第36話 神運営、クソゲーを破壊する
グラズが放った未同期コアの最深部。そこは、どす黒く濁った魔力が脈動する、巨大な肉塊の内部のようなおぞましい空間だった。
俺は魔界特有の瘴気を纏ったその心臓部――メインコアに直接腕を突き立て、太い血管のように這い回る魔力供給路を次々と物理的に握り潰していた。
「学習の機会を与えず、ただ効率的に命を刈り取るだけの兵器。……やはり、退屈極まりないな」
俺が供給路を絶つたびに、上層に仕掛けられていた「予兆のない不可避の落とし穴」や「部屋を埋め尽くす即死レーザー」の出力が強引に削られ、そこにコンマ数秒の遅延や、数ミリの隙間といった『選べる弱点』が強制的に挿入されていく。
逃げ道のない罠は、罠ではない。ただの処刑装置だ。
俺の罠師としての美学が、この三流の殺戮兵器を、理不尽だが攻略可能な『迷宮』へと書き換えていた。
『マスターに報告。当亜空間内に、三つの生命反応の侵入を確認しました』
NAVIの無機質な音声が、俺の脳内に響く。
『識別符号、黒瀬迅、天城レイナ、鬼塚豪。……彼らはマスターが送信した暗号パケットを解読し、この未同期ダンジョンへと足を踏み入れました』
「……馬鹿な奴らだ」
俺はコアの神経束を引きちぎりながら、低く笑った。
ここは俺の迷宮ではない。地球の魂帰還則が適用されない、死ねば終わりの本物の死地だ。その警告を与えたにも関わらず、奴らは這いつくばってでもここまで来やがった。
『さらに報告。三名は「魂帰還なし・死亡時は恒久死」の警告へ再同意済み。攻略協会の緊急中継ドローンが、後続へ情報を残す目的で公式ミラーを開始しています』
「命懸けの場でも攻略ログを残す気か。狂っているな」
俺は監視水晶のウィンドウを空中に展開し、彼らの進行状況を映し出した。
『右の壁から不可視のレーザー! だが、射出の0.2秒前に僅かな風切り音が鳴るぞ!』
水晶の向こうで、黒瀬迅が叫んでいた。
本来なら一切の音もなく放たれるはずの即死レーザー。だが、俺が供給路を弄って無理やり作らせた『予兆』を、迅の異常な聴覚が完全に捉えていた。
『任せろォッ!』
豪が巨大な大盾を構え、その風切り音の直後にレーザーを真正面から受け止める。正規の出力なら大盾ごと蒸発していたはずだが、俺が威力を削ったおかげで、豪の装甲はギリギリで持ち堪えていた。
『いくよっ!』
レイナがその隙間を縫って跳躍し、トラップの射出機構そのものを双剣で粉砕する。
『みんな、見てるか!』
迅が、自身の周囲を飛ぶドローンカメラに向かって、血に塗れた顔で笑いかけた。
『ここは死んだら終わりの本物のクソゲーだ! だが、今のトラップを見ただろ! 本来なら避けられない即死罠に、無理やりコンマ数秒のラグと音の予兆が追加されてた!』
迅の言葉に、配信のコメント欄が凄まじい勢いで流れ始める。
『俺たちの神運営が、先にこのダンジョンに乗り込んで、俺たちがクリアできるようにこのクソゲーを「MOD(改変)」して道を作ってくれてるんだよ!』
「……MODだと」
俺は玉座――いや、血生臭いコアの最深部で、忌々しげに舌打ちをした。
三流の作ったガラクタの構造的欠陥を修正してやっただけだ。俺の崇高なハッキングを、安っぽいゲーマー用語で呼ぶな。
だが、俺の残した僅かな突破口を、彼らは命懸けの極限の集中力で次々と読み解き、ついに俺のいる最深部への扉を蹴り破った。
『ギィィィィィィィッ!!』
侵入者の到達をトリガーとして、グラズの未同期コアがけたたましい防衛警報を鳴らし始めた。
コアの周囲に展開された無数の魔力砲門が、迅たち三人へ向けて一斉に照準を合わせる。それは、部屋全体を素粒子レベルで消し飛ばす、回避も防御も不可能な絶対殲滅の閃光。
『しまっ――!』
迅の顔が絶望に染まりかけた、その瞬間。
「……勝負に負けたからといって、盤面ごとひっくり返すなど、罠師の風上にも置けんぞ、グラズ」
俺は、コアの内部から、その最大の魔力動脈を両手で完全に握り潰した。
ドゴォォォォンッ!!
コアの内部で魔力が暴走し、照射されるはずだった殲滅の閃光の出力が、ほんの一瞬、部屋の右端わずか三度の角度だけ途切れた。
完全なる死の空間に生まれた、たった一つの『選択肢(逃げ道)』。
「そこが道だ。俺の試練を越えてきたのなら、その程度、踏み越えてみせろ!」
俺の声なき意思に呼応するように。
『右だァァァッ!!』
迅の絶叫と共に、豪が大盾を構えて三度の隙間へと強引に身体をねじ込み、周囲の余波を全て弾き返す。
その背中を踏み台にして、レイナが赤い流星となって跳躍。彼女の放った双剣の斬撃が、コアの外部装甲を完璧な軌道で十字に切り裂いた。
そして、装甲が剥き出しになったコアの急所へ向けて、迅の短剣が雷光の如き速度で突き立てられる。
外側からの迅たちの物理的な一撃。
内側からの俺の魔力的な破壊。
二つの力が完全に交差した瞬間、グラズの未同期コアは断末魔の悲鳴を上げ、無数の光の破片となって爆散した。
轟音と土煙が晴れていく。
未同期コアが破壊されたことで、異界の亜空間が崩壊し、元の地球の山間部の洞窟の景色が戻ってきていた。
同時に、崩れていた側壁の奥から複数の救難信号が立ち上がった。
『マスター。隔離区画に生存者を確認。行方不明二十七名のうち二十七名、全員の生命反応を再捕捉しました』
「……全員か」
崩れた側壁の向こうで、救助班が一枚ずつ即席の障害物 を外していく。机、盾、折れた扉。生存者たちは小部屋ごとに入口を塞ぎ、進むことをやめていた。
最初の班が、床の埃だけが不自然に吸い込まれる廊下と、声を投げても反響が返らない部屋を見て足を止めたらしい。正規迷宮で叩き込まれた『分からないなら進むな』を、死に戻りのない場所でようやく徹底したのだ。
壁には炭で、危険な扉と最後に聞こえた作動音の間隔がびっしり書き残されていた。後続はその記録を拾い、複数の小部屋へ分散して救助を待った。
『重傷者はいますが、死亡確認ゼロです』
瓦礫の向こうから救助班に肩を貸されて出てきた若い男が、こちらを見て片手を上げた。真壁遼だった。
『……分からない時は、進まない。やっと分かりました』
「次などあると思うな」
そう吐き捨てたが、胸の奥に引っかかっていた不快な重みが一つ消えた。
荒い息を吐きながら膝をつく迅たちの前に、ドローンカメラがゆっくりと高度を下げていく。
そのレンズの先。
砕け散ったコアの残骸の中心で、黒い戦闘外套を風に揺らしながら立つ俺の姿が、はっきりと映し出されていた。
『……ハァ、ハァ……。サンキューな、運営』
迅が、俺を見上げて不敵に笑った。
『あんたが道を作ってくれなかったら、マジで全滅してたぜ』
「勘違いするな」
俺は冷たい眼差しで彼らを見下ろした。
「俺は貴様らを助けたわけではない。俺の手塩にかけた獲物が、あんな三流の作った処刑装置で無惨に死ぬことが許せなかっただけだ」
俺の言葉は、強がりでも何でもない純然たる事実だった。
だが。
『マスターに報告。現在、ドローンの映像は世界中のネットワークに偶然にも世界配信されています。同接数は900万規模へ上昇』
NAVIの音声と共に、俺の視界の端に信じられない速度で流れるコメント欄が表示された。
『うおおおおおっ! 神運営が助けに来てくれた!』
『魂帰還のない本当のデスゲームから、プレイヤーを守るために単身で乗り込んだのかよ!』
『「俺のプレイヤーを理不尽には殺させない」ってことだろ! 究極のユーザー保護じゃねえか!』
『自らデバッグして救出ルート作ってくれる神運営すぎる……一生ついていくわ……!』
「…………ッ」
俺は、激しい頭痛に襲われて目を閉じて数秒黙った。
違う。俺は人類を絶望させるための存在だ。なぜ、俺の罠師としての純粋な美学と殺意が、シリアスな死線すらも飛び越えて「手厚いユーザー保護とファンサービス」に変換されてしまうのだ。
この星の人間どもの脳の構造はどうなっている。
俺が深い疲労感と共に洞窟を後にしようとした、その時だった。
『マスター。地球の行政機関――ダンジョン安全管理庁より、最上位の緊急暗号通信を受信しました』
「……また役所か。俺は忙しい。繋ぐな」
『ですが、行政側は先ほどのドローン配信をモニタリングしており、マスターの圧倒的な制圧力を目の当たりにしたとのことです。つきましては、人類を未同期コアの脅威から守るため、マスターに対して「正式な防衛協力要請」を打診したいと』
「断る」
俺は間髪入れずに吐き捨てた。
「俺は人間どもを守る気など微塵もない。自分の狩場を荒らす害虫を駆除しただけだ。正義の味方ごっこなら勇者にでも頼め」
俺が通信を強制切断しようとした瞬間、NAVIが無機質な声で付け加えた。
『行政側は、対未同期コア装置と干渉網の構築に必要な【世界希少素材】を、国家備蓄の許す範囲で最優先供給すると提示しています』
「…………」
俺の指が、ピタリと止まった。
世界希少素材。それは、未同期コアへ地球側から干渉する装置や、今後の迷宮軍拡に喉から手が出るほど必要な最高級の魔力伝導物質だった。
「……NAVI」
『はい、マスター』
「その役人どもに繋げ。……素材の契約交渉をしてやる」
人類から素材を巻き上げ、その素材で人類を鍛える設備まで作る。
気に食わない取引だが、グラズの粗製兵器を壊すには都合がいい。




