第13話 ノーダメージで来い
四十八時間後。
適応AIの学習領域をフェイクデータで汚染し、迷宮の最適化をハックした三人の休養期間が明けた。
あの一件以来、俺は人間という種族が持つ『死体投げ』の執念に、確かな嫌悪と警戒を抱いていた。
「己の肉体と魂をすり減らしてでも、泥臭く突破口をこじ開けるか。……ならば、その泥臭さ自体を許容しない盤面を用意するまでだ」
俺は玉座で設計盤を操作し、第三階層からさらに奥へと続く道中に、新たな区画を構築した。
仕掛けたのは、単純なトラップの羅列ではない。探索者が罠で被弾した際に流れる『血』や『魔力のブレ』を床のセンサーが感知し、次の部屋の罠の数、速度、威力を乗算で引き上げる連動システムだ。
ダメージを受けても死ななければいい、回復すればいいという甘えは一切許さない。
一発でも被弾すれば、次室は回避不可能な弾幕地獄と化し、確実な死が待っている。
「死体投げも、ステータスによるゴリ押しも通用しない。この区画を抜けたければ、一切の傷を負わずに、完璧なノーダメージで駆け抜けてみせろ」
俺が冷笑と共に新たな地獄を完成させた直後、監視水晶が一人の侵入者を映し出した。
『マスターに報告。特定個体、黒瀬迅の単独入場を確認しました』
水晶の向こうで、迅は身軽な革鎧に短剣といういつものスタイルで、新設された区画の入り口に立っていた。
『ここから先は、チームでのカバーが不可能な精密操作が要求される。豪とレイナには待機してもらった』
迅は自身の周囲を飛ぶドローンカメラに向かって、静かに宣言した。
『入り口の警告文を見る限り、ここは一発でも被弾したら次室が無理ゲーになる連動ギミックだ。つまり、完全ノーダメージ(ノーヒット)で行くしかない』
コメント欄が『ノーダメ前提とか鬼畜すぎ』『RTA走者の腕の見せ所だな』と沸き立つ。
迅は小さく深呼吸をすると、最初の部屋へと足を踏み入れた。
そこは、壁の無数の穴から微細な毒針の雨が降り注ぐトラップルームだ。針は細く、目視での完全な回避は極めて困難。
だが、迅の目は壁の穴を追っていなかった。
『……来た』
彼の意識は、足の裏に全集中されていた。
罠の射出機構が壁の中で作動する際、ほんの微かに床の石畳に伝わる『振動』。迅はそれを感知したコンマ一秒後に、最小限のステップで体を捻った。
シュッ、シュッ!
目に見えないほどの毒針が、迅の鼻先や肩口の数ミリ横を掠めて飛んでいく。
彼は止まることなく、床の振動だけを頼りに、降り注ぐ針の雨の中を文字通り『縫うように』駆け抜けた。
「……ほう、見切るか」
俺は玉座で小さく感嘆の息を漏らした。視覚という不確かな情報に頼らず、迷宮の物理的な駆動音と振動から予兆を読み取るとは。
迅は一切の傷を負うことなく、最初の部屋を突破した。
続く第二、第三の部屋。
振り子刃、せり上がる槍、足元をすくう極細のワイヤー。
迅が完全無傷で進んでいるため、連動システムによる罠の難易度は『初期状態(最低値)』に抑えられている。しかし、俺が設定した最低値は、常人にとっては十分に回避不能な殺意の密度だ。
ここからが、RTA走者としての彼の本領だった。
『シッ!』
振り子刃の死角へ、関節の駆動限界ギリギリの低い姿勢で滑り込む。せり上がる槍を、刃が飛び出す直前の台座の凹みを蹴って跳躍し、空中でワイヤーの隙間をすり抜ける。
ミリ単位の身のこなし。一切の無駄を削ぎ落とした、最適解の軌道。
コメント欄は完全に狂乱していた。
『フレーム回避エグい!』
『神運営の極悪罠をノーダメRTAの世界記録ペースで抜けてるぞ!』
『動きが綺麗すぎる……』
俺は苛立ちを覚えながらも、その洗練された動きに見入っていた。
「まるで踊りのようだな。俺の仕掛けた死線の上で、よくぞそこまで完璧に舞ってみせる」
だが、ノーダメージを前提とするならば、最後は『回避不能の極致』でその足を止めてやるのが罠師の礼儀だ。
迅が到達したのは、最終部屋へと続く長く暗い通路だった。
そこに俺が仕掛けたのは『音罠』。
通路内には不可視の音波センサーが張り巡らされており、僅かな足音、衣擦れの音、果ては乱れた心音すらもトリガーにして、全方位から不可避の魔力レーザーが照射される仕組みだ。
入り口で立ち止まった迅も、その異様な静けさと、壁に埋め込まれたレーザーの砲門から、罠の性質を察知したようだった。
『……なるほど。音を立てたら即死か』
迅は極限まで息を殺し、足の裏から床に伝わる衝撃を完全に吸収する特殊な歩法で、音もなく通路を進み始めた。
一歩、また一歩。
静寂の中、ドローンカメラの僅かな駆動音すらも恐ろしいほどの緊張感だ。
俺は玉座で、意地悪く口角を吊り上げた。
迅の歩法は完璧だ。だが、通路の半ば、彼が次に踏み出す予定の石板。そこには、俺が意図的に『数ミリだけ浮かせて』配置した、建て付けの悪い石板が紛れ込んでいる。
どんなに静かに踏み込もうと、物理的に浮いている石が沈み込めば、必ず音は鳴る。
迅の足が、その石板を捉えた。
――カチッ。
微かな、だが致命的な軋み音が通路に響いた。
『しまった――』
迅が目を見開いた直後。音波センサーが反応し、全方位の壁から一斉に魔力レーザーが照射された。
回避する空間はどこにもない。
ズバァァァンッ!!
幾筋ものレーザーが迅の体を容赦なく貫き、彼はHPを全損して光の粒子となって砕け散った。
「当然の帰結だ」
俺は玉座の背もたれに深く寄りかかった。
「己の鼓動すら完全に制御できぬ人間に、あの罠は越えられん。どれほど完璧な回避を誇ろうと、たった一度のミスで全てが終わるのがこの階層だ」
俺は監視水晶を帰還室へと切り替えた。
石の床に排出され、帰還酔いとレーザーで貫かれた激痛に呻きながら、迅が床に崩れ落ちている。
コメント欄は『うわあああ惜しい!』『あんなトラップ石板、絶対音鳴るわ!』『運営の性格悪すぎだろww』と、彼の健闘を称える言葉で溢れていた。
通常なら、極限の緊張感の中で積み上げたノーダメージの成果を理不尽に奪われ、心折れる場面だ。
だが。
荒い息を整えながら、床に手をついた迅は――不敵な笑みを浮かべていた。
『……はっ、なるほどな』
迅は震える手で前髪を掻き上げ、ドローンカメラのレンズを真っ直ぐに見据えた。
『みんな、騙されるな。あの運営が、目に見えない「音波」なんていう、予兆の確認できない不条理なトリガーを仕掛けるはずがないんだ』
「……なに?」
俺は玉座で眉をひそめた。
『レーザーに貫かれる直前、俺は視界の端で確かに見た』
迅は、己の死の瞬間の映像を脳内で反芻するように、目を細めた。
『通路の床に、極薄の「水面」が張られてたんだ。俺が石板を踏んで音を立てた瞬間、その微かな振動で水面が揺れた。……罠は音そのものを感知してるんじゃない。音の振動によって「水面が揺れること」を物理的なトリガーにしてるんだよ』
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
そうだ。見えない音波センサーなどという逃げ道の無い仕様は、俺の美学に反する。俺は必ず視認できる予兆として、床一面に僅か数ミリの水を張り、その波紋をレーザーの起動スイッチと連動させていたのだ。
レーザーの閃光と死の激痛に包まれる一瞬の間に、それを看破したというのか。
『音じゃない。水面だ』
迅は立ち上がり、挑戦的な笑みを浮かべた。
『水面が揺れるのがトリガーなら、やりようはいくらでもある。……待ってろよ、神運営。お前の用意した完璧な盤面、俺が最速で駆け抜けてやる』
「…………」
俺は無言で監視水晶を見つめ、やがて低く笑い声を漏らした。
理不尽に殺されたというのに、まだ俺の設計の意図を信じ、攻略の糸口を見出して歓喜するか。
「いいだろう。次は三十分後だ。せいぜい作戦を練るがいい、黒瀬迅」
俺は苛立ちよりも濃い、強敵との知略戦に対する確かな熱を感じながら、次なる激突の時を待ち構えた。




