第一章 脚一本分の投資①
アルヴィン・ヴァイス少将が中央評議会へ呼び出されたのは、その年に入って六度目だった。
星間文明共同体中央区画の最深部。半円形に並ぶ議席の中央を、ヴァイスは一人で歩いた。磨かれた黒い床へ、右足と左の義足が交互に音を刻む。
靴音。
わずかな駆動音。
靴音。
わずかな駆動音。
百年以上前なら、英雄の負傷を象徴する音として歓迎されたかもしれない。今の共同体には、そんな感傷へ割く余裕すらなかった。
「また君か、ヴァイス」
議長席のチェン・バーリアスがもううんざりだとばかりに話しかけた。
「はい」
「今年六度目だ」
「今年と言ってもまだ七月です」
「記録更新を狙っているのかね?」
「呼ばれなければ来ません」
議席の一部から、抑えた笑いが漏れた。
チェンは表情を崩さず返答した。
「今日の議題を理解しているか?」
「文明再建艦 《アルカントゥルス》の再就役について」
「正式には、君が二度の文明再建任務へ投入した《アルカントゥルス》を、三度目の任務へ再投入する件についてだ」
チェンが指先を動かし、空中へ資料を表示した。
中型艦の輪郭。艦齢七十一年。外殻の三割が異文明規格の補修材。主機関は二世代前。武装は最低限。再建設備の半数は試験運用中。
資料の末尾では、予算超過額だけが太字になっていた。
財務委員のヴィント・ライカンが表示を拡大する。
「過去の文明再建任務を終えた艦への再投資。修理予算の目的外転用。承認されていない部材調達。再建設備の更新。どれから説明しますか?」
「結果からでよければ、出航可能です」
「話を逸らさないでください。過程を説明しろと言っているのです」
ヴァイスは表示された項目を一瞥した。
「些細なことです。説明すると長くなりますので、報告資料でご確認ください」
ライカンは額へ指を当てた。
「長くしてもらって構いませんので、いまここで説明してください」
「では端的に申し上げますと、機関主任が必要だと言いましたので用意しました」
「今度は説明になっていません」
議席の反対側で、艦隊総司令ローレンハイム・ケストが腕を組んだ。
「艦だけではない。乗員名簿も見た」
「些事です。総司令がわざわざ気にかけることでもないでしょう」
「艦長候補は命令違反の審査中。戦術主任は配置転換願いを三度却下された。機関主任は標準整備規格への不服従で技術局から追い出された」
列挙するたび、名簿の該当箇所が赤く染まっていく。
「医療主任は上官への不適切な鎮静処置で左遷。文明解析主任は勤務態度の改善命令を無視。操舵主任に至っては、配属前訓練の大半を欠席している」
「ですが、出席が必要な内容ではなかったそうです」
「本人がそう申告しただけだ」
「それでも、実技成績は首席です」
「そういう話をしているのではない」
低い声が議場へ落ちた。
「なぜ問題のある人間ばかり集めた?」
ヴァイスは答える前に、並んだ赤い表示を一度見た。答えは決まっている。問題は、どこまで正直に言うかだけだった。
「普通の人間は、普通に失敗します」
議場から音が消えた。
ケストの組んだ腕がわずかに強張る。
「問題のある人間なら成功すると?」
ヴァイスはケストへ視線を返した。
「いいえ。普通ではない失敗をするかもしれません」
「冗談のつもりか?」
「ですが、成功する可能性も、普通ではない」
ケストは細く息を吐いた。
「二度失敗した艦へ、共同体の資産を博打のように使うな」
「博打ではありません。損失上限を定めた試行です」
「それを博打と言う」
「とするならば、賭ける前に負け方を決めてあります」
ヴァイスは乗員名簿を閉じ、別の報告書を開いた。
文明再建任務、過去二十七件。
初期環境の安定化に成功した例、四件。
帰還移住団を受け入れられる状態まで到達した例、ゼロ。
帰還艦、十一隻。
未帰還、十六隻。
再建局長イングリッド・メイヤーが数字を追い、指を止めた。
「初期環境の安定化率は約十五パーセント。ですが、文明再建まで成功した例はありません」
ヴァイスは、報告書の末尾に並ぶ「ゼロ」から目を離さなかった。
「正確な算出自体が困難で、静寂群の再襲撃条件も分からないため、推定上の最終成功率は一パーセント未満です」
「だからこそ、試す価値がある」
イングリッドは数字を表示したまま、ヴァイスへ視線を向けた。
「そんなものにもはや投入する資源は残されていません」
「成功すれば、共同体は惑星へ戻れる」
「ですが、失敗すれば中型艦一隻と乗員を失います」
「ええ。その通りです」
若い評議員が椅子の背から身を起こした。
「随分と簡単に言うのですね」
ヴァイスは若い評議員へ目を向けた。
「簡単ではありません。数えています」
「人命を?」
「すべてを、です」
「艦も、人も、時間も、食料も。数えずに使えば、より多く失う」
開きかけた口が閉じる。
この場にいる者は皆、知っていた。
星間文明共同体は国家ではない。滅びを先送りしている船団だ。
惑星上で一定規模の活動を始めれば、静寂群に見つかる。大規模な採掘を始めれば攻撃される。文明基盤を復旧すれば、ほぼ確実に再襲撃を受ける。
《オルフェ》もそうだった。軌道上で暮らしているだけの間、静寂群は現れなかった。地表への再入植が始まり、居住環から物資と電力が送られた後に、襲撃を受けた。
人類は星を失った。代わりに、艦隊という細い生存圏へ逃げ込んだ。
新造艦は減り続けている。食料も、反応材も、人員も有限。何もしなければ共同体は百年も保たないという試算すらあった。
チェンが資料を送る。
「艦長候補。カナタ・エンフィールド中尉」
「はい」
「二十四歳。艦長教育課程未修了。副長経験なし」
「救難任務中、撤退命令を無視して第三保育区画へ反転。四十七名を救助した一方、護衛艦一隻を大破させ、救援群全体を二十一日間行動不能にした」
「正確には、護衛艦を大破させたのは静寂群です」
「言葉遊びは要らん。君が救援に入った艦だ」
「ええ、そうです」
チェンの視線が、軍服の左脚へ落ちた。
「その結果、君は脚を失った」
「左脚です」
「どちらでもいい」
「いえ、私には重要です」
わずかに眉を上げ、まっすぐヴァイスを見る。
「君は彼を庇っているのか?」
「いいえ」
答えは間を置かなかった。
「彼の判断は最低でした。すでに避難民を収容していたにもかかわらず、救助後の帰還手段も、護衛側の損失も計算せず、目の前だけを見て飛び込んだ」
「では、なぜ艦長に据える?」
ヴァイスは義足を軽く叩いた。
鈍い音が一つ、議場へ響く。
「脚一本使いました」
「安い買い物だったと証明してもらいます」
「高くつかなければいいがな」
「まったくです」
チェンは顔をしかめてヴァイスを見据えた後、口を開いた。
「万が一にでも成功すると考えているのか?」
「分かりません」
「勝算は?」
「ありません」
「では、何がある?」
ヴァイスはわずかに口元を緩めた。
「ただの勘です」
評議席から一斉に声が上がった。
ライカンは額を押さえ、ケストは隠そうともせず嘆息する。イングリッドだけが、表示された数字から目を離さなかった。
「静粛に」
チェンの声が議場を押さえた。
「ヴァイス。君は全体効率を理由に、これまで何度も危険な案を通してきた」
「はい」
「そのたび、君の勘とやらは当たった」
「そうとも限りません。外したこともあります」
「その結果が脚か?」
「その一つです」
「それでも賭けると?」
「ええ、負けたままにしておく方が、損失です」
チェンは大きく息を吸い、椅子へ深く背を預けた。
「《アルカントゥルス》の再就役を条件付きで承認する」
議場がざわつく。
「議長」
ケストが身を乗り出したが、チェンは片手で制した。
「条件は三つ。追加予算は認めない。再建局と艦隊司令部は、必要と判断した場合に任務を中止できる。艦長権限には、副長および戦術主任による停止手続きを設ける」
「妥当です」
「そして、失敗した場合」
真っ直ぐにヴァイスを見た。
「責任は君が負え」
「手柄も私が取ってよろしいですか?」
数秒の間を置いて、チェンはとうとう小さく笑った。
「……ふん。好きにしろ」




