第二章 眠れる惑星②
少女は《アルカントゥルス》の医務室へ移された。
保存槽から取り出された身体は、人間より少し軽かった。骨格は人型。臓器配置も人間に近い。だが、完全に同じではない。
「血液中に微細な結晶構造」
レオンが検査結果を読み上げる。
「前頭葉の近くに、通常の神経組織とは別の生体演算器官がある。海馬の近くにも、記録処理に関わるらしい別構造。どちらも名称は不明だ」
アイシャが診断表示を覗き込む。
「見た感じは人間に見えるけど、人工生命体? それとも、アルヴァ人みたいな別系統の人類?」
「お前は分類したいのか、助けたいのか?」
アイシャが目を瞬く。
「え、両方だけど?」
「なら、待て」
レオンは少女の腕へ輸液管を繋いだ。
「今は患者だ」
アイシャは保存槽から回収した記録を展開した。
「読めたのは名前くらい。フェレイリア。あとは保存手順と、欠損した施設番号」
「ラルシュは?」
「単語だけ何度か出てる。人名か、施設名か、システム名かも分かんない」
カナタは眠る少女を見た。
フェレイリア。
三百十五年前に稼働を始めた保存設備の中で、保存開始時刻すら分からないまま、ただ一人残されていた。
アイシャが表示された名称を見直した。
「フェイ」
レオンが顔を上げる。
「は? なんだって?」
「呼びにくいから。起きたら嫌か聞く」
ミナトがアイシャを見る。
「本人の許可を取る前に使うんですね」
「起きるまでフェレイリアって呼ぶ?」
アイシャに問われ、カナタが保存槽へ視線を送る。
「フェイでいいと思います」
輸液の流量を確認していたレオンが、鼻から息を抜く。
「はぁ、艦長まで軽いな」
◇
フェイが再び目を覚ましたのは、六時間後だった。
その間、医務室の監視を交代しながら、カナタたちも短い休息を取っていた。覚醒の兆候を受け、医務室にはカナタ、ミナト、アイシャ、レオンが集まっていた。
フェイはゆっくり瞼を開き、天井を見た。
視線が動く。
壁。
医療機器。
窓の外に浮かぶティル・ナ・ノーグ。
レオンが瞳孔反応を確かめる。
「聞こえるか?」
「はい」
声は弱いが、返答までの間はなかった。
「名前は?」
「フェレイリア」
少し離れていたアイシャが、端末を胸元へ抱え直す。
「フェイと呼んでも?」
「構いません」
返答があまりに早く、聞いたアイシャの方が戸惑ったような表情を浮かべた。
アイシャを尻目にレオンが口火を切る。
「お前は何だ? どうしてここにいた?」
少し間を開けてフェイが答える。
「私自身の定義や情報は部分的に欠落しています」
レオンが診断表示を呼び出し、二つの走査像をベッド脇へ寄せた。
「では質問を変える。お前の頭部に、こちらでは確認できない器官が二つある。これに見覚えは?」
フェイは走査像へ目を向けた。前頭葉近傍の像から、海馬側の構造へ視線を移す。
「前者はノエシス。後者はムネモスです」
「機能は?」
「ノエシスは情報の演算と整理。ムネモスは記録の展開と、生体記憶への定着を担います」
レオンは名称を端末へ入力した。
「名称情報は残っているんだな?」
「はい。保持されています」
ベッドの反対側に立つミナトが、窓と少女を交互に見る。
「ここは星間文明共同体の艦船です。軌道施設で眠っていたあなたを保護しました」
フェイの青い目が、窓の外へ移った。
「《アルカントゥルス》」
誰もすぐには次の言葉を出せなかった。
カナタはフェイの視線を追った。
「この艦を知っているんですか?」
「識別信号を受けました」
「眠っていたのに、ですか?」
「眠りと停止は、同じではありません」
端末を持つアイシャの指が、わずかに浮いた。
「さっき、ティル・ナ・ノーグに行かないとって言ってたよね?」
フェイの視線が惑星へ戻る。
「はい」
「どうしてですか?」
カナタはベッド脇に立ったまま尋ねる。
「ラルシュに会うためです」
「ラルシュとは何ですか?」
フェイは少し考えた。
「分かりません」
「分からない?」
「名称と、ティル・ナ・ノーグに存在するという認識はあります。ですが、それに対応する記録がありません」
「人ですか?」
フェイはわずかに間を置いた。
「人間と定義できるかは不明です」
「何を根拠に?」
「提示できません。そう認識しています」
端末を見ていたアイシャが顔を上げた。
「じゃあ機械?」
「機械の定義にも、完全には一致しません」
「それも、なんでか分かんない?」
「はい」
アイシャが身を乗り出しかけ、レオンに肩を押し戻された。
「いい加減にしろ。患者に詰め寄るな」
「だって聞きたいことが多いんだよー」
「それに一度に聞けば答えが増えるわけじゃない」
カナタはベッド脇の手すりへ指を添えた。
「それでラルシュと連絡は取れますか?」
「いいえ。現在は取れません」
「では、最後に応答があったのは?」
「記録にはありません」
ミナトがフェイから視線を外さない。
「危険かどうかは?」
「危険性は判定できません」
カナタが少し間を置いた。
「それでも、惑星へ降りる必要があるんですか?」
「はい」
カナタはフェイを見た。
「誰に、そう命じられたんですか?」
「記録にはありません」
カナタは眉を寄せる。
「では何をするために?」
「それも分かりません」
同じ答え。
だが、逃げているようには見えなかった。
知らないというより、その先だけが切り取られている。
カナタにはそう思えた。
「脳波には異常はないが、記憶障害の疑いがある」
レオンが端末に表示した診断結果を見ながら言った。
「いいえ、その定義には一致しません。記録領域に欠損があります」
「どういう意味だ。どれくらいだ?」
「欠損範囲は判定できません」
医務室に沈黙が落ちた。
フェイは答えを持つ案内人ではない。
この星と同じように、残されたものの一つだった。
カナタは一度大きく息を吸い、窓の惑星からフェイへ視線を戻した。
「申し訳ありませんが、すぐには降りません」
青い目がこちらを向く。
「先に地表を調査します。ラルシュの位置、周辺環境、残存設備、撤退経路。安全を確認してから上陸します」
「了解しました」
即答に、カナタはわずかに眉を上げた。
「急いでいるわけではないと?」
「接触が目的です。急ぐことで達成の可能性を下げる必要はありません」
向かい側で、ミナトが静かにカナタを見た。
カナタは気づかないふりをした。
ミナトは視線を通信端末へ戻した。
「本部へも報告します。ただし、救援要請ではなく調査報告として。現時点で敵性反応も緊急事態もありません」
カナタは小さく頷いた。
フェイは窓の外の惑星を見た。
「ラルシュは、まだそこに存在する可能性が高いと判定します」
「なんでそんなこと分かるの?」
アイシャが聞く。
「この星が、残っているためです」
それ以上、フェイは説明しなかった。
◇
《アルカントゥルス》は軌道を一段高く変更した。
地表調査用ドローン十二機。
通信中継機四機。
地形走査機二機。
無人降下艇一機。
ひまりが投影された地形へ次々と経路を引く。
カナタが山岳地帯の投影を拡大した。
「ラルシュの位置は分かりますか?」
アイシャが北半球の一点を指で囲む。
「旧施設図と地表の制御信号を合わせると、この地下が一番ありそう。都市から百二十キロ」
「地上から近づく経路は?」
「三つ。二つは崩れそう。残りが旧保守道路」
ミナトが地図へ防衛情報を重ねる。
「防衛設備は?」
アイシャが首を横に振った。
「見た感じ、反応はないねぇ」
「だからといって、警戒を怠らないでください」
カナタは地図から目を離さず頷いた。
「ええ、分かっています」
紙カップを脇へ置いたジンが、名簿へ視線を落とす。
「フェイは?」
「調査結果が揃うまでは艦内にいてもらいます。その後は私が一緒に降りて、様子を見ます」
レオンが壁際で腕を組んだ。
「検査も終わってない。賢明だ」
フェイはカナタへ視線を向けた。
「では調査後は、同行してもよいのですか?」
「ええ、健康状態が確認出来たら同行の許可が出せると思います」
「了解しました。よろしくお願いします」
無人降下艇が格納庫を離れる。
大気圏へ向けて、小さな光が落ちていく。
誰も話さなかった。
ティル・ナ・ノーグは、拒まなかった。
歓迎もしなかった。
ただ、三百十四年の沈黙を保ったまま、彼らの調査を受け入れた。
その沈黙の奥に何が残っているのか。
フェイがなぜラルシュへ会わなければならないのか。
まだ、誰にも分からなかった。




