第34話 死んだら戻らないダンジョン
転移の魔力陣を抜け、俺が降り立ったのは、俺の迷宮がある県から遠く離れた山間部――突如として新ダンジョンが出現したという座標のすぐ近く、木々の影だった。
崖下にポッカリと開いた、禍々しい瘴気を吐き出す大穴。それが、グラズの放った未同期コアが現実空間を侵食して作り上げた迷宮の入り口だ。
だが、そこは俺の迷宮の広場のような、熱狂と祝祭に包まれたエンターテインメントの場ではなかった。
『下がれ! これ以上の接近は危険だ!』
『第三部隊との通信、未だ回復しません!』
『行方不明二十七名! 魂アンカーは未同期空間へ入った時点で追跡不能! 死亡確認ではない、勝手に打ち切るな!』
入り口の周囲には何重もの規制線が張られ、装甲車が並び、警察やダンジョン攻略協会の職員たちが青ざめた顔で通信機に向かって怒号を飛ばしていた。
俺は隠蔽の魔法で気配を消したまま、その絶望的な混乱を見下ろした。
俺の視線の先にあるのは、ダンジョンの入り口に併設されているはずの『帰還室』の機能を持つ空間だった。
地球の正規のダンジョンであれば、中で致死判定を受けた探索者は、魂アンカーの機能によって即座にこの入り口付近へと吐き出される。帰還酔いと魂疲労に呻きながらも、彼らの肉体は再構築され、命を繋ぎ止める。
だが。
「……誰も、吐き出されてこないな」
俺の呟きは、ひどく冷たく、乾いていた。
行方不明は二十七名。全滅したという報告も、生還したという報告もない。魂アンカーの反応消失も、未同期空間では追跡そのものが切れるため、死亡の証明にはならない。
名簿の中に、見覚えのある名前があった。真壁遼。浅層で悪質クランの囮にされ、それでも自分の眼で予兆を拾えるようになった若い探索者だ。
帰還室は空のまま。
生きているのか、死んでいるのかすら分からない。
その不確定さが、普段の死に戻りよりよほど気分が悪かった。
『マスターに報告』
俺の脳内に、NAVIの緊迫した音声が響く。
『外部から当該ダンジョンの構造ログのスキャンを実行。……魔力波形、及び空間の形成プロセスは、地球の世界層と正規同期を結んでいません。完全に独立した未同期コアによる侵食です』
「だろうな。……構造ログを出せ。グラズの野郎が、どんな無様な見世物を作ったのか査定してやる」
『ホログラムを展開します』
俺の目の前に、スキャンされた未同期ダンジョンの内部構造が、青白いワイヤーフレームとなって浮かび上がった。
それを一瞥した瞬間、俺の顔に、抑えきれない嫌悪感が張り付いた。
「……なんだ、これは」
入り口から数歩進んだ地点に配置された、回避不能の広範囲即死レーザー。
床の質感も色も全く同じに偽装され、予兆の一切ない落とし穴。
部屋の扉を開けて足を踏み入れた瞬間に、致死性の毒ガスが充満し、前後の扉が完全にロックされる密室。
「これは、ダンジョンではない」
俺は吐き捨てるように言った。
「ただ、人間を確実に殺すためだけに作られた『殲滅装置』だ」
グラズのやり口だ。
かつての魔王軍迷宮局長。彼にとって、敵に予兆を読ませ、回避の余地を与えることなど、リソースの無駄でしかない。効率よく、確実に、一箇所に集めた人間を暴力のすり鉢で挽肉にする。戦争兵器としては、それが極めて正しい。
だが、俺の罠師としての美学からすれば、それは思考を放棄した三流以下のゴミ仕事だった。
地球の正規ダンジョンでは、死は帰還へ接続され、罠にはシステム上の整合がある。それが探索者たちの常識だった。
だが、ここにはその前提が一つもない。
先行した救助班の多くは、この未同期空間が「別のルール」で動くと知る前に通信を絶たれたのだ。
「グラズ……」
俺の中で、静かで、しかし底知れない冷たさを持った怒りが満ちていく。
人間どもを絶望させるのは、俺の役目だ。
俺の仕掛けた極限のパズルを解き明かそうと、命を削って足掻く連中を、帰還も観測もできない場所へ放り込み、結果すら見せずに消す。そんなものは横取りですらない。
「俺の試験体を、答えも残さず盤面から消したつもりか。……俺の芸術に対する、これ以上の侮辱はないぞ」
俺の全身から溢れ出した魔王軍残党としての本物の殺気が、周囲の木々を揺らし、大気を凍てつかせる。
『マスター、警告します』
NAVIが制止の声を上げた。
『内部に断続的な微弱生命反応を検知。ただし隔離構造が多く、位置確定不能。行方不明者が生存している可能性があります』
「なら、なおさら遅い」
『未同期コアの内部は、地球の法則が一切通用しない魔界と同質の空間です。魂帰還則による保護はありません。内部の構造も完全に敵対的(致死率100%)であり、単独での侵入は――』
「黙れ。俺に指図するな」
俺はNAVIの警告を冷酷に切り捨て、隠蔽魔法を解いた。
ザッ、と。
俺が木々の影から姿を現し、規制線の前に歩み出た瞬間。
現場で混乱していた警察や攻略協会の職員たちが、弾かれたように俺を一斉に振り向いた。
『な、なんだお前は! 一般人は立ち入り禁止だ!』
職員が制止しようとした瞬間、その端末にNAVIの緊急認証が割り込んだ。
『対象:正規同期ダンジョン管理者ルーク。未同期コア対処権限を臨時申請』
直後、攻略協会の現場責任者が画面を見て目を剥いた。
『……神運営殿!? 通せ! 規制線を開けろ!』
「その呼び方をするな」
俺は苛立ちながら、開かれた通路を進んだ。余計な人間を殴っている暇などない。
「俺の芸術のガワだけをコピーしたヘリックス社も許し難かったが……」
大穴から吹き出す、死と血の匂いが混じった瘴気。
それは、グラズが「お前もこの殺戮の側に加われ」と手招きしているようだった。
「こんな三流の殺戮兵器を、俺の作る『迷宮』と同じ同類だと地球人に思われるのは、もっと我慢がならん」
俺は、死の匂いが立ち込める入り口の暗闇の中へ、単身で足を踏み入れた。
「こんなものを、俺の同類と呼ぶな」
俺の唇が、凶悪な弧を描く。
「罠とはどういうものか。本物の絶望というものを、俺が教えてやる」




