扉の向こう
夕方、ヨシュアは新しい服を何着も運んできた。
濃紺の上着。
白いシャツ。
柔らかな革靴。
銀糸で刺繍された外套。
どれも王子のために作られたものだという。
「どうして外套があるのですか」
「寒くなってきましたから」
「部屋の中では着ません」
「そうですね」
ヨシュアは、それだけ答えた。
王子は外套へ触れた。
深い青色の布は柔らかく、裾には小さな星が縫い取られている。ヨシュアの服にある模様と、よく似ていた。
「これを着れば」
王子は言いかけた。
「はい?」
「……いいえ」
外套から手を離す。
窓の外では、夕日が庭を赤く染めていた。
昼間に見た青い花は、もう影に隠れている。
夜になれば、さらに冷えるだろう。
明日は雨が降るかもしれない。
花が枯れてしまうかもしれない。
「ヨシュア」
「はい」
「明日も、晴れますか」
ヨシュアは窓の外へ目を向けた。
「晴れますよ」
「どうしてわかるのです」
「晴れるようにしますから」
「魔法で?」
「必要であれば」
王子は眉を寄せた。
「天気まで変えてはいけません」
「では、空に任せましょう」
「……晴れなかったら?」
「次に晴れる日を待ちます」
ヨシュアは外套を畳み、椅子の背へ掛けた。
「何日でも」
王子は外套を見つめた。
それから、窓の外を見る。
荒れた庭。
青い花。
さらに向こうの森と山。
この部屋から見るだけだった世界。
「明日」
声が小さくなった。
「はい」
「明日、晴れたら」
喉が詰まる。
言葉にすれば、本当に外へ出なければならなくなる。
廊下には人がいる。
階段にも。
庭へ出れば、窓から誰かが見るかもしれない。
悪魔の子が歩いていると囁かれる。
「庭へ行っても、いいです」
ヨシュアはすぐには答えなかった。
王子は不安になって振り返る。
ヨシュアは、ひどく嬉しそうな顔をしていた。
「はい」
弾んだ声で答える。
「では、明日は庭へ行きましょう」
*
翌朝、空は晴れていた。
魔法を使ったのかと尋ねると、ヨシュアは片目を閉じただけだった。
王子は昨日の外套に腕を通した。
紐を結ぶ手が震えている。
ヨシュアが膝をつき、銀色の留め具を留めた。
「とてもよくお似合いです」
「おかしくありませんか」
「誰よりも素敵ですよ」
「誰かに会ったら」
「私がいます」
「怖がられたら」
「私がいます」
「悪魔の子だと、言われたら」
ヨシュアは王子の手を取った。
「私がいますよ、テオ」
同じ答えだった。
それだけでよいのだと、言うように。
二人は部屋を出た。
廊下には、誰もいなかった。
いつもなら掃除をしている使用人も、食事を運ぶ下男もいない。
ヨシュアが先に人払いをしたのだろう。
それでも王子は、何度も後ろを振り返った。
曲がり角の向こうから誰かが来るかもしれない。
扉の隙間から見られているかもしれない。
足が重くなる。
階段の前で、とうとう動けなくなった。
下へ続く石段が、ひどく長く見えた。
八年前。
父が来たと思い、駆け降りた階段。
庭で剣を向けられた記憶が蘇る。
「帰ります」
王子は言った。
「はい」
ヨシュアは止めなかった。
手を引き、来た道を戻ろうとする。
王子は一歩進み、足を止めた。
このまま部屋へ帰れば、きっと安心する。
窓辺の小さな花を見ていればいい。
庭へ行く必要などない。
けれど、一度戻れば、二度とここまで来られない気がした。
「待って」
ヨシュアが振り返る。
「どうしました?」
「……行きたいです」
「庭へ?」
頷く。
「でも、足が動きません」
ヨシュアは階段を見た。
それから王子を見つめる。
「では、歩かなければよいのです」
「どういう意味ですか」
「失礼しますね」
白い腕が背と膝裏へ回った。
身体が浮く。
王子は驚き、反射的にヨシュアの首へ腕を回した。
「何を――」
「お連れします」
「下ろしてください。僕は十四歳です」
「存じていますよ」
「子供ではありません」
「もちろんです」
「重いです」
「とても軽いですよ。もう少し食べていただきたいくらいです」
ヨシュアは王子を抱き上げたまま、階段を降り始めた。
足取りは揺れない。
王子は恥ずかしさに顔を伏せた。
白い髪から、花と香草のような匂いがする。
「誰かに見られます」
「見せておけばよいのです」
「笑われます」
「笑わせません」
ヨシュアの声は、どこまでも明るかった。
「大丈夫ですよ」
その言葉とともに、階段を一段ずつ降りていく。
王子の部屋が遠ざかる。
逃げ込める場所が遠ざかっていく。
怖かった。
それでも、ヨシュアの首へ回した腕を離そうとは思わなかった。
やがて、一階へ着いた。
正面玄関の大扉が見える。
扉の隙間から、朝の光が細く差し込んでいた。
外の風が、土と草の匂いを運んでくる。
王子は顔を上げた。
ヨシュアが微笑む。
「開けますね」
大扉が、ゆっくりと開いていく。
眩しい光が、二人を包んだ。




