第35話 逃げ道のない罠は罠ではない
別県に出現した大穴――グラズが放った未同期コアの内部は、地球側の魂帰還則も、NAVIの管理権限も届かない、独立した魔界亜空間だった。NAVIの声だけは俺自身を中継点にした細い通信で届くが、ここへルールを強制する力はない。
一歩、また一歩と暗闇の通路を進むたび、空間の至る所から容赦ない殺意が襲い掛かってくる。
壁の隙間から音もなく射出される不可視のレーザー。床の質感に一切の変化を持たせずに口を開く底なしの落とし穴。俺が呼吸をした瞬間の肺の膨張をトリガーにして、全方位から迫る必中の毒矢。
それらを、俺は魔王軍首席罠師としての圧倒的な知覚と魔力操作で、全て弾き落とし、あるいは力業で踏み砕いて進んでいた。
「……なるほど。確かによく殺せる」
飛来した毒矢を素手で掴み取り、指先で粉砕しながら俺は呟いた。
グラズのやり口は、戦争兵器としては極めて合理的だ。
敵に予兆を見せず、学習の機会を与えず、ただ効率的に、問答無用で命を刈り取る。一切の無駄を削ぎ落とした単調な暴力。だからこそ、俺の迷宮で「予兆を探す」ことを覚えてしまった探索者たちは、その前提を無視したこの理不尽な暴力に対応できず、次々と追い詰められ、二十七名が帰還経路を失ったのだ。
「だが、これは罠ではない」
俺は周囲の壁を忌々しげに見回し、冷酷に吐き捨てた。
「ただの退屈な処刑装置だ。こんな薄っぺらいものを迷宮と呼ぶなど、罠師としての俺の美学が許さん」
俺はただ力任せに罠を壊して進んでいるわけではなかった。
空間を覆う魔力の流動を、冷徹な目で分析し続けていたのだ。
『マスター。周囲の魔力濃度が危険域に達しています。このまま深部へ進めば、グラズの防衛機構がマスターを特異点と認識し、空間ごと圧壊させてくる危険があります』
脳内で警告を発するNAVIに対し、俺は薄く笑った。
「構わん。グラズの兵器がいくら完璧に見えようとも、致命的な弱点がある」
異界の存在が、地球という別の世界層に干渉し、そこに留まり続けるためには、一つの重大な制約が生じる。それは、ただの爆弾のように爆発して終わるのではなく、「入り口/経路/部屋/核」という『迷宮としての構造』を必ず形成しなければならないという点だ。
「迷宮の形をとる以上、末端の罠へ魔力を送るための供給経路と、心臓部たる核への道筋が必ず存在する。どんなに不可視の罠を張ろうとも、その供給の動線までは隠しきれない」
俺は通路の十字路で足を止め、壁の一点――魔力供給のラインが集中している結節点を見つけ出した。
そして、その壁に向かって自身の腕を刃のように突き立てた。
ズドォォンッ!
石壁が崩れ、内部に隠されていた赤黒い魔力回路が剥き出しになる。
俺が行うのは、単なる物理的な破壊ではない。罠師としての、専門的なハッキング(上書き)だ。
「グラズ。貴様の単調な即死システムに、俺の芸術のコードを叩き込んでやる」
俺は回路に魔力を注ぎ込み、グラズが構築した「不可避の即死システム」の根幹に、強引に自らのロジックを割り込ませていった。
ただ殺すだけのプログラムを、『条件を満たせば回避可能な罠』へと強制的に書き換えていく。
床の石板の質感を数ミリだけ変え、落とし穴の前に明確な境界線を作る。不可視のレーザーが射出されるコンマ一秒前に、微かな風切り音が鳴るように空気の摩擦係数を調整する。
「逃げ道のない罠は罠ではない。必ず観測可能な予兆を置き、選択肢を与えろ」
ギギギギギッ……!
グラズの防衛プログラムが異物を検知し、激しく抵抗してくる。だが、俺はそれを圧倒的な魔力と計算力で冷笑と共にねじ伏せた。
「学習を不要と切り捨てた単調な兵器に、探索者の行動に合わせて千変万化する俺の芸術のコードが止められるはずもないだろう」
数分後。俺の手によって、未同期ダンジョンの前半部分のルートは、グラズの単調な処刑装置から、次々と『理不尽だが攻略可能な極悪ダンジョン』へと上書き(ハッキング)されていった。
この未同期コアに対するマスターキー上書きのロジックが確立できたことは、大きな収穫だ。
『マスター。前半エリアの座標の書き換え、及び罠の動作プロトコルの上書き完了を確認しました。……このまま最深部へ向かい、コアを破壊しますか?』
NAVIの問いに、俺は手についた石の粉を払いながら、首を横に振った。
「いや。俺が全て壊してしまっては、ただの掃除で終わってしまう」
俺が求めているのは、ただ敵の兵器を無力化することではない。俺の芸術をコピーしたヘリックス社を叩き潰した時と同じだ。三流の作った贋作がどれほど見苦しいか、俺のやり方で証明しなければ気が済まない。
「俺の代わりに、このクソゲーを正面から解体して見せる『駒』が必要だ」
俺の脳裏に浮かぶのは、俺の迷宮で幾度も死線を越え、俺の設計思想を誰よりも深く理解した、あの死にゲー狂いの探索者たちだった。
「あいつらが、こんな三流の処刑装置で死ぬなど、許されるはずがない。俺が手塩にかけて育てた獲物は、俺の極上の罠で絶望させるためにある」
俺はNAVIに指示を出した。
「NAVI。外の世界のネットワーク――先ほど別れた迅、レイナ、豪の端末へと、暗号化された短いパケット通信を送信しろ」
『送信内容を指定してください』
「俺が今書き換えた『安全な侵入ルートの座標』と、『罠の予兆の法則性』だ。魂帰還のない本物の死が待つ場所だという警告も添えておけ」
俺が構築した正規のダンジョンとは違い、ここは本当に死ぬ。その恐怖に足がすくむなら、それでいい。
だが、もし彼らに、俺の仕掛けた極限のパズルを解きたいという死にゲー狂いの業があるのなら。そして、理不尽に理を以て打ち勝つというゲーマーとしての矜持があるのなら。
「這いつくばってでも、ここまで来い」
俺は、書き換えたダンジョンの奥深くで腕を組み、静かに待つ。
俺が用意した正当な試練を武器に、人間たちがグラズのクソゲーを完全破壊するために動き出す、その時を。




