↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法使いの王子様  作者: はちもく


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/26

青い花

 朝食は、柔らかく焼いた卵と、野菜のスープだった。


 王子が林檎の次に好きだと言った蜂蜜も、焼きたてのパンへ添えられている。


 食べられる量は、まだ多くない。


 それでも七日前よりは、少しずつ増えていた。


 ヨシュアは向かいに座り、王子が食べる様子を眺めている。


「今日は、よい天気ですね」


 窓の外へ目を向けた。


 青い空が広がっている。


 数日前まで汚れで曇っていた窓は、今では庭の奥まで見渡せるほど透き通っていた。


 王子の部屋は、城の東側にある。


 窓の下には、長く手入れされていない庭園が広がっていた。


 生垣は形を失い、雑草が石畳を覆っている。水の止まった噴水には枯れ葉が積もり、蔓草が白い像へ絡みついていた。


 それでも、荒れた庭の向こうには森が見える。


 さらに遠くには、低い山々。


 王子は窓から外を見るのが好きだった。


 誰もこちらを見ていないときに限る。


「庭へ行きませんか?」


 ヨシュアが言った。


 王子の手から、パンが落ちた。


 皿の上へ転がる。


「外へ?」


「はい」


「どうして」


「よい天気ですから」


 理由になっていないと思った。


 晴れた日は、これまでにも何度もあった。空が青いからといって、外へ出なければならないわけではない。


「行きません」


「そうですか」


 ヨシュアはあっさり頷いた。


 それ以上、何も言わない。


 王子は落としたパンを拾った。


 蜂蜜が指につく。


「怒らないのですか」


「なぜです?」


「せっかく、誘ったのに」


「嫌なことをさせるために誘ったのではありませんよ」


「でも」


「行きたくなったら、行きましょう」


 ヨシュアは布巾を取り、王子の指についた蜂蜜を拭いた。


 責める様子はない。


 王子は窓の外へ目を向けた。


 庭へ出たのは、いつが最後だっただろう。


 この離宮へ送られたばかりの頃、一度だけ部屋から逃げ出したことがある。


 父が迎えに来たと思ったのだ。


 城の前に見慣れない馬車が停まり、王都の紋章が見えた。


 裸足のまま廊下を走り、階段を降りた。


 庭まで出たところで、衛兵に見つかった。


 その男は剣を抜いた。


 六歳の子供に向かって。


 悪魔の子が逃げた、と叫びながら。


 父の馬車ではなかった。


 食料を運んできただけだった。


 王子は庭で捕まり、部屋へ戻された。


 それから、外へ出ていない。


「人が、います」


 王子は言った。


「庭に?」


「廊下にも、階段にも」


「使用人のことですか」


 頷く。


「皆、僕を怖がります」


「気にしなくてよいのですよ」


「気になります」


「そうですか」


 ヨシュアは少し考えた。


「では、誰にも会わない道を通りましょう」


「そんな道はありません」


「作ればよいのです」


「魔法で?」


「はい」


 王子は黙った。


 ヨシュアの魔法は、少しずつ日常の一部になっていた。


 火をつける。


 部屋を掃除する。


 湯を温める。


 新しい衣服を、王子の身体へぴったり合う大きさに直す。


 どれも禁じられた力とは思えないほど、優しかった。


 けれど、魔法という言葉を聞くたび、母の倒れた姿を思い出す。


「魔法は使わなくていいです」


「承知しました」


「それでも、庭には行けません」


「わかりました」


 ヨシュアは微笑んだ。


 何も強要しない。


 そのことに安堵して、同時に少し落胆している自分がいた。


 本当は、行ってみたかったのかもしれない。


 一人ではなく。


 ヨシュアと一緒なら。


     *


 昼を過ぎる頃、ヨシュアは窓辺へ鉢を置いた。


 土だけが入っている、小さな鉢だった。


「何ですか、これは」


「庭です」


「土しかありません」


「小さな庭ですよ」


 ヨシュアは土の上へ種を置いた。


 王子にも一粒を渡す。


 黒く、小さな種だった。


「埋めてください」


「僕が?」


「ええ」


 王子は人差し指で土へ穴を作った。


 種を入れ、上からそっと土をかぶせる。


「水を?」


「必要ありません」


 ヨシュアは鉢へ手をかざした。


 指先から淡い光が落ちる。


 土の中で、何かが動いた。


 小さな芽が顔を出す。


 芽は王子の目の前で茎を伸ばし、二枚の葉を開いた。


 さらに蔓が伸び、窓枠へ巻きつく。


 白い蕾が一つ、二つ、三つと膨らみ、次々に花開いた。


 星の形をした、小さな青い花だった。


 王子は息を呑んだ。


「きれい……」


「庭には、もっとたくさん咲いていますよ」


 ヨシュアは窓の外を見た。


 王子も目を向ける。


 荒れた庭の片隅に、同じ色の花が見えた。


 生い茂った雑草の間で、小さく揺れている。


「あれも、魔法ですか」


「いいえ。あちらは自分で咲いた花です」


「誰も世話をしていないのに?」


「だからこそ、咲いたのでしょう」


 王子は窓辺の花へ触れた。


 薄い花びらが指先に震える。


「触ってみたいですか?」


「触っています」


「外の花を」


 王子は答えなかった。


 ヨシュアも、それ以上は尋ねない。


 ただ隣に立ち、同じ庭を眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。