18.どれだけの犠牲を払っても
王宮に留め置かれたルシーの元へ、フロレンシア王国の元王女と名乗るベアトリスから昼食の誘いがあった。
王女として賓客の扱いを受けているベアトリスの誘いをルシーが断れるはずもない。
しかし、当然のように食事の光景は殺伐としたものになる。
(この方はなんのために私を呼んだのかしら)
昨日の取り乱し様で、すでに王女としての仮面ははがれている。
ベアトリスの顔には無邪気で淑やかなほほ笑みのかけらは、微塵も残っていない。
食事を終えたルシーをベアトリスは、じろじろと眺めまわした。
ルシーは、目を伏せてその視線を受け流す。
「あなた、何者なの? モンテリュー王国の人間が私より魔力が高いなんてありえないわ」
(あなたこそ、何者なの? なぜ王女を名乗るの?)
ルシーは口に出すことのできない問いを押し殺した。
ただ、ベアトリスの、見下すような〝モンテリュー王国の人間が〟という言葉から、フロレンシアの人間であるのは確かなのだろうと推測する。
「私は、平民の生まれです。魔力が高いことから伯爵家の養女にしていただきました。ただ……祖母の代に外国から来たのだと聞いたことはあります。私はおそらくフロレンシア王国なのだと推測していました」
「そういえば、封鎖政策をとっているこの国も移民を受け入れていた時期があったわね」
ルシーは自分がフロレンシアの王女だと疑われないよう、真実を織り交ぜた嘘をつく。
フロレンシアの人間ならわかるわ、とベアトリスはぶつぶつとつぶやく。
「王女殿下、今フロレンシア王国はどのような状態なのでしょうか?」
「どうもこうもないわ。十年前の革命を英雄テオドールが成功させ、私は外国へ落ち伸びた。それだけよ。フロレンシアは今議会政治を行っていて、テオドールが君主の座に立っているわ。ほとんどの貴族は領地や富を没収されたわ。処刑されうようなことはなかったけれどね」
ベアトリスは、ルシーがフロレンシアの血脈であると明かし、ベアトリスを敬う態度をとったのがお気に召したようだ。
口が軽くなる。
「もちろん、外国に逃げた者も数多くいるわ。ただ、貴族にとってはあまりいい状態じゃないわね。フロレンシアの革命は周りの国にも影響を与えているから。現に革命が起きた国もいくつかあるわ」
「他の国でも革命が……」
「まあ、時代の流れかしらね」
モンテリュー王国は封鎖政策をとっているため、そういった情報がルシーたちには全く入ってこない。
ただ、ここまでの会話でベアトリスの目的はなんとなく推測された。
「あなた、第二王子の婚約者から身を引きなさい」
「そうしたいのはやまやまなのですが、私の一存では」
「大丈夫よ。王は、いうことを聞くわ」
「え?」
「あなたは魔力が高いからか効きが悪いわね。強めないとだめかしら」
くらりと、視界が歪む。
いつの間にか周りに侍女は一人もおらず、食事をする部屋には、甘い香りが充満していた。
(精神干渉)
ベアトリスの目的には薄々気づいていたのに油断した。
「大丈夫よ。フロレンシアの人間だとわかったし、あんまりひどい命令は刷り込まないであげる」
(ベアトリスは、おそらく、王政側の人間ではない)
「あなたは、公爵を愛してるわ。けして第二王子と結婚したくない。そうならないために必死にがんばるのよ。それから、あなたは私を崇拝しているの。私が、本当の名前であなたにお願いした時は、私の言うことを何でも聞くの。わかった?」
「はい」
「私の名前は、エレオノール・ヴァイヤン。フロレンシアを解放した英雄テオドールの娘。今日のことは私がお願いするまで忘れてしまいなさい」
ルシーの足元には、金色の魔法陣が広がっていた。
◇◇◇◇◇
クレマンは近しいものを総動員して、魔力婚姻法について調査を行っていた。
婚姻法に抜け道がないか、法自体を徹底的に調べ、過去の例外事例などもつぶさに調査する。
魔力婚姻法の運営を担う政務官の知り合いにも協力してもらっているが、今のところよい結果は出ていない。
執務室の椅子で書類から顔を上げ目をつぶり、眉間をぎゅっと抑える。
あの日のルシーの様子が目に浮かぶ。
あの日、クレマンとルシーは王に結婚の報告をしに行き、逆に婚約者の交代が告げられた。
クレマンはルシーと言葉を交わすこともなく離れ離れにされ、ルシーは王宮に留め置かれてしまった。
そんな状況の中、クレマンがルシーの部屋を夜中に訪れたのは、ルシーに別れの挨拶をするためだった。
王命に逆らうなど微塵も考えていなかった。
そもそも魔力婚姻法による結婚自体が王命なのだ。
クレマンは当初から、相手が誰であろうと決められた相手と結婚するのは当然だと思っていたし、相手が誰であろうと誠意をもって尽くし、愛そうと思っていた。
今回、その相手が変更になっただけだ。
あまりに突然で驚きはしたが、それに対しても従う以外の選択肢しかないと思っていた。
ルシーにしても同じだと思っていた。
ルシーが結婚を急ぎ、クレマンを誘惑するようなそぶりをした目的も、妹の病を治すため魔塔の知識を得ることである。クレマンの公爵家より、第二王子に嫁ぐ方が近道なのは、火を見るよりも明らかだ。
ただ、婚約者が替わるにしろ、それなりの月日を一緒に過ごした相手だ。
礼儀正しく、きちんと言葉を交わし、別れの挨拶ぐらいすべきだと思ったのだ。
彼女が誰よりも大切にしているレアのことだけは、きちんと面倒をみるから心配するなと伝えるつもりだった。
彼女もそのような態度で臨むだろうと、そう思っていた。
それなのに。
窓辺で泣きそうな顔で佇む彼女の姿を見たらもう無理だった。
(別れの挨拶? そんなわけないだろう! ただ彼女に会いたかっただけだ!)
クレマンは、ルシーの部屋に入った直後にルシーを抱きしめてしまった。
彼女のキスに応えてしまった。
『旦那様。お願い、私をあきらめるなんて言わないで』
ルシーの必死な姿には、打算などなかった。
彼女が捧げてくれるものに応えたいと思った。
どれだけ手を伸ばして、彼女の白い肌に触れ、貪りつくしたいと思った事か。
こらえたのは、確実に彼女を自分の元へと呼び戻せるという確証がなかったからだ。
そうでなかったら、その行為は彼女を傷つけるだけで終わってしまう可能性が高かった。
ただ、どれだけの犠牲を払っても彼女を手に入れる──そう誓った。
「何か、何かあるはずだ」
「焦りすぎだ。いったん、飲んで落ち着け」
執務室に入ってきたのは、クレマンの補佐官であるエリックだった。
手には、熱いコーヒーが二つ握られている。
エリックもクレマンに付き合って、ここ数日様々な情報を集めてくれている。
「ああ、ありがとう」
ただルシーと結ばれたい、それだけならば、いざとなったら、エリックのように貴族籍を抜け平民になるという選択肢も──そこまで考えてクレマンは首を振る。
(いや、ルシー嬢は妹のために魔塔へ行かなくてはならない)
魔塔に出入りするには四大公爵家以上の身分が必要だった。クレマンが身分を捨てるという選択肢はなかった。
「なあ、そういやさ、魔力婚の事例を集めてて思ったんだが、王家とか四大公爵家の詳細の事例があまりないんだよな。もう少し出てきてもよさそうなのに……」
クレマンはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「そうだ、俺は何を見落としていたんだ。エリック、恩に着る」
「お、おう。って、え、どこ行くの? ちょ、コーヒーぐらい飲んでけって」
クレマンは、マントを羽織ると、エリックの持ってきたコーヒーを一息にあおり、部屋を飛び出した。
クレマンが飛び込んだのは、王立図書館だった。
ここには、高位貴族しか入れない特別閲覧室がある。
「来ると思っていました。こちらへ」
図書館では、ピンと伸びた背筋が美しい、四十代の女性──マルタン公爵夫人がクレマンを待っていた。




