106 2026年5月12日(火)_01 鬼神帰還
朝。
目覚ましの音で目が覚める。
眼鏡をもそもそかけると、
5時半。
廊下の向こうで、誰かが静かに走っている音。
鬼どもはもう動いている。
他の人、みんな6時起床なのに。
食堂に入ると、湯気。
納豆。
焼き海苔。
だし巻き卵。
しじみ汁。
……豪華じゃない?
朝起きたら何もせずに朝ごはん。
しかもがっつり。
皿洗い不要。
幸せ。
5時半起床の鬼ども監修の筋トレ三昧さえなければ、完璧なのに。
最近、妙に食欲がある。
ご飯二杯目、いけそう。
……やばい?
太る?
きっと今日はチートデー、
そういうことにする。
向かいの席では、
武田・今田・槌谷トリオが、やたら静かだ。
“眠くなんてないですよ”オーラを、必死で放出している。
児島さんと父から聞いた。
昨晩、結界最終調整でラストスパート。
知らないふりをする。
今度、ろかーれ奢ろう。
腹が満ちれば、心も少しは満ちる。
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食後。
艦の作戦室。
武田さんと、艦長クラスらしき人たちが最終日程を詰めている。
声は低く、短い。
火曜:午後のみ(低気圧接近前)
水曜:夜間不可(潮流悪化)
木曜:昼2時間のみ
金曜:安定(ベスト日)
土曜:予備
この期間で、海底に沈んだ5機をすべて引き上げる。
5機。
うっし、やるか。
山倉さんの真似をして拳を鳴らす。
……鳴らない。
指の関節が沈黙している。
「くっ」
横で武田さんが一瞬だけ肩を震わせた気がした。
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午後作戦前。
昼食はボリュームのあるハンバーガー。
ソースがあと引く美味しさ。多分ヨーグルト。
赤身のビーフパティと、全粒粉のバンズにマッチ
医務室。
今野先生の最終身体チェック。
触診。
血圧。
心拍変動。
筋電位。
霊子反応測定。
モニターに数字が並ぶ。
「各種数値、4月より劇的に良好ですね」
え。
そういえば。
お腹ぷに子さんだったのが、
ちょっと弾力が出てきた。
腹筋、うっすら存在感。
鬼ども、ありがとう。
でも鬼ども。
――――――――――――――
個室。
ハンガーにかかった対Gスーツ。
白。
全身。
機能優先。
可愛げゼロ。
ピタピタ。
鏡の前に立つ。
「……」
日本海溝。
水深。
超高水圧。
多層位相制御フィールド。
目の下にクマを作った三人の顔を思い出す。
深呼吸。
艦はゆっくり揺れている。
遠くでディーゼルの低い振動。
金属の壁越しに、海。
「……よし」
スーツに足を通す。
冷たい布地が、体に吸い付く。
ファスナーを上げる音。
ジィ――――ッ。
艦内の振動に溶ける。
ヘアをまとめる。
グローブをはめる。
眼鏡を顔にフィットしたものにかけ替える。
可愛くない。
首元の接続端子を確認。
最後に“おまもり”を首から下げる。
準備完了。
海は静かだ。
やるしかない!
ドアを開ける。
廊下の先で、
武田たちが待っている。
誰も何も言わない。
笑顔でサムズアップ。
行くか!
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浮上に必要なロープは、8,000メートル。
素材名――
霊子化炭素繊維。
聞いたことがない。
炭素繊維を霊子励起状態で固定化した複合素材らしい。
物理的強度と、位相安定性を同時に持つ。
説明文の書かれたタブレットの表面を目が滑る。
多分覚えられない。
山形ロボの複合セラミック装甲にも、同じ繊維が織り込まれていると聞かされた。
つまり、
“本体と同じ思想で作られたロープ”。
安心なのか、怖いのか、分からない。
さらに、
ペンチのような山形ロボの手でも扱えるよう、
同じワイヤーを複数束ね、
独立ウィンチを取り付けたユニットが腕部に固定される。
見た目は地味。
だが、失敗すれば即終了。
今田が淡々と説明する。
「山形ロボの周囲に球状にMPCF――多層位相制御フィールドを展開。
そのまま一気に“落下”してください。
降下速度は結界強度に比例します」
落下。
海底8,000メートルへ。
「目標機にワイヤーを引っかけ、
ウィンチで機体を抱き込む。
浮上時はMPCF強度を最大に。
物理法則を、可能な限り無視して“飛行”してください」
飛行。
海中で。
「結界は、密接する付属物も“自分自身”と認識するよう設計しています」
だからワイヤーごと包める。
だから引き上げられる。
槌谷が続ける。
「注意事項です。
間違っても結界を解除しないでください」
一拍。
「死にます」
真顔。
「ワイヤーも結界の外に出さないでください。
千切れます」
……槌谷さんがマジだ。
あの槌谷さんが、ドS要素ゼロ。
早川が最後に言う。
「ロボ各部に耐水シーリング済み。
水圧は機械的にはどうしようもない。
だが浸水による動作不良は起きない。
そこは安心していい」
みんな。
ありがとう。
深呼吸。
四つん這いの山形ロボが立ち上がり、
浮遊。
外は、濃い青。
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一機目。
両肩に鬼面を装着した、
パワータイプ――オルグガイスト。
海底で沈黙している。
山形ロボ、発進。
MPCF展開。
球状フィールドが、淡く歪む。
海面。
落下。
水面を突き抜けた瞬間、
鈍い衝撃が全身を包む。
圧力が、音にならない音を立てて迫る。
外殻を、世界そのものが押し潰そうとする。
深く。
深く。
海の青は、すぐに消える。
やがて光は細くなり、
最後には完全に途絶える。
途中から、
モニター表示が切り替わる。
CG補正。
人工的な水色。
本来は闇。
だが演算処理された視界が、
無理やり“見える世界”を作り出す。
深い、水色。
粒子が目立つ。
ノイズが踊る。
だが、見える。
水圧は増す。
増し続ける。
だがフィールド内は、静寂。
8,000メートル。
そこは墓場だった。
海底に、
横たわる五つの影。
様々な形をした戦士たちの屍。
淡い燐光を放ちながら、
まるで眠っているかのように、
沈黙している。
水は動かない。
潮流はほぼゼロ。
時間が止まった場所。
モニター上、
オルグガイストのアイコンが強く点滅する。
対象ロック。
海底に横たわる巨体の輪郭が、
CGで黄色くマーキングされる。
両肩の鬼面。手足が太い8頭身。
まるで太古の戦士のようなシルエット。
闇の中で鬼面が、
鈍く、微かに光を返す。
まるで、
こちらを見ているように。
ワイヤー射出。
霊子化炭素繊維が、
暗い水を裂いて伸びる。
ペンチのような山形ロボの手が、
慎重に。
だが迷いなく。
オルグガイストを抱き込む。
身長は三倍以上違う。
横幅は・・・あんまり変わらない。
いいの山形ロボは愛され体型。
ウィンチ固定。
テンション値、正常。
「……よし」
呼吸が少しだけ浅くなる。
浮上。
MPCF強度、最大。
フィールドが震える。
水が歪む。
圧力が、意味を失い始める。
モニター右下、作業プロトコル。
・浮上角 3度固定
・張力 黄域維持
・揺れ幅 許容内
・水面到達 “破砕”禁止
——破砕。
水面を割る角度を間違えれば、吊り荷が跳ねる。
跳ねた瞬間、ロープは切れる。
切れた瞬間、オルグガイスト回収する為に、
準備に数時間かかる。
喉が、からからに乾く。
唾が飲めない。
海底の泥が舞い上がる。
砂煙みたいに、ゆっくり、しかし広く。
五つの屍——沈んだ機体の影が、
一瞬だけ揺らぐ。
まるで、こちらを見送るみたいに。
海底から、
一気に――
“飛ぶ”。
水が、縦に裂ける。
沸騰と凍結が同時に起こる。
ウィンチが軋む。
霊子化炭素繊維が青白く発光し、
張力ログが——
黄。
黄。
……赤。
心臓が止まる。
次の瞬間、
槌谷の声がインカムに落ちた。
「……角度、0.5、戻して。今」
反射で手が動く。
機体の姿勢が、ほんのわずか変わる。
ログが黄に戻る。
生きた。
軽いG。
内臓が沈む。
シートが背中を押し返す。
結界が鳴いている。
不協和音がコクピット内に響く。
だが、耐えている。
ぐんぐん近づく、上から差し込む光。
黒から群青へ。
群青から青へ。
光り輝く水面。
泡が爆ぜる。
水柱が、海面を突き破る。
轟音。
一瞬、視界が真っ白になる。
外装に当たる雨粒みたいな海水。
振動が遅れて来る。
——そして。
「しなの」のクレーンが追随。
ロック。
「作業、一機目完了!」
艦内スピーカーから、
児島の短い声。
「第一機、確保、片桐さんお疲れ様」
歓声は上がらない。
まだ四機ある。
だが。
深海の闇から、
一つ、取り戻した。




