第7話 第二階層――裏切った方が損をする
三流どもから奪い取った粗製コアの残骸は、存外に良い燃料となった。
魔力炉から生み出された莫大な予算をつぎ込み、俺は自身のダンジョンをさらに深くへと拡張した。第二階層の完成である。
これまでの第一階層で、俺は人間どもの肉体やステータス、あるいは反射神経や検証といった小賢しい技術を徹底的にメタに回る罠を構築してきた。だが、奴らは配信という外部ツールを使い、他人の死すらも攻略の足がかりにして熱狂している。
「肉体的な苦痛や死への恐怖が薄いのなら、今度は精神をへし折るまでだ」
人間という生き物の最も醜い部分。それは『強欲さ』と『他者への疑心暗鬼』だ。
俺は第二階層のメインギミックとして、二人一組のパーティーでなければ決して扉が開かない『分離ルート』を設計した。
ルールは簡単だ。部屋に入った二人は、それぞれ左右の完全に隔離された通路へと分断される。分厚い石壁に阻まれ、互いの姿を見ることはできない。唯一繋がっているのは、壁に開いた小さな通音管による音声だけだ。
俺は玉座で足を組み、監視水晶に映る二つの部屋を見下ろしてほくそ笑んだ。
「さて、人間どもの見苦しい共食いを見せてもらおう」
監視水晶には、中堅どころの探索者ペアが映し出されていた。
彼らは分断されたそれぞれの部屋の中央に進み出る。
それぞれの部屋には、豪奢な宝箱と、その横に目立つスイッチが一つずつ配置されている。
『おい、こっちに宝箱があるぞ!』
『マジか! こっちにもある! なんだこれ、ボーナス部屋か?』
通音管越しに二人の声が響く。だが、部屋の入り口に刻まれた古代文字には、こう警告が記されている。
『先にスイッチを押した者に富を与え、道を開く。遅れをとった者には死の霧を』
どちらかがスイッチを押せば、押した方は宝箱の中身を独占して次の階層へ進めるが、もう片方の部屋には致死性の毒ガスが充満する。……そのように『見せかけた』罠だ。
これが俺の仕掛けた、皮肉と悪意の極致である。
実際には、欲に目が眩んでどちらか片方がスイッチを押した瞬間、両方の部屋に毒ガスが充満し、二人は共倒れとなって死に戻る。
この罠の真の正解は、壁越しに互いの部屋の構造を音声で伝え合うことだ。
右の部屋の壁画には竜の右目が、左の部屋の壁画には竜の左目が描かれている。それぞれの絵に隠された真のスイッチを探し出し、互いに声を掛け合って『同時に』押さなければ、真の出口は開かない。
「さあ、どうする? 相手が先に欲を出してスイッチを押せば、自分は死ぬ。疑心暗鬼に駆られ、己だけが助かろうと愚かなスイッチに手を伸ばすがいい」
裏切ったつもりが、自分も相手も死ぬ。その絶望と、死に戻った後の責任の擦り付け合いによる人間関係の崩壊。それこそが俺の狙いだ。
しかし。
『……って書いてあるんだけど、お前どう思う?』
『いや、罠だろ絶対。あの神運営が、こんな単純な二択で得をさせるわけがない』
通音管から聞こえてきたのは、俺の期待した疑心暗鬼の声ではなく、極めて冷静な分析だった。
『ちょっと待って、コメント欄見るわ』
左の部屋の男が、空中に配信用のウィンドウを展開する。右の部屋の男も同じ動作をした。
彼らはなんと、配信ツールの画面共有機能と、視聴者のコメントを介して、互いの部屋の様子を視覚的に共有し始めたのだ。
『お前んとこの壁画、なんか不自然に竜の目が凹んでねえか?』
『あ、ほんとだ。コメントでも言われてるわ。「右の部屋と壁画が対になってる」って』
『なるほどな。情報共有しないと詰むギミックか』
「……なっ」
俺は玉座から身を乗り出した。
なんだその通信機器は。音声しか通らない隔離空間の非対称性を、外部のネットワークと数万人の視聴者の目を使ってあっさりと埋めやがった。
『これ、片方が欲張って宝箱のスイッチ押したら、絶対両方とも毒ガス噴き出して死ぬやつだぜ』
『間違いねえ。あの運営、理不尽には殺さないけど、浅ましいプレイをした奴には容赦ないからな』
「貴様ら……!」
なぜだ。なぜ俺の悪意を、そんな『公平で厳格なルール』のように信頼しきっている。
彼らは互いの部屋の壁画の前に立ち、通音管越しに声を掛け合った。
『よし、準備いいか? せーの、で同時に押すぞ』
『おう。……さん、に、いち、せーのっ!』
カチリ、カチリ。
二つの隠しスイッチが寸分の狂いもなく同時に押し込まれる。
ゴゴゴゴゴ……という重低音と共に、宝箱と偽のスイッチが床下へと沈み込み、代わりに正面の壁が割れて真の出口へと続く通路が現れた。
『っしゃあ! 抜けたぜ!』
『ナイス連携!』
二人は壁越しに歓声を上げ、意気揚々と奥へと進んでいった。
監視室の壁に投影されたコメント欄は、かつてないほどの好意的な熱狂に包まれていた。
『おおお! マジで連携ギミックじゃん!』
『運営からの最高の協力テストだなこれ』
『欲張ったら即死、協力すれば道が開く。これぞ最高の絆チェッカーだわ』
『ギスギスオンラインにならなくて神』
「…………」
俺は、無言で顔を覆った。
なぜだ。人間は利己的で、愚かで、他者を蹴落とすことに喜びを見出す生き物ではなかったのか。
なぜ俺が殺意を込めて作った罠が、見知らぬ者同士の絆を深めるためのエンターテインメントとして消費されているのだ。
『マスターに報告。第二階層の突破率が想定を大きく上回っています』
NAVIが淡々と告げる。
「言われなくても分かっている。……忌々しい。奴らは俺の迷宮の文法を理解し始めている」
単なる罠では、もはや奴らを絶望させることはできない。
物理的な難易度と、それを越えるための思考。その両方をさらに高い次元へと引き上げなければ、この屈辱を雪ぐことは不可能だ。
『マスター。付随して、特定個体たちの動向に変化が見られます』
俺が不貞腐れて玉座に沈み込んでいると、NAVIが三つの小さなウィンドウを空中に展開した。
映し出されたのは、黒瀬迅、天城レイナ、そして鬼塚豪の三人の現在の様子だった。
彼らはそれぞれ自分の部屋や拠点で、今の第二階層の『協力ギミック』の配信映像を眺めていた。
いつもなら「次は俺が破ってやる」と単身で乗り込んでくるはずの彼らが、今はただ静かに画面を見つめている。
『迅のコメント履歴を解析。彼は「俺の解析速度だけでは、相方の操作をカバーしきれない」と発言しています』
『レイナは「私の速度についてこられる相手じゃないと、同時ギミックで死ぬ」と』
『豪は「俺が罠を耐えて見つけても、解ける奴がいなきゃ意味がない」と分析しています』
彼らは、気づいたのだ。
個人の特化スキル――解析、突破、検証。それらがいかに優れていようとも、これほどまでに複雑化し、協力を強要する悪意の迷宮を、たった一人で踏破することは不可能であるという事実に。
「……なるほど。少しは己の限界というものを悟ったか」
俺は口角を吊り上げた。
だが、NAVIが読み上げた彼らの次の行動は、俺の僅かな優越感を再び打ち砕いた。
迅が、自身の端末から特定の宛先へとメッセージを送信する。
レイナが、それを読んで不敵な笑みを浮かべ、返信を打ち込む。
豪が、重い大盾を背負い直しながら、力強く頷く。
彼らはそれぞれ、画面越しに「あいつら」の姿を思い浮かべていた。
かつて第一階層の理不尽を、それぞれの狂気で生き抜いた同類たち。
『……あの三人なら。あいつらと組めば、この運営の最奥へ届く』
言葉を交わしたわけではない。だが、配信の映像と己の限界という事実が、彼ら三人を決定的に結びつけていた。
「……群れるか。弱者の生存戦略だな」
俺は玉座の肘掛けを指先で叩いた。
一匹ずつでは死ぬと悟り、徒党を組んで俺の首を狙いに来るというのなら、受けて立とうではないか。
「ならば、俺も本気で殺しに行かせてもらう。貴様らが束になろうと絶対に越えられない、究極の絶望を盤面に並べてやる」
かつてない闘争心と共に、俺は最強の三人組を迎え撃つための準備を始めた。




