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星黎のアルカントゥルス  作者: 珠響まほら
第一巻 問いを失った文明
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3/7

第一章 脚一本分の投資②

 三か月前。


 撤退命令が出た時、カナタ・エンフィールドは救命艇七号の操縦席にいた。


 崩壊した植民居住環 《オルフェ》が、後方映像の半分を占めている。巨大な円環構造は回転軸を失い、外殻を撒き散らしながらゆっくり傾いていた。都市照明はほとんど消え、残った光は火災と非常灯だけだった。


『全救命艇、指定回廊を維持。反転を禁ずる』

 護衛艦 《アルトシュテルン》からの命令。

 艦長アルヴィン・ヴァイス大佐。

 カナタは通信スイッチへ触れた。

「救命艇七号、了解」


 後部区画には、すでに救助した二十七名が収容されている。言葉にした時点では、従うつもりだった。


 その十二秒後、救難信号が届いた。


『こちら第三保育区画。救難班、応答してください』

 雑音の奥で、子どもが泣いていた。

『隔壁閉鎖不能。酸素濃度低下。四十七名が取り残されています。うち十三名が児童です』


 右席の航法員が座標を呼び出す。

「撤退経路から外れています」

「到達にかかる時間は?」

「十二分。接舷、救出を含めれば往復三十分以上」

「酸素残量?」

「推定二十一分」


 正面表示には、青い退避回廊が伸びていた。第三保育区画は、その反対側。


「《アルトシュテルン》、応答せよ」

 カナタが《アルトシュテルン》に呼びかける。

「第三保育区画から救難信号。四十七名」

『把握している。回廊を維持しろ』

「まだ間に合います」

『救助後の帰還方法は?』


 息を吸ったまま、答えが出なかった。


『護衛可能時間は八分。現在の敵性反応数は二百十二。救命艇単独の突破率は一・六パーセント。戻れ』

「ですが」

『方法を言え、エンフィールド』


 操縦桿を握る指に力が入る。

「……ありません」

『なら戻れ』


 保育区画から再び声が届いた。

『ねぇ誰か、聞こえているなら――』


 泣き声。

 咳。

 子どもをなだめる、かすれた声。


 目の前に四十七人がいた。それ以外が、急に遠くなった。


 カナタは操縦桿を握り直した。

「第三保育区画へ向かう」

 航法員が顔を上げた。

「中尉!」

「命令だ。保育区画までの進路を出せ」


『カナタ』


 ヴァイスは初めて、階級ではなく名前を呼んだ。

『戻れ』

「できません」

『救助する能力と、救助したい気持ちを混同するな』

「……それでも、見捨てる能力だけはありません」


 通信の向こうで、短い間が落ちた。

『……軍規違反として記録しておく』


 回線が切れた。

 救命艇七号は退避回廊を外れた。


 第三保育区画への接舷は、着艦ではなく衝突に近かった。居住環の回転に船体を合わせきれず、外板が壁面を削る。警報が鳴り、右舷姿勢制御器が停止した。


「接続固定、不完全!」

 航法員が表示を叩く。

「かまうな! 押しつけたまま開ける!」

「船体が持ちません!」

「いいからやれ! 向こうの酸素も持たない!」


 推力を手動で調整し、船体を接舷口へ押しつける。固定表示が黄から一瞬だけ緑へ変わった。


「開けろ!」


 隔壁が開く。

 最初に飛び込んできたのは、子どもを抱えた女性だった。続いて、顔を血まみれにした保育士。酸素マスクをつけた少年。足を引きずる老人。泣き声。咳。呼吸器の警告音。


 艇内定員の表示が赤く染まる。

「四十三、四十四、四十五――」

 最後の保育士が隔壁を越えた。

「四十七!」

「全員か!」

「確認済みです!」

「離脱!」


 接舷を解除した瞬間、第三保育区画の一部が崩れた。破片が後部へ衝突し、船体が大きく振られる。


「敵性反応!」


 裏返った声と同時に、退避回廊との間へ黒い機影が広がった。静寂群の自律機。雀蜂と呼ばれる小型機だ。百を超える光点が、救命艇を包むように移動している。


「別経路!」

「ありません」

「なら作れ!」


 航法員は表示を切り替え、首を振った。

「右舷姿勢制御停止。定員超過。後部推進器も出力低下。回避運動を取れば外板が耐えません」


 最初の攻撃が救命艇の後部を貫いた。


 警報。

 減圧。

 人々の悲鳴。


「後部隔壁を閉鎖!」

「子どもが二人残っています!」


 閉じれば二人を切り捨てる。

 閉じなければ全員が死ぬ。


 吸い込んだ息が、喉で止まった。


 その一秒を通信が切り裂く。

『後部隔壁を閉じろ。救命班を気密装備で向かわせる』


 ヴァイスだった。


「艦長?」


 正面の星空を、一隻の護衛艦が横切る。

 《アルトシュテルン》。

 主砲が発光し、静寂群の隊列を薙ぎ払った。救命艇と敵の間へ、護衛艦の船体が滑り込む。


『隔壁を閉鎖。二名は艦側で回収する』

「ですが」

『ふん、今さら何を迷う?』


 歯を食いしばり、止めていた息を吐いた。

「後部隔壁、閉鎖」


 気密扉が降りる。子どもの姿が見えなくなった。

 《アルトシュテルン》から射出された救命班が、後部区画へ接近していく。


『七号艇、私の艦影に沿え』

「艦長、そちらも持ちません!」

『黙れ。貴様の失敗を回収している』


 敵の射撃が《アルトシュテルン》へ集中した。装甲が剥がれ、左舷へ火災が走る。


『いいか。目の前から逃げるな、カナタ』


 ヴァイスの声は静かだった。

『だが、目の前だけを見るな』


 艦橋側面へ敵弾が命中し、映像が白く染まる。

『両方できなければ、指揮官にはなるな』


 通信が途切れた。


「救命班、二名回収! 七号艇より離脱しました!」

「《アルトシュテルン》、損傷率二十八パーセント!」


 艇内に報告が響く。

「即時離脱する!」


 カナタは正面表示の《アルトシュテルン》から目を離せないまま、離脱を命じた。

 《アルトシュテルン》は崩れかけた船体で航路を開き、その陰を救命艇七号が抜けた。



◇



 第三保育区画の四十七名は全員生還した。

 救命艇七号は廃棄。

 護衛艦 《アルトシュテルン》は大破。

 重傷者十一名。

 第六救援群は二十一日間、作戦行動不能。

 アルヴィン・ヴァイス大佐は艦橋崩壊に巻き込まれ、左脚を膝上から失った。

 カナタは命令違反で軍法会議への送致が決まり、処分が確定するまで拘留された。


 そして、三か月が過ぎた。


 拘留室には窓がなかった。白い壁。硬い椅子。机の上に一台の端末。事故報告書を開く以外にすることはない。


 四十七名救助。

 死者ゼロ。

 護衛艦大破。

 作戦遅延。

 ヴァイス大佐、左下肢喪失。


 もう一度、最初から目を通した。数字の並びは変わらない。


 英雄だと言った者もいた。

 無謀な命令違反者だと言った者もいた。

 どちらも、ひどく遠い言葉だった。


 扉が開いた。

 義足の音が近づく。


 カナタは椅子を引いて立ち上がった。

 アルヴィン・ヴァイスは杖を使わずに入ってきた。軍服の左脚だけが不自然に細い。歩き方はまだ硬いが、表情には痛みも苛立ちも見えない。


「座れ」

「艦長」

「今は少将だ」

「失礼しました。この度は私のせいで取り返しのつかない事に……」


 カナタの言葉を途中でヴァイスが遮る。

「ふん、薄っぺらい謝罪など要らん」


 口を閉じると、ヴァイスは向かいへ座り、一枚の辞令を机へ置いた。

「読め」


 手に取る。


 星間文明共同体・文明再建局直轄。

 共同体軍大尉へ暫定昇進。

 文明再建艦 《アルカントゥルス》艦長を命ずる。


 もう一度、最初から目を通した。内容は変わらない。


「少将。何かの間違いです」

「ああ。人事部もそう言った」

「私は軍法会議待ちです」

「軍法会議への送致は取り下げられた。処分は配置転換だ」

「艦長教育も受けていません」

「知っている」

「副長経験も」

「ない」


 辞令から顔を上げる。

「では、なぜ?」


 ヴァイスは背もたれへ寄りかからなかった。

「お前は救助事件で何を学んだ?」


 紙を机へ戻す。

「……方法を持たずに飛び込めば、代償を他人が払う」

「それだけか?」


 カナタは一度息を整え、ヴァイスを見据えて言った。

「それでも救助すること自体は、間違っていないと思っています」


 義足の駆動音だけが、短く鳴った。

「そうか。なら十分だ」

「いえ、十分ではありません」

「十分ではないから、乗せる」

「艦長として?」

「艦長だから学べることもある」

「乗員を実習教材にするんですか?」

「そう考えるなら、死なせれば失敗だ」


 ひどく単純な基準だった。


「断ることは?」

「もちろん、できる」

「その場合は?」

「決まっているだろう。軍法会議へ戻るだけだ」

「それ、選択肢になっていません」

「何を言う。選べるだけ親切だ」


 ヴァイスは左脚を指で叩いた。

「私の脚一本分くらいは役に立て」


 冗談には聞こえない。細い軍服の輪郭から目を逸らせなかった。


「申し訳ないと思っています。救援していただいたことにも、心から感謝しています。ですが……私に返せる借りでしょうか?」

「勘違いするな。貸した覚えはない」

「では?」


 ヴァイスは左脚を軽く叩いた。

「無駄にするなと言っている」


 カナタはしばらく黙り、手元の辞令へ視線を落とした。

「……それで、艦長ですか?」

「今のところ、かなり質の悪い投資だ」


 椅子を引き、ヴァイスが立ち上がる。

「《アルカントゥルス》は旧式だ。乗員も問題が多い。文明再建の最終成功率は一パーセント未満。失敗しても誰も驚かない」

「成功したら?」


 扉へ向かいかけた足が止まった。

「私が手柄を取る」


 思わず顔を上げたが、ヴァイスは真顔だった。

「英雄役は、お前にくれてやる」


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