筋が刃金のようだった。
一般人は怖くて話しかけられなかった。
今。
社交的になっていた。
笑う。 酒を注ぐ。ポテトを取り分ける。
浮雲ですら、
「霞を食って生きている」
と言われたなら、 話半分は信じただろう。
それほどまでに、
山倉は“武”だった。
食事は最低限。 私語は不要。 私情は排除。
それが山倉である。
早川がそっと浮雲に耳打ちする。
「いいか。山倉さんはもう昔の山倉さんじゃない。武人じゃない。 酔ってる山倉さんは一葉より面倒だ。触れるなよ?」
五十五歳児は素直に頷く。
だが。
気がつけば、山倉は会話の輪から外れていた。
ぽつん。
徳利片手。
目の前にお猪口はなく、
徳利が彼のジョッキであった。
浮雲は、うっかり話しかける。
「山倉さん、飲んでますか?」
戦鬼となり、酔いが回りにくい浮雲。
迂闊。あまりにも迂闊。
山倉が、じっと浮雲を見る。
「浮雲か。実はな、俺はな……」
浮雲、素直に頷く。
「……はい」
周囲は、危険を察知する。
児島は笑顔で立ち上がり「ちょっとアイコス吸ってくる」と外へ。
若林は「お醤油無いわね」と廊下へ。
齊藤も視線合わせず消える。
石原は鍋を抱えて何処かへ避難した。
一葉は橘を連れ石原に続く。
緩やかに距離が広がる。
「娘いると、言ったことがあるな?」
「二十七年前に、生まれて間もないと」
「うむ
実はな……
……孫がな……
……生まれたんだ……」
「おめでとうございます」
「見ろ」
スマホ。
待ち受け。
愛らしい女児が手を振っている。
「見ました」
「いいだろ?」
「何がですか?」
「俺の……………………孫だ」
机を叩く。
「茉白ちゃんだ!」
六十二歳が吠える。
昔から、隠れ愛妻家の噂はあった。
作戦帰り、必ず小さな土産を仏頂面で買う男だった。
だが、この山倉を浮雲は知らない、理解出来なかった。
なので更なる地雷を踏み抜く。
「どうだ!美人だろ!お前にはあげない!おじいちゃまだけの茉白ちゃんだ!」
動画再生。
「ほら!ここ!手振ってる!今!今言った!おじいちゃまって!」
「でも今パパって……」
一拍。
山倉の目が細くなる。
「パパとはジィジのことだ」
目が本気。
「わかるか浮雲?おーれーのー孫だ。な?わかるよな?」
1999年、世界を救った武人の眼が。
今。
完全に別の生き物になっている。
「わかりかねます」
「お前、こっち来い!まず呑め!動画も見ろ!みんな手振ってる!笑顔だ!かわいい!でもあげない!」
浮雲の脳がここで初めて理解する。
これは危険だ。
自分は、何かを踏み抜いた。
「悠?え?児島?早川?鎌田さん?」
振り返る。
いない。
「石原さん?青山さん?三浦さん?今野先生?」
いない。
「一葉、さん?あれ?」
「みんなトイレ?混みません?トイレ?」
誰もいない。
鍋すらない。
完全なる孤独。
1999年、世界を救った英雄は。
2026年。
再び、人柱になった。
今回は武人の供物として。
---
隣室。
一葉は、軽めのレモンサワーを口にしていた。
氷が、からりと鳴る。
襖一枚。
向こう側には――
起こり得たかもしれない自分の未来。
山倉の醜態。
その光景を想像した瞬間。
酔いが、すっと引いた。
「……やば」
人生、分岐点ってあるよな。
齊藤が、淡々と言う。
「想定内です。経費で二部屋押さえてました」
一葉は顔を上げる。
盛り上がる室内。
結構ぎゅうぎゅう。
そうか。
さっきの部屋。
二十人規模の小上がりに、三十五人が詰め込まれていた。
あれは“選別”だったのか。
本来は十七人ずつ二部屋。
あるいは襖を解放して一部屋。
それが本来の宴会の姿。
だが。
齊藤の眼鏡が光る。
ドヤ顔。
「保険です」
向こうから。
襖越しに。
「まーしーろーちゃん!」
絶叫。
「山倉さん、のめ、ごぶぁ!これ何ですか?」
鎌田が、鍋の湯気越しにぽつりと呟く。
「山倉さんな……娘さんの反抗期、相当こたえたらしいぞ」
箸が止まる。
「お父さん嫌いって言われてな。靴下一緒に洗濯しないでって」
橘が小さく息を呑む。
一葉が「あー……」と、妙に納得の声を出す。
鎌田は続ける。
「昔な。突然“キャバクラに行きたい”って言い出してな」
全員、視線が鎌田に集まる。
「連れてったら、キャストさんの手を握って無言で泣いてた」
一瞬、沈黙。
そして。
室内、全員、深く頷く。
橘がモツ鍋をつつきながら、ぽつりと聞く。
臭みの無い白モツ。
「山形は、いつもこうなんですか?」
一葉は、レモンサワーをくるりと回す。
「うーん」
少し考える。
「わたしも前回は絡み酒だったし」
さらり。
「結構アバウトだよ?」
襖の向こう。
「おじいちゃまだけの茉白ちゃーん!」
卓上ががたん、と鳴る。
続いて。
「これ、水割?ちがう?ウイスキーの……スピリタス割り?」
一瞬の静寂。
「え?スピリタスって何?俺は……え、やめ……知ってる……一葉に聞いた……アルハラ!これアル……あー!」
こちらの部屋。
全員、鍋に集中。
誰も助けない。
一葉は、ふっと笑う。
「でもね」
箸で豆腐を掬う。
「みんな、守るときはちゃんと守るよ?
ちなみにスピリタスってなに?」
若林が静かに告げる。
「お酒よ。アルコール度数96度。」
>燃焼点:ほぼ危険物です
>一葉、あれは飲料ではなく燃料です
携帯端末からハコ子が静かに告げる。
山形の夜は、ゆるい。はずだ。
モツ鍋が煮える。
笑い声が混ざる。
襖の向こうから、武人の絶叫。
「まーしーろー!」
「山倉さんそれ水です!水!」
「水……?ああ……優しい……茉白……」
一葉が、レモンサワーをひとくち。
氷が溶ける。
「山倉さん、あれで明日普通なんだろうな」
誰かが吹き出す。
「どういう肝臓してるんだろ?」
齊藤が淡々と返す。
「武人の肝臓です」
橘が小さく笑う。
「タフですね?」
三浦は鍋のニラをつつきながら言う。
「武人モードと孫モードの切り替え、あれ完全にバグだよね」
襖の向こう。
「パパじゃない!ジィジだ!」
室内、全員、聞こえないふりをした。
とりあえず気を付けてよう、
そう一葉は胸に誓った。




