第48話 逃げ道を残したのは、お前だ
グラズは、俺が残した0.1秒の安全帯を一直線に抜け、その勢いのまま俺の首へ腕を振り下ろした。
外の防衛線から制御室まで繋がる、唯一の進入路。俺自身が残した道だ。
今の俺に、その一撃を正面から止める余力はない。
刃が首筋へ届く、そのコンマ数秒前。
――ガギィィィィィィィンッ!!!
玉座の間(制御室)の空気を震わせる、けたたましい金属の衝突音。
だが、それは俺の首が飛ぶ音でも、俺の長剣が砕ける音でもなかった。
『チッ……!』
グラズが微かに舌打ちをし、その巨体が後方へと大きく弾き飛ばされたのだ。
俺の目の前、俺とグラズの間に割って入った巨大な影。
ボロボロにひび割れた大盾を地面に突き立て、全身から血を流しながらも、凶悪なまでの笑みを浮かべて立つ男。鬼塚豪。
『お、遅ぇよ神運営! ギリギリじゃねえか!』
さらに、豪の背後から赤い流星となって飛び出した天城レイナが、後退するグラズの体勢を崩すべく、その足元の関節に向けて双剣を叩き込む。
『おらァッ! よそ見してんなよデカブツ!』
そして。
グラズがレイナの攻撃を弾こうと意識を下へ向けた瞬間、奴の背後の死角から、音もなく黒瀬迅が躍り出た。
『シッ!』
迅の短剣が、グラズの首元の装甲の隙間――最も脆弱なジョイント部分を的確に穿ち、浅くないダメージを刻み込んだ。
『……貴様ら』
グラズは腕を振るって迅たちを距離を取り、顔のない兜の奥で驚愕の光を瞬かせた。
『なぜ人間がここにいる。途中の防衛機構はどうした。外部の未同期コアの対処に当たっていたはずの貴様らが、この最深部へ到達するには時間が早すぎる』
グラズの計算において、人間という脆弱な兵器が、俺の仕掛けた殺戮の嵐を抜けてここまで来ることは絶対に不可能だったはずなのだ。
俺は膝をつき、長剣を杖にして立ち上がりながら、低く、しかし堪えきれない笑い声を漏らした。
「……遅いぞ、ネズミども。あと0.1秒遅ければ、このゲームはゲームオーバーだったぞ」
『文句言うなよ、神運営』
迅が短剣についたグラズの魔力の残滓を払い、俺の前に立ってグラズを見据えながら言った。
『あんたが残した隠しルート、最速で走ってきてやったんだからよ』
迅は一度だけ、暗かった通路の方を振り返った。
『それにNAVIが落ちてからも、災害用の単線から座標だけ飛んできてた。送り主の名前なんか出てなかったけどな』
口角を上げる。
『あんな性格の悪い安置の示し方をする奴、考えなくても一人しかいねえ』
「……余計な推理をするな」
『誰にも見えてなくても、あんたは道を残す。そこだけは最初から信用してたよ』
「隠しルートだと?」
グラズの声が、初めて苛立ちを含んだ。
『そうだ』迅が不敵に嗤う。『神運営の罠には、必ず、絶対に避けられる正解ルートがある。俺たちはそれを信じて、あんたと同じ一本を走ってきただけだ』
グラズが俺を殺すために抜けた安全帯と、迅たちが俺を助けるために抜けた道は、最初から同じ一本だった。
奴には「設計上の穴」に見え、人間たちには「進めという道標」に見えた。
同じ逃げ道を前にして、意味だけが正反対だった。
「……聞いたか、グラズ」
俺は血に濡れた口元を歪め、かつての上官に向かって言い放った。
「俺の罠の『逃げ道』は、貴様のような三流が通り抜けるための欠陥ではない」
俺は長剣を構え直し、迅たちの横に並び立った。
「俺が手塩にかけて育てた獲物たちが、俺の殺意を読み解き、乗り越え、俺のもとへ辿り着くための『対話』だ。……学習と選択を無駄だと切り捨てた貴様には、この連中が俺の引いた道をどれほどの速度で踏み破ってくるか、一生計算できまい」
『脅威評価を更新。人間三名を、ルークと同列の優先排除対象へ変更する』
グラズは驚愕を即座に演算へ変えた。
感情で崩れたのではない。俺たち四人を同時に潰すのが最短だと判断し、空間圧縮へ処理を切り替えたのだ。
だが、迅、レイナ、豪の三人が、言葉を交わすことなく完璧な連携で同時に動いた。
豪が突進してグラズの魔法の発動モーションを物理的に妨害し、レイナが死角から手数を叩き込んで奴の集中を乱す。そして迅が、俺が刻んだ即席罠の軌道を利用して、グラズの装甲を一枚ずつ確実に削ぎ落としていく。
人間たちの予想外の猛攻と、俺の罠の連鎖の前に、グラズはついに防戦へと回らざるを得なくなった。
――そして、グラズの意識が人間たちの迎撃に向けられた、その時だった。
俺のダンジョンコア(NAVI)へと向けられていた、電子ハッキングの集中がプツリと途切れた。
カチッ、カチッ、カチッ。
真っ暗だった制御室に、次々と照明が戻っていく。
沈黙していたメインコンソールに青白い光が灯り、周囲のモニター群が、世界中の光景と、数千万規模の同接数を一斉に表示し始めた。
『――システムの再起動完了。当コアの絶対防衛圏、完全復旧しました』
制御室に、無機質で、だが俺にとっては何よりも頼もしい音声が復活した。
『マスター、お待たせいたしました』
「……遅刻だぞ、相棒」
『復旧保留通信を一件。安全監査官・柏木より』
一瞬だけ、行政回線の音声が割り込んだ。
『災害用一方通行回線の送信ログを全件保全しました。現場の退避成功時刻と一致しています。行政記録上、救助誘導として扱います』
「違う。攻略情報を送っただけだ」
『その反論も記録しておきます』
ブツン、と通信が切れた。
「……あの女まで話が通じなくなったか」
俺は左腰のツールベルトへ手を添えた。
グラズが人間たちを振り払い、体勢を立て直して圧倒的な魔力を再収束させる。だが、俺の顔にもう焦りはない。外部の眼(視聴者)と、相棒(NAVI)が戻ってきた。俺は完全なダンジョンマスターとして、盤面の中心に帰還したのだ。
『マスター。最終防衛システム、最後の罠の起動権限をマスターへ返還します』
NAVIの言葉と共に、俺の目の前に赤い起動ルーンが浮かび上がる。
「さあ、引導を渡してやろう」
俺は迅たちと視線を交わし、凶悪な笑みを浮かべた。
「俺とこいつらの、最高の芸術でな」




