第3話:光の誘惑、影の警告
昨夜の騒動が嘘のように、王宮の舞踏会場はまばゆい光に満ちていた。
侯爵令嬢たちの手配によって届けられた白いドレスは、驚くほどエルナの肌に馴染み、白薔薇の刺繍がステップを踏むたびに美しく揺れる。
「素晴らしい。やはり君には、その純白がよく似合うね」
エルナの手を取り、優雅にリードするのはラインハルト王子だ。
彼の金糸の髪と、青い瞳が、シャンデリアの光を反射してきらきらと輝いている。その姿は誰もが見惚れるほどに完璧だった。
「殿下、昨日はその……お騒がせして、申し訳ありませんでした」
ドレスを見失い、探していることが彼にも伝わっていた。それからエルナの身辺を調べ、注意をしたとも、その後の話で聞いていた。
眉尻を下げて言う彼女にラインハルトは、にこやかに返す。
「気にする必要はないよ。君を傷つけようとする者がいるなら、僕が全力で排除する。……近いうちに、正式に君を僕の婚約者として発表するつもりだよ。そうすれば、誰も手出しはできなくなる」
「えっ……?」
あまりに突然の言葉に、エルナの足が止まりそうになる。
王妃になる。それは、この国の『光』そのものになるということだ。名誉なことのはずだからか、ラインハルトは当然のことのように話している。
それなのに、なぜかエルナの胸には、冷たい風が吹き抜けるような寂しさが走った。
ふと視線を会場の壁際に向けると、いつもの定位置に、黒い甲冑をまとったギルバートが立っていた。
彼は一言も発さず、ただじっと、エルナと王子が重なる影を見つめている。その瞳には、自分の手が決して届かない場所を見上げるような、深い諦念が滲んでいた。
◇◇◇
舞踏会が終わり、ラインハルト王子がエルナを彼女の控室まで送り届ける。
「おやすみ、僕の可愛い聖女」
そう言って、王子はエルナの手の甲に優しくキスを落とし、去っていった。
扉が閉まり、静寂が訪れる。
部屋の前に直立して護衛を続けるギルバートに、エルナは思わず声をかけた。
「……ギルバート」
「なんだ」
「私、本当に殿下の婚約者になるのかしら。なんだか、現実味がないの……」
不安を口にするエルナを見下ろし、ギルバートはふっと自嘲気味に唇を歪めた。
「怖気づいたのか。気にしなくていい。じきに忘れる。あの方は次期国王だ。お前をこの世で一番安全で、一番高い場所へ連れていく。……お前はただ、差し出された手を握ればいい」
「でも……っ」
「迷うな。お前はこのまま幸せになればいい。これ以上、我が儘を言うな」
冷たく、突き放すような言葉。
けれど、その声は微かに震えていた。ギルバートはそれ以上エルナの顔を見ないように、回廊の奥へと歩き去っていく。
エルナは、彼の背中がいつもより小さく、そして酷く孤独に見えて仕方がなかった。
◇◇◇
エルナの前を去ったギルバートは、一人、月明かりだけが差し込む誰もいない東の回廊を歩いていた。
胸の奥が、焼け付くように熱い。
手袋を嵌めた拳をきつく握り締める。彼女を護るのが自分の役目だ。彼女が王子と結ばれ、幸せになることこそが、自分の任務の終わり。分かっている。分かっているのに──。
「──随分と寂しそうな顔をしているね、ギルバート・ヴォルフレイド」
暗闇から、凛とした声が響いた。
ギルバートが足を止めると、そこには、先ほどエルナと別れたはずのラインハルト王子が一人で佇んでいた。
昼間の爽やかな笑顔は消え、その青い瞳には、冷徹な王者の光が宿っている。
ギルバートは無言で片手の拳を胸に、もう片方を後ろ手の腰に当て騎士の礼を取った。
「殿下。このような場所で、お一人でどうされたのですか」
「挨拶はいい。二人だけの時は、形式的な芝居はやめよう」
ラインハルトはギルバートの前に歩み寄り、冷ややかに告げた。
「夕べ、北の塔で令嬢たちを脅迫したそうじゃないか。君が裏で動いたおかげで、エルナのドレスが間に合った。それについては感謝するよ」
「……私は、私の主であるエルナ様の尊厳を護ったまでです。護衛騎士として当然の義務かと」
「義務、ね」
ラインハルトはくすっと笑ったが、その目は笑っていなかった。
「君の剣が鋭く、優秀なのは知っている。だが、君の目は少し不敬が過ぎる。君がエルナを見る時、それはただの護衛騎士の目じゃない」
ピリッ、と空気が凍りついた。
ギルバートはゆっくりと視線を上げた。孤高の騎士の瞳に、鋭い殺気が宿る。
「……何が仰りたいのですか」
「警告だよ」
ラインハルトは一歩踏み込み、ギルバートのすぐ目の前で立ち止まった。
「エルナは聖女であり、僕の妻になる女性だ。彼女を真に幸福にできるのは、王位を持つ僕だけだ。平民上がりの君が、どれだけ彼女を特別に思おうと、君が彼女に与えられるものはない」
その言葉は、ギルバートが一番自分自身に突きつけていた、最も鋭い刃だった。
ギルバートは歯を食いしばり、拳を強く握りしめた。だが、彼は目を逸らさなかった。
「……分かっております。私ごときが、エルナ様に何かを望むことなどありません」
「なら、いいんだ」
「ですが、殿下」
ギルバートはゆっくりと頭を上げる。体躯の大きさでは、騎士であるギルバートの方が王子を圧倒している。二人の視線が、至近距離で激しくぶつかり合った。
「もし、あなたがその光で彼女を照らしきれず、彼女を泣かせるようなことがあれば……」
ギルバートは腰の長剣の柄に、そっと手をかけた。
「その時は、この命に代えても、私はあなたから彼女を奪い去ります。たとえその罪で、この首が落ちようとも」
王子の前で、明確な反逆の意志。
しかし、ラインハルトはその言葉を聞き、激怒するどころか、満足そうに口元を吊り上げた。
「いい覚悟だ、ギルバート。……だが、その機会は永遠に訪れない。彼女は僕が、絶対に幸せにする」
「……その言葉、忘れないでいただきたい」
背を向け、去っていくラインハルト。
一人残されたギルバートは、月を見上げ、深く息を吐き出した。
恋情を押し殺し、ただ「彼女を泣かせたら奪う」という形でしか愛を証明できない、己の宿命を呪うように。




