第32話 神運営、地上に出る
地上への転移陣を開こうとした、その直後だった。
先ほどのシステムジャックと、防壁を奪い返すために流し込んだ俺の魔力。その余波が、最後に一つだけ厄介なものを壊した。
――パリンッ!
ガラスが砕け散るような甲高い音が、空間に響き渡った。
大広間と、俺のいる制御室(玉座の間)を隔て、視覚と魔力を完全に遮断していた『隠蔽結界』。それが、先ほどのシステム負荷に耐えきれず、限界を迎えて完全に崩壊してしまったのだ。
「……チッ。防壁の復旧にリソースを割きすぎたか」
結界の破片が光の粒子となって消えていく。
その向こう側。第五階層手前の大広間に座り込んで荒い息を吐いていた三人の探索者――黒瀬迅、天城レイナ、鬼塚豪の視線が、ゆっくりとこちらに向けられた。
薄暗い玉座の間。そこに立つ、魔族特有の禍々しい気配を放つ黒い戦闘外套姿の俺と、完全に目が合った。
『…………あ』
『……えっ』
沈黙が落ちる。
俺の正体が、ダンジョンを攻略中の人間どもに完全に露出してしまった。
「……見たな」
俺は低く冷たい声で呟き、右手から濃密な魔力を立ち昇らせた。
俺が異世界の魔族であり、人類を絶望させるためにこの迷宮を運営しているという真実。それを知られた以上、生かして返すわけにはいかない。
「記憶を消去するか、それともここで物理的に処理してやるか」
俺は本物の殺気を放ち、彼らへの処刑を実行しようと一歩を踏み出した。
普通の人間であれば、本物の魔族が放つ殺意と重圧の前に、恐怖で膝を震わせ、命乞いをするはずだ。
だが。彼らの反応は、俺の想定の遥か斜め下を、地を這うような勢いで突き抜けていった。
『うおおおおッ!? お前が……神運営か!』
豪が、恐怖するどころか目をキラキラと輝かせ、ドスドスと重い足音を立てて俺の方へと駆け寄ってきたのだ。
『えっ、ちょ、何その服! 魔王軍の衣装!? 運営さん自ら魔族のロールプレイしてお出迎えしてくれてるの!?』
レイナが両手を叩いてはしゃぎ出し、俺の周りを興味津々に飛び跳ねる。
「……ロールプレイ、だと?」
俺は眉間を深く寄せた。
「ふざけるな。俺は貴様ら人類を絶望させるために来た、本物の魔王軍の――」
『いやー、設定の作り込みパねえわ。伊達に世界一のダンジョン運営やってねえな』
迅が、俺の言葉を最後まで聞かずに感嘆の息を漏らした。
『さっきの、赤い光と一緒に巨大な眼が出てきた不気味なイベント演出。あれも全部、このラスボス(運営)登場の伏線だったってわけだ。一死失格のデスゲームをクリアした報酬が、まさか運営との直接対面(オフ会)だとはな』
「…………は?」
俺の手に集まっていた魔力が、シュルシュルと霧散していく。
なんだ、この生き物たちは。
俺が放つ、空間が軋むほどの純然たる殺気すらも、「圧倒的なラスボスのオーラ演技」として好意的に解釈しているというのか。
『いやマジで、あんたの罠、最高だったぜ!』
豪が俺の肩をバンバンと叩こうとして、俺が冷たい視線で射抜くと、寸前で手を止めてガハハと笑った。
『俺たちの命をチップに弄んでる時は性格わりぃクソ野郎だと思ったけどよ! あの毒沼の隠しルート、震えたわ。自己犠牲を正解にするなんて、あんたホントは人間大好きだろ!』
「気安く触れるな、肉壁。誰が人間など」
『最後のアレもヤバかったー! ノーヒントかと思ったら過去の壁の傷が答えとか、ヒヤヒヤしたけどめちゃくちゃ楽しかった!』
レイナが無邪気な笑顔で、俺の顔を下から覗き込んでくる。
『あんたのゲーム、まだ全然底が見えねえわ』
迅が、俺の前にスッと右手を差し出した。
『次はもっと、俺たちを楽しませてくれよな、神運営』
これまで俺が彼らに与え続けてきた絶望。
それは彼らにとって、これ以上ない最高のエンターテインメントだったのだ。
俺は、「俺は貴様らを殺そうとしているのだ」と、真実を突きつけてやろうと口を開きかけた。
だが、俺の罠師としての魂が、彼らの言葉を前にして奇妙な充足感を覚えてしまっていた。俺の仕掛けた極悪な罠の意図を、地球上の誰よりも深く理解し、その上で俺の盤面に挑み続ける狂信的な理解者たち。
「…………チッ」
俺は差し出された迅の手を鬱陶しげに払い除け、舌打ちをした。
殺意のペースを完全に乱された。ここで彼らをただの暴力で物理処理するのは、罠師としての俺の美学が許さない。
『マスター』
和やかな、俺にとっては屈辱的極まりないオフ会の空気を断ち切るように、NAVIの無機質な音声が制御室に響いた。
『グラズと呼称された個体の未同期コアによる、現実空間の侵食が進行しています。速やかな対処を推奨します』
「……分かっている」
俺は大きく息を吐き出し、玉座に置かれていた俺の武器――罠を構築するための工具が詰まったツールベルトを腰に巻きつけた。
「茶番は終わりだ。俺は少し、地上に野暮用ができた」
俺は黒い戦闘外套を翻し、冷たく彼らに背を向けた。
「貴様らはとっとと帰還室へ戻れ。俺の迷宮に泥靴で踏み込んできた三流の贋作を、俺自身の手で解体してこなければならないからな」
俺がダンジョンの外――現実世界へと向かうための転移陣を起動させると、迅たち三人も顔を見合わせた。
『ま、俺たちもクリアしたし、一旦帰るか』
『だねー。お腹すいちゃった』
彼らも全く悪びれる様子なく、俺が起動した転移陣の上に当たり前のように乗り込んできた。
転移陣が眩い光を放ち、俺たちはダンジョンの外――地上のエントランス広場の外れへと降り立った。
上空には青空が広がり、遠くの広場からは祭りの喧騒が聞こえてくる。
魔族の正装である黒い外套を纏った俺の異様な出立ちに、すれ違う野次馬たちが「コスプレ?」「すげぇオーラだな」とざわつくが、俺は一切意に介さなかった。
俺の視線は、遥か空の彼方――NAVIが特定した、グラズの未同期コアが突き刺さった座標へと向けられていた。あそこに、魂帰還則が適用されない、本物の殺戮装置がある。
俺が地を蹴って跳躍しようとした、その時。
『ねえ、運営さん』
背後から、レイナが無邪気な声で俺を呼び止めた。
振り返ると、彼女は双剣を背負い直し、迅と豪もまた、なぜか武器を手放さずにこちらを見ていた。
『次のダンジョン(野暮用)、私たち、手伝える?』
それは、共に死線を潜り抜けた仲間に対するような、極めてフランクな申し出だった。
だが。俺は冷酷に目を細め、即座にそれを切り捨てた。
「……断る」
俺は人間どもと馴れ合うつもりなど微塵もない。それに、これから向かう先はゲームではない。死ねば終わる、戦争の残滓だ。
「俺の獲物を横取りされるのも、俺の狩場をこれ以上荒らされるのも不愉快だ。……俺の邪魔をするな。二度と来るな」
俺は彼らの返事を聞くことなく、黒い外套を翻し、グラズの放った未同期コアのある方向へと向かって、一直線に空へと跳躍した。




