157 2026年5月22日(金)_01 第二公園、忍び寄る影
「あー……」
陽葵は財布の中身を見て、深いため息をついた。
大切に残していたお年玉の残金。
それは今、セカストで購入した“大容量バックパック”へと転生している。
パープル。
でかい。
無駄にでかい。
カルの強い希望だった。
「自分も入れる鞄が欲しい」
十五分に及ぶ討論の末、
“可愛いなら可”という妥協点で合意。
現在、自室。
バックパックに缶バッジを移植中。
推しアニメ、部活マスコット、謎のゆるキャラ。
「カル用に抜け毛防止で百均のバッグ入れて……安全ピンで固定して……」
カチャ。
「ん!できた!」
教科書。
Chromebook。
水筒。
ギリ入る。
「お弁当は……一緒はちょっと嫌だな?」
カルが心外そうな顔をする。
「それは傷つくな?」
>それはどうして傷つくのかな?
ハコ子、なぜか参戦。
「だってほら、人肌のお弁当はちょっと……」
陽葵は思いついたようにベルトをいじる。
「あ、ここに固定できるじゃん。できた!完璧!」
ドヤ顔。
「んじゃ、カル、試しに入ってみる?」
カルがもそもそと潜り込む。
中から声。
「……おお。収まりがいい」
「でしょ?」
「このポケットは?」
陽葵、さらにドヤ。
「古いスマホ入れとく。
私ギガ無制限だからテザリング使えるよ?
バッテリー怪しいけど、お姉ちゃんの忘れ物モバイルバッテリーで完璧!」
カルが静かに言う。
「機動拠点としては悪くない」
>そのモデルなら私も潜り込めますね!
さらっと恐ろしいことを言うハコ子。
「……あんた、マジで何者?」
>フフフ、それは秘匿情報です★
陽葵、三秒考える。
「ま、いっか!」
勢い。
バックパックを背負う。
重い。
だが、妙にしっくりくる。
夕闇の山形。
空は群青へ変わりつつある。
街灯がぽつり、ぽつりと灯る。
陽葵は、軽く跳ねるように玄関を出る。
その背中。
パープルのバックパックの奥で。
カルが静かに目を閉じる。
ハコ子のアイコンが、微かに発光する。
ほんの一瞬だけ、
陽葵の霊子密度の波形が、わずかに上振れした。
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営業を終えた廃ホテルの屋上。
錆びた手すり。
保護のためのシート。
夜風だけが吹き抜ける。
そこに、太った中年男が立っていた。
成田仁、邪神ナイアルラトホテップ。
邪悪なる道化。
腹をさすりながら、にやりと笑う。
「フヒ……神田さんのPCに、一瞬、神気を感じましたのでね」
指先で空をなぞる。
「確認に来ましたが……」
目を細める。
「ただの女子高生と、低級霊。つまらない組み合わせです」
街を見下ろす。
紫色のバックパックが、遠くの通りを自転車で通り過ぎる。
「……おや」
首を傾げる。
「片桐一葉の縁者。妹、ですかね」
風が強まる。
「本能でしょうか。血縁共鳴というやつでしょうか」
口元が歪む。
「片桐一葉は魅力ですが、あの“狂気的な善”は、目障りです」
声が低くなる。
「守る。救う。折れない」
「非常にイレギュラーです」
男の輪郭が、にじむ。
脂肪が溶けるように崩れ、
骨格が細く変形する。
気づけばそこに立っていたのは、
薄化粧の細身の女性。
真鹿める。
長い髪が風に揺れる。
だが――
声だけは違う。
柔らかい。
穏やか。
どこかで聞いたことのある声。
奈良透のそれだった。
「だから、その心」
微笑む。
「折ってあげましょう」
優しい声音。
「今回はエイホートさんの眷属の番です」
夜風が止む。
次の瞬間、
屋上には誰もいない。
ただ、手すりに、
細い爪痕のようなものが残っていた。
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山形駅前。
串カツ田中。
油の匂い。
笑い声。
ソースの甘辛い香り。
陽葵、星奈、瑠羽、心愛の四人でプチ豪遊。
学生だけど、
ちょっとだけ背伸び。
こういうのが楽しい。
「うわ、このレンコンうまっ」
「衣サクサクー」
「やば、タレ無限いける」
そのとき。
バックパックが、もぞ。
小さくジッパーが開く。
カルが顔を出す。
「僕も欲しいです」
「!? そだった!ちょい待ち!」
陽葵、焦る。
「てかバレないの?」
カルは余裕の表情。
「簡単な認識阻害の魔術を使っているので問題ありません」
目が輝く。
「……おほぉー。この世界の食事、かなり美味しいですね。これは何の肉でしょう?」
陽葵、小声で。
「たぶん豚……たぶん……」
>私はマークワンと情報同期してきますねー
ハコ子、なぜか店内Wi-Fiに潜る。
その横で女子トークは止まらない。
星奈が身を乗り出す。
「ちょっと陽葵聞いてる?心愛の彼氏ったらさ、誕生日すっぽかして部活の連中とスタバでだべってたって」
瑠羽が目を見開く。
「マジ最低ー。うちのお姉ちゃん言ってたけど、そういう奴は“竿切り”がいいらしいよ?」
一瞬、沈黙。
「サオキリってなに?」
「実は私もしらん。なんか、切るんじゃね?サオ?サイフ?おこづかいカット?怖っ!」
「あー。まえ、いち姉ぇに聞いたら怒られた。多分知らなくて良い単語」
心愛が即ツッコミ。
「いや知らないで言うなし!てか引くわー。瑠羽のお姉さんちょっとヤバくない?」
星奈が笑う。
「個人的に陽葵のお姉さん好きだけどね。なんか大人なのに話しやすい」
陽葵、串をかじりながら。
「いち姉ぇ? あー、でもバカ姉だよ?」
バックパックの中からカルが小声で言う。
「……その姉が、この世界の因果を支えている可能性は?」
「ないないないない」
陽葵は笑う。
グラスが鳴る。
笑い声が混じる。
その何気ない瞬間。
カルが、一瞬だけ視線を外へ向ける。
夜のガラス越し。
誰かが、こちらを見ている気配。
だが次の瞬間、
星奈の声がかき消す。
「次なに頼む!?」
---
「またあしたー!今週またがんばるべー!」
「「おー!」」
笑い声が遠ざかる。
楽しい時間は一瞬だ。
残念。
陽葵は自転車を引きながら第二公園へ入る。
ショートカットしてコンビニへ寄るつもりだった。
乗らなければ……いいよね?
とりあえず、居もしない誰かに謝りつつ、自転車を引きながら公園に入る。
夜の公園。
街灯が等間隔に灯る。
――視線。
誰かが見ている。
気のせい?
「陽葵!ごめん、油断した!多分囲まれた!」
カルの声が低い。
>本当です。
>スマホのマイク経由で確認しましたが、音の広がりが不自然です。
>反響の減衰が途中で切断されています。
>おそらく結界。
「ちょっと待って。
魔法はあるけど、すごいのはもう使えないんでしょ?」
カルの耳が立つ。
「そのはずなんだけどね……歪んだ魔力を感じる」
>この音の波形は……
>歪んだ因果。
空気が、重くなる。
風が止む。
音が吸われる。
「――魔物!」
>怪異!
>今、応援を呼びます!
>死なないでください!
>……!外と回線がつながらない?私のほんたいとこうしんできない
>koredeha utu te ga nai.
「死ぬなって、うそでしょ?ちょっとハコ子?ハコ子!?」
カルがするりとバッグから顔を出し周囲を威嚇する。
シャァッ!
「来るぞ!」
広場の中央。
フードを被った人型が六つ。
無言。
動かない。
だが、確実に包囲している。
陽葵は叫ぶ。
「すみません!助けてください!警察!」
声は――外に出ない。
いや。
外が、ない。
公園の外縁が、ぼやけている。
フェンスの向こうにあるはずの道路が、
灰色の霧に溶けている。
陽葵はバックを両肩に固定し、引いていた自転車へ飛び乗る。
クロスバイク。
超軽量高炭素鋼フレーム。
中学時代に鍛えた脚力。
一気に加速。
シンボルの蒸気機関車――
8620形。
あれを横切れば出口だ。
だが。
届かない。
漕ぐ。
漕ぐ。
全力。
それなのに。
蒸気機関車が遠ざかる。
距離が、離れていく。
地面が伸びる。
街灯が増える。
広場が、広がる。
さっきまで数十メートルだったはずの空間が、
迷宮のように歪む。
自転車のチェーン音が、
異様に大きく響く。
カルが低く呟く。
「空間拡張型……結界だ」
後ろを見る。
六つのフード。
歩いている。
走っていない。
それなのに。
距離縮まってゆく。
逃げても逃げても、
広場の中央から出られない。
世界が、ゆっくりと折れ曲がっている。
陽葵の呼吸が荒くなる。
「……やばい、やばい、やばい」
その瞬間。
地面に、影が伸びた。
街灯の位置とは違う方向から。
――上。
空が、歪む。




