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こころのいろ  作者: 如月心
第7章 雪溶けの空には虹がかかる
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12幕 私が彼に求めているものは……

 長い夏休みが終わり、学校が始まる。


 と言っても、うちはすぐに授業が始まるわけではなく……夏休みが終わってすぐに体育祭がある。

 だから少し憂鬱だ。私は他の部員の皆とは違って、本当に運動能力が低いから。故に基本的には応援が私のもっぱらの仕事である。


 今も今とて応援をしている――なお、応援の中には一色くんも含まれる。チームは違うけど、やはり部員仲間を応援するのは当然だ。

 応援されてあまり嬉しそうにしないのが一色くんらしいけれど。


 ……体育祭ではなんといっても、美月ちゃんが目立つ。昔から運動能力が底抜けに高く、体力も底なしだから、この体育際で一番楽しんでいるのは間違いなく美月ちゃんだ。

 楽しむだけだったら良いけど、他の人の迷惑にならないことを願うばかり。じゃないと渡邊先生が美月ちゃんを諫めないといけなくなるから。


 ――しかし、今日はどうにも頭痛が酷い。久しぶりの登校で、朝早くに絵画コースの先生と顔合わせしてしまったからだ。気分が少し悪い。

 こういう日は木陰でひなたぼっこしながら、体育祭を観戦するのが一番だよね。そう思って木陰で休んでいると……


「……よ、水無月」


 ――少し暇だなって思っていると、なんと一色くんが現れた。これは嬉しいことで、一色くんはすっと私のすぐ隣に腰を下ろす。

 ……合宿から、一色くんとの距離感が短くなったように感じる。それはとても嬉しいことで、彼が心を開いてくれているということだ。


 一色くんと他愛無い会話をする。体育祭の異常な熱気のことや、美月ちゃんと海老名先輩の騒ぐ様子……そして初香先輩の解説の上手さなど。

 特に最後は放送部顔負けだ。良く台詞がペラペラと出てくるものだ。


「一色くんは何か競技に出るの?」


 私がそう聞くと、一色くんは答える。どうやら彼は障害物競争に出るらしく、更に部活対抗リレーにも参加させられるらしい。

 私は出ない分、しっかりと応援しないと! そう意気込んでいると……


「水無月は出ないのか?」

「え? わ、私は~……まあお休みかな~、なんて」


 そう歯切れ悪く答える。

 ……偏頭痛のことは言えない。余計な心配をかけてしまう。それに一色くんと話している今はあまり辛いわけではない。むしろ調子が良いと言える。

 だからこれは言う必要がないのだ。


 私の返答に首を軽く傾げているけど、すぐにグラウンドの惨状に目を奪われる。

 ……グラウンドでは、初香先輩の策略にまんまと嵌る海老名先輩が居て、その首根っこは渡邊先生が笑顔で掴んでいた。

 ――どうしてこうなったのか、本当に疑いたくなる現実だ。


「二学期から忙しくなるな」


 すると一色くんは突然、そう言ってきた。

 ……彼の言う通り、うちの学校は二学期から忙しくなる。芸術系のコースはその時期にコンクールがあって、それに向けて作品制作をしていくのだ。


 ――コンクールのことを思い出すと、ズキッと頭痛が響く。……いやだなぁ、コンクールに作品を出すの。今から憂鬱になってしまう。


「……そうだねー。芸術の秋だから、、みんな創作活動が捗る時期だもん」

「言い得て妙だな。……水無月は何か描きたいものはあるのか?」


 ……嬉しい質問だ。コンクールのことを忘れたい私にとって、したいことを考えることが一番だ。

 秋と言えば色々と美しい景色がある季節でもある。その中でも特に……


「やっぱり紅葉とか、秋らしいものを描きたいよね。部活で何かやるなら、そういうテーマをお願いしたいなー」

「部活もいいけど。水無月は――」


 一色くんが私に何かを尋ねようとした時だった。放送が入り、一色くんの出る障害物競争が始まるらしい。

 すると一色くんはどこか不満げな表情を浮かべつつも、立ち上がった。


「頑張ってね、一色くん」

「……ああ」

「あ、それとお昼ご飯は皆で食べようってことになってるから、一色くんもよろしく!」


 そう言って一色くんを送り出した後、私は一人になった木陰で考える。

 ……あの時、一色くんは何を聞こうとしていたのかを。


「……なんでも、ないよね」


 ――一色くんは私の作品を興味深く見てくれる。もしかしたら彼は、私にコンクールの作品についてを聞こうとしたのかもしれない。

 だけど……私は、コンクールのための作品を、楽しく描くことが出来ない。私にとって創作意欲はもう、美術部のあの優しい空間にしかないのだ。


「――早くお昼休みにならないかな」


 皆と居れば、この頭痛はきっとなくなる。だから早く、お昼休みになって。

 だけどそういうことを願っている時に限って、時間の経過は遅い。いつもの何倍も時間を感じる。


 そうしてお昼休みになって、皆と過ごす――すると嫌なことに、時間経過は驚くほどに早かった。

 だけど、観戦に来ていた和那ちゃんと合流できたのは大きい。おかげで和那ちゃんと和やかな時間を過ごせているから。


「和那ちゃん、チョコはいかが?」

「ありがとー、こーちゃん!」


 私は秘蔵のチョコレートで和那ちゃんを餌付けしていると、グラウンドでは部活対抗リレーが始まろうとしていた。

 本来は文化部の参加するようなものではないけど……美月ちゃんたち先輩からすれば、こういった目立つ競技は参加しないわけにはいかないらしい。

 走順は順当で、初香先輩、一色くん、海老名先輩、美月ちゃんの順だ。


「おにいちゃん、がんばれー」

「……一色くんは程良く、かな? 目立つの嫌いだろうし」


 私は現状維持が妥当と思うけど、どうだろうか。そうしてリレーが始まると――初香先輩が、色々な運動部を差し置いて三位という健闘ぶりだった!

 そしてそのバトンを一色くんに渡す。


「おにいちゃんだ!」


 和那ちゃんは、お兄ちゃんの出番に表情を明るくした。きっとこの子は一色くんの活躍するところが見たいのだろうけど……ふむ。

 一色くんの出番になるまでは二位と三位では大きな差があったけど、一色くんはその差をドンドン縮めていく! このままいけば首位に踊り出る勢い……なんだけど、一色くんはそれをしなかった。

 ――やっぱり現状維持かー。でも差はほとんど無くしたから、仕事をしていないわけではない。


「……おにいちゃんはまだ本気出してない」

「そだねー。でも和那ちゃん、ここで一色くんが目立つと、一色くんが人気者になって、和那ちゃんと遊べなくなるよ?」

「――おにいちゃんは目立たなくていい!」


 ……なんと分かりやすい和那ちゃん! 可愛いから私は和那ちゃんを抱きしめた。

 ――だけどリレーとは波乱が付きもの。一色くんからのバトンパスを受けた直後、海老名先輩がその場で横転してしまう。


「「…………」」


 その現状に、私と和那ちゃんは無言で顔を見合わせた。


「……ゆきひこくん、かっこわるい」

「ひ、否定が出来ない!」


 バトンミスなら一色くんの責任も少なからずあるだろうけど、横転は自分のミスでしかないから。

 ……だけどそれで終わらないのが海老名先輩だった。初香先輩の煽りを受けて、怒りで復活して巻き返した。

 その速度は美月ちゃんにも劣らないと思う。そして首位を奪還し、一位のバトンを美月ちゃんに渡して――


「「――え」」


 痛恨の、バトンミスをした。

 その瞬間、沸き立っていた会場が冷め切る。何せ最下位への転落から首位奪還というドラマを魅せられた上でのバトンミスだ。

 ここで海老名先輩を笑い者にする人までいた。


「……今のは、ないなぁ」


 もちろんそれは海老名先輩ではない――美月ちゃんだ。

 あれは海老名先輩のミスではない。そもそもミスなんてものじゃない。

 ……美月ちゃんの考えそうなことは、すぐに分かる――自分が目立ちたいのだろう。でもその前に海老名先輩が目立ってしまったから、わざわざバトンミスをした。

 そもそも美月ちゃんがバトンの受け取りミスをするはずがない。


「……こーちゃん?」

「……っ。ごめんね、なんでもないよ」


 不意に、和那ちゃんを抱きしめる力が強くなってしまった。それを疑問に思った和那ちゃんは、私の方を見上げて首を傾げる。

 ……いつも通りって言われれば、いつも通りだと思う。だけどあれはどう考えても美月ちゃんが完全に悪い。


 ――皆を巻き込むのは良い。だけど自分のためだけに他の人を利用して、自分勝手に振り回すのは許せなかった。


 ……無性に腹が立つ。どうしてこんなに怒っているのか、自分でも分からないけど――先ほどから頭痛が収まらないのだ。


 ――そうして対抗リレーは美術部の一位で幕を閉じ、体育祭も程なくして終わった。

 体育祭が終わると、私たちは美月ちゃんに呼び出されて部室に来た。そして出会い頭で……


「お前たちー、打ち上げをするぞー!!」


 ……そんな戯言を言ってきた瞬間、私たちの我慢は限界を迎えたのだった。

 ――美月ちゃんを正座させ、事情の追及をしていた。美月ちゃんは自分の思惑を全て見抜かれているから、素直に謝る。見事な土下座をした。


「わ、私の個人的な目的のために皆を利用して誠に申し訳ございませんでした!!」


 ……しかしそれで納得するはずもない。特に海老名先輩の被害は相当なものだ。

 先ほど、クラスの人が海老名先輩のことを「とことん残念イケメンだ」と言っていたのを、私は知っている。決して海老名先輩には言えない。


 それぞれが思うことがあり、それを美月ちゃんにぶつける。特に海老名先輩は泣きながら肩を揺らして怒っていた。

 ……皆はそれぞれの反応をし終わる。だけど、誰もどうして美月ちゃんがこんなことをしたのかは聞かない。美月ちゃんだから、で済ませていた。


「……で、どうしてあんなことをしたの? いくら美月ちゃんでもやって良いことと悪いことの区別はつくよね?」

 頭痛で少し気分が悪いけど、出来る限りいつも通りに美月ちゃんに尋ねる。すると美月ちゃんは――

「虹に、かっこいい姿を見て欲しかったから、その……」


 ……そんなふざけたことを言った。

 ――美月ちゃんのかっこいい姿を見るのは好きだ。活躍はもちろんしてほしいし、活躍したら褒めてあげる。


 だけどそれはあくまで美月ちゃんが頑張ってした結果に対するものだ。

 ……でも誰が部活仲間を陥れる人をかっこいいと思えるのだ。皆、軽んじているけど、その理由は本当にふざけている。


 ――イライラする。頭が痛い。ズキズキと痛くて、冷静に物事を考えられなくなる。

 どうして発散できるだろう。このイライラを、どうしたら……


「――私を言い訳にしないの。本当は何も考えず暴れまわりたいだけなんだよね?」


 ……口が勝手に開く。


「何を感動的に終わらせようとしているのかなー、美月ちゃん。誰がいつ、そんなことを頼んだのかなぁ?」

「こ、虹? なんかいつもと違うぞ!?」


 ……いつもって何。どうして怒っていることが分からないの? あぁ、本当に美月ちゃんは自分勝手で、それなのに皆に受け入れられて――たくさんの才能に恵まれている。

 あぁ、だから苛ついているのか。私は、美月ちゃんに嫉妬しているのだ。卑屈に、自分の現状がとても厳しいものだから、上手く行っている人に嫉妬して……なんて浅ましいのだろう。


 だけど一度開いた口は止まってくれない。これ以上は美月ちゃんを必要以上に傷付けてしまうだけなのに。


「いつもって何かな。ちょっと私、美月ちゃんが何を言っているか分からないなー」


 お願い、誰か私が怒って変になっているのに気付いて――ッ!!


「――水無月、少し落ち着けよ。こんなのいつもの貴音先輩の悪ふざけだろ?」


 ……その時、一色くんは私の肩を掴んで、そう止めてくれた。

 その顔は私を心配するもので、それを見て私は思った――一色くんは、私のことを理解してくれていると。


「……そっか。一色くんは、分かってくれるんだね」


 そう呟いて、安心する。美月ちゃんに対する負の感情が止まってくれて、冷静になれた。

 私は美月ちゃんの方を振り返り、出来る限り笑みを浮かべて、


「美月ちゃん、あんまり自分勝手に皆を振り回しちゃダメだよ! これ以降はちゃんと反省するように! ……分かった?」

「は、はい!!」


 先ほどとは違い、冷静に叱り付ける。

 ……その後、すぐにお開きとなった。私はあまりにも頭痛が酷くて、保健室に立ち寄って休むことにした。


「失礼します……」

「あら、水無月ちゃん。どうしたの……顔色が悪いわね。すぐにベッドに横になって」


 ……咲良先生は私の事情を少し知っているから、顔を見てすぐにベッドに寝かせてくれた。


「ごめなさい……ちょっと今日は、特に酷くて……」

「良いの。体調の悪い学生を助けるのが、養護教諭の役目よ。……何があったのか、聞かせて?」

「はい。今日は朝から――」


 そして私は、咲良先生にある程度の事情を話した。朝から頭痛が酷くて、特に美月ちゃんの一件で、頭ごなしに非を追求してしまったことを。


「私、自分の体調が悪いからって、美月ちゃんに八つ当たりして……。本当に、情けなくて」

「……頭痛はきっと、その後悔で酷くなっているのね――今はゆっくりと休みなさい。こういう時は何かを考える方が余計にストレスになってしまうの。一時間も寝ていればマシになるわ」

「……ごめんなさい」

「こういう時は、ありがとう、でしょ?」


 咲良先生は優しそうに微笑みながら、私の頭を撫でてくれる。

 ……少し頭痛がマシになる。安心したのか、少しずつウトウトしてきた。そうして一時間ほど、うと寝を繰り返していると……急にケータイの着信メロディーが鳴った。


「……こら、水無月ちゃん。学校ではマナーモードよ?」

「ご、ごめんなさーい」


 咲良先生が悪戯な笑みを浮かべながら、そう叱咤する。私はそれを聞いてばつの悪い感覚に囚われながら、ケータイを開くと――相手は一色くんだった。

 ……どうしたんだろう、と思いながら通話ボタンを押す。


「もしもし。一色くん、どうしたの?」

『お前のポーチが部室に落ちていたんだ。それでこれ、どうしようかと思ってな。すぐに必要なら水無月の家まで届けるけど』


 む、鞄から転げ落ちたのかな? あれの中には頭痛を抑える薬とかも入っているし、女の子的にも必要なものが色々入っているからなぁ。

 でも家まで届けてもらうのは申し訳ないし――ふと気付いた。一色くんの周りが静かなことに。

 それと声も反響しているし……もしかしたらまだ学校にいるのかな?


「一色くんはまだ学校かな?」

『え? そうだけど……』

「だったら今から取りに行くね。少し待っててもらって良いかな?」


 私の予想通り、一色くんはまだ学校にいるようだ。一色くんがいるということは、和那ちゃんも一緒だろう。幸い保健室は特別棟の一階だから、階段を上がればすぐだ。


「さーちゃん先生、ベッドお借りしました! おかげで随分良くなりました!」

「そう、それは良かったわ――元気になったのは、一色くんとお話ししたから、かしら?」

「っ、もう、からかわないでください!」


 咲良先生は悪戯心でそんなことを言ってくるから、私は怒った素振りを見せた。

 ……でも、間違いじゃない。実際に今、私は頭痛がなくなっている。それが一色くんと話したからか、それとも休憩したおかげかは分からないけど。

 私はもう一度頭を下げてから、荷物を背負って特別棟を駆け上がる。そして三階に上がると、視線の先には一色くんと和那ちゃんがいた。


「あ、良かった~。まだ部室にいたんだね」

「……水無月、帰ったんじゃなかったのか?」


 ……出合い頭で嫌なところを突いてくる。


「え? ちょっとさーちゃん先生のところに寄って話してたら、こんな時間になっただけだよ~。そしたら一色くんから電話がかかってきて……」


 嘘は言っていない。実際に寄って、話をしていた。ウトウトして寝ていたらこんな時間になったのだ。

 ……しかし、一色くんと和那ちゃんが遅いのも不思議だ。誰よりも早く家に帰りそうな二人なのに、どうしてこんな時間になるまで部室にいたのだろう。


「水無月はまだ帰らないのか?」

「ううん、そろそろ帰るよ。それにしても二人も帰りが随分遅いんだね。どうして?」

「夕食の買い物だよ。今から帰ったら丁度セールの時間だから」


 ……なるほど、随分と母親みたいなことは言っているけど、理に適っている。

 ――理に適うと言えば、で思い出した。実は今日はお父さんの帰りが遅いのだ。もしかしたら深夜を過ぎるかもしれないと言っていて、夕食は私一人。


 自分の分だけを用意するのも気分じゃないし、今日は店屋物にしようと思っていた。

……つまり理に適った行動はただ一つ。

 私はついニヤッと笑いながら、一色くんが困ることを承知で提案した。


「一色くんと和那ちゃんと一緒にご飯食べたいなー――お邪魔してもいい、かな?」


 私のその提案に、一色くんはとても戸惑いを見せた。しかし……


「――いいよ! こーちちゃんといっしょにごはん、食べたい!」


 私の提案は、和那ちゃんによって快諾される。

 それは願ったり叶ったりで、私は一人寂しい夕食から、のどかな夕食を迎えることになった。

 ……でも、本当の理由は、美月ちゃんと顔を合わせ辛いから。お父さんがいない日、美月ちゃんは毎回気を遣って家に来てくれる。


 今日もきっと、お父さんから連絡をもらっている。だから来るはず――それから逃げ出したかっただけだ。

 ……私は一色くんと和那ちゃんと一緒にスーパーに寄り、買い物をしてから一色くんたちの家にお邪魔することになった。


●○●○


 一色家での私はと言えば……誠に情けないけど、ソファーの上で崩れ去っていた。

 和那ちゃんとインディアンポーカーをした結果、成す術もなく惨敗を繰り返し、夕食後に一色くんを交えた三つ巴の戦いでも、一度も一色兄妹に勝てなかった。運の要素が強いゲームでこうも負け越すとは、どれだけ私は勝負事が弱いのだ。


 ……そうしてどうでも良くなって、一色くんのお家のクッションになっていると……


「水無月、時間がやばいから、そろそろ帰る支度をしないと」

「いいよもぅ……私は一色くんの家のクッションになるからぁ」


 案の定、一色くんは心配して相手をしてくれる。そんな一色くんの優しさに甘えてわがままを言ってしまう。

 ……本当を言えば、一人の家に帰りたくない。美月ちゃんは言えば来てくれるだろうけど――できることなら今は、一色くんと一緒に居たい。


 一色くんと一緒に話していると、頭痛がなくなる。心も温かくなって、どこか安心できる。この気持ちがどういうものかは分からない……けど、私は確かに一色くんに特別な感情を抱いている。


「……はぁ。分かった、泊まっていいからクッションになるのは止めろ」


 一色くんは溜息を吐きながら、諦めたように泊まることを許してくれた。

 ……その後、一色くんは入浴に行き、私はリビングに一人となった。少し冷静になると、今の状況が中々にまずいことに気付く。


 このことを美月ちゃんが知れば、色々と面倒臭い状況になる気がするけれど……まあ言わなければ知られることはないと思う。しかし、手持ち無沙汰だ。話す相手がいないとなると、どうにも居心地が悪い。

 私はソファーから立ち上がり、一色くんの家のキッチンの方を覗いた。


「ふへぇ……流石、一色くん。見事な収納具合と綺麗さだー」


 私は一色家のキッチンを見て、感動して呟いてしまう。余計なものは何も置かれておらず、しっかりと綺麗に収納されていた。

 ……だけど台の一角に、私にとって見覚えのある道具の数々が一まとめで置かれていた。


 ――抽出用のポットに、ティーポット。紅茶の茶葉にハチミツ。私が普段淹れる紅茶に必要な道具だ。


「お世話になりっぱなしは、ね。うん――よし!」


 道具を勝手に借りることを心の中で謝って、私はお風呂上りの一色くんのために紅茶を淹れることにした。冷蔵庫の中には牛乳も入っていて、水無月家伝統のハチミツのミルクティーを淹れる。

 その完成した紅茶をマグカップに注ぎ、テーブルの上にコトンと置いた時……


「水無月?」

「お風呂あがったんだ、一色くん」


 一色くんが丁度良いタイミングで帰ってきた。入浴を済ませ、頭にバスタオルを乗せて、濡れた髪を拭っていたるそしてすぐにテーブルの上に置かれている紅茶に気付いた。


「ごめんね、勝手にキッチン使っちゃって」

「構わないよ。……あのミルクティーか?」

「うん! キッチン見てみたら材料が全部揃ってるみたいだったから」


 私がそう伝えると、一色くんはマグカップを手に取って、一口飲む。すると仄かに表情が緩んで、優しげな顔色を見せてくれた。……こういう些細な変化だけど、一色くんは表情が豊かになったと思う。私はその変化が嬉しかった。


「……これ、美味しかったから偶に家でも作ってるんだよ」

「え? ……あ、だから材料全部揃ってたんだ」


 言われてみると、簡単に予想できることだ。

 ……でも、自分の好きなものを気に入ってくれるのは嬉しい。一色くんのことだから、勝手にレシピを使ったことを悪く思ってるかもしれないね。


「……悪いな。勝手にレシピ使って」


 予想通りだった。

 一色くんが水無月印のミルクティーを気に入ってくれたようだ。そんなに気にすることないのに、わざわざ謝ってくれるのは逆にこっちが申し訳ない気分になる。


 ……少し無言が続く。時計の針が進む音が耳に入った。居心地が悪いというわけではないけど、どうせなら一緒に会話をしたい。しかし雰囲気は完全にまったりとした状況だから、いまいち話題が見つからないな。


 ――そういえば、一色くんのご両親はご不在なのだろうか。あまり家にいることが少ないというのは知っていたけど……聞いてみよう。


「一色くん、ご両親は帰って来ないの?」

「ああ。うちの両親はこの時期になったら作品制作で徹夜続きだから、自分たちのアトリエに引き籠るんだよ」


 なるほど、アトリエ……一色くんのお父さんとお母さんがどんな作品を作るのか、とっても気になるけど――ふと思った。私から話すのも良いけど、偶には一色くんから話を聞きたいと。


「ねぇねぇ、一色くんからも偶には質問してよー」


 少し悪戯心が働いて、意地悪な言い方をしてしまう。一色くんは少し困った表情をしているものの、仕方ないと言いながら話し始めた。


「最近、両親が俺に聞いてきたんだ。学校は楽しいかって。それで俺が変わったとか言ってきてさ。……自分では分からないけど、そんなに変わってるのかなって思って」


 ……一色くんが変わった、か。

 ――私と彼の接した時間は、まだ少ない。今年の四月に出会い、今は九月の中旬という、短い時間ではあるけれど、私は……一色くんは、どんどん変わっていると思う。


 それは良い方向に変わり続けていて……表情の変化が良い例だ。最初はあまり笑わなかった一色くんが、少しずつ笑顔が増えて行って、口数も増えている。


 私にとっては、最初から話しやすかった。話をちゃんと聞いてくれて、私のわがままにも付き合ってくれる。総じて優しくて、温かな存在だ。

 私はそれを一色くんに伝えると……


「……恥ずかしいから止めろ」


 そう恥ずかしがって、視線を外す。

 ――だけど、私は知っている。一色くんはクールで客観的な時が多いけど、偶に見せる強い熱意を持った目を。


 出会った時、浮かべていた表情を思い出すと、今でも心臓の鼓動がうるさくなる。


「一色くんっていつもはすっごくクールなのに、時々熱意が凄いことがあるよね」

「熱意って、俺とは対極の言葉だろ」

「……ううん、そんなことないよ。一色くんは自分が思っている以上に熱意を持ってる男の子だよ」


 そうでなければ、私はこうも君と接したいと思わないから。だから私は強く、断言した。

 …………また無言になる。一色くんは何か話題を探しているのか、少し目を泳がせていて、それがどこか可愛くかった。

 だけど少しして、思い付いたように……


「……水無月さ。今日、調子悪かったのか?」

「……調子、悪いつもりじゃないんだけど、一色くんの目から見たらそう見えちゃったのかな」


 嘘だ、本当は調子が悪かった。だけど一色くんに無用な心配を掛けたくない。

 ……でも、気付いてくれたのは嬉しい。それが理由ではないけど……私は一色くんの肩に頭をコツンと乗せた。


 距離は限りなく近い。近いのに、妙に安心してしまう。男の子にこういうことをした経験は皆無に近いけど、私はこれが恥ずかしいとは感じなかった。


「み、水無月……?」


 しかし一色くんは動揺しているみたいだ。彼の照れた顔は偶に見るけど、こんな赤面した顔は中々見ることがない。

 だけど私はそれでも離れようとは思わなかった。今は、一色くんに甘えたい。


 ――誰かに甘えるなんて、いつ以来だろう。思えば最後に甘えたのは、ママにだった気がする。私は誰かに甘えることが苦手で、いつも遠慮してしまう。


 ……だから、私は一色くんに縋っている。甘えても心地良くて、つい彼のことを考えずに、自分勝手に行動してしまう。

 それがダメだと分かっていても、止められなかった。


「……美月ちゃんにいつもより怒ったのは、羨ましかったからだよ」


 ……いつしか私は一色くんにそう話していた。


「美月ちゃんは強いんだよ。わがままなところもあるけど、なんだかんだで皆の中心で楽しそうにしてる」


 間違ったこともするけれど、それで誰かを本当の意味で傷付けることはしない。歴とした正義感を持ち、愛嬌を持っている。


「だから、余計に強く当たっちゃったの。あれだけ勝手なことをしてたのに、それでも美月ちゃんだからって許されるのが。……誰もそんなに怒ってないことがイラついたんだよ」


 ……何で言い訳をしている。一色くんの前だからって、自分を正当化して何様だ。

 自分勝手なことを言っていることを自覚している癖に、こんな嘘偽りを純粋な一色くんにぶつける。

 だけど、一色くんはそんな私の嘘を見抜くように、


「……本当に――いや、そうだな」


 一色くんは、何かを指摘しようとして、止めた。

 ――一色くんはきっと、分かっているのだろう。私が美月ちゃんを怒ったのは、他に原因があるということを。


 だけどそれは、私の領域に踏み込むこと。一色くんはきっと、私のところに踏み込むことはしない。……私が見えない壁を、隔てているから。


 ……叱って欲しかった。だから私は一色くんの前で、わざわざこんな会話をし始めたのだ。

 だけどそれを明確に言葉に出来ず、遠回しな表現で事実を隠す。悟って欲しいから、理解して欲しいから。


 ……私が彼の中に踏み込んだら、一色くんも私の中に踏み込んでくれるのだろうか。

 そうしたらいつかは――一色くんと私の関係は、もっと深くなれるのか。私はそんなことを、まどろみの中で考えていた。


 …………遠くで、一色くんが話す声が聞こえる。誰かと電話をしているのだろうか。しかし意識がはっきりとしないから、何も分からない。

 ソファーで横になる私のすぐ近くに一色くんが来る。そして近くに座ったのか、服が擦れる音がした。

 私は細めを開けて、一色くんを見る。一色くんは私の近くで座りながら眠ろうとしていて、そんな彼に私は、


「おやすみなさい、一色くん」


 そう呟いて、再び眠りについた。

 ……最後まで、頭痛はせず、驚くほどの安眠が私を待っていた。

水無月視点だけで一章分書ける内容だなって思いました(笑)

流石にそれをしたらくどいですし、そんな時間もないからしませんが!


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