第4話 公式デバッガー、死にに来る
天城レイナが環境デバフすら遊び場に変えた、その翌日。
昨夜、配信欄に『次、俺が全部踏んで数値取ってくる』と書き残した男が、本当に来た。
監視水晶に映るのは、分厚い鋼のフルプレートアーマーと、身の丈ほどもある巨大なタワーシールド。鬼塚豪。
『本人の配信枠は同時接続6万、迷宮ミラー合計18万を突破』
NAVIは数字だけを添えた。
「……本当に全部踏む気か」
俺は、物理的な耐久力に依存する者を殺すため新設した区画へ視線を移した。
彼の行動は、これまでの探索者とは明らかに異なっていた。
毒矢の罠が仕掛けられた通路。男は予兆である床の凹みに気づきながらも、あえてその石板を強く踏み抜いた。
カチリ、と音が鳴り、壁から無数の毒矢が射出される。
『おっしゃ来い! 【鋼体化】!』
男――豪は、避けるどころか大盾を構えて矢の雨を正面から受け止めた。盾を逸れた数発が鎧に弾かれ、浅い傷を負う。
『よし! 防御指数500、バフありの状態で被ダメージは約二割! 毒の進行度は……おっ、結構早いな! 解毒ポーション(中)じゃ相殺しきれねえ!』
豪は自身の体をモルモットにして、ダメージの数値や状態異常の重さを逐一カメラに向かって報告していた。
コメント欄には『検証乙』『防御指数500でそれかよ、布装甲なら即死だな』といった書き込みがズラリと並ぶ。
「……イカれているのか?」
俺は顔を顰めた。
死ねば痛い。帰還酔いの苦しみもある。魂の摩耗は確実な疲労となって己を蝕むはずだ。それなのに、この男には罠を恐れるという生存本能が完全に欠如している。
豪が第二区画の新たな部屋へと足を踏み入れた。
彼が部屋の中央まで進んだ瞬間、背後の扉が閉ざされる。同時に地響きが鳴り、部屋の左右の壁全体が、無数の鋭い鉄棘を突き出しながら中央に向かって迫り始めた。
時間経過と共に退路を断つ、単純にして凶悪な圧殺部屋。
『うおっ、壁が迫ってくるギミックか! よし、みんな見とけよ! これ、高ステータスのタンクなら力で押し留められるか検証するぜ!』
豪は迫りくる鉄棘の壁に向かってタワーシールドを突き立て、全身の筋肉を隆起させた。
ギギギギギッ!
豪の大盾と壁が激突し、火花が散る。彼の持つ防御スキルと圧倒的な筋力が、壁の進行を一時的に食い止めた。
『っしゃあ! 止められる! 止められるぞお前ら!』
歓喜の声を上げる豪。だが、俺は玉座で鼻で笑った。
「馬鹿め。耐えれば助かるなどと、いつ俺が言った?」
この罠の真の絶望は、迫りくる壁そのものではない。壁の押し出し機構は、脱出用の奥の扉の開閉システムと物理的に連動している。
つまり、壁の進行に抵抗して『耐えれば耐えるほど』、奥の扉が連動して閉まっていくのだ。
数秒後、自身のHPバーよりも先に、前方の扉が完全にロックされた音に豪は気づいた。
『……あ、やべ。これ、壁受け止めてる間に扉閉まんのかよ!』
豪が盾を退けた瞬間、一気に加速した両側の壁が彼を挟み込んだ。
グチャッ、という生々しい音。
豪の巨体は為す術もなく圧殺され、光の粒子となって帰還室へと排出された。
「……身の程を知るがいい。耐えればいいという怠慢が、自らの退路を断ったのだ」
俺は満足げに監視水晶を切り替えた。
帰還室の床で、豪がひどく嘔吐している。圧殺による死は、これまでのどの罠よりも重い恐怖と痛覚を魂に刻む。
だが、息を整えた豪が最初に放った言葉は、俺の理解を遥かに超えていた。
『ゲホッ……あー、キツ……! でも、おいみんな! 今のデータ取れたか!?』
豪は青ざめた顔にニカッと笑みを浮かべ、ドローンカメラに向かって身を乗り出した。
『壁受けは罠だ! 防御指数500、防御バフ盛りでも、立ち止まった瞬間に奥の扉が閉まる! あそこはタンクでも絶対に立ち止まるな! 走って抜けろ!』
コメント欄が『有能』『豪ニキの犠牲は忘れない』『完全な初見殺しじゃなくて、耐えるほど死ぬギミックか、えぐいな』と感謝と分析で埋め尽くされていく。
己の死すらも、後続のための情報として消費する。
それが、この男の武器。検証という名の『攻略文化』の厚みだった。
「……ふざけた真似を」
苛立ちを隠せない俺の前で、豪は20分の待機時間を終え、再び同じ部屋へと向かった。
今度は走って抜けるのだろう。そう思って見ていた俺の予想は、再び裏切られた。
迫る壁。豪は部屋の半ばまで走った後、なんと足を止め、左の壁の端、床すれすれの場所に這いつくばったのだ。
『おっしゃ、やっぱりだ! 左の壁の根本、装飾の石柱の裏側に、ほんの10センチだけ棘がない隙間がある!』
豪が叫んだ直後、容赦なく迫った壁が彼の下半身を轢き潰した。
二度目の死。連続死亡によるペナルティで、次は30分の待機時間が課されるというのに、男の顔には達成感すら滲んでいた。
「……何を考えている。なぜ逃げられるのに、わざわざ死にに戻った」
理解不能な行動に、俺は顔をしかめた。
だが、その答えは数時間後、予期せぬ形で示された。
豪の挑戦からしばらく後、調子に乗って深部へと迷い込んだ低ランクの初心者パーティーが、あの圧殺部屋の罠を起動してしまったのだ。
迫りくる壁。彼らの貧弱なステータスでは、走っても間に合わない。
パニックに陥り、死の恐怖に悲鳴を上げる初心者たち。
その時、パーティーの一人が何かを思い出したように叫んだ。
「待て、鬼塚豪の配信で見た! 左の壁の下、柱の裏に伏せろ!!」
初心者たちは転がるように左の壁際へと飛び込み、床にへばりついた。
直後、轟音と共に両側の壁が激突する。
だが、壁が元の位置へ戻っていくと、そこには豪が己の命と引き換えに見つけ出した『10センチの隙間』に収まり、無傷で生き延びた初心者たちの姿があった。
「…………」
俺は、無言で水晶を見つめていた。
あの男は、最初から自分のために攻略していなかったのだ。
足の遅い初心者が、逃げ遅れた場合に助かる道はないか。俺が常に『必ず攻略可能である』という美学のもとに残している、極細の安置を探すためだけに、二度目の死を選んだのだ。
『マスターに報告』
NAVIが、静かにコメント欄の反応を読み上げる。
『鬼塚豪の残したデータによる初心者の生存劇が、切り抜き動画として拡散中。視聴者たちは彼をこう呼んでいます。――神運営の用意したデバッグルームを体を張って検証する、【公式デバッガー】であると』
「……誰が雇った」
俺の口から、氷のように冷たい声が漏れた。
「デバッガーだと? 俺はお前らを殺すために罠を作っている。それを、なんだ……自分たちを生かすための公式テストだと勘違いしているのか」
あの重装の男は、ただ死ぬだけの肉壁ではない。
死んだ回数ぶん、他人を生かす。人間の最も忌まわしい特性である『自己犠牲』と『集合知』を体現した存在だ。
「気に食わん。他人の失敗で観察を省き、安全な道だけを歩こうとする寄生虫どもも、それをもてはやして俺の罠を消費する貴様らも、全て等しく叩き潰してやる」
攻略コミュニティなどという群れが育つ前に。
俺は監視水晶の片隅で、弱者を食い物にしようとニヤつく悪質な探索者クランの姿を捉えながら、次なる処刑のシナリオを冷酷に組み上げ始めた。




