17. 私をあきらめるなんて言わないで
十年前、フロレンシア王国に革命が起こった。
フロレンシア王国は、豊富な地下資源と肥沃な大地を有する恵まれた国だ。
この国では、魔力と魔法は貴族だけのものではなかった。魔力を持つ民は、魔法の力を用い国をさらに豊かにした。
しかし、富は王家と貴族に集中し、平民との格差は広がるばかりだった。
それに耐えかねた民が、反旗を翻したのだ。
膨大な魔力を持つ平民が英雄として民の先頭に立ち、貴族社会を覆した──。
王宮にはあちこちに火の手があがり、七歳のベアトリスは、騎士に抱えられ王宮内の隠し通路へと向かっていた。母と叔父、二歳の妹も一緒だ。
父は数日前にベアトリスを抱きしめてくれたが、それ以来会っていない。
大好きな優しい父の顔が固くこわばっていたのをひどく鮮明に覚えている。
炎と叫び声に追い立てられながら、なぜこんなことになっているのか、当時のベアトリスにはさっぱりわからなかった。
「いたぞ」という声から逃げるようにベアトリスたちは隠し通路の奥へと逃げ込んだ。
つき従う騎士は、いつの間にかどんどん数が減っていった。
追い立てられるように母とベアトリスは隠し通路の奥、地下水路に浮かべられた小舟に乗る。
揺れる小舟の底に押し付けられるように伏せ、激しい揺れをやり過ごし、気が付いた時には小舟は川岸に打ち上げられていた。
そのあたりからの記憶はまばらだ。
その後も、ベアトリスたちは逃亡を続けた。
一度、どこかの国に落ち着いたかに思えたが、すぐに夜中にその国を出た。
ベアトリスの母は、自分たち以外を誰も信じなくなった。
今ならばわかる。
父は優しすぎて、腐敗しすぎた貴族社会にを正すことはできなかった。
母にも、それを正すほどの力も父を支える強さもなかった。
革命は力と強さのない父母の元、起こるべくして起こったのだと。
モンテリュー王国に来て、が選んだのは、この国の王家に助けを求めることではなく、ひっそりと平民として生きることだった。
ベアトリスは、ルシーになった。
「〝ルシー〟〝レア〟あなたたちには幸せになってほしいの。小さな幸せでいいのよ。魔力を隠して、平民として、平和に、幸せに生きましょうね」
そう言った母はすぐに儚くなってしまい、ルシーとレアの姉妹は、たった二人で異国の地に取り残されたのだった。
◇◇◇◇◇
言いしれない寂しさと懐かしさとともにルシーは目を覚ました。
「久しぶりに、お母様の夢を見たわ」
慣れない王宮の客室は落ち着かない。
眠れなくなってしまったルシーは、ベッドから起き上がるとガウンを羽織って、窓から外を見た。
外はまだ暗く、夜は明けていない。
外に見えるのは夜警の兵士とかがり火の灯りだけだ。
「お母様は、私たちに平民として生きることを望んでいた」
ルシーも、母と同じく王女の地位に未練などない。
その地位は、ルシーとレアの命を脅かすものでしかないからだ。
壇上からルシーを見下ろしていた元王女ベアトリス。
彼女が何を望んでこの国に来たのかはわからないが、ルシーはそれを暴くつもりも、自らが王女だと名乗り出るつもりもなかった。
そんなことよりも。
今、ルシーの心の大半を占めるのは違うことだ。
赤毛にエメラルドグリーンの瞳のその人のことを思うと、胸が軋む。
あのあと、ルシーの魔力を浴びた測定装置は、まばゆい輝きを放った。
『どうなのだ⁉ どちらが上だ!』
つかみかからんばかりの勢いの第二王子に対し、魔力測定官は黒いフードの奥から静かに答えた。
『今年十七を迎える女性における魔力順位は、一位がルシー嬢、二位がベアトリス王女となります』
『嘘、嘘よ。私より魔力が多いなんて! ありえないわ! その女は、なんなの⁉』
『父上、約束通り、ルシー嬢は私の側妃に』
混乱する現場の中、ルシーは、クレマンと引き離されるように王宮に留め置かれることとなった。
昨日までは全てうまくいっていたのに、事態は一変してしまった。
少し前までならこの状況は受け入れられた。
〝王家に嫁ぐ〟ことは魔塔の知識を手に入れる上で最善の方法だった。
レアのためになんでもすると決めたルシーなら、評判の悪い第二王子に嫁いだとしても何も思わなかった。
(だけど、私は、旦那様の温かさを知ってしまった。旦那様に、信頼と愛情を返したくなってしまった)
ルシーは夜着の胸元を握りしめ、冷たい窓ガラスに額を寄せた。
(どうすれば、いいの?)
ルシーに思いつく方法は、一つしかない。それも、クレマンが受け入れてくれるかわからない、ひどく乱暴な方法だった。
窓の外がうっすらと白んでくる。
と、コツンと何かが窓に当たって、ルシーは顔を上げる。
再び、コツンと何かが当たる。小石のようだ。
ルシーの心臓が、期待に早鐘のように鳴りだす。
留め金を開け、窓を開く。
その瞬間、上から降ってきた何かにルシーの眼前が覆われた。
それがはためくマントだと気づくと同時に抱きしめられる。
ルシーがよく知る匂いだ。
そっと窓を閉めるクレマンにルシーも抱きつく。
ルシーとクレマンは、しばらく言葉もなくお互いの熱を分け合っていた。
「ルシー嬢、聞いてほしい」
「いやです」
「しかし、俺たちの今後のことだ」
「絶対いやです!」
ルシーは、クレマンのシャツをぐっと引くと、背伸びしてクレマンにキスをした。
クレマンは、一瞬びくりとするが、ルシーの必死さに応えるようにキスを返してくれた。
深くなるキスにクレマンは、ルシーの肩をつかんで引き離す。
「ルシー嬢、これ以上は……」
クレマンの焦ったような声に、ルシーは声を荒げる。
「私、知っています! ……私たちが、結婚できる唯一の方法を!」
ルシーは、ガウンを肩から床に落とした。
床に落ちたガウンの上に、さらに薄絹の夜着が落ちる。
白み始めた窓の外からの光が、ルシーの一糸まとわぬ姿を照らしだした。
「旦那様。お願い、私をあきらめるなんて言わないで」
胸の前で組んだ手が、声が震えた。
目を合わせて訴えるルシーから、クレマンは目をそらした。
クレマンはぐっと唇をかむと、身に着けていたマントを外し、ルシーの体を包んだ。
(そうよね、旦那様がそんなことするわけないわ)
クレマンは、王命に忠実な騎士。命令に背くようなことをするわけがない。
ルシーの顔に、乾いた笑みが浮かび、胸の前で握りしめていた手から力が抜けた。
──ルシーは、自分をかけた賭けに負けたのだ。
ルシーはクレマンに背を向けた。
「ルシー嬢、俺はあなたに約束できることは何一つない。ただ、あなたの信頼に報いるべく努力をする。そう誓おう」
その言葉は、ルシーに淡い期待を抱かせる。
(だけど、どうやって?)
そう考えるとその淡い期待は、粉々に崩れ去ってしまう。
(旦那様は、きっと努力はしてくれる。でも、実る可能性のない、無駄な努力だわ)
クレマンにそこまでしてもらう価値が、自分にあるとは思えなかった。
王家を敵に回してまで手に入れる価値など、ルシーにはない。
「行ってください」
ルシーの言葉に、返答はなかった。
ルシーは、朝陽がその頬を照らすまで、クレマンのマントを羽織ったまま、じっと立ち尽くしていた。
偽物の王女ベアトリスがルシーを呼びつけたのは、その日の昼のことだった。




