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星黎のアルカントゥルス  作者: 珠響まほら
第一巻 問いを失った文明
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2/7

第一章 脚一本分の投資①

 アルヴィン・ヴァイス少将が中央評議会へ呼び出されたのは、その年に入って六度目だった。


 星間文明共同体中央区画の最深部。半円形に並ぶ議席の中央を、ヴァイスは一人で歩いた。磨かれた黒い床へ、右足と左の義足が交互に音を刻む。


 靴音。

 わずかな駆動音。

 靴音。

 わずかな駆動音。


 百年以上前なら、英雄の負傷を象徴する音として歓迎されたかもしれない。今の共同体には、そんな感傷へ割く余裕すらなかった。


「また君か、ヴァイス」

 議長席のチェン・バーリアスがもううんざりだとばかりに話しかけた。

「はい」

「今年六度目だ」

「今年と言ってもまだ七月です」

「記録更新を狙っているのかね?」

「呼ばれなければ来ません」


 議席の一部から、抑えた笑いが漏れた。

 チェンは表情を崩さず返答した。

「今日の議題を理解しているか?」

「文明再建艦 《アルカントゥルス》の再就役について」

「正式には、君が二度の文明再建任務へ投入した《アルカントゥルス》を、三度目の任務へ再投入する件についてだ」


 チェンが指先を動かし、空中へ資料を表示した。

 中型艦の輪郭。艦齢七十一年。外殻の三割が異文明規格の補修材。主機関は二世代前。武装は最低限。再建設備の半数は試験運用中。

 資料の末尾では、予算超過額だけが太字になっていた。


 財務委員のヴィント・ライカンが表示を拡大する。

「過去の文明再建任務を終えた艦への再投資。修理予算の目的外転用。承認されていない部材調達。再建設備の更新。どれから説明しますか?」

「結果からでよければ、出航可能です」

「話を逸らさないでください。過程を説明しろと言っているのです」


 ヴァイスは表示された項目を一瞥した。

「些細なことです。説明すると長くなりますので、報告資料でご確認ください」

 ライカンは額へ指を当てた。

「長くしてもらって構いませんので、いまここで説明してください」

「では端的に申し上げますと、機関主任が必要だと言いましたので用意しました」

「今度は説明になっていません」


 議席の反対側で、艦隊総司令ローレンハイム・ケストが腕を組んだ。

「艦だけではない。乗員名簿も見た」

「些事です。総司令がわざわざ気にかけることでもないでしょう」

「艦長候補は命令違反の審査中。戦術主任は配置転換願いを三度却下された。機関主任は標準整備規格への不服従で技術局から追い出された」


 列挙するたび、名簿の該当箇所が赤く染まっていく。


「医療主任は上官への不適切な鎮静処置で左遷。文明解析主任は勤務態度の改善命令を無視。操舵主任に至っては、配属前訓練の大半を欠席している」

「ですが、出席が必要な内容ではなかったそうです」

「本人がそう申告しただけだ」

「それでも、実技成績は首席です」

「そういう話をしているのではない」


 低い声が議場へ落ちた。

「なぜ問題のある人間ばかり集めた?」


 ヴァイスは答える前に、並んだ赤い表示を一度見た。答えは決まっている。問題は、どこまで正直に言うかだけだった。


「普通の人間は、普通に失敗します」


 議場から音が消えた。

 ケストの組んだ腕がわずかに強張る。

「問題のある人間なら成功すると?」

 ヴァイスはケストへ視線を返した。

「いいえ。普通ではない失敗をするかもしれません」

「冗談のつもりか?」

「ですが、成功する可能性も、普通ではない」


 ケストは細く息を吐いた。

「二度失敗した艦へ、共同体の資産を博打のように使うな」

「博打ではありません。損失上限を定めた試行です」

「それを博打と言う」

「とするならば、賭ける前に負け方を決めてあります」


 ヴァイスは乗員名簿を閉じ、別の報告書を開いた。


 文明再建任務、過去二十七件。

 初期環境の安定化に成功した例、四件。

 帰還移住団を受け入れられる状態まで到達した例、ゼロ。

 帰還艦、十一隻。

 未帰還、十六隻。


 再建局長イングリッド・メイヤーが数字を追い、指を止めた。

「初期環境の安定化率は約十五パーセント。ですが、文明再建まで成功した例はありません」


 ヴァイスは、報告書の末尾に並ぶ「ゼロ」から目を離さなかった。

「正確な算出自体が困難で、静寂群の再襲撃条件も分からないため、推定上の最終成功率は一パーセント未満です」

「だからこそ、試す価値がある」


 イングリッドは数字を表示したまま、ヴァイスへ視線を向けた。

「そんなものにもはや投入する資源は残されていません」

「成功すれば、共同体は惑星へ戻れる」

「ですが、失敗すれば中型艦一隻と乗員を失います」

「ええ。その通りです」


 若い評議員が椅子の背から身を起こした。

「随分と簡単に言うのですね」

 ヴァイスは若い評議員へ目を向けた。

「簡単ではありません。数えています」

「人命を?」

「すべてを、です」

「艦も、人も、時間も、食料も。数えずに使えば、より多く失う」


 開きかけた口が閉じる。


 この場にいる者は皆、知っていた。


 星間文明共同体は国家ではない。滅びを先送りしている船団だ。


 惑星上で一定規模の活動を始めれば、静寂群に見つかる。大規模な採掘を始めれば攻撃される。文明基盤を復旧すれば、ほぼ確実に再襲撃を受ける。

 《オルフェ》もそうだった。軌道上で暮らしているだけの間、静寂群は現れなかった。地表への再入植が始まり、居住環から物資と電力が送られた後に、襲撃を受けた。


 人類は星を失った。代わりに、艦隊という細い生存圏へ逃げ込んだ。

 新造艦は減り続けている。食料も、反応材も、人員も有限。何もしなければ共同体は百年も保たないという試算すらあった。


 チェンが資料を送る。

「艦長候補。カナタ・エンフィールド中尉」

「はい」

「二十四歳。艦長教育課程未修了。副長経験なし」

「救難任務中、撤退命令を無視して第三保育区画へ反転。四十七名を救助した一方、護衛艦一隻を大破させ、救援群全体を二十一日間行動不能にした」

「正確には、護衛艦を大破させたのは静寂群です」

「言葉遊びは要らん。君が救援に入った艦だ」

「ええ、そうです」


 チェンの視線が、軍服の左脚へ落ちた。

「その結果、君は脚を失った」

「左脚です」

「どちらでもいい」

「いえ、私には重要です」


 わずかに眉を上げ、まっすぐヴァイスを見る。

「君は彼を庇っているのか?」

「いいえ」


 答えは間を置かなかった。

「彼の判断は最低でした。すでに避難民を収容していたにもかかわらず、救助後の帰還手段も、護衛側の損失も計算せず、目の前だけを見て飛び込んだ」

「では、なぜ艦長に据える?」


 ヴァイスは義足を軽く叩いた。

 鈍い音が一つ、議場へ響く。


「脚一本使いました」

「安い買い物だったと証明してもらいます」

「高くつかなければいいがな」

「まったくです」


 チェンは顔をしかめてヴァイスを見据えた後、口を開いた。

「万が一にでも成功すると考えているのか?」

「分かりません」

「勝算は?」

「ありません」

「では、何がある?」


 ヴァイスはわずかに口元を緩めた。

「ただの勘です」


 評議席から一斉に声が上がった。

 ライカンは額を押さえ、ケストは隠そうともせず嘆息する。イングリッドだけが、表示された数字から目を離さなかった。


「静粛に」


 チェンの声が議場を押さえた。

「ヴァイス。君は全体効率を理由に、これまで何度も危険な案を通してきた」

「はい」

「そのたび、君の勘とやらは当たった」

「そうとも限りません。外したこともあります」

「その結果が脚か?」

「その一つです」

「それでも賭けると?」

「ええ、負けたままにしておく方が、損失です」


 チェンは大きく息を吸い、椅子へ深く背を預けた。


「《アルカントゥルス》の再就役を条件付きで承認する」


 議場がざわつく。

「議長」

 ケストが身を乗り出したが、チェンは片手で制した。

「条件は三つ。追加予算は認めない。再建局と艦隊司令部は、必要と判断した場合に任務を中止できる。艦長権限には、副長および戦術主任による停止手続きを設ける」

「妥当です」

「そして、失敗した場合」


 真っ直ぐにヴァイスを見た。

「責任は君が負え」

「手柄も私が取ってよろしいですか?」


 数秒の間を置いて、チェンはとうとう小さく笑った。

「……ふん。好きにしろ」


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