第47話 元上司を殺す方法
吹き飛ばされた分厚い石の扉。
舞い散る瓦礫と土煙の向こう側から、身の丈をゆうに超える漆黒の重装甲を纏った巨躯が、地響きのような足音を立てて制御室へと足を踏み入れた。
かつての魔王軍において、俺の最大の理解者であり、同時に相容れない対立者であった男。
迷宮局長、グラズ。
『……無様なものだな、ルーク』
顔のない兜の奥で冷たい魔眼を光らせ、グラズの本体は俺を睥睨した。
『自らの兵器(迷宮)に無駄な遊びを持たせた結果、私の電子戦に対応できず、全てを失って玉座の暗闇で震えていたか』
「ふん。相変わらず、ノックの作法も知らない野蛮人め」
俺は魔王軍首席罠師としての漆黒の戦闘外套を翻し、抜き放った長剣を正眼に構えた。
「外部の雑音が消えて、むしろ清々しているところだ。これで俺は、ここでお前の首を物理的に落とすことに専念できる」
交渉の余地はない。
グラズは俺の言葉が終わるのすら待たず、装甲に覆われた右腕を無造作に振り上げた。
――ズガァァァァァンッ!!
一切の魔力収束の予兆もなく、極度に圧縮された空間の弾丸が全方位から俺を圧殺しようと襲い掛かってくる。
息を吸うように命を刈り取る、戦争兵器としての純然たる暴力。
「チッ……!」
俺は長剣に俺自身の黒い魔力を這わせ、大気を叩き斬るように剣を振り抜き、迫り来る見えない圧死の弾丸を力業で斬り裂いて軌道を逸らす。
だが、グラズの攻撃は間断なく続く。数十、数百の不可避のレーザーが雨霰と降り注ぐ。
俺は単なる剣術の打ち合いでこの化物と正面から殴り合うつもりは毛頭なかった。
俺は『罠師』だ。
俺は長剣を振るいながら、グラズの猛攻を躱すための足捌きで、制御室の石の床に直接魔力ルーンを刻み込んでいった。
「俺の庭で、ただの暴力が最強だと思い上がるなよ」
ルーンが発火し、即席の『罠』が次々と構築されていく。
グラズの足元が突如として摩擦係数ゼロの『滑る毒液』に変化し、奴の体勢が僅かに崩れる。その頭上から、第一階層の『落下棘天井』の原型が凄まじい質量で降り注ぐ。
『小賢しい真似を』
グラズは顔を上げることもなく、全身から放つ魔力障壁だけで棘の天井を粉砕した。
だが、その粉砕した破片の死角から、俺が空中に張り巡らせた『不可視のワイヤー』がグラズの装甲の関節部に絡みつく。
『……物理線か』
奴の反応が、ほんの一拍だけ遅れた。グラズの魔眼は魔力の収束と術式には異常なほど鋭いが、魔力を切った鋼線や粉塵、空気の流れといった非魔力情報は脅威評価の優先順位が低い。戦場では誤差でしかないからだ。
「戦争の火力など、俺の設計盤の上では環境要因に過ぎん!」
グラズがワイヤーを引きちぎろうとした隙に、俺は空間に『魔力反射板』を隆起させ、奴が全方位に乱射していたレーザーの軌道を全てグラズ自身へと跳ね返した。
これまでの階層で、俺が探索者たちを絶望させ、教育してきた過去の罠の原型たち。
俺はそれらを自らの周囲に次々と展開し、複雑に連鎖させることで、グラズの圧倒的な物量攻撃を相殺し、反撃に転じていた。
だが。
「……ガッ!」
グラズの装甲を反射レーザーが焼き焦がした瞬間、俺の頬を、相殺しきれなかった熱線が浅く掠め、鮮血が飛んだ。
『どうした。お前の自慢の罠も、反応が鈍っているのではないか?』
グラズが、俺の構築した即席の罠の群れを、ただただ圧倒的な魔力と歩みで物理的にすり潰しながら前進してくる。
「……くそっ」
俺は奥歯を噛み締め、呼吸を荒げた。
通常であれば、これら数十の罠の複雑な連鎖制御は、相棒であるNAVIの超高速演算によって完璧にサポートされていた。
だが今は、俺の脳内だけで、グラズの攻撃を捌きながら、罠の起動タイミング、コンマ一秒のラグ、そして『逃げ道』の計算を全て並行処理しなければならない。
俺の魂にかかる負荷は、とうに限界を超えていた。
俺は、外で何が起きているか知る術もないまま、制御室の暗闇で血を吐きながら剣を振るい続けた。
『……無駄な足掻きだ、ルーク』
グラズは、俺の放った罠の包囲網を力ずくで突破しながら、冷酷な音声で分析を口にした。
『黒曜砦の時から、何も変わっていないな。お前は私を殺すための罠を張りながら、必ずどこかに「回避するための隙間」を残す。あの逃げ道は人間の斥候を生かし、我々の砦を落とした。それでもまだ、同じ欠陥を残すのか』
「……ハァ、ハァ……だから貴様は三流なのだ」
俺は額から流れる血を拭い、グラズを睨みつけた。
「逃げ道のない罠など、ただの壁だ。……理不尽に理を以て打ち勝つ余地のない暴力の押し付けに、罠師としての芸術はない」
俺は長剣を床に深く突き立て、残された全魔力を制御室の空間に注ぎ込んだ。
これが最後だ。
毒、棘、熱線、反射、空間圧縮。これまで俺が構築してきた全ての過去罠を、最高難易度で一つの空間に融合させた『最大最後の複合致死ギミック』。
発動すれば、いかなる重装甲を持とうとグラズを素粒子レベルでミンチにできる大罠だ。
「俺の美学で、貴様をここで処刑してやる!」
俺が最後の大罠を起動させた、その瞬間だった。
グラズは、回避行動をとるどころか、その巨体を真っ直ぐに俺の仕掛けた罠の「最も脆弱な部分」へと向けて、猛烈な速度で突進してきたのだ。
「……なに?」
俺は目を見開いた。
グラズが向かった先。そこは、最後の複合罠が制御室前の接続廊下まで呑み込んだ時にも、俺が一本だけ連続して残した『絶対に回避可能な0.1秒の安全帯』だった。
外の防衛線から俺の足元まで繋がる、殺傷判定の海を縫う唯一の進入路でもある。
『私がお前の欠陥に気付いていないとでも思ったか、ルーク』
グラズは冷酷に嗤った。
『お前の罠には、お前自身の美学ゆえに、必ず「逃げ道」が存在する。……戦争において、敵に選択肢を与えることの愚かさを、その命で学べ』
グラズは、俺が理不尽の免罪符として用意した予兆と安全地帯を完璧に逆算して利用し、大罠の幾重もの殺傷判定を完全にすり抜けた。
そして。
罠を無効化し、無防備になった俺の懐へと、死神のような速度で踏み込んできた。
『お前が美学と呼ぶその脆弱性が、貴様の命取りだ』
グラズの装甲腕が、俺の首を刎ね飛ばすべく、無慈悲な軌道で振り下ろされた。
罠師としての「必ず突破口を残す」という最大の設計思想。
俺自身が最も誇りとしていたそのルールが、最も合理的な敵によって最悪の形で逆利用され、俺は絶体絶命の死の淵へと叩き落とされたのだった。




