ふたりの姿
朝、目を覚ますと、天井に星が浮かんでいた。
青白い光の粒が、薄暗い天井をゆっくりと巡っている。夜明けとともに消えかけていた星は、王子が瞼を開いたことに気づいたように、一つずつ明るさを取り戻した。
寝台の脇では、ヨシュアが眠っていた。
椅子に腰掛けたまま、背もたれへ身体を預けている。
長い白髪が肩から流れ、胸元の宝石を覆っていた。起きているときにはいつも笑っている顔も、今は静かに目を閉じている。
本当に、朝までいた。
王子は毛布の中から手を伸ばした。
触れようとしたわけではない。
ただ、そこにいることを確かめたかった。
指先が白い髪へ届く寸前、ヨシュアの目が開いた。
「おはようございます、テオ」
眠っていたとは思えないほど、はっきりとした声だった。
王子は慌てて手を引っ込めた。
「起きていたのですか」
「今、起きました」
「嘘です」
「本当ですよ」
「目を開けるのが早すぎます」
「テオが起きたので、私も起きたのです」
ヨシュアは椅子から身を起こした。
白髪がさらりと揺れる。
「よく眠れましたか?」
「はい」
「怖い夢は?」
「見ませんでした」
「それは何よりです」
ヨシュアは微笑み、王子の額へ手を伸ばした。
昨日と違い、王子は目を閉じなかった。
白い掌が額に触れる。
「熱も下がりましたね」
「最初から、病気ではありません」
「空腹と寒さも、立派な病気の種ですよ」
ヨシュアは寝台の上へ視線を移した。
古びた熊と白い兎が、枕元に並んでいる。
昨夜、眠っているあいだに蹴り落とさないよう、二匹とも壁際へ置いたはずだった。
けれど目を覚ましたとき、兎だけが腕の中にいた。
「仲よくなれましたか?」
「何とですか」
「兎です」
「ぬいぐるみです。話しません」
「おや。あの子はお喋りが苦手なのですね」
王子は兎を手に取った。
「名前がないからかもしれません」
「では、つけましょう」
「僕が?」
「あなたへの贈り物ですから」
そう言われ、王子は兎の顔を見つめた。
長い耳。
紫色のリボン。
片目を閉じた、少し気取った顔。
「……まだ、思いつきません」
「急がなくて大丈夫ですよ」
「名前がないままでも?」
「名前は大切なものです。ゆっくり選びましょう」
ヨシュアは兎の耳を整えた。
「誰かにつけられた名前ではなく、テオがこの子のために選んだ名前がよいでしょうから」
王子は、自分の名前を呼ぶ声を聞いていた。
ヨシュアは何度も名前を呼ぶ。
朝の挨拶をするとき。
食事へ誘うとき。
髪を梳くとき。
眠る前。
まるで、呼ばなかった八年間を埋めようとしているように。
耳にするたび、胸のどこかが温かくなる。
それと同時に、少しだけ怖くもなった。
ヨシュアの声で呼ばれることに慣れてしまえば、もう一度失ったとき、今度こそ耐えられない気がした。
ヨシュアが来てから、七日が過ぎた。
部屋は、日ごとに変わっていった。
剥がれていた壁紙は淡い青色の布へ替えられ、窓枠の隙間は塞がれた。厚い絨毯が敷かれ、寝台の周りには透き通った薄布が垂らされた。
暖炉の火は、夜になっても消えない。
卓上にはいつも水と果物があり、壁際には新しい本を収めた棚が置かれた。
そして、ぬいぐるみが増えた。
「一匹だけです」
と、ヨシュアは毎日言った。
最初は茶色い犬だった。
次の日には、緑色の帽子をかぶった狐。
その翌朝には、青い鳥が窓辺へ座っていた。
さらに、腹を押すと音の鳴る羊、尻尾の長い猫、王冠を載せた蛙まで増えた。
王子は、そのたびに言った。
「もういりません」
ヨシュアは頷いた。
「承知しました」
けれど翌朝には、また一匹増えている。
抗議すると、ヨシュアは不思議そうに首を傾げた。
「こちらは贈り物ではありませんよ」
「では、何ですか」
「昨夜、雨宿りに来たのです」
「窓は閉まっていました」
「器用な子ですね」
そのような調子だった。
王子は呆れたが、追い出すことはできなかった。
寝台の上に置けなくなったぬいぐるみは、暖炉のそばへ並べた。古い熊だけは、いつも枕元にいる。
白い兎には、まだ名前がなかった。
「何も思いつかないのです」
ある朝、王子はヨシュアに言った。
「名前を考えるのは、難しいですね」
「そうですね」
「僕の名前は、誰がつけたのでしょう」
ヨシュアは王子の髪を梳いていた。
動きが、ほんの少し止まった。
「王妃陛下ではありませんか?」
「そうだと思います。でも、聞いたことがありません」
「きっと、大切に考えてくださったのでしょう」
「どうしてわかるのですか」
「よいお名前ですから」
鏡越しに目が合う。
ヨシュアは、いつものように笑っていた。
王子の髪は、七日前よりも艶を取り戻している。
伸び放題だった毛先は整えられ、目元を隠していた前髪も少し短くなった。青い髪の隙間から、淡い紫色の瞳が見えている。
鏡を見ることには、まだ慣れなかった。
ヨシュアが運び込ませた姿見で、王子は初めて自分の全身を長く眺めた。
小柄で、痩せている。
頬はこけ、手足は細い。同じ十四歳だった頃の兄たちは、もっと背が高く、肩幅も広かった。
「嫌ですか?」
ヨシュアが尋ねた。
「何がですか」
「鏡が」
王子は少し迷った。
「自分が映るのが、変な感じです」
「そうですか」
「見ないほうがよいものだと思っていました」
使用人が鏡を置かなかった理由を、王子は知らない。
悪魔の姿を映せば硝子が割れるという迷信でもあったのかもしれない。
「では、慣れるまで一緒に見ましょう」
ヨシュアは王子の背後へ立った。
鏡の中に二人が映る。
青い髪の痩せた少年と、白い髪の華やかな青年。
あまりにも違う二人だった。
同じ部屋にいることさえ、不自然に見えた。
「よくお似合いですね」
ヨシュアが言った。
「何がですか」
「私たちです」
「似ていません」
「似ている必要はありませんよ。一緒にいる姿が素敵だということです」
王子は鏡を見つめた。
ヨシュアは楽しそうに笑っている。
その隣で、王子は戸惑った顔をしていた。
けれど、以前のように怯えてはいなかった。
「……変ではありませんか」
「まったく」
ヨシュアは、鏡の中の王子へ微笑みかけた。
「絵にして飾りたいくらいです」
「それは嫌です」
「残念です」
ヨシュアは大げさに肩を落とした。
王子の口元が緩む。
鏡の中の二人が、同時に笑った。




