第49話 神運営の最終罠
真紅の起動盤へ、俺は掌を置いた。
「最後だ。選べ、グラズ」
魔力が走り、床と壁が組み替わる。俺と奴の間に、三本の回廊が生まれた。
右は、酸と物理刃の密集路。
左は、高密度の雷管路。
中央は、俺の玉座へ一直線の短い通路。
『選択。無駄な工程だ』
グラズの魔眼が全経路を走査する。
『右、突破に八・四秒。左、九・一秒。中央、魔力罠反応なし。到達五・二秒』
『お前は必ず、生存可能な道を残す。ならば中央がその道だ。罠であろうと突破口がある以上、そこを最短で踏み抜けばいい』
グラズは、自分が俺の設計思想を読み切っていると確信したうえで、迷いなく中央へ向く。
迅が足元を見て、低く笑った。
『……魔力反応がないから安全? 俺、一回それで「浮いた石板」に殺されてるんだよ』
レイナも中央の入口を指した。
『粉塵、そこだけ流れてない。運営さんが本当に何もしてない通路って、逆に一番気持ち悪い』
豪が盾の縁で床を軽く叩く。
『音も返ってこねえ。あと、あの人は何度も「進むより止まる方が正解」の罠を置いてきた。これは速さじゃなく、戻れるかを見る部屋だ』
そう。
中央は「安全に見える」だけではない。
入口の境界には三ミリの溝があり、向こう側だけ空気が流れていない。薄い粉塵は溝の手前で止まり、声を投げても反響が死ぬ。
魔力を遮断する高密度素材で空間を包んだ結果として生じる、消せない物理的な予兆だ。
『些末な物理差。致死機構の魔力反応はない』
グラズは切り捨てた。
戦場なら正しい。
五秒で司令官を殺せる道の前で、床の埃を調べる理由などない。
だから、俺はそこへ選択を置いた。
グラズが中央へ踏み込む。
背後の床に、赤い線が灯った。
『前進に伴い圧力上昇。退避弁、入口側』
小さな表示。
さらに右壁から、金属製の解除レバーがせり出す。
走り続ければ圧力は上がる。
引き返してレバーを下げれば、中央通路は開放される。ただし、その時点で俺への最短到達は失われ、左右の回廊へ戻ることになる。
『警告を読んだ上で進むか』
俺は尋ねた。
『当然だ』
グラズは速度を落とさない。
『五・二秒で貴様を殺せば、圧力が致死域へ達する前に終わる』
「その答えを待っていた」
一歩ごとに、中央通路の空気が重くなる。
装甲が軋む。
それでもグラズは前へ出る。
退くという選択は、奴の目的関数には存在しない。
『圧力上昇率、想定を超過――』
初めてグラズが足を止めた。
「俺が人間どもへ何度教えたと思う」
俺は玉座から見下ろす。
「表示は疑え。だが、現物を見ろ。進むことだけが攻略ではない。死ぬ前に一歩戻るのも選択だ」
グラズが振り返る。
入口側の退避レバーは、まだ見えている。
ここで戻れば生きる。
だが戻った瞬間、迅たちが右と左のルートから先回りし、俺の防衛線は再構築される。
任務達成率は落ちる。
『……前進を継続する』
グラズは選んだ。
愚かだからではない。
戦争兵器として、撤退より目標達成を優先した。
その合理性こそが、ここでは死因になる。
「なら、その選択の代償を払え」
俺が盤面を押す。
中央通路を包む高密度素材が、前進量に応じて機械的に圧縮を始めた。
魔力を使わない。だから魔眼では罠として拾いにくい。
だが粉塵、空気、反響、溝、警告、退避レバー。見るべきものは最初から全部あった。
『ルーク……!』
重装甲がひしゃげる。
グラズはなお前へ出ようとする。
『敵へ学習機会を与える設計など、戦争では欠陥だ!』
「その通りだ」
俺は笑った。
「だからこれは戦争ではない。俺の迷宮だ」
圧力が限界へ達する直前、NAVIが冷静に告げる。
『対象、退避可能時間残り0.8秒』
最後まで、逃げ道はある。
グラズはレバーを見た。
そして俺を見た。
『任務を継続する』
「――そうか」
轟音。
中央通路が収束する。
漆黒の装甲が砕け、グラズの本体が光の塵へ変わった。
逃げ道を奪われたのではない。
逃げ道を価値のないものとして、自分で捨てた。
しばしの静寂。
『マスター。グラズ本体の消滅を確認。マスターキーのリンクを通じ、地球上の未同期コア群が自壊プロセスへ移行します』
世界地図から、赤紫の光が一つずつ消えていく。
『うおおおおおっ!』
双方向回線が戻った瞬間、数千万件規模のコメントが雪崩れ込んだ。
『最後まで逃げ道あったのかよ!』
『退けば助かったのに、最短ルート選び続けて死んだ!』
『神運営の性格悪すぎて最高』
『世界救った罠が「一歩戻れ」なの美しすぎる』
『投げ銭受け取れえええ!』
「…………」
俺は額を押さえた。
世界を救ったつもりなどない。
俺の盤面へ土足で上がった元上司へ、罠師として勝っただけだ。
『おい、神運営』
迅が血まみれの手を差し出す。
『最高のゲームだった』
「ゲームではない」
『はいはい』
レイナが笑い、豪まで豪快に笑った。
俺は差し出された手を睨みつけた。
そして握らず、乱暴に払いのけた。
「次は貴様らの番だ。今の罠を見て安心するな。もっと性格の悪いものを作る」
『マジ?』
三人の目が、一斉に輝いた。
「……なぜ喜ぶ!」




