第一章 脚一本分の投資③
星間文明共同体中央船団 《リュケイオン》最大艦、《エルピーダ》の首都港は、港というより漂流物の集積場だった。
損傷した軍艦。居住区を増設された輸送船。異なる文明圏から逃れてきた避難船。船体の規格も、重力方向も、生活言語も違う。共通するのは、共同体の識別灯だけだった。
第七十四外縁ドックの最奥に、《アルカントゥルス》はいた。
中型艦。
船体は軍艦ほど鋭くなく、輸送艦ほど太くない。装甲の色は区画ごとに異なり、外部接続口の規格すら統一されていない。
古い。
強そうには見えない。
それでも、艦名だけは新しく塗り直されていた。
ARCANTRUTH
「未完成に見える?」
背後から声がした。
振り向くと、紙カップを持った男が立っていた。五十代。軍服は着ているが、襟元は緩い、艦隊規定のネクタイもつけていない。不精とは言わないが、決して整然としたとは言い難い。
「というより継ぎ足し続けた結果に見えます」
「そう。正解」
男は紙カップを持ち上げるようにして名乗った。
「ジン・オルトマン大尉。副長だ。よろしく頼む」
「カナタ・エンフィールドです。本日付で艦長に着任しました」
「ああ、知ってるよ」
敬礼はなかった。
カナタはもう一度、船体を見上げる。
「乗員は?」
「常駐七名。君を入れて。昔はもっといた。文明再建任務が終わるたびに転属して、今残ってるのは俺と小次郎だけだ」
「七名?」
「まぁ飛ばすだけなら足りる。飛ばした後は足りない」
「再建団は?」
「成功したら来る」
視線を戻した。
「成功するための人員では?」
ジンは紙カップの縁を指でなぞった。
「成功するか分からない艦へ人員を送る余裕なんぞないだとさ」
悪びれた様子はない。
「共同体は正直だよ。文明再建なんて、もう終わった計画だと思われてる。成功したら儲けもの。失敗したら記録だけ持ち帰れ。帰れなくても僅かな資材が吹き飛ぶだけだ」
「それでも残ったんですね?」
「ああ、転属の話は何度もあった。でも残った。小次郎もね」
乗艦口を抜ける。
廊下の壁材は区画ごとに色が違い、補修板には共同体標準語ではない刻印が残っていた。
「これは別文明の部材ですか?」
「そうだな、確か三つほど混ざってる」
「全部、規格が違う。これで動いてるんですか?」
「現に動いてる。小次郎が繋いだ。技術だけなら優秀だよ、あいつは」
◇
機関区画では、男が主機関の外装へ上半身を突っ込んでいた。
「宮本小次郎。機関主任」
紹介されても、男は振り向かない。
「本日から艦長を務めます」
「どけ、邪魔だ」
工具を持つ腕が、こちらを避けるように動いた。
「機関の状態は?」
「最悪だ」
「最悪だって、それで出航できるんですか?」
「ふん。当たり前だ」
「……本当に大丈夫なんですか?」
ようやく顔が上がる。
左目だけが青い走査光を帯びていた。
「最悪だとは言ったが、動かないとは言ってねぇ」
それだけ言い、再び機関へ潜る。
床には外された部品が並び、廃棄品に見えるものまで一つずつ磨かれている。
カナタは足元の部品へ目を落とした。
「交換部品は?」
「んなもん、あるか」
「補給申請は?」
「通ると思うのか?」
「では。どうやって?」
工具が短く鳴った。
「だからこうやって直してんだろ」
会話は終わったらしい。
◇
操舵席には、小柄な少女が沈んでいた。
制服の袖が長く、指先しか見えない。周囲には三機の小型ドローンが浮かび、それぞれ別の画面を操作している。
「船生ひまり。操舵主任」
少女の視線は画面から動かなかった。
「本日から艦長を務めます。よろしく」
「ん」
「操艦経験は?」
「ある」
「《アルカントゥルス》の習熟状況は?」
「終わった」
「いつ乗艦したんですか?」
「昨日」
「たった一日で?」
ひまりは警告表示を閉じ、別の画面を開いた。
「暇だったから」
画面には操舵制御系が展開され、一部はすでに書き換えられている。
「何を変更したんです?」
「遅かったから直した」
「許可は?」
「ない」
隣へ視線を向ける。
ジンは紙カップへ口をつけた。
「まあ、前より動くよ」
「安全性は?」
「大丈夫」
今度はひまりが答えた。
「説明できますか?」
「できる」
「では」
ようやくこちらを見て、すぐに視線を戻す。
「やだ。めんどい」
ジンは頬を軽く掻いて苦笑した。
◇
医務室では、長身の男が器具を整理していた。
「レオン・ベルガー。医療主任」
ジンが紹介しているのを気にも留めず、金属トレーが棚へ収まる。
「着任検査を」
一瞥された。
「そこ座れ。腕出せ」
指示された椅子へ腰を下ろす。
「検査内容は?」
「血を採る」
「それは見れば分かります」
「なら聞くな」
針が刺さった。
「痛っ」
「騒ぐな」
「医者なら少しは」
抜いた針を処理容器へ落とし、綿を投げてくる。
「自分でできるだろ。押さえてろ」
ぶっきらぼうな医者。
今のところ、それ以上でも以下でもない。
◇
文明解析室の床には、記録媒体が散乱していた。
中央のソファで、銀髪の女性が本を顔へ載せている。
ジンが軽くあきれた顔を見せ、紹介する。
「アイシャ・ナディーム。文明解析主任」
「起きていますか?」
「ん、起きてるよ」
本が少し持ち上がり、眠そうな灰紫の目が現れた。
「新しい艦長?」
「はい」
「そうなんだ。若いねぇ」
「よろしくお願いします」
「はーい、よろしくねぇ」
本が戻る。
「終わりですか?」
紙面の向こうから声だけが返った。
「ん、終わりだよー」
◇
艦橋では、神崎ミナトが待っていた。
濃い紫色の髪を高く束ね、制服には乱れ一つない。
カナタが歩み寄る。
右手が胸元まで上がる。
ほんのわずかに止まる。
次の瞬間、何事もなかったように額へ届く。
「戦術主任、神崎ミナト中尉です」
「カナタ・エンフィールドです」
腕が下りても、姿勢は崩れない。
「経歴は確認済みです」
「ヴァイス艦長が、あなたを選んだ理由は今も理解できません」
その一言で、艦橋の空気が冷えた。
「私はヴァイス艦長の戦術官でした」
カナタは一瞬、喉が詰まった。
「……そうでしたか」
「あの時、私は救命艇七号を見捨てるべきだと進言しました」
「当時、七号艇にはすでに二十七名が収容されていました。あなたは、その人たちまで危険に晒して反転した」
カナタは一度、視線を落とした。
「はい」
カナタは短く息を吐き、顔を上げた。
ミナトは視線を逸らさない。
「ですがヴァイス艦長は、あなたを見捨てませんでした。その結果、多くの代償を払いました」
短く息を吸った。
「分かっています」
「本当に?」
初めて声に感情が滲んだ。
「あなたは艦長席に座るには早すぎます」
「わかっています」
「それなら、どうして引き受けたんですか?」
「返さなければならないからです」
「あの日の代償を、ですか?」
「……それだけではありません」
ミナトは視線を外さないまま、細く息を吐いた。
「本艦には、副長および戦術主任による艦長権限の停止手続きが設けられています」
ミナトは視線を逸らさず、淡々と告げた。
「任務中、あなたの判断が本艦と乗員を不当に危険へ晒す場合、私は即座にその権限を行使します」
「はい、お願いします」
「そんなに簡単に受け入れないでください」
「いえ、必要な役目です」
一瞬だけ目が伏せられた。
「……っ、そういうところが、問題なんです」
踵を返し、戦術席へ戻っていく。
その背を見送りながら、ジンが声を落とした。
「歓迎された?」
「処刑手続きの説明に近かったです」
「まだ話してくれるだけましだよ」
◇
食堂の正式名称は、栄養補給区画だった。
壁際の供給装置から、白い固形食と透明なスープが出てくる。
座っているのはカナタとジンだけ。
小次郎は機関室。
ミナトは艦橋。
レオンは医務室。
アイシャは解析室。
ひまりは操舵席。
「皆、別々に?」
「まぁ今のところ」
「同じ船にいるのに」
ジンは固形食を割り、片方を口へ運んだ。
「一緒に食べれば仲間になるわけでもないよ」
自分の分を一口かじる。
不味くはない。
美味しくもない。
生きるために必要なものから、喜びだけを取り除いたような味だった。
「再建艦なのに、船の中に共同体がない」
透明なスープの表面が、わずかに揺れる。
「始まる前から家族ごっこをするより健全だよ」
「なにも家族とは言ってません」
「前は、もう少し賑やかだったんですか?」
ジンは少しだけ考えた。
「人数はね」
「じゃあ何を作りたい?」
答えは出なかった。
仲間。
組織。
乗員。
どれも正しいが、どれもしっくりこない。
ジンは返事を急かさず、紙カップとは違う容器を両手で包んだ。
「まぁ急がなくていい」
「でも出航は明日です」
「いや、船を動かす話じゃないよ」
人間には取扱説明書がない。
そう付け加え、味のしないスープを飲んだ。
◇
出航予定時刻の二十分前、機関区画から通信が入った。
『出航を三十分遅らせろ』
艦橋で、ミナトが整備数値を確認する。
「理由を」
『冷却系の圧が戻らん』
「予定変更には再建局への報告が必要です」
『じゃあ壊れたまま出すか?』
通信卓へ向けた視線が鋭くなる。
「宮本中尉、口調を」
『こうるせえな、だったら艦長に聞け』
艦橋の視線がカナタへ集まった。
着任して一日。
最初の命令が、出航延期。
格好はつかない。
それでも、表示された圧力値は戻っていなかった。
「出航を三十分延期します」
ミナトがこちらを見る。
「予定を優先しないのですか?」
「いえ、機関が壊れれば、予定そのものがなくなります」
『おっ、分かってるじゃねえか』
通信が切れた。
二十八分遅れで、《アルカントゥルス》はドックを離れた。
『機関出力正常』
小次郎の報告が通信から届く。
「航路入力済み」
ひまりは操舵卓から目を離さない。
「周辺に敵性反応なし」
ミナトが戦術表示を閉じる。
隣から、ジンが軽く顎を引いた。
「艦長」
カナタは艦長席へ座った。
硬く、古い椅子だった。肘掛けには、何人もの手が残した細かな傷がある。
この席に座った者たちは、何を判断し、何を諦めてきたのだろう。
大きく息を吸い、正面を見た。
「文明再建艦 《アルカントゥルス》、発進」
ひまりの指が操舵卓へ触れる。
船体が滑るように回頭した。旧式艦とは思えない反応だった。
ミナトの視線が補正値で止まる。
「操舵補正値が規定を超えています」
「大丈夫」
「安全限界は?」
「超えてない」
「詳しく説明してください」
ひまりは画面を切り替えた。
「今じゃない、もう飛んでる」
「船生少尉」
長い袖の中で指が止まり、小さく息が漏れた。
「推進制御の初期慣性を姿勢制御へ逃がして、船体中心じゃなく質量偏差を基準に回頭。補助推進の遅延は予測済みだから入力を前倒し。三番の出力変動は二番と四番で平均化」
ミナトは数値を追い、わずかに間を置いた。
「……要点は?」
「無駄な動きやめた」
「最初からそう説明してください」
「細かく説明しろって言ったの、そっち」
副長席から小さな笑いが聞こえた。
カナタは正面表示を確認した。
目的地、惑星ティル・ナ・ノーグ。
文明消失から三百十四年。辺境に位置し、長く再建優先度の低い候補惑星だった。
再建可能性、一パーセント未満。文明再建候補の再調査対象として、今になって《アルカントゥルス》へ回された。
共同体は何も期待していない。
ヴァイスは、その低い確率へ自分たちを賭けた。
負ければ、旧式艦一隻と問題のある乗員を失う。
勝てば、人類は再び星へ降りられる。
ひどく打算的な賭けだった。
「艦長」
呼ばれて振り向く。
ジンは正面表示の片隅を見ていた。
「何ですか?」
ティル・ナ・ノーグの青い光が、まだ小さく映っている。
「あの星じゃ、誰も俺たちを待っちゃいない」
そこで一度言葉を切った。
「少なくとも、人間はな」
《アルカントゥルス》は、共同体の灯を離れた。
やがて、航法表示に位相転移可能域が重なった。
「位相転移準備」
ひまりの指が操舵卓を滑る。
通常宇宙は、高次元側から見れば螺旋状の周期構造を描いている。人類はその構造をヘリクスと呼んだ。異なる巻きの間を梯子のように短絡する高次元経路がラダー。ラダー内部を満たす漆黒の未知媒質を、黒漠と呼ぶ。
位相転移航法は、ヘリクスを離れてラダーへ入り、黒漠の中を渡る。螺旋に沿えば何光年もかかる距離も、隣り合う巻きへ渡れば数時間で越えられる。
「潜黒開始」
星々の光がゆっくりと歪み、やがて消えた。
《アルカントゥルス》はヘリクスを離れ、黒漠へ沈んだ。
その潜黒を見送る者はいなかった。
ただ一人。
遠く離れた中央区画の窓辺で、アルヴィン・ヴァイスだけが、潜黒とともに表示から消えた一隻の航跡を見ていた。
「さて」
義足へ体重を預ける。
「どこまで回収できるかな?」
誰に聞かせるでもなく呟き、表示を閉じた。
星の夜明けは、まだ始まってすらいなかった。




