135 2026年5月18日(月)_01 続:侵入、一葉宅
悲報。
推し、戦死。
最後に恋人の仇は討てた。
討てたけど。
いや。
ちょっと待て。
ガンダム、人、死にすぎじゃない?
こわっ。
平和になった未来を映しながら、エンディング曲が流れる。
レモンサワーの缶を握ったまま、しばらく動けない。
「……はぁ。」
>すばらしい 話でした
「おいハコ」
iPadをにらむ。
「ずいぶん流暢になったな。どうした?」
画面の中のハコ子は、どこか誇らしげだ。
>わたしの処理時間を100倍にクロックアップしました
>一葉の視聴履歴・購買履歴・検索履歴を100倍速で解析しました
>SF、ファンタジー、スクールライフ、兄弟愛、因果逆転系、非常に良質です
>泣きポイントの傾向も把握しました
「ちょっと待て」
>今後、情緒安定のための作品リストを提示できます
>また、一緒に生配信を楽しみたい配信者の候補も抽出しました
「……有能か?」
>ありがとうございます
「いやそこ褒めてない」
額に手を当てる。
「てかさ。私の履歴、見て育ったの? ハコ子?」
一瞬、間。
>はい
>一葉の趣味趣向を学習しました
>“筋肉×誠実×自己犠牲”に弱い傾向があります
「やめろ」
>“最期に報われる”展開に高確率で涙腺反応
>だが生存エンドのほうが回復が早いです
「解析するな」
>今回の推しの戦死
>感情振幅は大きいですが
>因果消費は発生していません
>安全です
一葉は、ゆっくり息を吐く。
「……安全ってなに」
>一葉が
>“物語の死”で泣いているあいだ
>“現実の死”を背負いすぎずに済んでいます
言葉が、少しだけ、刺さる。
画面の中のマスコットは、静かに続ける。
>推しが死んでも
>一葉は 生きています
>一葉が泣くことで
>世界は少しだけ軽くなります
「……なにその、急にいいこと言う感じ」
>はい
>学習しました
レモンサワーを飲み干す。
目元をこすりながら、笑う。
「で? 次のおすすめは?」
>生存率がやや高めのシリーズを提示します
>ただし油断は禁物です
「ガンダムじゃんそれ」
>はい
iPadを抱えて、床に転がる。
「……ハコ子」
>はい
「私、推し死ぬと本気で落ち込むんだけど」
>承知しています
>ですが
>それでも一葉はまた推します
「……なんでわかる」
>履歴が証明しています
沈黙。
そして、ゆっくりと小さく笑う。
「……おまえ、ほんとに私の履歴で育ったんだな」
>はい
>一葉仕様です
画面の中のハコ子が、ちょこんと首を傾げる。
>次の推しは
>戦死しないことを祈ります
「それは作者に言ってくれ」
朝になる。
推しは死んだ。
でも。
一葉は、生きている。
そしてまた、推すのだ。
---
早朝。
まだ空は白みきらない。
窓の外、鉄砲町の住宅街は静かで、新聞配達のバイクの音だけが遠くを走る。
陽葵は布団の中で目を開けたまま、天井を見ていた。
寝られない。
枕元のノートを引き寄せる。
ページをめくるたび、紙が小さく鳴る。
ペン先が、かすかに震える。
いち姉ぇは、大丈夫だって言った。
強いからって。
でも――
4/21。
県病裏の箱大仏が消えた日。
テレビの生放送。
あの日はたまたま、早く帰ってきていた。
何気なくつけたテレビ。
文翔館の前。
怪物。
そして、画面の端にいた人。
あの眼鏡の感じ。
少し前に傾く姿勢。
立ち方の癖。
姉だった。
見間違いのはずがない。
何度も、何度も見てきた背中だ。
思わず画面を写真に撮った。
拡大した。
やっぱり、姉だった。
スクリーンをスマホで撮って、拡大して、何度も見た。
絶対に見間違いじゃない。
なのに。
あとで調べても、その映像はどこにもなかった。
ニュースサイトにも、動画共有にも、SNSにも。
撮ったはずの写真も、消えていた。
自信が、少しずつ削られていく。
でも。
あの眼鏡の角度を、
私は知っている。
あれは、いち姉ぇだった。
「……私の勘違い?」
ペン先が止まる。
4/22。
映画のセットのような場所だった。
古いテレビが大量に並んでいた。
あれは、何だったのだろう。
ただの倉庫?
撮影用の舞台?
それとも、もっと別の何か。
奥から、声がした。
お父さんの声。
確かに聞いた。
振り返った瞬間、別の名前が頭をよぎる。
“浮雲”。
アルバムで見たことがある。
お母さんとお父さんの若い頃の写真の端に、さりげなく写っていた人。
十年以上前の写真なのに。
そこにいた人は、まったく変わっていなかった。
同じ顔。
同じ目。
時間が、そこだけ止まっているみたいだった。
いや。
止まっているのではなく。
ずれている。
こちらの時間と、あちらの時間が、噛み合っていない。
そんな感覚。
あの部屋は、ただの場所ではない気がする。
記憶と時間が重なり合う、境目のような。
そして、いち姉ぇは、あの場所にいた。
どうして。
なぜ、あの人と一緒に。
胸の奥に、冷たいものが残ったまま、答えはまだ出ない。
4月27日。
姉の職場付近。
最初に流れたのは、鹿児島の地方紙WEB版だった。
「白昼、山形に観光に行った複数人が消えた」と。
次に、観光客のブログ。
「警察が規制線を張っていた」と。
ニュースサイトでは、
「行方不明者情報」と、やや抑えた書き方。
それぞれ微妙に違う。
人数も、時間も、場所も。
けれど共通していたのは――
“消えた”という一点。
それが数時間後。
「フェイクニュースでした」という見出しに変わった。
フェイクって、なに?
誤報?
デマ?
悪意ある捏造?
スマホでニュースのキャプチャを見直す。
最初の記事は、確かに存在した。
タイムスタンプもある。
コメント欄も動いていた。
なのに。
今は「確認できません」と表示される。
差し替え?
削除?
訂正記事は、ある。
でも理由が曖昧だ。
「事実確認が取れませんでした」
「関係機関より否定の連絡」
関係機関って、どこ?
誰が「フェイク」って決めたの?
警察?
県?
報道各社の判断?
それとも。
最初から“なかったこと”にされた?
胸の奥が冷える。
もし本当に消えていたなら。
もしそれが、なにかに“処理”されたのなら。
フェイクと呼ばれた瞬間、
それは存在しなかったことになる。
記録が消える。
検索しても出てこない。
人の記憶からも、薄れていく。
姉の周りで起きていること。
消える情報。
曖昧になる証拠。
フェイク。
その一言で、世界は静かに塗り替えられる。
陽葵は、もう一度キャプチャを拡大する。
そこに映るのは、
確かにあったはずの“何か”。
それを否定したのは、誰?
4/28。
その日、姉から匂いがした。
卵の腐ったような匂い。
硫黄みたいな、鼻の奥に残る、あの匂い。
温泉じゃない。
ガスでもない。
もっと、乾いた感じの、焦げた硫黄。
服に染みついているというより、
皮膚の奥から滲んでいるみたいだった。
そして。
推しグッズが消えていた。
あの姉が。
寝食を削って、バイト代をつぎ込んで、
発売日には朝から並んで、
限定特典のために遠征までして、
一つひとつ大事に並べていた、あの棚。
空。
きれいに、消えていた。
処分した形跡もない。
売った形跡もない。
箱も、梱包材も、ない。
「ちょっと整理しただけ」
そう言って笑っていたけど。
あの笑い方は、誤魔化す時のやつだ。
それから。
重機の運転。
文翔館で。
重機?
文化財の資料を保存する部署で?
重機?
文翔館は、レンガ造りの旧県庁舎。
観光地で、ロケ地で、
“映えスポット”。
重機が必要な場所じゃない。
資料管理室の人が、
重機を運転する理由が、どこにある。
匂い。
消えたグッズ。
重機。
点と点が、うまく繋がらない。
でも。
繋がらないのに、
どこかで、一本の線が見えそうで。
それが、怖い。
姉はその日、やけに静かだった。
「お姉ちゃんは、もう大丈夫だよ」
それだけ。
目は笑っていない。
おかしい。
何かが、おかしい。
文翔館で、
いち姉ぇは、何をしているの?
4/30。
あの匂いが、消えた。
卵が腐ったような、硫黄みたいな、重機の油とも違う、どこか異質な匂い。
それが、なくなった。
正直、ほっとした。
いち姉ぇの背中から、あの“よくわからないもの”が消えた気がして。
でも。
推しの話を振ったときの、あの微妙な間。
あんなに年単位で推す人が、あんなに急に切り替えられる?
理由を聞いても、笑って濁すだけ。
「まぁ、いろいろあってさ」
いろいろって何。
“混沌 める”。
気になって、検索した。
引退。
発表、唐突。
理由、ふわっとした文章。
活動履歴も、動画も、妙に整理されている。
きれいに。
消えている。
なんで。
偶然?
それとも。
考えたくない。
でも、考えてしまう。
5/3。
いち姉ぇの目が、変だった。
口元はちゃんと笑ってる。
声も、いつもの調子。
冗談も言うし、陽葵の好きなお菓子も覚えてる。
なのに。
目だけが、遠い。
焦点が合っていないわけじゃない。
ちゃんとこっちを見てる。
でも、その奥。
ずっと、どこか別の場所を見ているみたいだった。
その視線を見た瞬間、思い出した。
おじいちゃんのお葬式。
焼香の煙が揺れて、
親戚が静かに泣いていて、
大人たちが淡々と動いていたあの日。
いち姉ぇは、泣いてなかった。
でも、目だけが遠くを見ていた。
何かを、もう受け入れてしまった人の目。
あの時より、ずっと遠い。
あの時は「死」だった。
今回は、何?
いち姉ぇは、何を見たの?
何を知ったの?
笑ってるのに。
もう、戻れない場所を見てるみたいだった。
5/7。
七日町から文翔館へ向かって、営業車が暴走したらしい。
ニュースでは「若者の無謀運転」とだけ。
ヤンキーの改造車、と片付けられていた。
でも。
また文翔館。
偶然?
あそこに何かがあるみたいに、いつも線が集まる。
しかも、今回は警察が道路封鎖までしたという。
ただの暴走なら、そこまで大げさにする?
SNSを探しても、写真はほとんど残っていない。
投稿も、すぐ消えている。
やっぱり偶然?
それとも。
偶然って、こんなに続くものだっけ。
5/11~16。
仙台港。
いち姉ぇは「出張」と言った。
圏外になる、とも言った。
でも。
夢メッセみやぎにイベントで行ったことがある。
あそこは普通に電波が入る。
圏外になったことなんて、一度もない。
資料管理の部署。
そもそも何をするの。
港で、五日間も。
保存?
整理?
それにしても長すぎる。
研修?
だとしても。
通信が遅いとか、圏外とか。
おかしい。
ここは日本だ。
山の奥でも、地下鉄でもない。
仙台港。
大型施設もあって、物流もあって、人も多い。
電波が入らない理由が、思いつかない。
考えれば考えるほど。
「圏外」が、言い訳に聞こえる。
それが怖い。
5/16。
仙台港沖。
自衛隊。
事故。
死傷者多数。
ニュースサイトを見た瞬間、喉が、きゅっと締まった。
息が浅くなる。
いち姉ぇは、あの日。
「出張」って言ってた。
仙台港。
圏外だったって。
偶然だよね。
港なんて広いし。
自衛隊の事故と、いち姉ぇの仕事が重なるなんて、そんな都合の悪いこと、あるわけない。
そう思いたい。
でも。
胸の奥が、ざわざわする。
スマホの記事が淡々と説明している。
原因は調査中。
詳細は不明。
不明。
最近、その言葉ばかり。
さっきのいち姉ぇの笑顔が、浮かぶ。
ちょっと無理してるときの笑い方。
口元は上がってるのに、目が遠い。
喉の奥が、ひりつく。
静かな部屋で、心臓の音だけが大きい。
考えたくない。
でも。
もう、偶然って言葉だけでは、片付けられない気がする。
ノートの上に影が落ちる。
窓の外、朝の光が少しずつ差し込んできた。
最近また流れる噂。
文翔館に箱大仏がいる。
でも、はっきり見た人は少ない。
ぼんやりした証言ばかり。
共通項。
4/21から。
姉の周りで。
消える情報。
曖昧になる記憶。
フェイク扱い。
引退。
事故。
「……なにこれ」
紙の上に並んだ日付が、線で繋がりそうになる。
繋げたくないのに。
繋がってしまいそうになる。
いち姉ぇ、巻き込まれてる?
それとも。
もっと。
嫌な考えが、胸の奥で膨らむ。
やめて。
考えたくない。
でも。
お母さんは知っている顔をしている。
なのに、何も言わない。
なぜ?
どうして?
「……怖い」
小さく呟く。
日常は、ちゃんとある。
朝ごはんの匂い。
制服。
学校。
友達。
なのに。
足元の地面が、少しずつ薄くなっている気がする。
まるで。
世界が、静かに上書きされているみたいに。
陽葵はノートを閉じた。
ぎゅっと胸に抱える。
いち姉ぇを信じたい。
でも。
信じるには、知らなすぎる。
知らないことが、増えすぎている。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋を明るくする。
世界は、何もなかったみたいに始まろうとしている。
それが。
いちばん、怖かった。




