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こころのいろ  作者: 如月心
第4章 対向車線の二人
20/69

3幕 美月は決してブレない

 昼食を終えた一行は、二手に別れていた。

部活対抗リレーは昼休みが明けたすぐにあるため、水無月を除く美術部員は競技の受付窓口にいた。和那が最も安全な水無月の元にいるため一色も安心である。

 しかし代わりに、この場に常識人がいない事実は辛いものだ。


「唯一の良心(水無月)がいないのは辛いですね」


 一色の口からポロリと漏れ出る本音。その言葉に瞬時に三人は反応した。


「ん、一色ぃ。何か言ったかな~?」

「……いえ、優しい先輩たちだなって」

「嘘を付くんじゃねぇぞ? 言っとくが俺たち、地獄耳だからな?」


 気色の悪いほどの歪な笑みを浮かべる三人に、一色は冷や汗が止まらなくなる。何故かは一色にも分からないが、普段よりも三人は殺気立っているのだ。だから一色の言葉に過剰と言えるほどの反応を見せているのだろう。

 ……一色は三人の殺気の矛先を知るために周りを観察した。


「……何威嚇しているんですか、先輩たち」


 ――まるで野生動物のように周りの運動部員を威嚇していたのだ。

 目が完全に、運動部員たちに対して「我々は貴様たちを完膚なきまでに倒す」と言っていた。それを証拠にどうだ。運動部員たちは危険物に触れたくないとでも言いたいように、美術部四人の半径三メートル圏内に入ろうとはしなかった。非常に賢明な判断と言えよう。一色は彼らに賞賛を贈る。

 しかし一色は自分が件の三人と同列に扱われることに不満を抱いていた。


「いつまでもみっともないことをしないでください」

「千尋、戦いとは始まる前から既に始まってんだ。ここで文化部だからって舐められてもな」

「安心してください。雪彦先輩は色々な意味で既に舐められているので」

「てめ、千尋ぉ!!」


 一色の指摘は的確で、図星を突かれた雪彦は一色に掴みかかろうとする。しかし一色は普段から雪彦の妹である初香の抱き癖から逃れているためか、避けるのは造作もない。

 雪彦は行動が空を切ると、忌々しそうな表情を浮かべる。


「くそ、初香が無駄に抱き着きまくるせいで、千尋の回避能力が上がってやがる」

「全くはしたない女だ、初香は」

「……あれれ? どうして初香ちゃんが責められる流れになってるの?」

「…………」


 一色としても内心では驚いていた。初香が弄りの対象になるのを見たのは初めてだ。故にその光景は物珍しい。

 常に人を手の平の上で操り、状況を意のままに思い通りにする海老名初香の、一生の不覚であると言えよう。


「…………」


 しかし一色はここで安易に初香を弄ろうとは考えなかった。彼は非常に賢明な少年だ。瞬時に状況を分析し、その上で自分がどちらの味方に付くべきかを一瞬のうちに判断した。


「――美人なら誰にでも手を出そうとする軽率な人と、身内ならどんなことをしても良いと思っている人よりは可愛いものだと思います」

「「……え」」


 二人もまさかこの場面で一色がそんな台詞を言うとは思っていなかったのだろう。目を丸くして一色の顔を見つめていると、その後ろでは初香が口角をにクイっと引き上げた。


「そうだねー。別れた次の日に新しい彼女を連れてくるとか、本当に手当たり次第で止めてほしいよね」

「――ぐはっ」


 一色の作った流れに乗るように、初香は手始めに兄に攻撃する。非常に的確な正論だ。人間、間違いを指摘されると何も言えなくなるのである。

 初香の追撃は、美月へと矛先が向いた。


「美月ちゃんも、はしたないとか言う前に、まず自分が少しはしたなくなった方が良いよね。女性らしさ皆無だもん。なんならちひろんの方が女子力高いし」

「は、初香っ。何も言い返せないことを言って……っ。鬼か!!」

「お、鬼は止めてよ!! せめてそこは小悪魔にして!!」

「……海老名先輩の気にするところが俺には良く分からないです」


 どちらも大して変わらないと思う一色は、ボソリとそう呟くのであった。

そんな、いわゆる美術部の日常を繰り広げていると、視線は当然集まる。彼らを傍目に、周りでは何やらコソコソ話が繰り広げられていた。


「……やっぱり濃いな、あいつら」

「木漏れ日の、陽の温度が灼熱なんだよな」

「触らぬ神に祟りなしってな」

「おい、滅多なことを言うな!! 聞こえてたら面倒なんだぞ!」


 ……一色の耳に、周りがボソボソと話している内容が聞こえる。疑うまでもなく、自分たちに注目していることはすぐに理解できた。

 ただ一つ、どうしても耐え難いことがある。それはもちろん、


「(この人たちと一緒にされるのは、絶対に嫌だ)」


 ……そういうことである。一色はささっと三人から一定の距離を取り、まるで他人かのように振る舞う。目立つことが嫌な一色にとっては当然の行動だ。


「ちひろん、そんなに距離を取られるとお姉さん寂しいなー♪」


 しかしそれを目ざとく、そして許さないのが美術部である。非常に厳しい視線を三方から浴びている一色であるが、程なくして競技が始まるために、解放は思いのほか早かった。




「どうして貴音先輩って何でも全力になれるんですかね」

「はっ、愚問だな、千尋。あいつの性格を考えてみろよ。そんな理性的な奴だったら、あんな馬鹿になってねぇよ」

「……それもそうですね」


 部活動対抗リレーにおける走行距離は千メートルである。第一走者から順に数が上がるごとに走る距離が百メートルずつ増え、最終走者は四百メートルを走ることとなる。

 グラウンドに引かれたトラックの距離は二百メートル。楕円状に引かれたトラックの二か所にバトンを受け取る場所を設けており、その片方には一色と雪彦、もう片方には初香と美月がいた。

第一走者は初香、第二走者は一色、第三走者は雪彦、第四走者は美月である。


「普通最終アンカーって雪彦先輩の役目じゃないんですか?」

「……俺もそう思ったけど、冷静に考えてみれば勝ちに行くならあいつをアンカーにした方が良いってことに気が付いたんだ。……ちょっと悔しかったから、しばらくランニングすることにした」

「先輩って無駄に負けず嫌いなところ、ありますよね」

「む、無駄ってなんだ、おらぁ!!」


 そんな風にじゃれ合う美術部男子組は、比較的には和気藹々とした雰囲気で落ち着いていると言えよう。

 さて、ここでその反対側の場所で待機している初香、美月たちを見てみよう。


「良いか、初香は一位を目指さなくても良い。周りは男子ばかりだ。差を広げなければそれでいい。だから絶対に転ぶなよ。お前が転んで私たちが敗北した時は――分かっているな?」

「ち、ちひろん助けてぇ~」


 ――殺伐としていた。あの初香が涙を浮かべて千尋に助けを乞うなど、珍しいの他に言葉にしようがない。それほどに美月のこの競技に……体育祭に向ける熱意は本物だった。

 傍から見れば大したことではないのは間違いないのだが、そんな一般的な物差しで測れるほど美月は普通ではない。一色は初香を哀れに思ってか、後で出来る限り優しく接しようと決めたのであった。

 そんな四人を遠目で見ている場外組の水無月と和那は……


「はい、これココアだよ」

「こうちゃん、ありがと~」

「く、くすぐったいよ、和那ちゃん」


 和那が水無月の太ももの上にチョコンと座り、その胸元に顔を埋めていた。

 ……何とも形容しがたい癒しの空間を作り上げているのである。それを証拠に、彼女の周りの学友たちは微笑ましく二人を見守っているではないか。グラウンドで繰り広げられているドラマを完全に見ていないのであった。


『やっと初香さんが離れてくれたおかげで普通に実況が出来ます』


 ……ご愁傷さま、と言うしかない。

 特に一色は普段から初香を含める美術部の面々に迷惑行為を受けているため、放送部の人に同情をしていた。


 ――ともあれ部活対抗リレーが始まる。


非常に面倒と感じる一色であるが、始まってしまったものは仕方がない。自分の仕事をさっさと終わらせ、体育祭から逃れることばかりを考えていた。出来る限り目立たないように。


「……よし」


 一色は考える。出来る限り自分が目立たないようにする方法が何かあるか、初香が自分の元に辿り着く、ものの数秒の間で思考を重ねた。

 もしここで一色が一位に躍り出れば、それはもう目立つだろう。確実に観客席の水無月や和那の声援の声が大きくなり、更に言えば一色の後ろに控えている雪彦と美月が勢いづいて、結果的に美術部が目立つことは間違いない。

 ならば最下位になるという選択肢もあるが……無論それもない。そんなことをわざとすれば美術部からの非難が集中し、後々面倒なことになる。


「ち、ちひろーん!!」


 初香がトラックを半周し、一色の近くに走ってくる。順位は三位だった。全部で九組の参加者での三位は中々の検討と言えよう。

 それを見て一色は自分がどうするべきかをすぐに理解できた。


「あ、あとはよろしく!!」

「海老名先輩、ナイスです」


 一色は丁度いい順位でバトンを渡してきた初香に笑みを浮かべて賞賛した。彼女からバトンを受け取り、そして自分よりも前を走る走者を追いかけるように疾走する。

 ……一色はなんでもそつなくこなす。雪彦は器用貧乏と言われているが、一色はその上位互換の単なる器用なのだ。もちろん運動能力は何気に高い。

 目の前を走る走者が比較的遅い方であったというのもあるのだが、一色はどんどん一位と二位との差を縮める。そして差がほとんどなくなったところで、一色の仕事は完遂する。


「(現状維持が一番目立たない)」


 順位が落ちることなく、更に差を縮めることこそが一色の狙いであった。その狙いは的中し、一色は三位の順位のまま雪彦にバトンを渡した。


「千尋、後は俺に任せろぉ――っうぉっ!?」


 千尋からバトンを受け取った雪彦が大見得を切って駆けだした瞬間の出来事であった。

 ……雪彦は数メートル走ったところで盛大に横転した。その隙に他の選手が続けざまに彼を抜いていき、ついには最下位に転落する雪彦。

 ――格好をつけた瞬間の恥さらし。雪彦の顔は羞恥によって茹蛸のように真っ赤になり、周りからは笑い声まで聞こえてくる。

 千尋は何とか笑うのを堪えながら、既に走り終わっている初香の方に歩いていく。


「あはははははは!! 雪彦、かっこわるぅ~!!」


 ……そして、誰よりもその光景を笑っているのは、実の妹である初香なのであった。

 ――海老名雪彦は基本的に自分がカッコいいことに誇りを持つ男である。自分がカッコよくあるためならばどんな努力を厭わず、色々な意味で真っすぐな男だ。


「あー、おっかしいのー! もう面白すぎて、お腹いたっ、ぷくすくすくすっっっ!!」


 そんな雪彦のことをカッコ悪いと言って嘲笑う行為は万死に値する。なおかつそれが実の妹であるからか。……それが雪彦に火をつけた。


「だぁぁぁれが、かっこわるいだごらぁぁぁぁぁあああ!!!」


 羞恥の果てより復活した雪彦は怒号を上げながら荒々しい走りでトラックを駆けた。その姿を見ながら一色は初香に話しかけた。


「……効果覿面、ってやつですか?」

「雪彦お兄ちゃんのことを一番理解しているのは私だからね♪ 見て見て、さっき追い抜いていった人たちを牛蒡抜きだよ」

「……やっぱりわざとか」


 あの一瞬で雪彦を復活させた初香の頭の回転速度を見て、改めて驚く一色なのであった。

 それはそうと、雪彦は凄まじい検討を見せていた。最下位から二位まで登り詰めた雪彦と一位との差はほんの少し。いや、わずかばかりだが雪彦の方が早い。

 そしてついに雪彦は一位を抜き去る。そこでアンカーの美月の背中が見えた。その瞬間、会場の、主に女子から黄色い声が漏れた。噂が立っているとはいえ、雪彦は今でも根強い女子人気がある。悲劇の横転からの一位への返り咲きは、同性の一色から見ても素直にカッコ良く見えるほどだ。さぞ女子生徒には今の雪彦が魅力的に見えるだろう。


「それにしてもちひろん、実はちょっと手を抜いてたでしょ?」

「……そんなことないですよ」

「ふふふ、この初香ちゃんは誤魔化せないよ? どうせあれでしょ。現状維持が一番目立たないとか考えてたんでしょ」


 全てを見通されていることに冷や汗を掻く。

 ……やはり一色のとっての一番の厄介者は彼女であると、今更ながら再認識した。

 一色は決して初香に視線を合わせずトラックの方に注目する。……その目に映ったのは、信じられない光景であった。


『お、おっと、ここで美術部のバトンミス!!! まさかのバトントラブルによって、一位の美術部は最下位に逆戻りです!!!』


 ……放送部の丁寧な状況説明によって、その光景の次第を理解した二人。なんと、雪彦からのバトンを美月が取り損なうという事態に陥っていた。

 先ほどまでの熱意はそれによって完全に冷めていた。


「……山あり谷あり、ですね」

「い、いやぁこの事態は流石の初香ちゃんも想定していなかったよ。……あ、雪彦だ」


 アドレナリン全開で走っていた先ほどとは打って変わって、トボトボとした足取りで後輩たちの方に歩いてくる雪彦。その顔は――引き笑いだった。


「……信じられねぇ、あいつ」

「帰ってくるなりどうしたんですか? バトントラブルなんて、リレーなら別に不思議な事でもないでしょうに」


 一色がそう言うのに対し、雪彦は首を横に振った。


「ただのバトントラブルなら引き笑いとか浮かべねぇよ――美月の野郎、俺のバトンをわざと取りこぼしたんだ」

「「は?」」


 一色と初香は雪彦からの暴露に、口を大きく開いて呆然としたのであった。

 ――雪彦はバトンを渡す瞬間、美月の顔を見た。その顔は口角がひどく吊り上がり、目は細く笑っていた。笑っているといっても、それは好意的な笑みではなく、むしろあくどい笑みである。

 それを見た瞬間、雪彦はその行為がわざとの者であるということに気付いたのだ。


「……いや、でも一位でわざとバトンミスするって幾らなんでもメリットがないじゃないですか」

「ううん、ちひろん。私たちの思考では一切メリットはないけど、美月ちゃんだよ? あの美月ちゃんなら、それに何かメリットを見出しても不思議じゃないよ」


 暗に美月が普通ではないと言っているのと同じようなものだ。


「その答えは、あれだ」


 雪彦は美月を指す。それにつられて今まで下を向いて考えていた一色と初香は、トラックを走る美月を見た。

 ……そこには、颯爽と次々に運動部を牛蒡抜きにしていく美月の姿があった。それを見て一色と初香も雪彦の言う答えを理解し、納得の表情を浮かべた。


「目立ちたがりの美月だ。きっと最初から自分主体の逆転劇を披露したかったんだろうな。だから執拗に初香にプレッシャーを与えた。しかしふたを開ければ初香は検討し、千尋はそれを継続させて、そして俺の華麗な逆転劇で目立ち過ぎて、あいつは自分の活躍が薄れると考えたんだ」

「だから美月ちゃんはさもお兄ちゃんのミスのようにバトンミスを装って、最下位になったんだね。名誉挽回したお兄ちゃんだけど、バトンミスでその活躍は帳消しになった――その中で最下位からの圧倒的追い上げ。美月ちゃんに浴びせられる黄色い声援はお兄ちゃんの時とは比べものにならないほどのものだよ」


 ……冷静に状況を分析する海老名兄妹を横目に、一色は頭を抑えた。

 一色がトラックを見ると、そこには既に一位に躍り出た美月の姿があった。一色と初香、雪彦はそれを見ながら肩を並べる。


「……先輩たち、奴をどうしましょうか」

「う~ん、そうだねぇ……とりあえず渡邊先生は呼ぼうかな~」

「なるほど、説教のお時間だな。任せろ」


 ――自分たちを振り回した貴音美月に対する報復を話し合っているのであった。

 そんなことをいざ知らず、美月はというと……


『ここで美術部が一位でゴール!! 二度の転落からの奇跡の大勝利です!! 会場が大いに沸いています!!』

「みんなー、私はやったぞー!!!」


 ……爽やかな笑みを浮かべて、さも自分がヒーローかのように立ち振る舞っていたのだった。

 彼女がこの後、泣きべそを掻くことは言うまでもない。


○●○●


 体育祭も無事に終わり、放課後となった。

 体育祭が終わった後でも美術部では活動がある。本来ならば真っ直ぐに帰るところなのであるが、今回の体育祭はそうはいかなかった。

……そう、その部室では今、


「――わ、私の個人的な目的のために皆を利用して誠に申し訳ございませんでした!!」


 ……美月が深々と土下座をしていた。

 一色としては適度に手を抜いていたからあまり強くは言えないのであるが、あの場で本気で勝つために尽力していた初香と雪彦がただで済ますはずもない。しかも能天気に打ち上げをするぞ、などと体育祭終了直後にツヤツヤとした満足顔で言われた時には、海老名兄妹の怒りが爆発したものだ。


「……美月ちゃん、サイテーだよ」


 水無月にまで見放されてしまえば、もう美月に立つ瀬はない。よって美月は素直に三人に謝っていたのであった。

 しかしながら、雪彦の怒りはそれで収まらない。雪彦は大人らしからぬ涙を流しながら、


「ふっざけんなよ、美月ぃ! 俺のあの逆転劇がいい感じになったと思ってた矢先にこれかよ!! 俺の活躍が全部台無しでお前だけが印象に残ってんじゃねぇか!! 返せよ!! 俺の努力を返せぇぇぇ!!」


 美月の肩を掴み、激しく揺らす。実際、勝利のために必死になって走っていたのは事実で、一位に上り詰めたのは実際に格好良かったのだが……終わってしまったことだ。

結果論だけで言えば、後輩が頑張って繋げた高順位を最下位まで落とし……そこから一位にしたのにも関わらずバトンミスをして、また最下位に転落させる。

踏んだり蹴ったりの結果に、もはや同情しかない一同であった。


「結果は貴音先輩たちの団の勝利で、団長の貴音先輩が人気者になりましたとさ。めでたし、めでたし――これで理解できたか?」

「うん! ゆきひこくんがすっごくみじめってことだよね!」


 一色は状況を全く把握できていなかった和那に懇切丁寧に分かりやすく説明をした。しかし和那がそれを大声で言ってしまったことが雪彦に対してとどめの一撃になってしまったのだった。


「みじ、め……子供に惨めって言われる俺って……」

「……ドンマイです、雪彦先輩」


 雪彦にとっての最後の良心は一色であろう。一色としても今回に関しては雪彦に対して同情をしている。怪我をしてまで勝ち取った一位のバトンを台無しにしたと言っても過言ではないのだ。

 ただ、既にお灸は据えられていると認識しているので、これ以上口を挟むつもりはなかった。


「……で、どうしてあんなことをしたの? いくら美月ちゃんでもやって良いことと悪いことの区別はつくよね?」


 すると水無月が美月にそう尋ねた。これまで一色たちは「先輩だから」と決めつけて事情は聞いてこなかったため、水無月のそれを聞いてハッとする。

 事情を聞かれて、美月は水無月に対して泣きそうな顔をしながらこう続けた。


「虹に、かっこいい姿を見てほしかったから、その……」

「「「…………」」」


 ……真剣にそう言う美月に、一色と雪彦と初香は黙ってしまう。美月の性格を考えるならば、別段不思議なことではない。愛する幼馴染の水無月のために勝ち星を挙げようとする行動も、何よりも美月らしいと感じた。

 そんな美月に対して満面の笑みを浮かべる水無月。一色はいつも流れで、これにて一件落着と思っていた。……その時であった。


「――私を言い訳にしないの。本当は何も考えず暴れまわりたいだけなんだよね?」

「こ、虹?」


 ……曇りもない笑みを浮かべ、透き通るような涼し気な声音でそう言う。一見すると全く怒りもしていないような水無月に対し、美月はどうしようもない恐怖を感じていた。

一色もその声音には覚えがある。彼もまた、水無月のそれを体験したことがあるため、一瞬寒気がした。


「何を感動的に終わらせようとしているのかなー、美月ちゃん。誰がいつ、そんなことを頼んだのかなぁ?」

「こ、虹? なんかいつもと違うぞ!?」

「いつもって何かな。ちょっと私、美月ちゃんが何を言っているか分からないなー」


 水無月は笑顔を崩さない。だがそれ故に美月は少しずつ追い詰められる。

 一色としても水無月がこのように誰かに怒るところを見たのは初めてであるが……いや、厳密に言えば以前の初香との勘違い騒動の時は近しいものであったか。

 ――しかし一色はそれともまた違うものであるように感じた。


「水無月、少し落ち着けよ。こんなのいつもの貴音先輩の悪ふざけだろ?」


 既に泣き顔の美月を哀れに思い、一色は水無月の肩を掴んでそう言った。すると水無月は振り返って目をパチリと見開いて、自分を止めた一色を見つめた。


「……そっか。一色くんは、分かってくれるんだね」

「……?」


 一色は俯きながら何かを呟いた水無月を疑問に思って、顔色を窺う。すると水無月はバッと顔を上げて、ニコリと笑みを浮かべて再び美月の方に振り返った。


「美月ちゃん、あんまり自分勝手に皆を振り回しちゃダメだよ! これ以降はちゃんと反省するように!! ……分かった?」

「は、はい!!」


 水無月にそう咎められる美月は、正座をしたまま大きな声でそう誓うのであった。

 ……その時の表情は既に、それまで一色が感じていた違和感のある笑顔ではなく、普段通りの彼女らしい笑顔であった。


○●○●


 あれから部活はお開きとなり、皆はそれぞれ帰って行った。珍しく水無月が最初に帰り、それからは散りじりに帰路に着いた。

 一色は和那と帰りに食材のセールに行く約束をしているため、部室で椅子に座ってのんびりとしていた。


「……ねぇ、おにいちゃん」


 そんなとき、ふと和那が一色の手をくいくいと引っ張った。


「どうした?」

「えっと……さっき、こーちゃんがなんか変だったなっておもって」

「お前もそう思ったか」


 一色兄妹は基本的に人間観察に長けているのか、それぞれ水無月の変化に気付いていた。いつもとは微かにではあるものの、確かに態度は違っていた。

 一色は水無月のあの態度を見て、ふとこう思った。


「……あいつ、少しだけイライラしていたのか?」


 水無月の態度が美月に対する八つ当たりのように見えたのだ。それは今までの水無月からは考えられない行動である。

 もちろん水無月も怒るときはある。しかしそこには水無月が怒る理由があり、程度も頭ごなしというわけではない。

 しかし今回は少し違った。もちろん美月の自己中心的な行動は目に余るものはあったものの、それはあくまで普段の延長線上なものに過ぎない。

 ……ストレスが溜まっていて、少しだけ棘のある態度になった。そう考えるのが自然で、人間であるならばそういうときがあるのは当たり前だ。だから難しくそれを考える必要はない――しかし一色はそれで片付けることが出来なかった。


「……ん?」


 考え込むように机の上を一色は見つめていると、その隅に物陰に隠れて誰かのポーチが落ちているのを見つけた。


「これ、誰のだろ」


 柄からして完全に女性ものであることから、そこで美月、初香、水無月に絞られる。しかも柄の可愛らしさから美月は除かれ、結論は水無月か初香になるわけだが……答えはすぐに出た。


「これ、こーちゃんのだよ」


 一色からポーチを受け取り、それを見つめた和那がそう言った。


「そうなのか?」

「うん。前のお出かけのときにもってたよ?」

「でも水無月、もう帰ってるからなぁ。……すぐに必要なのか聞いてみるか」


 一色は携帯電話を取り出し、水無月に電話を掛けた。


『もしもし。一色くん、どうしたの?』


 数コール経ってから電話が繋がる。周りには雑音は聞こえず、既に家なのかと一色は考えた。このポーチが無くては困るようなら家まで届けに行こうと考え、一応確認をする。


「お前のポーチが部室に落ちていたんだ。それでこれ、どうしようかと思ってな。すぐに必要ならお前の家まで届けるけど」

『あ、大丈夫だよ~――一色くんはまだ学校かな?』

「え? そうだけど……」

『だったら今から取りに行くね。少し待っててもらっても良いかな?』


 水無月はそれだけいうと、そのまま電話を切ってしまう。


「今からって……今、あいつは家だろ」


 画面を見つめながらそう呟く一色。ふと携帯電話で時間を見ると、そろそろ学校を出る時間に差し掛かっていた。


「和那、そろそろ帰るぞ」

「うん。でもこーちゃん、くるんだよね?」

「俺があいつの家に届けた方が良いって連絡するよ。買い物を先に終わらせてからになるから遅くなるけどな」


 一色は和那にそう説明しつつ、部室から出て鍵をかけた――そのとき、廊下の方でパタパタと走る音が聞こえた。その音は次第に一色と和那の方に近づいてきて、一色は視線の先の階段の角を見る。

 ――そこから現れたのは、帰ったはずの水無月であった。


「あ、良かった~。まだ部室にいたんだね」


 水無月は少しばかり息を切らして二人に近づく。一色は既に帰ったものだと思っていたから、水無月がまだ学校にいることに驚いた。


「水無月、帰ったんじゃなかったのか?」

「え? ちょっとさーちゃんのところによって話してたら、こんな時間になっただけだよ~。そしたら一色くんから電話がかかってきて……あ、教えてくれてありがとね! これないと色々と困るから」


 水無月はやけに明るい声音で一色に近づく。距離感はいつも通り近く、笑顔は変わらない。

 だがそれだけに、一色は先刻彼女が垣間見せた普段とは違う表情が頭から離れないのだ。


「……水無月はまだ帰らないのか?」

「ううん、そろそろ帰るよ。それにしても二人も帰りが随分遅いんだね。どうして?」


 水無月は首を傾げながらそう一色に問いかけてくる。


「夕食の買い物だよ。今から帰ったら丁度セールの時間だから」

「おにいちゃんがおかし、買ってくれるの!」

「あ、そっか――一色くん、ちょっと水無月さんから提案があります!」


 すると水無月は突然、何かを思いついたような顔をした。

 その顔を見た瞬間、少し嫌な予感がする。何故ならこのように水無月が何かを思いついた顔をしたとき、大抵それは一色を少しばかり困らせるものばかりであるからだ。


「一色くんと和那ちゃんと一緒にご飯食べたいなー――お邪魔してもいい、かな?」


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