優しいあなた
光の向こうには、庭があった。
窓から何度も見ていたはずなのに、外から見る庭はまるで違う場所だった。
朝露を載せた草が、一面に輝いている。
石段の隙間には小さな苔が生え、ひび割れた石畳を蔓草が横切っていた。長く水の止まっている噴水には鳥が集まり、積もった枯れ葉の中で、何かを探すように嘴を動かしている。
風が吹いた。
青い髪が額から持ち上がる。
土と草、それから微かな花の匂いがした。
部屋へ届いていたものより、ずっと濃い匂いだった。
空は高い。
窓枠に切り取られていない空が、頭上から地平まで続いている。
王子はヨシュアの腕の中で、息をすることも忘れて見つめた。
「眩しいですか?」
尋ねられ、目を細める。
「少し」
「戻りましょうか」
「いいえ」
答えはすぐに出た。
「もう少し、見たいです」
「はい」
ヨシュアは足を止めた。
急かすことなく、王子が飽きるまで同じ場所に立っている。
風が白い髪を揺らしていた。
光を受けた銀の髪は、輪郭がぼやけるほど明るい。王子を抱く白い衣装も、朝日の中では淡く輝いて見えた。
「ヨシュア」
「何でしょう?」
「下ろしてください」
「歩けそうですか?」
王子は地面を見た。
玄関の前には、三段の石段がある。
それほど高くはない。
けれど、この先へ足を置けば、本当に外へ出たことになる。
「わかりません」
「では、試してみましょう」
ヨシュアはゆっくり腰を屈めた。
革靴の底が、一番下の石段へ触れる。
王子はヨシュアの肩へ手を置いたまま、もう片方の足も下ろした。
両足で立つ。
膝に力が入らなかった。
身体が揺れ、ヨシュアの胸元へ倒れかかる。
すぐに腰を支えられた。
「大丈夫ですか?」
「はい」
「急がなくてよいのですよ」
「歩けます」
「ええ」
ヨシュアは手を離さなかった。
「もちろんです」
王子は一歩を踏み出した。
革靴の下で、細かな砂が音を立てる。
もう一歩。
外套の裾が風に揺れる。
背後には、開いたままの大扉がある。
振り返れば、すぐに戻れる。
そう思うと、少しだけ呼吸が楽になった。
「青い花は、どこですか」
「こちらですよ」
ヨシュアが手を差し出した。
王子はその手を取る。
二人は並んで庭へ向かった。
*
庭へ続く石畳は、雑草に半分ほど覆われていた。
王子は草を踏まないように、残っている石の上を選んで歩いた。
「踏んでも大丈夫ですよ」
「枯れます」
「草は、そう簡単には枯れません」
「でも、痛いかもしれない」
ヨシュアは足元を見た。
それから、王子の顔を見る。
「テオは、優しいですね」
王子は返事をしなかった。
優しいと言われる資格があるのかわからなかった。
人を殺した者を、優しいとは呼ばないだろう。
ヨシュアの言葉は、ときどき間違っている。
けれど、間違いだと告げるのは惜しい気がした。
石畳の先に、青い花が見えた。
窓辺の鉢に咲いたものと同じ、小さな星の形をした花だった。
「あれです」
王子は、繋いでいた手を離した。
気づけば、自分から前へ進んでいた。
石畳を外れ、草の間へ足を置く。
革靴の下で柔らかな葉が沈んだ。
花の前へしゃがみ込む。
指先で、そっと花びらに触れた。
窓辺のものより冷たい。
朝露が指についた。
「本当に、咲いています」
「ええ」
「僕が見ていないときも?」
「もちろんです」
「夜も?」
「夜には花を閉じます。朝になると、また開きますよ」
王子は花を見つめた。
誰にも見られなくても咲く。
誰も世話をしなくても。
荒れ果てた庭の片隅で、朝が来るたびに花を開く。
「強いですね」
「そうですね」
ヨシュアは王子の隣へ屈んだ。
「摘みますか?」
「いいえ」
「お部屋へ持って帰れますよ」
「ここに咲いているほうがいいです」
「では、そうしましょう」
ヨシュアは、花へ触れなかった。
王子が残すと決めたものを、そのままにしておいた。
朝日が、青い花を照らしている。
鳥の声がする。
王子は目を閉じ、風を吸い込んだ。
胸の奥まで、冷たい空気が入ってくる。
「寒いですか?」
「少し」
「外套を厚くしましょうか」
「このままで大丈夫です」
「無理をしてはいけませんよ」
「無理ではありません」
王子は目を開けた。
「外は、寒いものなのでしょう?」
「季節によりますね」
「なら、この寒さも外の一部です」
ヨシュアが笑った。
「なるほど」
「変ですか?」
「いいえ。テオの言うとおりです」
王子は青い花から手を離した。
立ち上がろうとすると、ヨシュアが腕を差し出す。
その腕を借りて、ゆっくりと立った。




