第46話 NAVIが黙った日
――プツン。
その小さな音を最後に、NAVIの声が消えた。
俺の玉座の間(制御室)を煌々と照らしていた無数のモニター群が、一斉に光を失った。激しく鳴り響いていた警告のサイレンすらも消え去り、底知れない暗闇と、耳鳴りがするほどの完全な静寂が空間を支配する。
「…………」
俺は暗闇の中で、機能停止して氷のように冷たくなったメインコンソールに、そっと手を触れた。
これまで俺の耳には、NAVIを通じて常に世界中の人間たちの声が届いていた。
『同時接続数、数百万突破』『観測熱が莫大に増加中』『神運営と讃えるコメントの嵐』。
俺の仕掛けた理不尽な悪意が、彼らの熱狂と称賛に変換される、あのやかましくも心地よい外部からの評価。
それが今、一切合切消え失せた。
世界中のネットワークとの双方向通信が完全に絶たれ、俺は文字通り、この暗闇の底で『絶対の孤独』に取り残されたのだ。
コンソールの向こう、分厚い壁を隔てた迷宮の上層からは、グラズの本体が放つ圧倒的な魔力のプレッシャーが、ヒタヒタと冷たい水のように浸水してきている。
普通の罠師であれば、ここで己の保身を考えて逃亡の転移陣を開くか、あるいは全てを諦めて絶望の淵に沈むところだろう。
だが。俺はコンソールから手を離すと、静かに、だが確かな魔力を込めて、その無機質な機械の表面を一度だけ叩いた。
「……よくやった。少し休んでいろ、相棒」
俺はツールベルトから特殊な魔力ドライバーを引き抜き、メインコンソールの裏側に物理的に秘匿されていたカバーをこじ開けた。
そこから引きずり出したのは、現代の洗練されたホログラムパネルとは真逆の、無骨で太い魔力ケーブルが剥き出しになった『アナログ基盤』だ。
最終シーズンの準備段階で、通信遮断を想定して俺が各国のダンジョンコアへ向けて直接敷設しておいた『災害用一方通行回線』の物理端末である。
「NAVIが管理していた双方向のネットワークは死んだ。だが」
俺がアナログ基盤に魔力を流し込むと、小さな緑色のランプが弱々しく点滅を始めた。
「俺の魔力炉に直結させたこの極太の単線だけは、グラズの干渉下でも、まだギリギリで生きている」
俺は暗闇の中で、その緑色の光だけを頼りに、手動でキーボード(魔力ルーンの入力盤)を弾き始めた。
『座標X44、Y12。0.5秒後に熱線。安置は左』
『エリアD、空間圧縮。三秒後に退避せよ』
次の送信欄に、俺の指が勝手に四文字を打った。
『生きろ』
「…………」
俺は数秒それを睨み、全部消した。
代わりに打つ。
『X19、Y07。右壁へ退避』
余計な言葉はいらない。生き残れる座標だけ渡せば、あいつらには通じる。
送れるのは、せいぜい数十文字の座標データと短い退避命令だけ。それ以上複雑な情報を乗せれば、干渉を受けて回線が焼き切れてしまう。
俺は、ダンジョンの各所に残されたアナログセンサーから得られる微弱な情報だけを頼りに、世界中で展開されているグラズの未同期コアの挙動を、脳内で高速演算し続けた。
そして導き出した『安全地帯(回避ルート)』を、次々と暗号パケットに変換して世界中の端末へ向けて手動送信していく。
カタッ、カタッ、ターンッ。
静寂の制御室に、俺がキーを叩く物理的な音だけが虚しく響き続ける。
自分が送っているこの情報が、果たして現場の探索者たちに届いているのかどうか。確認する術はない。
彼らがこのパケットを見て生き延びたのか、それとも間に合わずにグラズのレーザーで蒸発したのかすら、分からない。
当然、俺がどれだけ血の滲むような思考速度で彼らに有益な『攻略ルート』を提供しようとも、NAVIがいない以上、配信画面のコメントは見えず、同接数は分からず、観測熱は一単位も戻ってこない。
「……俺は、何をやっているのだ」
完全な無報酬。誰からの称賛も得られない、自己満足にも満たない孤独な作業。
それでも、俺のキーを叩く手は、一瞬たりとも止まることはなかった。
人類を愛したからではない。彼らを守りたいという正義感に目覚めたわけでもない。
「俺が手塩にかけて育て、地獄の訓練で鍛え上げた試験体どもを、あんな美学のない三流のクソゲーで無駄死にさせるのが、我慢ならないだけだ」
罠師としての、純然たる『意地』。
俺は自問する。この言葉足らずな短い座標と単語の羅列だけで、あの人間どもは、俺の意図(攻略法)を理解できるのか?
「……できるはずだ」
俺の脳裏に、黒瀬迅の鋭い眼差しが、天城レイナの無謀だが正確な跳躍が、鬼塚豪の献身的な大盾が浮かぶ。
「あいつらは、俺の仕掛けた絶対的な理不尽(極悪ダンジョン)を、血と泥にまみれながらも解き明かしてきた、俺の芸術の『最大の理解者』だ」
俺が引いたこの極細の蜘蛛の糸(道)を、あいつらなら必ず見つけ出し、踏み越えていく。
敵対関係にあるはずの攻略者たちへの、そんな『絶対的な信頼』を胸に、俺は狂ったような速度で手動送信を続けた。
――ズォォォォン……!
突如として、制御室全体が激しく揺れた。
俺の背後、玉座の間を外界から完全に隔離している分厚い魔法防壁の扉。それが、外側からの強大な魔力攻撃によって、ひび割れるような嫌な音を立てたのだ。
「……ついに、足元まで来たか」
グラズの本体が、本拠地の防衛機構を完全に沈黙させ、ついに俺のいる最深部まで到達したのだ。
扉が粉砕されるのは、もはや時間の問題だった。
カターンッ。
俺は最後の一連の攻略座標を打ち込み終えると、大きく息を吐き出し、アナログ基盤から静かに手を離した。
「俺の支援は、ここまでだ。……あとは自力でどうにかしろ、死にゲー狂いども」
ツールベルトを左腰へ締め直す。罠師の道具を捨てる気はない。
その上で、漆黒の戦闘外套を大きく翻し、かつて魔界の戦場で使った長剣を虚空から引き抜いた。
扉の向こうで、重い足音が止まった。
俺は長剣を正眼に構え、左腰の工具へも手が届く位置を確かめる。
「来い、グラズ。ここから先は俺の盤面だ」




