16. それはルシーなのだから
第二王子アルチュール・ド・モンテリューは苛立ちも露わに王宮の廊下を闊歩し、国王と王太子が待つ応接室へと向かっていた。
彼の苛立ちは、一月半前の王宮舞踏会以来、ずっと続いている。
理由はわかり切っている。
ランベール公クレマンの隣にいた、宵闇の妖精といわれる、ルシー・デュボワに心を奪われてしまったからだ。
(くそっ。なんで俺は、今まで側妃の話を蹴っていたんだ!)
第二王子妃が体を壊してから、アルチュールには、幾度か側妃をとる話が持ちあがっていた。
しかし、側妃に縛られるのが嫌でずっと断り続けていたのだ。
自由恋愛の方が自由がきくし、飽きたらあとくされなく別れられるし、ずっとよいと思っていた。
けれど、そんな考えは、ルシーの姿を目にしてすぐに吹き飛んでしまった。
濡れ羽色の髪と妖しい朱唇、折れそうな腰と対比するような豊かな胸、儚げにみせて、実は声すらもなまめかしい。
自分の求める理想の女性を具現化したらこうなるのだろうと思う全てが詰まった女性だった。
魔力婚姻法は、男性は二十歳、女性は十七歳になると、男性は爵位が高い順に、女性は魔力が高い順に婚約者が国によって決められる。
王族であるアルチュールは、側妃をとるならばその年の婚姻に割り込むことができたのだ。
側妃をとりたいと言ったら、間違いなく、自分がルシー・デュボワを手に入れられたのだ。
自らそのチャンスを棒に振ってしまったという事実にイラつき、一時は強引に彼女を自分のものにしてしまおうかとも思ったが、父と兄に厳しく叱責され諦めた。
彼女と楽しむためには、義務を果たした後の自由恋愛を待つしかない。
彼女が義務を果たし終える数年は待とうと思えるほどには、彼女が心から離れなかった。
それなのに。
(何だこの話は!)
アルチュールの元に、突如、側妃を娶るという話が持ち上がったのだ。
それも相手は亡命してきた十七歳の王女だという。
アルチュールは、ノックもせずに王と王太子が待つという応接室の扉を開けた。
驚いてこちらを見る顔の中に、波打つ黒髪の見知らぬ女性の顔を見つけて、よけい苦々しく思う。
少し幼い、愛らしい顔立ちの女だった。体つきも貧弱だ。
女性的な体つきと醸し出す色香が、ルシーとは全く違う。
彼の好みとはかけ離れていた。
この国は、義務を果たした後の自由恋愛には寛容だ。
逆に言うと、義務を果たす──子どもが生まれるまでは、自由恋愛は許されないのだ。
相手が亡命した元王女となればなおさらだろう。
少なくとも、父と兄はアルチュールにそれを強要するだろう。
「アルチュール、紹介しよう、彼女が今回亡命を申し入れてくださった、ベアトリス・フロレンシア王女だ」
「元王女です。王太子殿下」
「あなたを王女と呼ぶのは、我々の敬意の表れです。そう呼ばせてください。王女、彼が第二王子のアルチュールです」
王太子である兄の甘い顔に余計に腹が立つ。
にらむように見下ろすアルチュールに、王女は怯えるでもなく困ったような笑みを浮かべた。
どかっと王太子の脇に腰を下ろすアルチュールに、王太子はたしなめるような顔をする。
「ベアトリス王女。先ほども話したが、この国に亡命するのであれば、法に従ってもらわねばならぬ。この国の王族・貴族女性は、十七になると魔力婚姻法に基づき結婚することが義務付けられている」
「アルチュールも結婚しているのですが、正妃が体を壊しているため側妃の擁立を考えていたところでした」
「父上、兄上、いささか乱暴すぎませんか? 俺に断りもなしに!」
本人の前だろうと関係なかった。
(こじれて王女から拒否されればむしろ万々歳だ)
「貴方もだ、ベアトリス王女。魔力婚姻法では、王族の婚姻は国一番の魔力保持者と決まっている。失礼ながらベアトリス嬢は、この国一番の魔力を持っていらっしゃるのですか?」
「アルチュール!」
けれど、アルチュールの悪意を、ベアトリスは平然と受け止めてみせた。
「いいえ、第二王子殿下のご懸念ももっともですわ。ぜひ、私の魔力測定をなさってください。私もかつて王女と言われた身。この身に宿す魔力の大きさを疑われたままではいられません」
その後は、スムーズだった。
黒いローブですっぽりと顔を覆った魔力測定官が、魔力測定装置を準備し、ベアトリスの魔力が測定された。
「いかがでしょう?」
「これは……」
魔力測定装置は、魔力が多ければ多いほど明るく光り輝く。
謁見の間がまばゆい光で包まれ、ベアトリスは得意げにほほ笑んだ。
その顔がアルチュールの癇に障る。
けれど、魔力測定官の次の一言で場が凍る。
「これほどの魔力は、ルシー・デュボワ嬢以来です」
アルチュールは、にっと笑みを浮かべると王に向かってこう告げる。
「陛下。女性の魔力は増え続けるもの。今一度ルシー・デュボワの魔力も測るべきでしょう。もし、ベアトリス王女の魔力が国一番と証明されれば、私も婚姻を受け入れます。しかし、もしルシー嬢の方が魔力が大きければ、法に則り、私の側妃にはルシー嬢、ランベール公爵夫人にベアトリス王女を据えるのが妥当でしょう」
「私は構いませんわ。その方が皆様にもご納得いただけるでしょうから」
ベアトリスは、自身に満ちた声でそう答えた。
◇◇◇◇◇
フロレンシア王国の元王女ベアトリス。
それが、王族のいる壇上からルシーとクレマンを見下ろす、波打つ黒髪のあどけない顔をした女性の名前だった。
王太子により、彼女の生い立ちとこれからルシーの魔力測定を行う理由が説明される。
突然の展開にルシーは戸惑う。
説明の意味はわかったが、それが引き起こす結果を自分のこととしてとらえることは難しかった。
(もし、私の魔力の方が大きかったら、私は旦那様ではなく第二王子に嫁ぐことになるの?)
ルシーは、ここ最近ずっとランベール公爵家に滞在していた。
昨夜も遅くまで、クレマンと結婚式の準備をしていた。
招待客の選定、席順、会場の飾りつけを決めたり、楽団を手配したり。
平民のレアも招待したいと言ったら「当然だ」と言ってくれたことが、どれほどうれしかったか。
クレマンとレアもすでに「お義兄さま」「レア」と呼び合うほどに仲がいい。
ルシーは、王女から視線を外し、王家の面々に視線を向けた。
第二王子の獲物を見るような視線で、ようやく自分の立場に気付く。
ざっと血の気が引いていく。
「いや、いやです」
「ルシー嬢、落ち着け」
「だって」
「……王命だ」
その言葉に、ルシーは、ピタリと動きを止めた。
王国の一臣下として、その言葉に逆らうことなどできるはずがなかった。
魔力測定官によって、魔力測定装置が運ばれ準備が行われる。
魔塔に所属する彼らは、人前に出るときは一様に黒いローブを深くかぶっている。
ルシーがその装置を使うのは、昨年魔力婚のために測定が行われて以来だ。
魔力の大きさは、装置の前で偽ることはできない。
自分の魔力が恐ろしく思ったのは初めてだった。
そして、それと同時に、この状況に自分たちを追いやった王女ベアトリス。
彼女の存在が不可解でならなかった。
ルシーは、壇上のベアトリスの顔を見上げる。
「ルシーさん、とおっしゃいましたね。ご不安に感じるかもしれませんが、問題ありませんわ。これは形式的なものです。お二人のご結婚が覆ることはありませんわ。私は魔法大国フロレンシアの元王女です。魔力の大きさでは誰にも負けませんもの」
無邪気に、あどけなく、自信に満ち溢れた表情でルシーを見下ろす。
ともすれば、傲慢とも映るほどに。
彼女の存在の不条理さに、この場ではただ一人、ルシーだけが気づいていた。
(だって、違う)
彼女が王女なのは、ありえないのだ。
旧フロレンシア王国。
十年前に王宮から逃げだした王女。
それは、ルシーなのだから──。




