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こころのいろ  作者: 如月心
第6章 知らない色を、知るために
38/69

8幕 受け取ったもの

 ……貴音先輩の話が終わった。

 最初の話では涙が出た。それほどに胸を打つような話だったからだ。……だけど今の話を聞いて、俺は怒りを覚えた。


 ――どうして水無月を否定する。どうして認めようとしない。彼女の描く世界は、実際に素晴らしいもののはずなのに、何故彼らはそれを否定するのだ。

 ……そんなことを思っていると、貴音先輩は俺に話し掛けた。


「話していて、私までも苛立ってきたよ」


 貴音先輩はそう苦笑する。

 ……水無月の色弱の原因となるもの。それは先輩の言う通り、水無月の母親が原因ではなかった。それは自分の絵の調子が優れない時期に連鎖的に起きてしまった出来事。そして何よりの原因は、美術系の教師たちだ。


 俺もその一端は知っている。彼女のいないところで陰口を叩き、笑い者にしていたのだ。俺もつい怒りから自分らしくないことを言ったものだ。


「虹の根底の絵が否定されたこと。それは繭七さんとの過去を否定していることと同じことだ。もちろんあいつらはそんなことは知らない。だけど――例えそうだとしても、大切なものを否定することは間違っている」

「……それに加えて後天性の色覚異常――元の色を知っている分、それは辛いものだと思います」


 最初から色を知らない俺とは違い、水無月は知っているのだ。この世界の美しさを、色という概念を。知っているからこそ求めてしまい、それがきっと大きなストレスになっていたと思う。

 ……負の連鎖。水無月の現在の状況を作り出したものは、それだった。


「……そうして高校生になり、虹は絵画コースに進んだ――もう大体の察しはついただろうな。虹が何故手が震えるようになってしまったのか。私の話したことと、一色が元より知っていたことを照らし合わせれば分かると思うよ」


 貴音先輩は、辛い表情を浮かべているのに、それでも話してくれた。一つ一つ、紐解くように……俺はそれを静かに聞いた。


「視力の低下がきっかけで絵を描くことに変化が起きた。期待と現実に周りが虹に対して大きなストレスになって、それでも無理をしていた。……ストレスは身体に現れるようになってしまい、色弱を併発して、そして――今、一色との一件が少なからず起爆剤になってしまった。絵を否定されることへの恐怖、自分が描きたい絵が描けない不安は絵を描くことを拒否してしまって、手の震えという症状を引き起こしてしまった」


 ……貴音先輩は全て話した。先輩が知りえる水無月の昔と、そして今に繋がる大切な話。それは水無月の根底にあるもので、それを踏まえた上で普段からの水無月を思い返した。

 普段、水無月が浮かべていた笑顔や、彼女らしい価値観の言葉。だが俺はあの水無月の演技であるとは思えなかった。

 少なくとも、美術部の中での水無月は部活を全力で楽しんでいた。そこで自分の作品を描いていたことは確かな事実だ。


「――それでも虹は、高校生になってから明るくなったんだよ」


 ……そんな俺の考えに肯定するように、貴音先輩はそう断言した。


「……中学生の時からずっと内面は暗いままだったけど、高校生になってからの虹は本当に毎日を楽しんでいたんだ。……特に一色が部活に入ってくれてからは、それが顕著になったと思うよ」

「それは……雪彦先輩に、聞いたことがあります」


 少し前に海老名家で先輩たち二人に拉致されたことを思い出した。その時に知ったことは、水無月が公の場に自分の絵を飾りたがらないことと、水無月が昔、元気がなかったこと。

 そして、高校生になってしばらくはそれまでよりも元気であったことだ。

 これまでの話でコンクールや公の場に絵を飾ることを嫌がる意味は理解できる。だけどそれでも、一度は彼女の元気が戻ったことは分からなかった。


「でもそれは、環境の変化じゃないんですか? あいつのクラスの担任は渡邊先生です。それに高校になったら先輩たちと接する時間も増えて、それで自然と明るくなったんじゃ……」

「それもあると思いたいよ。……答えは正直私には分からない。だってこれは、虹しか分からないことなんだから」


 そう言うと、貴音先輩は少し儚い表情を浮かべながら、立ち上がった。


「でも私は、やっぱり一色が部活に入ったからだと思う」

「……どうして、ですか」


 理解に苦しんだ。どうして貴音先輩はそんな大げさなことを言うのか、俺には一ミリも理解が出来ない。

 そんなもの、単なる時期的なものだったのかもしれないのに、先輩はそう断言する。

 ――ここに入るまで、俺はいつも一人だった。誰とも深く関わろうとしなかった。そんな人間が、水無月を元気にさせることなんてできるはずがない。


「俺にはそんな価値はないです。水無月を傷つけてばかりなんですよ? 暗くて、話も上手くなくて、誰にも自分のことを話そうとしない弱虫で――そんな大馬鹿野郎が、どうして水無月を元気に出来たって言うんですか……?」


 俺は、思うがままを貴音先輩に言った。それでも俺の中の自分を許せない思いは、止まらない。


「少なからずじゃないんですよ! 俺がどう考えても悪いんです! それなのに、どうして誰も俺のことを攻めないんですか? どうして……」

「…………」


 先輩はしばらくの間、言葉を発さなかった。何を考えているのかは知らない。だけど……その体は、震えていた。

 先輩は、一段を降りる。そしてもう一段、降りてから俺の方に振り返った。


「――似ているからだよ。お前と虹が」


 ……そして、先輩はそう声を絞り出すように言った。

 ――俺と水無月が似ている。普通に考えればそんなことはあり得ない。

 俺は静かであまり人と話すことが上手くなくて、世渡りが下手だ。水無月は元気で人に好かれることが多くて、世渡りが誰よりも上手い。真逆の性質にある俺と水無月。


 ……だけど、俺はそれを否定できなかった。


 ――どうしてだろうか、以前から俺は水無月に妙な親近感を抱いていた。性質そのものが正反対の位置にいるのに、そのように感じてしまったのだ。水無月の言葉を俺はいつも理解できた。彼女の絵の価値観、その全てが俺に突き刺さって浸透した。


「似ているから……だから、なんなんですか。例えそうだとしても、俺は水無月を傷つけた。俺の不用意な言葉で、俺はあいつの心を崩してしまったんです! 今だってあいつのために何にも出来ないんです! だから、俺とあいつが似ているなんて、そんなことはありえないんです……。あいつを元気にできるのは、きっと……貴音先輩や皆しか、いないんです」


 どうして俺は、否定したいのだろう。自分と水無月が似ているということを。

 気付けば感情的に声を荒くして、貴音先輩に当たっていた。俺にはそんなことをする権利はないのに、理性を失くして……

 俯いて顔を上げることが出来ない。先輩がどんな表情を浮かべているかも、分からなかった。


「――ふざけるな、大馬鹿!!!」


 ――そんな俺に、貴音先輩は行動で示した。

 段差を詰めて、俺の胸倉を掴み、座っている俺を引き寄せて……そう力強い声で怒鳴る。


「自分は何も出来ない? お前だけが悪い? ――思い上がるなよ、大馬鹿野郎!!」


 胸倉を締め上げられているのに、俺はそれが苦しくなかった。

 ……それ以上に――先輩の表情を見ることの方が、苦しかった。


「――私も同じだ!! 幼馴染なのに、虹のために何もできていない! 一人で泣いているあいつに……何も、出来ないんだ……っ」


 ……貴音先輩は、泣いていた。ひたすら悔しそうになく姿は、どこか後悔をしているようにも思えた。


「お前を責めて何がどうなるんだ!? お前を責めて、虹が元に戻ってくれるなら、いくらでも罵ってやる! でも……そんなことをしても、何にもならないんだよ!」


 俺の不用意な言葉に貴音先輩は真剣な表情で怒り続けた。

 ……そんな風に怒られるのは、本当にいつぶりであっただろうか。もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 だけどそれは長くは続かなかった。次第に先輩の声は小さくなっていき、俯いてしまった。そして俯きながら、ポツリと声を漏らした。


「――私は、虹の気持ちが、分からない」


 ……貴音先輩は自分の罪を告白するように、そう告げた。


「あいつに共感することが、出来ない。あいつの作品をこの世界で一番美しいなんて、思うことはできないんだよ。……虹の苦しみを理解できない私は、あいつの心を救ってやることなんて、出来やしないんだ……っ!!」


 先輩は悔しそうに自分の唇を噛みしめながら、そう吐露した。

 ――水無月の気持ちを理解できない。それはそうだろう。俺だって、誰だってそんなことは出来ない。人それぞれ考えることがあり、それを全て察して受け入れられる人など、いやしない。

 ……だけど、先輩はそれがしたかったのだ。世界で一番大切な幼馴染を誰よりも助けたかった。


「私は、あいつから一度、逃げたんだ――絵画コースから音楽コースに変えたあの時、私は虹から、逃げてしまったんだ……っ!」


 先輩の懺悔は止まらない。吐き出すように、続けざまに話し続けた。


「自分の重みのない不用意な言葉で傷つけることが怖かったから、虹とは全く違う音楽の道を選んだんだ。そうしたら、絵の話題は次第に減ると思って……、あいつから、逃げて……っ!」


 先輩は自分の懺悔を言い切り、俯く。貴音先輩が抱いていた後悔は、俺の心にまで伝染するように……重く圧し掛かった。


「――大馬鹿野郎は、私なんだよ……」


 俺を胸倉を掴む手は解け、その両手は力を失くしたようにだらんとなった。貴音先輩はらしくない声と行動を見て、苦しかった。


 ……俺は、先輩にこんな表情を、辛い思いを抱いてほしくない。


 ――この美術部に入って、いつも俺たちを気に掛けてくれていた。些細なことでも親身になってくれた。もちろん良く無茶はするし人を振り回す困った人だけど……その本質は素直で、ひたすら優しい人だ。そんな人が逃げ出すとは、俺は到底思えなかった。


 ――逃げ出した。先輩はそう言った。


 ならば何故、貴音先輩は美術部を作ったのだ。本当に逃げ出したかったのなら、美術部なんて作る必要はなかった。


「……そんなの、あるはずないじゃないですか」


 芸術学校に文芸系の部活動は少なく、美術部という文化系部活動の代表格さえもない状況で、貴音先輩がここを作った理由は絶対に水無月のためだ。先輩はそのことをきっと、自分でも理解していない。


「貴音先輩が、水無月から逃げるはず、ないじゃないですか……っ!」


 俺は貴音先輩のこんな姿を見たくなかった。先輩は常に堂々としていて、その無茶苦茶さで俺を引っ張ってくれた。何度もこの人に、俺は助けられた。

 先輩がこんな表情を浮かべる必要がなくなる弁を、考えるんだ。先輩は悪くない。先輩は常に水無月のことを想っていたんだ。


「一色……?」


 芸術学校に文化系の部活が存在していることは、本来ならあまりない。授業で幾らでも芸術に関われるからだ。特に美術部は、絵画コースを初めとする様々な美術系の授業があるから、先輩たちが創部するまで存在さえしなかった。

 貴音先輩と雪彦先輩のコースは音楽コース。しかも貴音先輩は絵画コースから、高校生になって変更した。

 それらが示す答えは――


「……美術系の道を進んでいたら、美術部を作ることを反対される――だから先輩は、美術系を捨てて音楽系に進んだんじゃ、ないんですか?」


 俯く先輩に、俺はそう言葉を掛けた。

 すると先輩はゆっくりと顔を上げて、目を大きく見開く。目元は赤く、涙も未だに出続けている。

 俺は今、貴音先輩が浮かべている表情が、決して逃げている人間の浮かべる表情だとは思えなかった。

 だからこそ全部言おう。自分を気持ちを、彼女が理解できない、彼女自身の気持ちを。


「音楽コースに進めば、それ以外で別にやりたいことを部活動を……美術部を発足できると思ったんじゃないんですか? そうすれば水無月が学校で、楽しく活動できる居場所を作ることが出来るって……そう考えたら、先輩はあいつのために出来ることをしていたって、俺は思います」


 どの口が、そんな上からモノを言っているんだ。そう切に思うが、残念ながらそれが俺の思ったことだ。


「合宿の前の時に、先輩は言っていましたよね。自分たちの活動に熱心だった顧問の先生がいるって――それはいったい、誰なんですか?」

「それは……」


 渡邊先生以外でそんな人を、俺は知らない。だけど、先ほどまで先輩から聞いていた話で、思い当たりはあった。

 水無月の絵を絶賛して、美術系の教師の中では唯一良心と言われていて、そして水無月の進学と共にこの学校を去った教師。

 ……きっとその人が、美術部の顧問であった人だ。


「……先輩は逃げていないです。きっと先輩は、水無月の母親との約束を果たしているんだと、、俺は思います――あいつが次に壁にぶつかったとき、見守る。それが繭七さんとの約束だったんじゃないですか?」


 思いついたことは全て伝えた。俺の言っていることは単なる推測で、本当はそんなつもりはなかったかもしれない。

 ……だけど俺は、この推測が正しいという確信があった。貴音先輩なら、無意識でそれくらいをやってのけても不思議じゃないからだ。

 先輩は冷静に物事を考えることは苦手で、いつも感情を最優先させる。それはこの人の短所であり、そして……それを補い切って溢れさせるほどの長所でもあった。

 だから断言する。


「だから先輩は、水無月から逃げてなんていません……!」


 貴音先輩にそう言い切ると、貴音先輩は――涙を服の裾で拭った。

 子供のように乱暴に涙を拭い、そして顔を上げると……そこにあるのは、貴音先輩の魅力の詰まった、気持ちの良い笑顔だった。


「あはははっ、そっか、そっか――なんだ、やっぱりお前は優しくて、人の気持ちを知ろうとして、労われる人じゃないか」


 その快活な笑いは普段の貴音先輩そのものであった。

 思えばこの人のこんな笑顔を見たのも、久しぶりだった。

 ……それもそうだ。水無月があのような状態で、何も感じないはずがないんだから。


「私は逃げてない。きっとそれを、誰かに断言して欲しかったんだと思う。だけどまぁ、ここまで自分を見透かされるとも思ってなかったよ。……ありがとう、一色。おかげで救われた」

「救うって、そんな大それたことじゃ」

「……いいや、救われたよ――だから私は、お前に話したんだって、今になって思う」


 ニコリと笑う先輩は、とても魅力的に見えた。


「一色は虹の苦しみを理解できる。あいつの描きたい世界に共感することが出来る。そして何より、あいつのことを大切に想っている。そこには決して不純なんてものはなくて、ただ好意と善意だけがある――一色はそれを素直に行動できる、そんな信頼できる人間だよ。無論、口下手だけどね」

「……なんですか、それは」


 つられて笑ってしまう。

 ――そんな風に笑うのは久しぶりだった。

 ……自分の事になると、つい否定してしまう。それは俺自身が、自分に自信がないからだ。昔の出来事から自分は他人を傷つけてばかりだから、誰かのために行動を起こすことが怖くて仕方がない。それで傷つけてしまうと思うと、足が竦んで動けなかった。


 きっとそれは、最近のことが重なってより強くなってしまったのだ。

 水無月のために何かをしようとして、その度に空回って上手くいかなかった。だから自分がする行動には意味がないと思っていた。


「……少しだけ、考える時間をください。色々なことが一気に頭に入ってきて、今は何かを考えることが出来ないです」

「そうか……なら今日は帰ってゆっくりするといいさ。……ゆっくりと、考えてくれ――答えが出たら、いつでも呼び出してくれ。私たちは、それを待っているぞ!」


 貴音先輩はそう言うと、俺は先輩の元から去った。

 ……背中越しに幾つかの足音が聞こえたものの、それを敢えて確認することなく――荷物を取りに部室へに戻っていった。

 ……その途中で、俺はとある人に出会った。偶然にしてはタイミングが合い過ぎていて、貴音先輩が仕向けたんじゃないかと思うくらいなものだ。


「……や、一色くんだったね」

「水無月のお父さん」


 それは水無月の父の滝色さんであった。

 先ほど貴音先輩から水無月家の詳しい話を聞いてしまったから、そのことで少し気後れする。

 しかしそんなことは露程に知らない滝色さんは、親しげな対応をしてくれた。


「どうして、学校に? もしかして貴音先輩が……」

「あはは、違うよ――ここ最近、虹がずっと休んでいるから、担任の教師が電話をくれてね。生徒想いの良い先生だね、、渡邊先生は」

「……ええ。本当に、俺たちにはもったいないくらいの先生です」


 そんな会話をしていると、やはり俺の中でどうしても許せない気持ちが大きくなる。それは俺自身に対する怒り。

 ――俺は滝色さんに頭を下げた。


「……すみません、俺、貴音先輩から聞いてしまいました。水無月の……虹さんのことや、滝色さんたち家族の昔のことを。勝手に人様の事情を聞いてしまって、申し訳なくて――」

「――あはは。聞いていた通り、真面目だね。一色くんは」


 真剣に謝罪をすると、滝色さんは笑みを浮かべる。

 ……そして、滝色さんはこう提案してきた。


「少しだけ、歩きながら話さないかい?」


●○●○


 学校を出る。部室に荷物を取りに戻ると、そこは誰もいなかった。

 そして滝色さんと約束している校門前に行き、彼と合流する。


「すみません、お待たせしました」

「……じゃあ、行こうか」


 滝色さんはそういうと、歩き始める。俺はそれについていき、肩を並べた。


「美月ちゃんのことだ。それはもうたくさん話してもらっただろうから、余計な話は省こうか」

「……はい」


 貴音先輩がほぼ全てのことを話したこと察しているのか、滝色さんはすぐに本題に入った。


「……虹は部屋に引き篭っているよ。私も仕事があるから、あまり付きっきりというわけにはいかない。できる限りの時間は話をしているけど、やっぱり私の言葉は虹には届かないらしい」

「そう、ですか……その、聞いていいですか?」

「なんだい?」


 俺がそう尋ねると、滝色さんはすぐにそう返答してくれた。


「……生前の水無月のお母さんに、貴音先輩は娘を見守ってくれとお願いされたそうです。だから、滝色さんもそんな話をしたのかな、と思って」

「あぁ……本当にあいつは、子供になんてことを押し付けているんだ。今度、美月ちゃんに謝らないといけないな」


 滝色さんは苦笑する。


「――虹のために時には見守り、時には助けて。お父さんとして、お母さんとしての役割を一人で担って。そうお願いされたよ」

「一人で担うって……」

「つまり誰とも再婚せずに、ずっと自分と娘だけを愛してって言いたいんだよ。でもあいつって口下手だから、そういうことを真っすぐに伝えないんだよ――そういう大事な時は話さないところは、虹も似ちゃったのかな」


 ……滝色さんの一人称が「私」というところも、もしかしたらそのお願いに関連しているのもしれない。

 ――すると滝色さんは、肩で背負っているボストンバックから一冊の、大きいアルバムのようなものを取り出した。


「……実は渡邊先生には大抵のことを話してきたところなんだ。無論、彼のことを信頼した上で話したから、彼は自分の役割を全うしてくれるだろう――その時にこれを見せたのさ」

「これは――」


 紛れもなく、生前の繭七さんが宝物としていた、水無月の幼少期からの絵を纏めたアルバムだ。

 滝色さんは俺にそれを渡してくるものだから、ついそれを受け取ってしまった。


「そこに虹の全てが描かれている。良ければ家に帰って、ゆっくりと見てもらえないかな。君にこそ見てほしいんだ」

「……どうして、俺なんですか?」

「どうして、か――家では君の話はよく出たものだよ。むしろ一色くんの名前が出ない日がなかったくらいに」


 ……滝色さんは俺と視線を合わせることなく、そう話してくれる。

 ……まただ。また、この話に俺が出てきた。


「それに渡邊先生に、これを是非、一色くんに見せてあげてくださいってお願いされたんだよ。本当に食えない人だね。何もかもお見通しかなと思ったよ――そうでなくとも、僕はこれを君に見てほしい」

「……分からないです。どうして渡邊先生も、滝色さんも……貴音先輩も、みんな口を揃えて俺の名前を出すのか」


 ……貴音先輩は俺が水無月と似ているからと言った。水無月の苦しみや、あいつの描き世界を共感できるとも断言された。俺の事情をあまり知っていないのに、どうしてあの人はあれだけ自信満々に断言できるのだろう。

 そんな風に考えていると、滝色さんはすぐに返答した。


「悪いけど、私はそこまで勘が鋭い方じゃないんだよ。どちらかと言えば理屈側の人間でね。悪く言えば不器用さ。……だけど君が信頼に足りる人間だというのは、私の知っている情報だけでも十分なくらい理解している」


 滝色さんは、駐車場の前で足を止めた。


「君が気にすることではないのに、年上で謝りにくいはずの私に頭を下げた素直さ。まだ接して月日が流れていない虹のことで、そんなにも懸命に考えてくれること。この二点で私は君が如何に真面目で、そして人のことを思いやれる人間であるということを断言できる――それでは不満かな?」

「……いいえ。そんな風に思ってもらえて、光栄です」


 照れ臭くなり、顔を背ける。すると改めて、滝色さんは俺にアルバムを差し出した。

 ……俺はそれを素直に受け取る。手に取ったアルバムはドスンと重かった。重量もそうだけれど、それ以上に強い想いが篭っているのだろう。余計に重く感じてしまう。

 受け取った俺を見て、滝色さんは微笑みを浮かべた。


「……返してくれるのは、いつでも良い。好きな時に返しに来てくれて構わない。無論、直接じゃないと受け取らないけどね?」


 ……意地の悪い人だ。そうするのが難しいことを知っている癖に、そんなことを言ってくる。

 ――だけど俺は滝色さんの目をしっかりと見据え、返答した。


「――必ず、約束します」


 ……望む言葉が返ってきたからか、彼は満足げな表情を浮かべていた。

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