第6話 ダンジョン乗っ取り(物理)
「……吐き気がするな」
隣県に位置する廃工場跡地。その地下に口を開けた自然発生型ダンジョンの内部へと足を踏み入れた瞬間、俺は思わず眉間を揉んだ。
空気が澱んでいるのは、換気機構の設計ミスだ。通路の幅と天井の高さの比率も素人じみており、何より壁から滲み出すマナの質が酷く濁っている。
俺がダンジョンコアの『コア決闘権限』を行使して直接乗り込んできたこの場所は、数日前に粗悪なコアが根付いたばかりの小規模な迷宮だった。
『マスター。当該ダンジョンの深部にて、地球の探索者クランによる不法な占拠と、初心者からの搾取行為を確認しました』
脳内に響くNAVIの報告を聞くまでもない。少し歩いただけで、この空間がどう使われているかは一目瞭然だった。
通路の先には、足を踏み入れた瞬間に天井が崩落し、回避不能の落とし穴へと対象を叩き落とす単純な部屋が用意されていた。逃げ道も、予兆となるヒントも一切ない。ただ入ってきた者を機械的に殺し、所持していた装備やマナを回収するためだけに作られた『ゴミ箱』だ。
「これを設計した馬鹿は、罠という言葉の定義から学び直すべきだな」
俺はため息をつき、静かに歩みを進めた。
逃げ道のない罠は罠ではない。ただの処刑装置だ。そんなものは、プレイヤーを絶望させるどころか、理不尽な死という単調な作業を強いるだけで終わる。
俺の美学に対する、許しがたい冒涜だった。
「おい、誰だてめえ!」
処刑部屋の奥にある監視拠点から、下品な怒声が響いた。
揃いの革鎧を着た数人の男たちが、武器を構えて飛び出してくる。この粗悪な迷宮を私物化し、初心者狩りを行っていた悪質クランの連中だ。
「部外者立入禁止だっつってんだろ! 死にたくなきゃ装備置いてさっさと――」
「喚くな、三流」
俺は立ち止まることなく、処刑部屋の中央へと足を踏み入れた。
「あ? 上等だ、やっちまえ!」
男の一人が手元の魔力スイッチを乱暴に叩く。
ガコンッ、という鈍い音と共に、俺の頭上の天井が崩落を始めた。同時に、四方の壁から無数の毒矢が射出され、逃げ場のない死の雨が降り注ぐ。彼らが初心者を虐殺してきた、不可避の処刑ギミックだ。
だが、俺は歩幅を変えることすらなく、ただ右手を軽く壁に伸ばした。
壁の一部、不自然に出っ張っていた煉瓦を指先でトン、と押し込む。
――バツンッ!
くぐもった破裂音と共に、部屋中の魔力供給が完全にショートした。
崩落しかけていた天井は空中でピタリと静止し、射出された毒矢は推進力を失って俺の足元へとボロボロとこぼれ落ちた。
「なっ……!?」
男たちが目を剥いて硬直する。
「魔力供給の導線が剥き出しだ。動力炉から末端のギミックまでの経由点に、フェイルセーフの分散回路すら組まれていない。一つの結節点を断たれただけで全機能が停止するとは……三流以下の手仕事だな」
俺は床に落ちた毒矢を靴底で踏み砕きながら、冷酷な事実を突きつけた。
「お前たちが頼みにしていた処刑装置は、ただの鉄屑だ」
「ふ、ふざけんな! 罠がダメなら直接ぶっ殺すまでだ!」
リーダー格の男が激昂し、大剣を振り被って突進してくる。それに呼応して、周囲の十数人のメンバーも一斉に武器を構えて殺到した。
魔法、矢、剣撃。殺意の込められた暴力が、四方八方から俺へと迫る。
だが、遅すぎる。
俺は魔王軍の首席罠師であると同時に、迷宮参謀として幾多の戦場を潜り抜けてきた最高幹部の一人だ。勇者という規格外の化け物を除けば、力任せに振り回されるだけの刃など、止まって見える。
俺は大剣を振り下ろしてくる男に向かって、半歩だけスッと前へ出た。
空間の死角。男の力積が最も手薄になる懐へと滑り込み、振り下ろされる刃の側面を指の背で軽く弾く。
「っ!?」
ほんの僅かな軌道のズレが、男の全力の踏み込みと噛み合い、彼自身のバランスを致命的に崩させた。
前のめりに倒れ込む男の顎を、俺は下から蹴り上げた石ころ一つで正確に打ち抜く。
ゴッ、と鈍い音がして、リーダー格の巨体が白目を剥いて崩れ落ちた。
「ひっ……!」
「化け物かよ……!」
怯むクランのメンバーたち。
俺は自ら攻撃を仕掛けるまでもない。彼らが放つ魔法の射線を見切り、別のメンバーの死角へと歩を進める。結果として、彼らが放った火炎や電撃は、同士討ちとなって次々と仲間を焼き焦がしていった。
空間の把握。敵の心理の誘導。そして、重心の制御。
戦闘そのものを一つの『動的な罠』として構築する。それが、俺の物理戦闘の基本だ。
ものの三十秒。
俺が指一本も汚すことなく、粗製ダンジョンを支配していたクランのメンバーは全員、骨折と打撲に呻きながら床に転がっていた。
「頼みとするシステムが壊れた途端、ただの烏合の衆か。……お前たちは弱すぎる。絶望させる価値すらない」
俺は彼らに一瞥もくれず、迷宮の最深部へと向かった。
薄暗い最深部の部屋。
そこには、俺のダンジョンのコアとは比べ物にならないほど濁り、脈動のリズムも不規則な、赤い水晶体――粗製ダンジョンコアが浮かんでいた。
「こんなものを迷宮と呼ぶなど、俺の誇りが許さん」
俺は無造作にコアへと手を伸ばし、表面に触れた。
ダンジョンマスターとしての権限を直接叩き込み、このコアの所有権を強引に上書きする。ピシッ、とコアの表面に亀裂が入り、赤い光が急速に失われていく。
完全に停止し、持ち運び可能なサイズの結晶へと圧縮されていく、その瞬間だった。
――ジジッ。
砕け散るコアの中心から、一瞬だけ真っ黒な光が走った。
視界の端にノイズのように焼き付いたそれは、地球のダンジョンシステムには存在しないはずの、どことなく『魔界の呪詛』に似た配列コードの残滓だった。
「……ん?」
俺が訝しげに目を細めた直後、NAVIの音声が脳内に響いた。
『マスター。粗製コアの強制停止に伴い、構造データの一部に致命的な破損が生じました。先ほどの視覚的ノイズは、破損したエラーコードが一時的に魔界式の波形と類似して出力されたものと仮判定します。重要度は極小です』
「……だろうな」
俺はすぐに興味を失い、手のひらに収まった結晶の欠片をポケットに放り込んだ。
「こんな三流が作ったガラクタだ。壊れる時の断末魔まで見苦しい」
俺のダンジョンに、外部からの能動的な干渉などあり得るはずがない。それは単なるシステム上の偶然のバグに過ぎないと、この時の俺は合理的に切り捨てていた。
数十分後。
俺は自身のダンジョンの玉座へと帰還し、回収した粗製コアの残骸を迷宮の魔力炉へと放り込んだ。
莫大なマナが還元され、俺のダンジョンの階層拡張予算がさらに潤沢になる。
「質の低い殺戮など見たくもない」
俺は玉座に座り、設計盤を引き寄せた。
あの粗悪な落とし穴や、絶望の欠片もない処刑装置を見たせいで、罠師としての創作意欲が逆に沸騰していた。
「俺が求めているのは、あんな虫けらどもの悲鳴ではない。理不尽に抗い、完璧な回避行動を取り、それでも俺の掌の上で踊らされていたと知った時の……才能ある人間の絶望だ」
脳裏に浮かぶのは、0.12秒の隙間を完璧にすり抜けた黒瀬迅。
環境デバフすらも己の武器に変え、物理でボスを粉砕した天城レイナ。
そして、己の命を削って後続に安全な道を示した狂人、鬼塚豪。
「貴様らのような特異個体を、完全に屈服させるための地獄を組んでやる」
個人の力では絶対に突破できない。
他者への信頼と、自己の欲望が相反する極限の心理罠。
俺は口元に冷酷な笑みを浮かべながら、第二階層のメインギミックとなる『協力型・裏切り迷宮』の設計図に、自らの殺意を書き込み始めた。




