第44話 侵攻開始――全世界同時レイド
赤紫色に染まった空が、ガラスのようにひび割れる。
予定より十二時間早く活性化した本侵攻の門から、グラズの『未同期コア』の群れが、凄まじい轟音と共に地球上の数十箇所へ向けて突き刺さった。
ドォォォォォォンッ!!
大地が悲鳴を上げ、クレーターから溢れ出した魔界の瘴気が、瞬く間に周囲の物理法則を書き換え、逃げ場のない純粋な殲滅迷宮(殺戮要塞)を形成していく。
通常であれば、その圧倒的な終末の光景を前に、人類は恐怖に竦み上がり、ただ死を待つしかなかっただろう。
だが。
『落下確認! 第一防衛ライン、展開しろォッ!』
土煙が立ち込める現場の最前線。
そこには、俺が課した七十二時間の『地獄訓練β』を生き抜いた探索者たちが、ヘリックス社の輸送ドローンから投下されたばかりの真新しい装備を構え、血走った目で未同期コアの入り口を睨みつけていた。
俺は玉座で、監視水晶に映る世界中の反撃の構えを冷酷に見下ろした。
「さあ、ここからが本番だ。グラズの単調な殺意を、俺の芸術で塗り潰してやる」
俺はメインコアのコンソールに両腕を深々と突き立て、俺自身の魔力を限界まで流し込んだ。
『マスターキー(強制ハッキング)、起動。世界各所の未同期コア群の根幹システムへの干渉を開始します』
NAVIの無機質な音声と共に、俺の意識が地球の裏側にまで広がるネットワークと同化していく。
「俺の庭に落ちてきたからには、俺のルールに従え」
俺は、グラズが構築した「予兆のない不可避の即死トラップ」のコードを強引にこじ開け、そこに俺のロジックをねじ込んでいった。
絶対の死をもたらすレーザーの射出機構に、無理やりコンマ一秒のラグを発生させる。見えない落とし穴の輪郭に、微かな魔力光の乱反射を付与する。
ただ殺すだけのつまらない兵器を、『理不尽だが攻略可能な死にゲー』へと強制的に上書きしていく。
『マスター。対象エリアの30パーセントに対する、「攻略可能性」の上書きに成功。……続けて、当該区画内に限定的な保護プログラムを展開します』
未同期コアの内部は、地球の法則が通じないため『魂帰還則』が機能しない。
だが、俺がマスターキーで完全にシステムを掌握した区画内に限り、俺のコアの演算能力を物理法則の維持に回すことで、ある一つの荒業を可能にしていた。
「勘違いするなよ、ネズミども。これは慈悲ではない」
俺の冷たい声が、世界中の探索者の端末に響く。
「俺がシステムを上書きした区画内に限り、『緊急排出圏』を形成した。致死ダメージを受ける直前に、貴様らの肉体を強引に区画の外(安全地帯)へと弾き出す」
それは、失った命を復元する死に戻りではない。致死直前に一度だけ、肉体を区画外へ叩き出す非常口だ。
発動一回ごとに、俺が全財産を溶かして用意した専用触媒が一つ焼ける。二度目はない。
「俺の上書きが届いていない圏外へ踏み込めば、非常口そのものが存在しない。命が惜しければ、予兆を見落とすな。排出された者は即後送、再突入禁止だ」
俺が世界規模のハッキングを推し進める中、ヘリックス社のドローン網を通じて全世界に配信されていた映像に、明らかな異常が生じ始めていた。
『警告。未同期コアから発せられる強大な魔力干渉により、通常の映像出力プロトコルが崩壊しています』
配信画面から、綺麗に加工されていた探索者のHPバーやミニマップといったUIがノイズと共に完全に消失した。
代わりに画面を埋め尽くしたのは、魔力波形やトラップの起動タイミングを示す、無機質で難解な『生ログ(生データ)』の文字列の滝だった。
映像は乱れ、状況を把握するための親切なシステム情報は一切表示されない。
だが。それを見つめていた3000万を超える視聴者たちは、パニックを起こすどころか、かつてないほどの熱量でキーボードを叩き始めた。
『UIが死んだ! 生ログしか見えねえ!』
『なら俺たちが解析する! 訓練で散々ログの見方は叩き込まれただろ!』
『第三部隊のカメラ、ログの四行目に魔力収束の兆候! 五秒後に右前方から熱線来るぞ!』
『コメント欄の有志、攻略wikiをリアルタイムで更新しろ! 前線に情報を送れ!』
彼らは画面の向こうの安全地帯から、垂れ流される生ログをリアルタイムで人力解析し、前線で戦う探索者たちへコメントとして『攻略情報』を絶え間なく送り続けていた。
ただの観客だった彼らが、世界規模のレイドを支える巨大な『情報処理機関』へと変貌を遂げた瞬間だった。
現場の探索者たちもまた、視聴者からの情報兵站と、俺の地獄訓練で培った直感を完全に信じ切って、未同期ダンジョンの暗闇を突き進んでいた。
『右だ! 運営が作った0.1秒の隙間を抜けろ!』
『緊急排出圏の境界線を確認! ここから先はマジで死ぬぞ、盾持ち以外は一歩も前に出るな!』
彼らは致死トラップをミリ単位で見切り、緊急排出圏の境界ギリギリで立ち回りながら、グラズの殺戮兵器の内部構造を次々と解体していく。
それはもはや、グラズが意図した「戦争による一方的な殲滅」ではなかった。
俺が理不尽に『選択肢』をねじ込み、人間たちがそれを集合知と執念で解き明かす。地球全体を巻き込んだ、史上最大の『死にゲー(レイド)』が、ここに完全に成立していたのである。
「……ふん。三流の兵器など、俺の教育した駒にかかればこの程度だ」
俺は玉座で、世界中の未同期コアが次々と攻略され、機能不全に陥っていく様を満足げに眺めていた。
俺の獲物を、他人に無駄死にさせはしない。その罠師としての身勝手な意地は、結果として人類を滅亡の淵から救い出していた。
だが。
世界規模のマスターキー上書きと、数万人の探索者を保護する緊急排出圏の維持。それは、俺のダンジョンコアに、致命的とも言えるリソースの枯渇を招いていた。
『警告。警告』
NAVIの音声が、かつてなく重苦しいアラートと共に監視室に響いた。
『全演算リソースを外部ネットワークへの干渉と上書きに回しているため、当本拠地コアの防衛機能、及び対空魔力障壁が著しく低下しています』
「……分かっている」
俺はコンソールから腕を抜き、静かに立ち上がった。
盤面を全て掌握し、自らの兵器群が無力化されていくのを、あの冷徹な上司が黙って見過ごすはずがない。俺の防御が最も手薄になるこの瞬間を、奴は確実に狙ってくる。
『マスター。上空の赤紫色の空間の裂け目より、極めて強大な単一魔力波形が接近中。……グラズの「本体」が、防壁の薄くなった当コアへ向けて直接降下してきます』
「……なるほど。盤面をひっくり返されて、ついに親玉が直接お出ましか」
俺は自らの武器であるツールベルトを締め直し、黒い外套のフードを深く被った。
自らの絶対的な安全を代償にしてまで、世界規模の盤面を支配した俺の前に。
かつての魔王軍において、俺の最大の理解者であり、最強の対立者であった男が、本物の殺意を伴って俺の庭へと降り立とうとしていた。




