19. 私はこの方を
王宮の別宮である王子宮のサンテラスに呼ばれたルシーは、第二王子と向き合っていた。
テラスに置かれていたのが丸テーブルでルシーはほっとした。
向かい合うことで程よい距離が保てている。
二人掛けの椅子を準備されたら、席を立たない自信が、まだルシーにはなかった。
「客室にいるそうだな、不便はないか?」
「はい、つつがなく」
「すぐに婚約の承認が降りる。そうすれば、この王子宮に居室を移すことができる」
「しかし、この宮には正妃様がいらっしゃるのでは?」
「ああ。新たな妃はそのように嫉妬をするのだな。病により役目を果たせないものをいつまでも置いておくべきではあるまい。療養に出す予定だ」
「いえ、そのような意味では! 私はこちらで十分ですわ」
「遠慮するな。お前が来るまでにそのように取り計らおう」
じっとなめるようにルシーのことを見つめる第二王子の目を避け、ルシーは目を伏せた。
(不用意な発言で第二王子妃様を追い出すことになってしまった。お子様がかわいそうと言ったら、お子様まで療養先に追いやりかねないわ)
「しかし、本当に美しいな。見飽きない美貌というのも世の中には存在するのだな。それとも、これも魔力による効果なのか」
第二王子は席を立つと、ルシーの横にやってくる。
「俺をひざまずかせることができるのは、この世に三人しかいない。お前が三人目だ」
そう言うとひざまずき、下を向くルシーの頬に手をあて、ルシーの顔を下から覗き込む。
ぞくりと背筋に悪寒が走り、ルシーは顔を背けようとしたが、頬に当てられた手がそれを許さない。
ルシーは視線だけを必死に逸らした。
「はは、私の婚約者は随分と初々しい」
そのままルシーの髪を梳き、その毛先に第二王子が口づけようとした時、にわかにテラスの外が騒がしくなった。
「アルチュール殿下。陛下がお呼びです。至急謁見の間に来るようにと。デュボワ伯爵令嬢もご一緒にとのことです」
謁見の間には、国王、王太子、ベアトリス王女、それからクレマンと祭服を着た司祭がいた。
ルシーは、国王の前で膝を折る。
クレマンにこんなに早く、再び会えるとは思っていなかった。
クレマンの顔を見るだけで、温かい気持ちと同時に激しい痛みが溢れてくる。
「父上、何の御用でしょう? 大司教閣下までお揃いで。婚約者との語らいを邪魔され、私はとても不愉快です」
「アルチュール、わきまえよ」
クレマンの脇にいた司祭は大司教だったらしい。
「第二王子殿下をこちらにお呼びした理由は私のほうからご説明いたしましょう」
進み出たのは、大司教だった。
第二王子は眉を顰める。
「第二王子殿下、ご存じの通り、魔力婚はこの国の国防の在り方を左右し、根幹をなす制度です。王家と公爵家、高位貴族の方々が払う献身や諸処の事情を鑑み、教会はこの制度を認めてきました。ただし、それも条件付きです。教会は始まりはどうあれ、婚姻した男女がお互いに敬い、愛し合う温かい家庭を築くことを望んでいます」
「ふん、建前の話だな」
「しかし、四代前の王族が犯したことは許されませんでした」
「フェリペ七世か?」
「アレクサンドル五世です」
「ああ、そうだったな! それでそれがどうした」
「アレクサンドル五世は、自身の宮に十七歳の側妃を多数囲うこと、それも見目麗しい自分好みの側室を手に入れるために、魔力婚の順位が決定した後に、割り込むということを複数回行ったのです」
ルシーははっと顔をあげる。
「ふん、ずいぶん好色な王がいたものだな」
第二王子は何も気づかないのか、先祖であるその王を揶揄する。
「そのためできた王族に対しての魔力婚姻法の追加条項が、側妃に関するものなのです」
「それなら知っているぞ! 正妃が十分に妃としての役割を果たせなくなってから一年が経った場合、側妃を迎えることを認めるというものだ」
「それは王族婚姻法における追加条文です。魔力婚姻法における追加条文は違います」
「何?」
「魔力婚姻法にはこう記載されているのです。王族が側妃を迎える場合、それが既に婚姻通知が配布された後の場合には、翌年度の魔力婚姻法の対象者として扱うこと、とされています」
「それは、貴族籍の者だけの法だろう!」
「王族だけの特別法ゆえ、広く公開されていない。過去の先祖の恥ともいえる追加条項だからな。すっかり忘れていた。ゆえに皆を振り回したな。大司教、よく教えにきてくれた」
大司教の発言を引き取った国王を、第二王子は、呆然と見上げる。
「アルチュール、魔力婚姻法を侵すことはできん。そなたもベアトリス王女も、来年度の魔力婚姻対象者とすることとする」
「しかし!」
「魔力婚姻法を守らない場合の罰則は、王族籍・貴族籍のはく奪だ。これに例外はない。この件はこれでしまいだ。アルチュール、頭を冷やせ」
「くそっ。ルシー嬢、俺は貴方を!」
「アルチュール、話がある。王子宮の予算の件だ」
国王は去り、第二王子は王太子に連れられて出ていった。
ベアトリス王女も、なぜかこちらを振り返り、ルシーにほほ笑みかけ、謁見室から出ていった。
いつの間にか、その場には、クレマンとルシーしかいなくなっていた。
「これは、公爵様が?」
「努力をすると言っただろう?」
「でも、本当にどうにかなるなんて思っていなくて」
「マルタン公爵夫人が手伝ってくれたんだ。信じてもらえなかったのは心外だ……っつ」
ルシーは考えるより先にクレマンの胸に飛び込んでいた。
もう、この胸の中に戻ることはないと思っていた。
ルシーに信頼を寄せ、愛するということを教えてくれたこの人の元へ、戻ることはできないと思っていた。
失った時には張り裂けそうな胸の痛みを覚え、再び得た今、歓喜であふれかえる思いが胸を満たしている。
(私はこの方を愛してるんだわ)
広い肩と厚い胸の中で、ルシーはこのぬくもりをもう離したくなくて、ただぎゅっと必死にしがみついた。
クレマンは、細かく震えるルシーの背を、頭をただ静かに撫でてくれた。
◇◇◇◇◇
ルシーは再びランベール公爵邸に戻ってきた。
泣きながら心配するレアを抱きしめて落ち着きを取り戻させてからは、再び怒涛の日々を過ごした。
もう、誰にも邪魔されることのない関係になりたいと、結婚式の準備を急いだからだ。
そして、行われた結婚式。
挙式は、王都にある大聖堂で行われた。
先日の和解の証拠に、王太子も参席した。
婚約者の交代劇は一切公表されておらず、義父のデュボワ伯爵ですら知らない。
フロレンシアからの元王女ベアトリスの亡命と、来年の魔力婚の候補者として名を連ねるということが公示されたぐらいだ。
参列者のレアが祝ってくれている。
公爵家の使用人たちにもかわいがられていて、とても安心できる。
教会で誓いの言葉を交わす夫は、無表情だけれど、まなざしはとても優しい。
何もかもがうまくいきかけていた。
そして、公爵邸に戻り、邸で行われる披露宴のため、ウェディングドレスから他のドレスに着替えようとしたところだった。
──ルシーの純白のウェディングドレスは血に染まった。




