第10話 運営降臨
第二階層最奥の広大な空間。
背後の重厚な扉が落下し、退路が完全に断たれたその場所で、俺と三匹のネズミは対峙していた。
部屋の床には幾何学的な魔力陣が赤黒い光を放ち、俺の前に置かれた工具台の盤面と完全にリンクしている。俺が魔王軍の首席罠師であった証、黒い戦闘外套が魔力の余波で静かに翻った。
「いくぜ、運営様のお出ましだ!」
先陣を切ったのは、重装タンクの鬼塚豪だった。
彼は身の丈ほどもある大盾を構え、筋力強化のバフを全開にして一直線に突進してくる。その質量と速度は、並の魔獣であれば容易く轢き潰せるだろう。
だが、ここは俺の領域だ。
「猪の如き直進。芸がないな」
俺は工具台の盤面に触れ、指先で特定のルーンを軽く横へと弾いた。
ゴギャッ! という不快な摩擦音と共に、豪の足元にあった分厚い石板が、突如として左方向へ高速スライドした。
『なっ――!?』
勢いよく踏み込んでいた豪の巨体は、足場を強制的にずらされたことで完全にバランスを崩す。彼の突進のベクトルは無様な放物線を描き、そのまま右側の石壁へと激突した。
『豪!』
天城レイナが叫びながら、豪の死角から飛び出してくる。
双剣を構え、床の継ぎ目を避けるように跳躍しながらの立体的な強襲。彼女の戦闘勘は、俺が床に仕込んだ罠の作動領域を本能的に察知している。
ならば、その『目』を潰すまで。
俺は盤面を叩き、部屋を照らしていた魔力照明の波長を不規則に明滅させた。
チカッ、チカチカッ! という激しいストロボフラッシュが、レイナの網膜を焼き、空間の遠近感を狂わせる。
『くっ、目が……!』
レイナの動きがほんのコンマ数秒、鈍った。
俺はその隙を見逃さず、空中の死角から不可視の魔力刃を三発射出した。
『レイナ、右斜め上から来る!』
後方で戦況を俯瞰していた黒瀬迅の鋭い声。レイナは勘と迅の指示を頼りに空中で身を捻るが、躱しきれずに左腕と肩口を深く切り裂かれた。
着地と同時に彼女のHPバーが大きく削れる。
「理解したか、三流ども」
俺は工具台から一歩も動くことなく、冷酷に見下ろした。
「この部屋の床、壁、照明、そして空間そのものが、俺の操作一つで起動する『罠』だ。剣を振るうことだけが戦闘だと思っている貴様らに、迷宮の主には一生届かん」
『マスターに報告』
静まり返りかけた空間に、NAVIの無機質な音声が響き渡った。
『当ダンジョンの配信ミラーリング同時接続数が、100万を突破しました。現在、地球の主要ネットワークにおける世界トレンド上位に【神運営】がランクインしています』
「……なに?」
俺は片眉を吊り上げた。
NAVIが空中に展開したコメント欄は、かつてないほどの熱狂と狂乱の文字列で真っ白に埋め尽くされていた。
『100万同接キタ――(゜∀゜)――!!』
『玉座じゃなくて工具台! ギミック手動操作のレイドボスとか熱すぎる!』
『フィールド全体が武器とかマジで神運営』
『ファンサの極みだろこれwww運営様本気出しすぎwww』
「ファンサ、だと?」
ギリッ、と奥歯が鳴った。
俺が彼らを絶望の底に突き落とすために、直々に立ちはだかり、純然たる殺意をもってフィールドを操作しているというのに。それを『ファンサービス』だと? エンターテインメントの極致だと?
「……貴様らのその腐った脳髄ごと、粉々にすり潰してやる」
俺の苛立ちは臨界点を突破した。工具台の盤面に流し込むマナの量を跳ね上げ、罠の連動速度と殺傷力をさらに一段階引き上げる。
ズズズズズッ!
部屋中の石板が波打つように隆起し、陥没する。天井からは腐食性の酸がランダムに降り注ぎ、壁からは予測不能なタイミングで無数の鋼線が射出された。
もはや一歩歩くことすら命がけの、真の地獄。
『がはっ……!』
立ち上がった豪が、足元から突き出た岩の槍に太腿を貫かれる。
『くそっ、動きが読めない!』
レイナの双剣が鋼線を弾くが、不可視の斬撃が彼女の脇腹を浅く抉った。
絶対的な蹂躙。俺の掌の上で無様に踊るだけの哀れなネズミども。
だが。
『……見えた』
部屋の最後方。飛び交う魔力刃を最小限の動きで躱しながら、黒瀬迅の目が異様な光を放っていた。
彼はパニックに陥るどころか、極限の集中状態で『俺の手元』を食い入るように観察していたのだ。
『あの運営、出鱈目に床や壁を動かしてるわけじゃない。工具台の盤面を叩く指の「数」と「位置」が、罠の種類と連動してるんだ!』
「……ほう」
俺は内心で僅かに感心した。
殺意の嵐の中で、俺の操作の予兆を言語化してみせたか。だが、分かったところでどうにもならない。
『豪! 次、右手が盤面の中央を弾く! 正面から極太の火炎放射だ!』
『応ッ! 【絶対城壁】!!』
迅の叫びと同時。豪が痛む足で強引に前へ踏み出し、己の全魔力を大盾に注ぎ込んだ。
俺が操作した火炎放射の罠が、灼熱の業火となって三人を飲み込もうとする。だが、豪の命を削るような大盾の防御が、その直撃を寸前で受け止めた。
『ぐおおおおおっ! 俺の装甲ごと、焼き切ってみろやあああ!』
全身の鎧が赤熱し、HPが秒単位で溶けていく。それでも豪は一歩も退かず、後方に巨大な安置(安全地帯)をこじ開けた。
『レイナ、行け! 運営の右手が戻るまでの1.5秒が隙だ!』
『言われなくても!』
豪の背後から、レイナが限界を超えた速度で飛び出した。
彼女の全身から赤い魔力のオーラが噴き出す。防御を完全に捨て、機動力と攻撃力に全振りした決死の特攻。
彼女は床の隆起を壁蹴りの要領で利用し、空間を跳躍して真っ直ぐに俺の首へと双剣を振り下ろしてきた。
「速いが……単調だ」
俺は冷静に盤面をなぞった。
レイナの突進軌道上に、空間そのものを圧縮する『停滞の罠』を起動させる。
『しまっ――』
まるで透明な粘性膜に絡め取られたかのように、空中のレイナの動きが急激に減速した。
そこへ、四方から不可視の魔力刃が殺到する。
ズバァァァンッ!!
『ああっ!』
レイナの肉体は空中で無惨に切り裂かれ、光の粒子となって消滅した。
同時に、火炎を受け止めていた豪のHPも尽き、大盾と共に砕け散った。
二人同時の致死判定。
「チェックメイトだ、黒瀬迅」
俺は静かな声で告げた。
だが。
『――ああ、そうだな』
俺の視界の端。レイナの消滅の光の陰から、全く音を立てずに滑り込んできた影があった。
黒瀬迅だ。
彼は、豪が火炎を受け止め、レイナが俺の罠の意識を全引きしたその瞬間に、俺の最も意識の外側となるルートを無音で駆け抜けていたのだ。
二人の死は、迅を俺の懐へ届けるための『囮』だった。
「……っ!」
迅が踏み込む。手にした短剣が、俺の心臓へ向けて最短距離の直線を描いて放たれる。
完璧な連携。俺の操作の隙を突いた、執念の特攻。
だが、俺は魔王軍の首席罠師だ。
「観察力は褒めてやる。だが――届かん」
俺は盤面から手を離さず、ただ迅を見据えた。
ガィィィィンッ!!
迅の短剣が俺の心臓に届く数センチ手前。俺の黒い戦闘外套に仕込まれていた、最終防衛ラインである『自動迎撃の魔力障壁』が顕現し、迅の刃を弾き返した。
『くっ……!』
そして障壁からカウンターの雷撃が迸り、迅の胴体を深々と貫いた。
完全な致死判定。迅の肉体が、光の粒子へと崩壊を始める。
「ここまで辿り着いた意地は認めてやる。だが、所詮は人間だ。俺の理不尽には、一生手が届かない」
俺が冷酷に言い捨てた、その直後だった。
『……まだ、だ』
消滅していく光の中。迅の口角が、不敵に吊り上がった。
彼は雷撃に貫かれ、肉体が粒子化していく激痛に耐えながら、弾かれた短剣の柄を両手で握り直し――執念の力で、刃の軌道を僅かに下へとずらした。
チィィッ。
微かな布の裂ける音が、静まり返った部屋に響いた。
直後、迅の体は完全に光となって消え去り、帰還室へと強制排出された。
静寂。
罠の作動音も、怒声も消え去った最奥の空間。
俺は工具台の前に立ち尽くし、ゆっくりと視線を落とした。
『マスター。戦闘終了。侵入者三名の完全排除(全滅)を確認しました』
NAVIの報告が聞こえる中、配信のコメント欄は『うわああ全滅だあ!』『でも最後に一矢報いた!』『神運営の圧勝、だけどマジで熱かった!』と、最高のカタルシスに狂乱している。
俺は、自身の黒い戦闘外套の裾を指先でつまみ上げた。
そこには。
刃によって斬り裂かれた、長さにしておよそ『一センチ』ほどの布の裂け目があった。
「…………」
俺の心臓に届くには、あまりにも遠い一撃。
だが、絶対の理不尽を前にして、あの三人は命を投げ打つ連携と知恵によって、確かに俺の絶対防壁を掻き潜り、この戦闘外套に一センチの傷跡を残してみせたのだ。
「……腹立たしいネズミどもだ」
俺は小さく息を吐き、裂けた外套の裾から手を離した。
殺意の底で燻る、この微かな高揚感は何だ。罠師としての俺の設計を破り、あまつさえ俺の体に(布一枚とはいえ)刃を届かせた彼らに対する、苛立ちと入り混じった奇妙な熱。
「NAVI」
俺は静かに、だが確かな闘志を込めて告げた。
「俺の迷宮の難易度設定を、根本から見直す」
『……マスター? 現在の難易度でも、地球の探索者には十分すぎる脅威ですが』
「足りん。あの三人が連携すれば、遠からずこの壁を越えてくる」
俺は、誰もいなくなった入り口の重厚な扉を睨みつけた。
「奴らが再びここへ辿り着いた時、次こそは真の絶望で泣き叫ばせてやる。……次は、俺の外套の糸一ミリたりとも、絶対に触れさせない」
俺は外套の一センチの裂け目をもう一度見た。
次に奴らが来るまでに、同じ動きが二度と通じない迷宮へ作り替える。




