第31話 魔王軍からの通信
強制通信に奪われたモニターの中央で、巨大な『眼』だけがこちらを見ていた。
大会システムは外部干渉を検知した時点で競技続行不能と判定され、一死失格のフラグも凍結された。帰還室へ排出されていたレイナと豪は、再挑戦ではなく避難導線を通って大広間へ戻されている。
迅を含む三人とも、さっきまでの高揚を消して空中の眼を睨んでいた。
これは演出ではない。画面越しでも分かる、本物の殺意だった。
俺はその声の主を知っている。忘れるはずがない。
「俺の迷宮のシステムに泥靴で踏み込んできたのは、やはり貴様だったか。……グラズ」
かつて魔王軍において、俺の上官として君臨していた男。
効率と確実なる殲滅のみを是とし、敵に選択の余地を与えることを極端に嫌う、迷宮局長グラズ。
俺は一瞬、魔界の黒曜砦を思い出した。
まだ勇者が魔王城へ迫るより前。俺は砦の最終区画に、致死罠を抜けられる一本の退路を残した。
グラズの命令は「侵入者を一匹も生かすな」だったが、俺にとって逃げ道のない罠は設計ではなかった。
その道を、瀕死の人間斥候が見つけた。斥候は生還し、砦の構造と罠の癖を仲間へ持ち帰った。三日後、勇者隊は同じ道を逆に辿って黒曜砦を落とした。
『お前の無駄な逃げ道が敗北を招いた』
砦の炎を背に、グラズはそう言った。
「読まれたなら、罠師である俺の敗北だ。次は読ませなければいい」
俺が返した日から、奴は俺の美学を『兵器の欠陥』と呼ぶようになった。
『久しぶりだな、首席罠師。魔王軍が崩壊し、貴様がこの星へ向かったと知った時はどうなるかと思ったが……まさか、このような見世物小屋を作って遊んでいるとは思わなかったぞ』
グラズの巨大な眼のホログラムが、見下すように俺のモニターを睨みつける。
「三度も俺のシステムを嗅ぎ回っていたのも、貴様だな」
『いかにも。地球の未熟なネットワークは、我々からすれば穴だらけだ』
グラズは淡々と、これまでの不可解な現象の種明かしを始めた。
『一度目は、隣県の粗製ダンジョンのバグに偽装した。二度目は、企業AIのデータの汚染に。そして三度目は、人間どもが使うチートツールの不正プログラムに相乗りした』
「……地球の文明の不具合に見せかければ、俺の優秀なAIも、すぐには魔界からの干渉だと断定できないと考えたわけか」
『そういうことだ。おかげで、勇者の故郷であるこの星の戦力と、お前がここで何をしているのか、じっくりと観測させてもらった』
大広間に残された迅たちが、空中の眼を睨みつけながら警戒の姿勢をとる。
『おい、どうなってんだ?』
『次のレイドボスの演出イベント……じゃないよな。空気がヤバすぎる』
彼らもまた、目の前のホログラムがゲームのプログラムなどではない、純然たる『本物の死の気配』を纏っていることに本能で気づき始めていた。
『しかし、結果としてお前の見世物小屋は、予想以上の成果を上げた』
グラズは、世界中で俺の迷宮が社会現象となり、800万を超える観測者と数万の探索者を集めている現状を、ひどく合理的な言葉で評価した。
『この星の戦力となるべき人間どもを、これだけ一箇所に釘付けにし、夢中にさせている。まさに、人間を集める「極上の餌場」だ。……よくやった、ルーク』
「…………」
『勇者を生み出したこの星の人間を滅ぼす。我々の目的は同じはずだ。さあ、地球のシステムと同化して、「魂帰還則」などに縛られるのはやめろ』
グラズの言葉が、大広間の空気を凍りつかせた。
『今ここにいる精鋭たちを。そして餌場に群がる愚かな人間どもを、一匹残らず「本当の死」で殲滅しようではないか。私がコアの制御を上書きしてやる』
その瞬間。
迅、レイナ、そして合流したトップランカーたちの顔から、血の気が引いた。
『……魂帰還が切れる?』
『おい、嘘だろ。ここで死んだら、本当に……現実でも死ぬってことかよ』
彼らの顔に浮かんだのは、攻略のヒリつきやスリルではない。生物として根源的な、本当の死への恐怖だった。
配信のコメント欄も、『えっ、マジのハッキング?』『運営の演出じゃないの!?』『誰か逃げろ!』と、急速にパニックに染まり始めていく。
グラズの冷徹な誘い。
人間を絶望させるための殺戮兵器として、それは正しい提案なのだろう。
だが。俺は玉座で、ふん、と鼻で笑った。
「……勘違いするな、グラズ」
俺の低く冷たい声が、監視室からシステムを通じて大広間へと響き渡る。
「俺は人間を絶望させるためにここにいる。だが、逃げ道のない処刑装置で一方的に虐殺するのは、俺の罠師としての美学に反する」
『美学だと?』
グラズの眼が、不快げに細められた。
『兵器に美学など不要だ。お前のように予兆を残し、敵に学習の余地を与えるから、勇者のようなイレギュラーが育つのだ。選択肢など与えず、不可避の暴力でただ確実にすり潰す。それだけが戦争の正解だ』
「だから貴様は三流なのだ」
俺はかつての上官に向かって、一切の躊躇なく言い放った。
「学習を切り捨て、選択肢を奪う。そんな戦争合理性で作られた迷宮など、俺の芸術の前ではただの単調な作業に過ぎん。……俺の盤面に横槍を入れるな。貴様と共闘する気など毛頭ない」
『……相変わらずの偏執狂だな。ならば、これ以上の対話は無意味か』
グラズの音声が、一段と低く、絶対的な冷酷さを帯びた。
『お前の「ゲーム」ごと、この星を終わらせてやろう。せいぜい、その無駄だらけの罠と一緒に滅びるがいい』
――ブツンッ。
大広間を満たしていた赤黒い光が消え、巨大な眼のホログラムが空間に溶けるように消失した。
俺の目の前のコントロールパネルを縛っていたロックが外れる。システムへの干渉が途切れたのだ。
「NAVI! 防壁を再構築しろ! 俺のコアの制御権を完全に取り戻せ!」
『了解。セキュリティレベルを最大値に固定。マスター権限の復旧を確認しました。大広間の魂帰還則は正常に維持されています』
大広間の迅たちは、武器を杖代わりにしてその場に座り込み、滝のような冷や汗を拭っていた。
『……ハァ、ハァ……。今の、ただのイベントじゃ……ないよな』
『ああ。肌が粟立った。マジで殺されるところだった……』
俺は彼らの安堵を他所に、設計盤を叩く指を止めなかった。
「NAVI。奴が接続を切る直前の波形から、逆探知は成功したか」
『はい、マスター。グラズと呼称された個体の接続元を特定しました』
NAVIの音声が、かつてなく緊迫したトーンに変わる。
『接続元は、地球の正規ネットワークを経由していません。異界から直接、地球の次元の壁を突き破って刺さった……【未同期コア】です』
「未同期コア、だと」
俺の目が鋭く細められた。
俺の迷宮は、地球のシステム(NAVI)と正規の同期契約を結んでいるからこそ、魂帰還則が強制されている。
だが、正規同期を経ていない未同期コアの中には、地球のルールは適用されない。
「つまり、その未同期コアが形成したダンジョンの中に入れば……魂帰還は機能せず、人間は本当に命を落とす(・・・・・・・)ということか」
『肯定します。しかも、衛星からの観測データによれば、その未同期コアは既に地球上の複数箇所に突き刺さり、周囲の空間を侵食し始めていることが確認されました』
「…………」
俺は玉座の肘掛けを、ミシミシと音を立てて握りしめた。
俺の迷宮を勝手に餌場扱いした挙げ句、俺の獲物である攻略者どもを、美学の欠片もないクソゲーで虐殺しようとする輩。
グラズによる現実世界への侵略は、既に始まっていたのだ。
「俺の獲物を横取りし、ゲームの盤面ごとひっくり返そうとする害虫どもめ」
俺の奥底で、罠師としてのプライドと、純然たる怒りが沸点に達する。
「どこの誰だろうと、許さん。地球に刺さったその無様な殲滅装置、俺が直接解体してやる」
「NAVI。地上への転移座標を開け」
『了解しました』
俺は立ち上がった。画面越しで話が通じないのなら、次は顔を合わせて確かめる。――そして、俺の獲物に手を出した『本当のクソゲー』の正体も、この目で見る。




