第二章 眠れる惑星①
ティル・ナ・ノーグは、青かった。
数時間の潜黒航行を終え、復帰探査のパルスがヘリクス側へ先行する。周辺に障害物がないことを確認すると、復帰点に小さな歪みが生じた。
黒漠側から船体が近づくにつれ、星々の光が波紋のように揺らいでいく。復帰前駆と呼ばれる現象だった。その中心から《アルカントゥルス》の艦首が滑り出し、続いて船体がヘリクスへ浮上した。
正面表示に惑星像が映し出された瞬間、カナタは思わず息を止めた。
薄い雲。
陽光を弾く海。
大陸を覆う深い緑。
極域には白い氷床が残り、夜側には淡い光の筋さえ見える。
「綺麗だ」
声は、吐いた息と一緒にこぼれた。艦橋に返事はなかった。
紙カップを傾けていたジンが、惑星から目を離さないまま口を開く。
「綺麗だから困るんだよ」
カナタはジンの横顔を見た。わずかに眉を寄せる。
それを見て、ジンは続けた。
「そうだな……滅びた星は、もっと分かりやすく滅びていてほしいってことだ」
カナタはもう一度、惑星を見た。
文明活動の消失から三百十四年。
滅亡原因は特定されていない。急激な環境変動、疫病、社会基盤の崩壊。いくつもの仮説が残されているが、年代が古く、当時の記録も断片的だった。
静寂群による直接攻撃の痕跡も確認されていない。
ただし、衛星軌道上には五基の黒い構造物が存在する。
通常の観測では輪郭を捉えることすら難しい、光を吸い込むような黒いモノリス。外部へ信号を発している形跡はなく、用途も分かっていない。静寂群が滅亡した文明圏に残すことから、共同体では文明が滅びているという識別旗と認識されていた。
通称――『墓標』。
ティル・ナ・ノーグについては、文明崩壊後に静寂群が設置したものと考えられている。
それでも、眼前の星は死んでいるようには見えなかった。
「軌道観測を開始します」
ミナトは戦術表示を開き、操舵席のひまりを見る。
「船生少尉、予定軌道へ」
「もう入ってる」
長い袖から覗く指先は、すでに補正値を確定している。
「まだ命令していません」
「来ると思ったから」
ミナトは一度だけ息を止め、数値を確認した。
「進入角を報告してください」
「予定値プラス〇・〇〇二。許容内」
《アルカントゥルス》は惑星の昼夜境界へ沿うように軌道を調整した。古い船体は低く軋んだが、姿勢は乱れない。
「観測ドローンを射出」
ジンが命じる。
艦腹から六機の小型機が離れ、扇状に散開した。
アイシャ・ナディームが文明解析席へ座る。眠そうな目が、流れていく解析結果を追っていた。
「大気成分、呼吸可能範囲。酸素濃度二〇・七。窒素七七・九。微量成分も問題ないよ」
ミナトは戦術表示から目を離さない。
「放射線は?」
「居住許容値以下かな」
「病原体の存在は?」
アイシャは解析値を横へ送った。
「まぁ軌道上から分かれば、医者は要らないよねぇ」
艦橋後方の壁へ寄りかかっていたレオンが、組んでいた腕をほどく。
「ふん。その言い方は気に入らん」
「役に立つって意味だよー」
眠そうな目のまま振り返られると、レオンは短く息を吐いた。
「まったく、雑な扱いだ」
アイシャは惑星地図を展開した。
都市圏。
河川。
農業区画。
軌道交通の残骸。
主要な構造物の多くが残っている。
「都市構造、推定九十八・四パーセント残存。道路網、橋梁、地下交通もほぼ無傷だね。」
カナタが都市部の拡大表示へ目を移す。
「生命反応はありますか?」
「動植物由来だけだねぇ。都市の一部に微弱な電力反応はあるけど、文明活動って呼べるほどじゃないかな」
ミナトが都市の外縁へ視線を走らせる。
「静寂群の攻撃痕は?」
「派手に壊された感じは、ないかなぁ」
アイシャが拡大表示を切り替える。
発電施設。
浄水中枢。
物流制御塔。
軌道交通接続施設。
建物そのものは残っている。
だが、文明を繋いでいた部分だけが止まっていた。
「都市を壊したんじゃない」
カナタが呟く。
「都市が都市として動く場所だけを止めた」
「共同体の推定と一致します」
ミナトが答えた。
「静寂群は人口そのものより、一定規模以上の文明活動に反応する傾向があります」
ミナトが表示された記録へ目を細める。
「どこからが一定規模なんです?」
「そこが分かんないんだよね」
カナタが口を挟んだ。
「そもそも、ここを滅ぼしたのが静寂群かどうかも分かっていないんですよね?」
アイシャが過去の調査記録を開く。
「墓標が残ってる以上、静寂群がここに来たのはほぼ間違いない。でも、文明崩壊との因果関係までは確認されてないんだよねぇ」
「では、再び現れる可能性は?」
「ある、としか言えない。ほかの文明では、武力破壊のあと三か月以内に静寂群が確認された例が多い。でも、それが出現条件なのかは分かんない」
ミナトがもう一つ確認する。
「何を検知しているかは?」
「それも不可解なところかなぁ。観測方法も、判断基準も、こっちからは見えてないんだよね」
解析席でアイシャの手が止まった。眠気の残っていた目が、表示の一点へ絞られる。
「惑星軌道上に構造物。主軌道から外れてる」
アイシャが表示を拡大した。
崩壊した環状施設。
かつては軌道中継拠点か、輸送施設だったものらしい。外周の三分の一が失われ、残った部分も暗い。
ミナトが軌道施設の表示を拡大する。
「電力反応は?」
「ほぼないねぇ。通信も」
カナタが表示へ身を乗り出す。
「では、何を拾ったんです?」
アイシャの指が止まった。
暗い構造物の中央に、淡い点が一つだけ灯る。
「ん? 生命反応見つけた」
紙カップが卓上へ置かれる音がした。
ミナトが椅子を表示へ寄せる。
「数は?」
「一つだけだね」
壁から離れたレオンが、拡大像へ目を細めた。
「こんなところにか?人間なのか?」
「そこまでは分かんない。形状は人型に近いけど」
ミナトの指が次の検索項目を開く。
「救難信号出ていますか?」
「ないみたい」
「敵性反応の兆候は?」
「それも今のところないかな」
ジンがカナタを見る。
「艦長」
判断を求められている。
生命反応が一つ。
救難信号はない。
施設の状態も、そこに生命が残されている理由も分からない。
「まずは無人機を先行させます」
カナタは言った。
「内部構造と生命維持区画を確認。接近班は結果が出るまで待機してください」
ミナトが小さく頷く。
「妥当です」
カナタはその一言を、表情に出さず受け取った。
◇
無人機による調査には三時間かかった。
軌道施設の大半は停止していた。
姿勢制御なし。
通信なし。
武装反応なし。
内部大気なし。
ただし、生命反応のある区画だけは独立した電源と密閉構造で維持されていた。
「設備は劣化してる。でも、今すぐ停止する兆候はないかな」
アイシャが調査結果を閉じる。
「とりあえず保存区画の入口までは到達できた。経路上に罠や防衛設備は見つかってない。ただ、区画内部は遮蔽されてて、映像が取れない」
カナタは調査結果を閉じた。
「それなら、回収します。接近班は私、神崎中尉、ナディーム少尉」
ミナトが名簿へ一人分を追加する。
「いえ、ベルガー中尉もです」
「生命体を収容する可能性があります。医療担当なしでは許可できません」
壁際のレオンが眉を寄せた。
「おい、ちょっと待て。俺は許可した覚えはないぞ」
「ええ。ですが、現地で医療処置が必要になる可能性はあります」
レオンは肩をすくめた。
「はいはい、仰せのままに」
「やれやれ、こんな仕事選ぶもんじゃないな」
アイシャが端末を抱え直した。
「なんで? 自分で選んだんでしょ?」
「できるもんなら、昔の俺を張り倒して説教してやりたいよ」
四人を乗せた多目的降下艇一号が、《アルカントゥルス》を離れた。
全員が航宙外装を着装している。航宙外殻。それは真空環境から未知の惑星大気まで対応する、船外活動用の密閉装備だ。
操縦はひまりの遠隔制御。軌道施設は、惑星の陰へ入りかけていた。
『接舷まで三分』
カナタは窓の外の構造物と、ひまりの遠隔表示を見比べた。
「施設の状態は?」
『止まってる』
カナタが軌道施設の表示を見る。
「詳しく」
『ほぼ全部。姿勢制御も、軌道修正も止まってる』
ミナトが構造解析へ目を走らせる。
「船体強度は?」
『壊れそう』
カナタは小さく息を吐いた。
「接舷できますか?」
『できる』
「壊れそうなのに、ですか?」
『できるよ』
多目的降下艇が施設の陰へ入る。
惑星の青い光が遮られ、窓の外が暗くなった。構造物の表面には無数の小さな衝突痕が残り、接続部は歪み、外板の一部が剥がれている。
『接舷』
小さな衝撃。
固定具が作動する。
「気密確認」
ミナトが表示を確認した。
「接続部、圧力維持。内部大気なし」
「航宙外殻のまま進む」
カナタが立ち上がる。
レオンが医療ケースを背負った。
「生命反応の相手が、生命維持装置に入っていたらどうするんだ? 真空じゃどうしようもない」
「だとしても近づけばバイタルサインくらいわかるでしょう?」
「異常があっても出せなきゃ何も出来ん。わかってて言ってるのか?」
「その時はその時考えます」
レオンが呆れたように短く息を吐いた。
「まったく立派な艦長だな」
施設内部は暗かった。
非常灯すらついていない。ミナトの肩部灯が、長い通路を白く切り取る。
壁面には旧文明の文字。
閉じた扉。
床に散った小さな破片。
争った痕跡はない。
人が逃げた形跡もない。
ただ、止まっている。
「生命反応まで百八十メートル」
アイシャが端末を確認する。
「まっすぐ?」
「構造図どおりならね。でも、区画の一部が潰れてる」
「迂回路は?」
「右側の保守通路」
施設内での隊列と警戒指揮は、戦術主任のミナトに任せていた。ミナトが先頭へ出て、肩部灯の角度を調整した。
「艦長は中央。ナディーム少尉は後方。ベルガー中尉は生命反応へ到達するまで隊列維持」
後方のレオンがミナトへ目をやった。
「要するにこのままだろ。そんなこといちいち言わなくても分かる」
「あくまで確認です」
「へえへえ、ご丁寧な事で」
ミナトは振り返らず、暗い通路へ一歩進んだ。
「だからこそ生存率が上がります」
「まったく面倒だな」
「ですが、死ぬよりは」
レオンは返さず、その後ろへ続いた。
保守通路は狭かった。一人ずつしか進めない。無重力のため、壁面の取っ手を掴みながら進む。
何度か、施設全体が低く震えた。
「崩壊では?」
『ちがう、軌道ずれ』
ひまりの声。
『施設が少しずつ落ちてる』
カナタが軌道予測へ目をやった。
「惑星へ?」
『そのうち落ちる』
「そのうちって?」
『だいたい数十年以内』
「数十年は、そのうちなんでしょうか?」
『宇宙では』
保守通路を抜けると、小さな円形区画へ出た。
中央に一基の透明な保存槽。
その周囲だけ、淡い青い光が残っている。
「生命反応……そこ」
アイシャが言った。
保存槽の中に、人影があった。
少女。
銀色の髪。
白い肌。
薄いドレスのような貫頭衣を身につけ、胸元で両手を重ねている。
呼吸はほとんど見えない。
カナタは透明な隔壁の向こうを見た。
「人間に見える」
カナタが保存槽へ一歩近づくと、レオンの腕がその前を遮った。
「ああ、見た目だけならな」
アイシャが端末に生体情報を呼び出した。
「心拍は……ある。代謝も維持されてるみたいだよ」
ミナトが保存槽からレオンへ視線を移す。
「意識は戻せますか?」
「バイタルサインは低いが安定している。死んではいない。ただ戻せるかは別だ」
カナタがレオンを見る。
「容体は?」
レオンは数値から目を離さない。
「そんなもの診てもないのに分かるわけないだろ。とにかく冬眠状態みたいなものだ」
アイシャは保存槽の端末へ接続した。崩れた文字列が、ひとつずつ共通形式へ置き換わっていく。
アイシャが保存槽の表示を指でなぞった。
「フェレイリア……かな?」
カナタが表示を覗き込む。
ミナトが別の表示へ目を移す。
「保存設備の稼働開始時期は?」
アイシャが記録を追う。
「三百十五年前。今の保存がいつ始まったかまでは分かんない」
通信回線には、四人分の呼吸だけが残った。
この星から文明が消えた時期と、ほぼ一致する。
カナタは浅く息を吸い、レオンへ向き直った。
「起こせますか?」
「ここでは無理だ」
「移送は?」
「槽ごとなら出来んこともない。ただ電源系統を切り替える。手順を間違えれば危険だ」
接続部を調べていた指が、予備電源の端子を示す。
「多目的降下艇の予備電源を繋ぐ。艦の医療設備へ移した後で覚醒処置をする」
カナタが保存槽へ手をかける。
「ベルガー中尉、運べますか?」
「お前らが運べ。俺はこいつの状態を見る」
ミナトが保存槽の固定機構を確認する。
「ナディーム少尉、外部制御を解除。艦長、左側を」
カナタが反対側へ回り込む。
「じゃ、三つ数えたら解除するよ。いち、に、さん」
固定具が外れる。
保存槽がわずかに浮いた。
少女の瞼が、ほんの少し動いた。
「え? 意識が戻った?」
アイシャが数値を確認した。
「脳活動上昇。ちょっとだけだけど」
「静かにしろ。刺激するな」
レオンの声が鋭くなる。
少女の唇が動いた。
槽内の拾音器が、掠れた音を拾う。
「……ティル・ナ・ノーグへ」
「何だって?」
カナタが顔を近づける。
「行かなければ……」
焦点の合わない青い目が、窓の向こうの惑星を探すように動く。
「ラルシュ……」
それだけを残し、少女の瞼は再び閉じた。
「心拍は安定。眠ったようだ」
レオンが言った。
「とにかく運ぶぞ。続きは艦で聞く」




