第22話 神との問答
そしてまた何日かこの村で過ごした。
勇者様のお帰りに時間がかかっているのが気になったが、俺などが加勢にいっても勇者様の足を引っ張るだけであり、行き違いにあるかもしれない。そう思い、この村にとどまることを選んでいた。あと何日かしたら、さすがに勇者様の応援に向かおうとは思っていたが…。
この村の日常は、穏やかで輝いていた。
聖女様と起床し。
朝食を一緒に食べ。
村人たちの仕事を手伝い。
聖女様が御作りになられた昼食を食べ。
日が暮れ、聖女様が御迎えに来てくださり。
夕暮れに染まった川で何でもないことを話し。
村人たちを夕食を楽しみ。
夜は魔物を狩り。
そして帰宅し、聖女様と月を眺め。
この日々が永遠に続けばいいと思っていた。
そしてある日。
眠りに落ちる直前、俺は焚き火の爆ぜる音を聞いていた。
夜警の交代を告げる足音、遠くで鳴く獣の声。
いつもの野営。いつもの夜。
だが、次の瞬間、すべてが失われた。
音が消え、重さが消え、身体という感覚そのものが剥ぎ取られる。
俺は落ちているのか、浮かんでいるのかも分からない。
ただ、意識だけが、暗闇の中に固定されていた。
上下も、前後もない。
空も地もない。
世界が「背景」という役割を放棄している。
――来た。
そう“理解させられた”。
何かが現れたわけではない。もともとそこに在ったものが、「認識できる状態」になっただけだ。
圧。
それは視覚でも聴覚でもなく、存在そのものが、俺を押し潰そうとしてくる感覚だった。
『汝を観測する。そして汝も我を観測できるようにした』
声ではない。
言葉ですらない。
意味だけが、脳を直接削る。
俺は無意識に歯を食いしばっていた。恐怖よりも先に、強烈な畏怖が込み上げる。
――神。
だが、人が祈りの中で思い描くような姿ではない。人格も、意思も、感情も感じられない。だが、それが神だと魂から感じさせられた。
それは世界を成り立たせるための構造物だった。
『汝は役割を帯びつつある』
淡々と、告げられる。
『信仰が汝に集積し始めている。本来、許容されぬ現象だ』
この村の光景が、否応なく脳裏に浮かぶ。剣を振るったあとに向けられた視線。祈るように、縋るように俺を見る人々。
『この聖国という集合体の信仰は、我に帰属すべきだ』
断定。
『信仰なき者がそれを受け取ることは世界構造上の欠陥だ』
理解できてしまう。この世界では、信仰は力であり、役割を強化する燃料だ。勇者様もそうだ、その勇名で人類の願いを集約し、力を得ている。
――勇者様に対しては、神はいいのか?
『勇者は違う。そもそもが、この世界では4つの信仰がそもそも存在した。我を含めた2つの神、魔王、そして勇者。その4つの信仰以外が生まれてはならない。そもそも、騎士の信仰は勇者に帰属していたはずだ。それが新たに一つの『向き』として生まれ始めた。異常事態なのだ』
『ゆえに、是正を行う。我を信仰せよ。我が傘下に入れ』
命令だった。拒否権など、最初から想定されていない。頭を垂れたかった。
『汝は騎士。それは忠義、礼節、平等の名も意味する。役割に従え』
その言葉で、胸の奥が軋んだ。
――聖女様。
月明かりの下、井戸の縁で語られた声。神は世界の秩序であり、救済であると、静かに言い切った横顔。
俺は誓った。あなたの理想の騎士になると。
ならば、本来は――神に仕えるといったあの方に倣い、神を信じるべきでは? 心の中でその思いが湧き出る。
『感情は不要。理に従え』
圧を感じる。だが、その瞬間。圧を感じた「おかげ」で、別の記憶が、強引に引きずり出された。
そう、圧とは、「力」なのだ。暴力なのだ。
暴力で俺は思い出す。
そう、暴力とは、略奪とは、俺の原風景。古い教会。湿った石床の匂い。
俺の原風景。それは孤児だった俺を拾った場所。祈りを教えられた場所。そして……姉代わりだった、育てのシスター。
優しい声が、脳裏に蘇る。
数々の思い出が、頭の中でよみがえる。
凍える夜、自分が寒いにも関わらずに俺に外套を渡してくれたシスター。
「お姉ちゃんはね、元気だからいいの。」
自分が熱を出した夜、徹夜で看病してくれたシスター。
「お姉ちゃんはね、風邪なんてひかないから大丈夫!」
教会の予算が足りず、食事の量も足りないのに、俺に自分の分のパンを分けてくれたシスター。
「お姉ちゃんはね、君の笑顔だけでおなか一杯!」
俺はシスターにきいたことがあった。どうして俺によくしてくれるのかと。
身寄りのない、薄汚い子供だと自分でわかっていたのだ。
だが、そんな俺に彼女は撫でてくれた。
「ねえ、神様はね、全部を救ってくれるわけじゃないと思うの」
幼い俺は、意味も分からず首を傾げた。
「でもね、それでも私たちは祈るの。祈るっていうのはね、神様にお願いすることだけじゃない」
彼女は、微笑んで言った。
「祈るのは、人が人でいるためでもあるのよ。誰かが誰かに、幸あれと、願うためにあるのよ。私は君に、幸せになってほしい」
教会は、貧しかった。救われない者も多かった。それでも、彼女は祈り続けていた。
――炎。あるとき、すべてが変わった。
怒号。剣戟。燃え上がる木材の音。
教会は、焼かれた。祈っていた人々は、殺された。神を信じていたシスターも、血に染まった床に倒れていた。
俺は、瓦礫の影で震えていた。彼女は、最期に俺を見て、笑った。
「……逃げなさい」
掠れた声。
「生きて……生きて、誰かを守れる人になりなさい」
それが、あの人と最後に交わした言葉だった。
神は、何もしなかった。
神への祈りは、届かなかった。
俺だけが、生き残った。
拳が、強く握られる。
――神よ
俺は、はっきりと呼びかけた。
「あなたが本当に信じられる存在なら」
声が、震える。
「なぜ、あの教会を救わなかった」
一瞬の沈黙。だが、それは逡巡ではない。
『救済は、必須条件ではない』
冷酷な答え。
『秩序維持が最優先だ。個の生死は副次的要素』
その瞬間、すべてが腑に落ちた。
神託の冷酷さ。
聖女様の覚悟。
神が正当化される理屈。
『個は代替可能。役割は循環する』
――違う。
思わず、叫んでいた。
「代替できる命など、ない!」
圧が、急激に高まる。
『感情による反論は無意味だ』
「秩序のためには、世界を守るために、犠牲が必要なことも! あるかもしれない……。だが、だが!」
だが。
「それでも……人を救おうとせずして、何が神か!」
教会で祈っていた人々。
シスターの笑顔。シスターの、言葉。そうだ、彼女が俺に与えてくれたのは。
「『やさしさ』などない秩序で、……何が救えるか!」
沈黙。
そして。
『――ならば、汝は危険因子だ』
裁定。
『信仰を集める無信仰者。秩序を乱す異物』
圧が、限界まで達する。
『選択の代価は必ず支払わせる』
世界が崩壊する。俺は、後悔していなかった。
シスターの言葉が、胸に残っている。
――生きて、誰かを守って。誠実、でね?
それが、俺の騎士道だ。
………
……
…




