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誠実であることが、最も残酷だった世界で ――第一部 完  作者: 平成アニメとゲームに取り残された者(旧名pawa)


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第25話 最下層

地下牢の最下層は、静かだった。

中層の反逆者区画にあった喚き声も、嗤い声も、ここには届かない。


あるのは、呼吸の音だけだ。


それも、意識して耳を澄ませなければ、聞き逃してしまうほど微かなもの。

俺は歩いた。ゆっくりと。慎重に、怖がらせないように。足音が、この場にそぐわない気がしてならなかった。


白い衣を纏った少女たちが、壁沿いに並べられている。

座らされている者、横たえられている者、膝を抱えて俯いている者。

だが、共通していることがある。


誰一人として、ここがどこかを理解していない。

視線は泳ぎ、焦点は合わず、感情の起伏が希薄だ。恐怖も、怒りも、悲しみも——薄い。


「……」


喉が鳴った。

声が出ない。


一人の少女の前に立つ。

顔立ちは、見覚えがあった。


俺を育てたシスターと、同じ顔。

同じ髪の色。同じ目の色。


偶然ではない。


理解は、頭では追いついていた。

だが、心が拒絶している。


「……聖女様」


先ほどの説明を思い出す。神への適合。観測。選別。


……だが。


「……」


シスター。

俺は、その少女の名を呼ばなかった。呼べなかった。

彼女たちの人生を象る、その名さえ知らなかった。

そして彼女たちそのものである人格は、……奪われていた。

ここの看守も務めている『元神殿研究官』と名乗るから色々な話を聞いた。彼女たちは……『初期化』されていると。


手を伸ばす。

指先が、かすかに震えた。肩に触れる。反応は、遅れてやってきた。


「……?」


少女は、ゆっくりと顔を上げた。

視線が合う。だが、俺を見ていない。


「……ここは?」


問いかけても、意味を理解していない。

言葉が、届かない。


「……教会、ではありませんよ」


それだけは、わかっているらしい。


俺は、周囲を見回した。何人もいる。同じ顔の少女たちが。


「やはり……覚えていないのか」


問いは、独り言に近かった。


——当然だ。


彼女たちは、覚えていてはいけない。


ここに来る前に、神殿で、初期化されている。それが、聖国のやり方。


聖女様が出て行ったあと、現れた神殿研究官から聞いた。


『元神殿研究官だ。今は……ここを管理する係だよ』


『研究官?』


男は苦く笑っていた。


『君が見ているものを作った側の人間だ』


一瞬、血が逆流するのを感じた。だが、身体は動かないでいた。封印が、怒りすら抑えていた。


『彼女たちは、量産品であり複製品だ。正確には、候補だったものだ』


『……候補?』


『聖女の、だ』


言葉が、落ちた。


『聖国自身はね、奇跡を待たないんだ。神への適合が高い者が、偶然生まれるのを期待しない』


男は淡々と続けていた。


『だから、作る。同じ素質を持つ子を、何人も、何十人も。複製体をね』


『作られた者たちはどうなる? ……そうか、孤児院、教会』


『修道院だよ。信仰を教え、祈りを教え、従順さを教える。その中で、最も神とつながる者を選ぶ。適合が進んだものだ』


『選ばれなかった者は?』


男は、少し黙った。それから、視線を逸らした。


『……初期化され、こうなる』


俺は周囲を見回した。処理待ち。肉の人形。


『彼女たちは、あとはこの国の経済を支える貴族の欲望を抑えるために売られ、数々の実験体になり、次世代の聖女を配合するための材料となる。その時に記憶や人格など邪魔でしかない』


『……鬼畜の所業だ』


『……俺も、そう思ったよ。一度でもそう思ったから、俺はここに飛ばされたんだろう。だけれども、上の者たちは、秩序を守るためだと、さ。神が認めているんだ』


『……』


制度。

秩序。

神の理。


なんだこれは……?

聖女様、……いや、神が正しいのだと思った。

だが、これは何だ? 正しいからと、何をしてもよいのか?


「……」


俺は、床に膝をついた。


ここで初めて、

胸の奥に、重たい理解が沈んでいく。


——俺は、特別ではない。

——初めから選ばれていたわけでもいない。

俺がシスターに育てられていたのは、「候補」だったからではない。

ただの、孤児だったからだ。神に選別される以前の問題で、無数に存在する、不要な存在。

だが、その何でもないようなちっぽけな存在だからこそ、愛されていたのだと気づく。


処理される対象でもなく、利用されるべく育てられた存在でもなく、ただ——無関係。

本当の意味で、『選ばれた』という意味を知る。この世界で『選ばれなかった』という残虐さを知る。


『選ばれなかった』という運に恵まれたな俺は、何をシスターに与えることができた? 報いることができた?

それが、最も残酷だった。

俺に生き方を教えてくれた、シスターに、俺は、そんな過酷な運命のシスターにただ与えてもらうだけで、何を返せた?

そして、聖女様に、何と厚顔無恥なことを……。



「……」


そのときだった。


少女の一人が、わずかに首を傾げた。


「……あなた」


掠れた声。

だが、確かに、俺に向けられている。


「……どこかで」


心臓が、跳ねた。


「……見た、気がする」


少女の瞳が、揺れる。

そこに、一瞬だけ——感情が宿った。


「……あの」


言葉を探している。必死に。


「……祈りを……」


喉が、締めつけられる。


——思い出したのか。


いや、違う。

記憶が蘇ったのではない。


神への適合が高いからだ。神殿研究官の言葉を思い出す。神への適合が高いものは真理に近づく。適合率が高いもの同士が記憶を共有することがまれにある。真理が過去に、到達すると。

聖女様と同じ。

神の理に、わずかに近いものだからこそ。


だから、初期化の向こう側から、欠片が浮かび上がった。


「……歌」


少女が呟いた。


「……夜、……静かな……」


俺は、目を閉じた。


——歌っていた。


眠れない夜。俺が体調を崩した夜。

シスターは、静かに賛歌を歌ってくれた。


それは、信仰のためではない。

ただ、子供を安心させるための、子守歌だった。


「……」


少女の呼吸が、浅い。


身体は、痩せ細っている。

指先が、冷たい。


——実験。


神殿研究官の言葉が、脳裏をよぎる。


「……あなたは」


俺は、ゆっくりと口を開いた。


「……あなたは、何も悪くないっ! あなたはただ誰かの幸せを願っただけだ。誰かに優しさを与えただけだ。誰かに生きる意味を与えようとしてくれただけだ。こんな、こんなひどい目に合う理由など、何一つ……」


言葉は、届かないかもしれない。目の前のシスターではない『シスター』に俺は言い続ける。言っても無駄だとわかっていた。

それでも、言わずにはいられなかった。


少女は、微かに笑った。


「……よく、わからない」


当然だ。理解できるはずがない。


彼女は、知らされていない。


自分が何者か。

なぜここにいるのか。

なぜ、身体が壊れかけているのか。


それは——

神から、直接告げられる。


処理の直前に。


そして、精神は初期化される。

恐怖も、疑問も、怒りも、すべて消される。


「……」


俺は、その事実に、ようやく辿り着いた。


——善意で育てられ、善意で相手を育て。

——知らぬまま連れてこられ。

——自分の使命を達成する前に壊される。


それが、ここにいるシスターたちのすべてだ。


「……」


俺は、少女の手を握った。


拒まれなかった。少しだけつかみ返してくれた。


その夜、俺は眠らなかった。


少女のそばに座り、

呼吸が続いていることを、確かめ続けた。


原風景が、胸を満たす。


祈りの言葉。

朝の鐘。

食事の匂い。


——それらは、嘘ではなかった。


だが、意味は与えられていなかった。


ここで、ようやく本当の意味で理解する。


神は、人を救わない。

これが、秩序だ。


俺は、少女たちの中に座り込み、

静かに思った。


——正しい世界は、

——ここまで、人を空っぽにできる。


だが、その正しさを、俺はまだ、完全には否定できていない。加護を失った人々、そして聖女様の過去が心の中にある。


それが、何よりも——俺を絶望させていた。


………

……


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