13幕 辛くても、絵を描くことは大好きだから!
私にとって、学校で本当に楽しいと思える時間は、放課後だけ。
クラスのお友達と話すのも楽しくはあるけど、それでも楽しんで絵を描けるのは放課後の部活動だけだ。
……授業はある。だけど私はどうしてもそこで絵を描こうとは思えない。
他の絵画コースの人たちが放課後残って作業をしているのも知っている。だけど私はそこにいても創作意欲が湧かないから、毎日部室に欠かさず行っていた。
「秋はコンクールがある。そのための作品制作を進めておくこと――良いですね?」
……絵画コースの教師が、一瞬私を見てそう言った。
――私は、コンクールが嫌いだ。楽しんで描いたものを値踏みして、なんでも否定する人たちが嫌いだ。
……コースを変える選択肢はあった。それはもちろん、美月ちゃんも言ってくれて――でも私は、どうしても絵画コースから外れるのが嫌だった。
それは私の意地で――逃げるのが嫌だった。ここで逃げてしまえば、私は自分の絵を否定するということだ。
絵を描くことは楽しい。楽しんで描いた作品にこそ命が宿り、誰かを笑顔にすることが出来る。それを私自身が否定することなど、到底できるはずがない。
だから私は、どれだけ教師の当たり厳しくとも、周りから認められなくてもー―一色くんが私の絵を認めてくれるから、こんなに強く居られるんだ。
……せめて部室では楽しく絵を描こうと思う。部活だけのために絵を描く。
「……でも、描かないといけないよね」
進級するためには、少なくとも作品を描かないといけない。だけど絵画コースの教室で作業をする気も起きないし、かと言って部活でそれをするのも違う。
となれば家だけど……
「家ではのんびりとしたいから――そうだ」
私はふと思いつく。皆のいる前でコンクール用の作品を描かず、なおかつ家でも教室でもない場所のことを。
もちろんそれは部室でもなく……厳密に言えば部室ではあるけど――美術部の準備室だ。
あそこは普段、滅多なことがない限りは誰も入らない。美月ちゃんたちはいつもイーゼルを所定の場所から片付けないし、毎回最初に部室に来るのは決まって私だ。
準備室から取り出すものはキャンバスくらいなもので、それ以外の画材は全部部室の方に置かれているから……よし。
私はタイマーの時間を普段よりも一時間ほど早くセットする。これから毎日、少しずつ作品を描いていこう。朝早くに家を出る。朝の時間帯なら部室に来る人はいないだろうから。
――そうして私は人知れず、コンクール用の作品を描き始めた。もちろんモチベーションは驚くほどに低く、決して楽しんでいるとは言えない。
……でもせっかく描くのだから、良い絵を描きたい。その気持ちはあるから、精一杯の努力は怠らないでおこう。
「……早く放課後にならないかな」
朝早く登校して、最初に言うことは決まってそれだ。早く部活で、皆と楽しく活動したい。
――ある日のお昼、私は早々に昼食を食べて、時間を持て余していた。朝食をしっかり食べた分、昼食のお弁当をかなり少なくしたのが原因である。
……すると、私の周りにクラスメイトの男子たちが集まった。
「今日は貴音先輩と一緒じゃないんだね」
「うん。美月ちゃん、今日はバンドの練習なんだよ」
……美月ちゃんが居たら、絶対に近づいて来ない人たちだ。実を言えばあまり得意ではない。
確か音楽コースの人たちなのだけど、私を見る目が少し嫌な感じがする。こういうとき、いつも仲良くしている女の子たちが助け舟をくれるけど、今日は学食に行ってしまっていた。
――その時、私は廊下へと視線を向けた。
「……あ」
そこには一色くんがいて、私の方を見ていた。目が合うと、私は自然に笑顔を浮かべて立ち上がる。
そして廊下の方に小走りで向かい、一色くんの前に立った。
「こんにちは、一色くん! 珍しいね。一色くんが廊下を歩いているところ、見たことないよ」
「失礼な。二階は放課後以外、通らないんだよ、騒がしいし――それにしても良かったのか? 友達と話していたんじゃ……」
……私にとってはクラスメイトの男子たちよりも一色くんを優先するのは当然のことだ。
「いいの。ただの世間話だったし、むしろ一色くんがこっちを見ていたことの方が気になるから」
男子たちから逃れたかったのが本当に理由だけど、それも気になる。同じ部員として気になったのか、それとも――なんて、ね。
一色くんは私から目を逸らした。
「この方向だと……特別棟に何か用事でもあったのかな?」
私は足の向いている方向を確認して、そう尋ねた。
「……時間が随分余ったから、部室でのんびりとしようと思っただけだ」
「あ、なるほど――じゃあ私も付いていこうかな?」
私も丁度時間を持て余していたのだ。残りの時間を一色くんと過ごせるとは幸運と言える。部室以外では一色くんと遭遇することは珍しいからだ。
一色くんに有無を言わせず、私は彼の前を先に歩く。
そして一色くんの方を向くと、彼は先ほどの場所から動いていなかった。
「早くしないとのんびりできなくなっちゃうよ?」
「あ、ああ」
一色くんは少しばかり戸惑いながらも、私と一緒に部室に向かった。
そうして部室に着いて、軽く雑談をする。隣に座り、一色くんの顔が良く見える程度の距離で話していた。
……その時、私はふと彼の手元のクリアファイルに興味を持った。
「ねぇ一色くん、そのファイルの中身って何かな?」
私は指差して尋ねると、一色くんは説明してくれる。
それは漫画のプロットというものらしく、要は最初の原案だった。絵で言えばアタリのようなもので、私はそれに強い興味を持つ。
何せ一色くんの描く世界を、私は興味があるからだ。普段から線の綺麗さや、絵の見やすさと秀逸さに感心しているから、彼の描く物語にも興味があった。
「……見ても、良いかな?」
だから不躾にそうお願いしてしまう。
すると一色くんは少し困った顔をした。どこか抵抗のある表情で、答えに困っている。
――彼の世界を見たい本当の理由は何だろう。
単純な興味……それもある。だけどそれだけじゃない、と、思う。単純な興味だけでは、こうも絶対に見たい、という気分にはならない。
「……お願い、どうしても一色くんの作品が見たいの」
……その理由は、おぼろけだけど、私は自覚していた。
――一色くんは私の作品を見て、泣いてくれた。感動というプレゼントを、私にくれたのだ。
私の作品を見て泣く人の、描く世界を私は見たい。もしもそれが自分も共感できるものであるのならば……これほどに嬉しいことは、他に中々ないと思うから。
だから私は一色くんの作品の一欠片が知りたかった。
「…………」
一色くんは呆然とした表情で、私にクリアファイルを渡した。
そんな表情を浮かべたのはどうしてだろう。何に呆然としていたのかは、私には分からない。それを考えるより先に、私はクリアファイルの中身に目を通した。
――プロットには、綺麗な字と図解で分かり易く世界観んや設定、登場人物のことやストーリーの詳細が書かれている。
現在はっきりしているキャラクターは二人で、主人公とヒロインだ。第一印象では、主人公はクールだけどどこか抜けていそうな見た目で、ヒロインはとても可愛らしい。
世界観……それに私は驚いた。先にストーリーを軽く目を通していたから、この物語がほのぼのとしながらも時にシリアスな場面があるものということを分かっていた。
――この世界は死後の世界。その死後の世界で、物語の主人公とヒロインは恵まれない子供たちのお世話係として日常を過ごしているらしい。まだ詳しい決まっていないから、起承転結ははっきりしていないけど……私の頭の中で、物語が想像できた。
主人公の不器用さや、ヒロインの純粋さ。これらが頭の中で勝手に動いて、プロットにはない物語を展開する。子供のために奮闘する主人公と、それを必死で支えるヒロイン。手と手を取り合って、問題解決を目指し、不幸を振り払って幸せになる物語、なのだろうか。
「……すごいな。まだプロットなのに、どんなお話になるかがすぐに想像できたよ」
私はプロットを見終わり、胸で紙の束をギュッと抱きしめながら、そう言った。すると一色くんは首を傾げ……
「想像って……その話のことか?」
「そうだよ」
……思ったままのことを話す。私はこの物語に共感してしまった。漫画のことは詳しくは分からないけど、この物語が面白いということは分かる。
だからまるで、自分のことのように語ってしまった。
この物語に最適な風景や、小さな小物から大きな舞台まで。本当に色々な、思いついたことをひたすら話し続けた。
一色くんはそれを、声も出さずに聞き続けてくれる。だけど瞳は濡れているのか光って見えて、何かを我慢している表情だった。
そこで、私はようやく話すのを止める。
「可笑しいね。一色くんの作品なのに、勝手に頭の中に物語が浮かんじゃうよ。ダメダメ、これは一色くんの話なんだから、私が踏み込んじゃダメだよね」
私はそう呟いて、名残惜しくプロットをクリアファイルに戻す。一色くんは何かを言いたげな表情を浮かべている。
……不安になる。私の過ぎた行動で、一色くんを不快に思わせてしまったのじゃないかと思った。だけどそれを言うことは出来ず、これ以上は一色くんに踏み込むことが出来ない。
ただ、この話が気になることは本当で、私は一色くんに、
「また、完成したら見せて欲しいな。良いかな、一色くん」
「……ああ」
そうお願いすると、一色くんは絞り出したような声でそう頷いた。
――私の馬鹿、もっと一色くんに聞きたいことはたくさんあるのに。自分の事のように思えたこの作品のことを、一色くんと話し合いたいのに。
私はそれが出来なかった。そうしてまた、平静の私という仮面を被り、いつも通りの水無月虹として彼と接する。
……いつか、いつかと色々なことを先延ばしにして。それが自分を蝕んでいることも気付かなかった。
●○●○
「最近、一色くんはあんまり来られないんだね」
「漫画コースはかなり忙しいらしいからな。来られない理由はいつもそれだよ」
部室で美月ちゃんとそんな会話をしていた。
一色くんは最近、部活に来ない日が多い。三日に一度くらいは顔を出してくれているけど、すぐに帰宅してしまう。どうやら課題が忙しいようだ。
聞くところによると、今はネームという作業をしているらしい。それで行き詰っているのか、それともそれ自体が忙しいのか、いつも考え込んだ表情をしていた。
私と言えば、朝早く登校してコンクール用の作品を作りながら、部活を毎日楽しむ日々。そこに一色くんがいないのは寂しいけど、今頑張っているのだと思うと、純粋に応援できる。
今日も誰よりも早く部室に来て、部活の準備をしていると……、部室に誰かが入ってきた。
「あ、一色くん!」
三日ぶりに一色くんが部室に来た。隣に海老名先輩もいるけれど、反射的に一色くんの名前だけ呼んでしまう。
……それでか、海老名先輩は一色くんの後ろで泣いていた。ごめんなさい、海老名先輩。
そんなことを思っていながら私は海老名先輩に触れることなく、一色くんとの会話を優先してしまう。こういうところは美月ちゃんの影響だと、我ながら思った。
「今日は漫画の方は大丈夫なの?」
「そっちが行き詰ってるから、こっちに来たんだ」
「あ、そっか! ……後で良いから話さない? もしかしたらそれが作品に繋がるかもしれないし」
私は美月ちゃんや海老名先輩に聞かれないように、こっそりとそう言った。二人には悪いけど、話に参加されたら話が脱線することは間違いないから。
……すると一色くんは、私の提案に頷いてくれる。
一色くんとのお話しは部活終わりにすることになり、そして部活も滞りなく終わる。今日、初香先輩はお休みで、何故か一色くんは盛大に溜息を吐いていたけど……どうしてだろう。
ちなみに美月ちゃんと海老名先輩は二人してバンド仲間に連れて行かれた。どうやら今日、サボって部活に来ていたらしい。
しかしそれはある意味で好都合で、私と一色くんは駅近くにある喫茶店でお話しを楽しんでいた。
一色くんが溜息を吐いていたのは、初香先輩から催促を受けたにも関わらず、当の本人が来なかったかららしい。
……初香先輩らしくて、むしろ笑ってしまった。
「…………」
不意に私の視線は一色くんの学生鞄に向かってしまう。
「……そんなに気になるか?」
一色くんは私の視線に気づいて、指摘してきた。
「え、ええ? そ、そんなことないよ? 別に一色くんとのお話しがつまんないとかじゃなくて……前からずっと気になってたから。……えへへ」
指摘されて少し動揺してしまい、最後はそう紛らわす。
でも言っていることは嘘ではなく、ずっと一色くんの作品が気になっていた。でもあまり部活に来てくれないから、自然と会話することも減ってしまって……。
一色くんは「分かったよ」と言いながら、鞄の中から紙の束を取り出した。その量はかなり多く、比較するものがないから程度は分からないけど、一向に作業が進んでいないようには見えなかった。
「それだけ描いてるのに行き詰ってるの?」
「……描いても描いても納得できないんだ」
一色くんがそう言って納得する。更に彼は付け加えて、キャラクターを活かしきれないと言った。
「……読んでも良いかな?」
「…………ああ」
一色くんは意を決したように、私にネームを渡してくれた。
――渡されたネームを読んでみると、一色くんの言いたいことは理解できた。そのネームは面白いとは思うものの、最初にプロットを読んだ時ほどの衝撃は受けなかった。
物語が簡潔にまとまり過ぎていて、なんて言うのかな……予定調和、という内容だ。
少なくともプロットを読んだ時に思い浮かんだ世界がそこにはなくて、一色くんの言う通りせっかくの魅力的なキャラクターが、ただの物語の道具のようで……なんだか、可哀そうだった。
「これを楽しく描いているとは思えない……かな? プロットを見た時と違って、世界が簡潔にまとまり過ぎているというか……ごめんね、言葉に出来ないや」
私がそう感想を言うと、一色くんは嫌な顔を浮かべるどころか、どこか関心があるような表情を浮かべていた。
……私はそれを確認して、続ける。
「一色くんがこれを描いてる時って、多分楽しくやっていないんだろうなっていうのは、分かった。たぶんいつもみたいに難しい顔で考えているんだろうなって」
「……俺、いつも難しい顔をしているか?」
あ、ダメだ。今の言い方だと誤解を生む。私は慌てて訂正しようとした。
「ごめんね、別に悪口とかじゃないよ!? ……ただ、一色くんっていつもすごく頑張ろうとして、それで空回りしちゃうのかなって思ってさ」
それが失速の原因なんじゃないかなって、私は伝えた。
……でも、私は一色くんの気持ちが分かる。作品を楽しく描けないとやる気も起きなくて、そんな状態で良い作品が出来るはずがない。
そういう時って、決まって――
「……不安、なんだと思う」
不安で……そう思おうとした時、一色くんは、その台詞を口にした。
「自分がこれから描こうとする作品は、たぶん今までの自分にないものなんだ。それを描いて、もしもそれが酷評されたり、否定されたって考えると……どうしようもなく怖くて、不安で」
一色くんは俯きながら、そう言い続けた――まるで、私の心を代弁しているようなことを、言っていた。
……そう、怖い。誰かに酷評、否定されることが。
「……期待と不安って、どうしようもなく纏わりつくんだ。自分が自信を持って作った作品も、第三者には良くは見えないかもしれない。だから怖くて踏み出せない――」
……あぁ、分かった。
――一色くんと私は、根本のところで本当に瓜二つだ。怖がりで、自分から踏み出せず、前に進めないところが。そんな不完全なところが、そっくりだ。
だから私は一色くんに親近感を持って、依存している。同じ苦しみを知っている人の傍だと、安心できるから。二人一緒に居たら、前に進めると思えるから。
傷を舐めあって、傷つかないと思うから……だから私は、一色くんに縋っている。
……一色くんに抱き着きたい。傍にいて、何もかも忘れたい。絵画コースの先生のこととか、自分の絵のこととか……全部全部忘れて、真っ白になりたい。
不安に押し潰されそうになっている時、一色くんは顔を上げて、
「だから俺は水無月が羨ま――し、い」
……羨ましがることなんて、私には一つもない。私は一色くんと同じで、前に進むことの出来ない人だから。
私の顔を見て、一色くんは驚いている。だけど私は、声を出すことが出来ない。
呆然と、一色くんの顔を見ているだけ。
「……みな、づき?」
……一色くんが、私の名前を呼ぶことで私は我に返る。泣きそうだったから、下唇を噛んで耐え、下を向いて表情をいつものものに戻した。
――そうして笑顔の仮面をまた被る。
「……怖いものは、怖いよね」
分からないことは、とても怖いことだから。未来がどうなるか分からず、安心できる根拠なんてどこにもないから……だから震えて足が竦む。
――私と一色くんは、お店を出る。そこにはまともな会話はない。一色くんは生返事で、私は当たり障りのないことしか言わない。
……ただ不安で、彼の手を握った。でも――不安はそれでも、消えることはなかった。
●○●○
……今日も朝早くから部室に来て、コンクールの作品を描く。
「……今日は天気が悪いな」
今日の天気は曇りで、私は気が乗らない。
それでも色を塗り重ね、ある程度見栄えはマシになった。そうして朝の時間を終え、片付けを始める――その時、私は一つの決心をした。
「……一歩、踏み出そう」
ずっと考えていた。あの日、一色くんと帰った時から、漠然と考え続けていた。
今のままでは私はどうすることも出来ない。部活動だけで絵を描くなんて、本当に楽しんでいるとは思えないから。
だからこの作品を、他の誰でもない一色くんに見てもらいたい。そしてまたあの時のように、一色くんに感動してもらえたら……なんて期待をしてしまう。
普段は終われば準備室の隅に隠しているのを、今日はキャンバスに布を被せ、扉の近くに置いた。
そして放課後、いつもなら最初に部室に行くのを、わざと遅くする。一色くんは部活に来るときは大抵私の次に来ているからだ。
一色くんのことだから私がいなかったら、代わりに準備をしてくれるだろう。そして文化祭と同じように布を被せてあったら、気になって見てくれるに違いない。
「……そろそろ、かな」
私は時間を見計らって部室に向かう。
「……誰か先に来てるのかな?」
そんなことを言うけど、本当は一色くんが準備室にいることを知っている。彼の鞄があるのを見て、私は準備室の方に向かった。
準備室の曇り窓には人影があった。
「……あれ、もしかして一色くん、中にいる?」
「……ああ」
一色くんは消え入りそうな声で、そう返答する。
私は確認して準備室の中に入っていくと……一色くんは案の定、私の絵を見ていた。呆然と、目を見開いて。
……あの時と、本当に同じだ。文化祭の時と同じようなシチュエーションに、私は胸がドキドキとしてしまう。
「……一色くん、悪い子だ。これ、布が掛かっていたでしょう?」
そう仕向けたのは自分の癖に、何を言っているのだ。私がそう言うと、一色くんはこっちを向く。
「……ああ、悪い――水無月、一つ、教えてくれないか?」
「……なに?」
――何故だか、嫌な予感がした。
一色くんの今の表情を見て、私はそう思って仕方がなかった。
「この絵は……水無月が、描いたのか?」
そう聞いてくる真意は分からない。だけど一色くんは、
「……うん、そうだよ」
――絶望したような顔を、していた。
「課題で絵を描くのって嫌なんだよね。絵は楽しんで描くものだからさ。だから授業で使う部屋でそれをしたくなくて、ここで隠れて絵を描いていたんだよ」
その時は、それに気付かずに言い訳のようにそう言っていた。
だけど一色くんはひどく顔色を悪くて、不安に押し潰されそうな表情を浮かべていた。
「――違う」
……私が一色くんに欲していたのは、肯定だった。この絵を見せたのも、本当は肯定して欲しかったから。
そうして安心すれば、前に進めると思ったから。
そう思って――一色くんを、利用していた。
だからこれは、報いなんだ。一色くんを都合の良く利用していた自分への……罰。
「お前はもっと、もっと美しい世界を描けるだろ……っ! なのに、どうしてこんな……こんなっ」
一色くんは思い通りになる人形なんかじゃない。美術部に入って、ずっと一緒にいたのに、私はそんなことを気付きもしなかった。
「――この絵からは、何も感じないんだよ……っ。美しさも、楽しさも……お前らしさが――色を、感じないんだ」
……そうして、私と一色くんはすれ違った。
私と一色くんは、対向車線という決して交わることのない道に、それぞれ立っていた。
それからのことは、私も良く覚えていない。
……彼にたくさんの酷い言葉をぶつけて、自分の事を棚に上げて、彼を否定した。
――どこで間違えてしまったのだろう。私はただ、絵を楽しく描きたいだけなのに。そんな簡単なことが、私は……どうしても、出来なかった。
…………一色くんと口論をして以来、私は無理をしていた。
無理に笑顔を浮かべ、大げさに話す。そうしないと不安で仕方がなかったから。
だけど、一色くんの前では、それが出来なかった。だって、一色くんには私の本当の作品を見て欲しかったから。無理な笑顔を浮かべて接したら、見抜かれると思ったから。
だから私は、部活動でコンクール用の作品を描いていた。
授業でも持ち込んで、周りの目を気にせずに絵を描き続けた。
……絵を描いていると頭痛がすることが増えた。だけどそれでも、私は描き続けた。
――一色くんはある日を境に、部活に来なくなってしまった。……私のせいだ。私が、不用意に彼を傷付けることを言ってしまったから。彼に話し掛けることなく、気まずくて話さなかったから。
……どうしたら一色くんは、部活に来てくれるのかな。そう思って、出た答えが絵を描くこと。
彼が綺麗って、美しいって言ってくれる作品を作ることだけだった。
――何一つ楽しいことはない。頭痛の中で描く作品が、美しいはずもない。
「……やっと真面目にしたと思えば、碌なものは描かないね」
「――先生……」
……授業中、先生が私にそう言ってくる。それからも苦言や軽い暴言を吐かれたけど、私は聞き流してひたすら描き続けた。
こんな人たち、どうでも良い。私は一色くんにさえ理解してもらえたら、それでいい――そんなの体の良い嘘だって分かってるけど、私に縋れるのはそれしかないんだよ……っ!
「……虹、まだ、帰らないのか?」
「……うん。もう少しだけ、描いてから帰るよ」
美月ちゃんは、そんな私に毎日付き合ってくれる。それは幼馴染として心配しての行動だと、感謝している。
……そんな毎日を繰り返しても、納得のできる作品が生まれるはずもなかった。
――絵を描くのが、辛い。少し前までは楽しかったのに、今は全然楽しくない。
「……戻っちゃったな、昔に」
高校に入る前に、戻ってしまった。
――一色くんに救われて、世界がガラっと変わったと思っていた。だけどそれは、本当は、とても危うい世界で……たった一つの歪みで、こうも簡単に崩れ去った。
私が踏み込まないから、踏み込ませようとしないから……本音を隠していて、何かが変わるはずないのに。
それでも、君は私を救ってくれるって言うの?
ねぇ――一色くん。
今回にて水無月の視点は終わり、次回より現実に視点が戻ります。
5章~6章にかけて、ようやく本編で水無月の裏の面が出たということで、そこまで描きすぎるのはどうかなって思いまして。
ただ、水無月の手の震えの最後の追い討ちについては、まだしっかりと言及はしていませんので、それは次回の8章辺りでって考えています。
……7章も次回で終わりで、物語はもうちょっとだけ続きます。どうかお付き合いください!




