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魔法使いの王子様  作者: はちもく


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10/29

優しいあなた

 光の向こうには、庭があった。


 窓から何度も見ていたはずなのに、外から見る庭はまるで違う場所だった。


 朝露を載せた草が、一面に輝いている。


 石段の隙間には小さな苔が生え、ひび割れた石畳を蔓草が横切っていた。長く水の止まっている噴水には鳥が集まり、積もった枯れ葉の中で、何かを探すように嘴を動かしている。


 風が吹いた。


 青い髪が額から持ち上がる。


 土と草、それから微かな花の匂いがした。


 部屋へ届いていたものより、ずっと濃い匂いだった。


 空は高い。


 窓枠に切り取られていない空が、頭上から地平まで続いている。


 王子はヨシュアの腕の中で、息をすることも忘れて見つめた。


「眩しいですか?」


 尋ねられ、目を細める。


「少し」


「戻りましょうか」


「いいえ」


 答えはすぐに出た。


「もう少し、見たいです」


「はい」


 ヨシュアは足を止めた。


 急かすことなく、王子が飽きるまで同じ場所に立っている。


 風が白い髪を揺らしていた。


 光を受けた銀の髪は、輪郭がぼやけるほど明るい。王子を抱く白い衣装も、朝日の中では淡く輝いて見えた。


「ヨシュア」


「何でしょう?」


「下ろしてください」


「歩けそうですか?」


 王子は地面を見た。


 玄関の前には、三段の石段がある。


 それほど高くはない。


 けれど、この先へ足を置けば、本当に外へ出たことになる。


「わかりません」


「では、試してみましょう」


 ヨシュアはゆっくり腰を屈めた。


 革靴の底が、一番下の石段へ触れる。


 王子はヨシュアの肩へ手を置いたまま、もう片方の足も下ろした。


 両足で立つ。


 膝に力が入らなかった。


 身体が揺れ、ヨシュアの胸元へ倒れかかる。


 すぐに腰を支えられた。


「大丈夫ですか?」


「はい」


「急がなくてよいのですよ」


「歩けます」


「ええ」


 ヨシュアは手を離さなかった。


「もちろんです」


 王子は一歩を踏み出した。


 革靴の下で、細かな砂が音を立てる。


 もう一歩。


 外套の裾が風に揺れる。


 背後には、開いたままの大扉がある。


 振り返れば、すぐに戻れる。


 そう思うと、少しだけ呼吸が楽になった。


「青い花は、どこですか」


「こちらですよ」


 ヨシュアが手を差し出した。


 王子はその手を取る。


 二人は並んで庭へ向かった。


     *


 庭へ続く石畳は、雑草に半分ほど覆われていた。


 王子は草を踏まないように、残っている石の上を選んで歩いた。


「踏んでも大丈夫ですよ」


「枯れます」


「草は、そう簡単には枯れません」


「でも、痛いかもしれない」


 ヨシュアは足元を見た。


 それから、王子の顔を見る。


「テオは、優しいですね」


 王子は返事をしなかった。


 優しいと言われる資格があるのかわからなかった。


 人を殺した者を、優しいとは呼ばないだろう。


 ヨシュアの言葉は、ときどき間違っている。


 けれど、間違いだと告げるのは惜しい気がした。


 石畳の先に、青い花が見えた。


 窓辺の鉢に咲いたものと同じ、小さな星の形をした花だった。


「あれです」


 王子は、繋いでいた手を離した。


 気づけば、自分から前へ進んでいた。


 石畳を外れ、草の間へ足を置く。


 革靴の下で柔らかな葉が沈んだ。


 花の前へしゃがみ込む。


 指先で、そっと花びらに触れた。


 窓辺のものより冷たい。


 朝露が指についた。


「本当に、咲いています」


「ええ」


「僕が見ていないときも?」


「もちろんです」


「夜も?」


「夜には花を閉じます。朝になると、また開きますよ」


 王子は花を見つめた。


 誰にも見られなくても咲く。


 誰も世話をしなくても。


 荒れ果てた庭の片隅で、朝が来るたびに花を開く。


「強いですね」


「そうですね」


 ヨシュアは王子の隣へ屈んだ。


「摘みますか?」


「いいえ」


「お部屋へ持って帰れますよ」


「ここに咲いているほうがいいです」


「では、そうしましょう」


 ヨシュアは、花へ触れなかった。


 王子が残すと決めたものを、そのままにしておいた。


 朝日が、青い花を照らしている。


 鳥の声がする。


 王子は目を閉じ、風を吸い込んだ。


 胸の奥まで、冷たい空気が入ってくる。


「寒いですか?」


「少し」


「外套を厚くしましょうか」


「このままで大丈夫です」


「無理をしてはいけませんよ」


「無理ではありません」


 王子は目を開けた。


「外は、寒いものなのでしょう?」


「季節によりますね」


「なら、この寒さも外の一部です」


 ヨシュアが笑った。


「なるほど」


「変ですか?」


「いいえ。テオの言うとおりです」


 王子は青い花から手を離した。


 立ち上がろうとすると、ヨシュアが腕を差し出す。


 その腕を借りて、ゆっくりと立った。

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