図書館
階段の先には、図書室があった。
円形の広間。
壁一面に、本棚が並んでいる。
天井は高く、中央には大きな樹が生えていた。
葉はすべて白い紙でできている。
風もないのに揺れ、擦れ合うたび、誰かの囁きに似た音を立てた。
「すごい……」
王子は広間へ足を踏み入れた。
空中に浮かぶ光が明るさを増す。
本棚には、数えきれないほどの本が収められていた。
どれも古い。
革の表紙は色褪せ、背表紙の文字もほとんど消えている。
「どうして、ここだけ直していないの?」
「直してほしかったですか?」
「ううん」
王子は近くの本へ触れた。
指先に埃がつく。
「このままがいい」
「では、このままで」
ヨシュアはいつものように答えた。
広間の中央にある樹の根元には、丸い卓と二脚の椅子があった。
卓上には燭台。
火の消えたランプ。
乾ききった羽根ペン。
誰かが昨日まで使っていたように整えられているのに、すべてが長い時間の中へ取り残されていた。
「本を読む場所かな」
「おそらくは」
「ヨシュアも初めて?」
「この姿では、初めてです」
王子は振り返った。
「この姿では?」
ヨシュアは白い髪へ触れた。
「長く生きていますから。似たような場所を、どこかで見たことがあるのかもしれません」
「何歳なの?」
「忘れました」
「百歳より上?」
「たぶん」
「五百歳?」
「どうでしょう」
「千歳?」
「そのくらいかもしれませんね」
王子はヨシュアを見つめた。
冗談を言っているようには見えなかった。
「本当に人間じゃないみたいだ」
「人間ですよ」
「どこが?」
「手が二つ。足も二つ」
「それだけで人間なら、熊も人間だよ」
「熊には尻尾があります」
「人間にも、ある人はいるかもしれない」
「なるほど」
二人で顔を見合わせる。
王子は笑った。
ヨシュアも笑う。
それ以上は追及しなかった。
ヨシュアが何歳でもよかった。
何者であっても。
今、隣にいることのほうが大切だった。
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図書室の本には、不思議なものが多かった。
開くと雨の降る本。
文字が頁の上を逃げ回る本。
読み手の顔を見て、勝手に結末を変える本。
海の匂いがする旅行記。
頁をめくるたび、遠い国の音楽が聞こえる詩集。
王子は一冊ずつ手に取り、ヨシュアと読んだ。
「この本、主人公が僕に似てる」
「どの辺りが?」
「青い髪」
「それだけですか?」
「それだけ」
「では、こちらの白髪の姫は私ですね」
「姫なの?」
「白い髪ですから」
「それだけじゃないか」
「テオと同じですよ」
物語の中で、青い髪の騎士は白髪の姫を塔から助け出した。
王子は頁をめくる。
騎士と姫は白馬へ乗り、夕日の中を帰っていく。
「私も、いつか助けていただけるのでしょうか」
ヨシュアが尋ねた。
「何から?」
「さあ」
「困ってないだろ」
「困ってからでは遅いかもしれません」
「じゃあ、今から助けておく」
「どうやって?」
王子は少し考えた。
それから、ヨシュアの手を取った。
「これで」
「手を繋ぐだけですか?」
「嫌なら離す」
「いいえ」
指が絡む。
「十分です」
ヨシュアは満足そうに笑った。
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昼を過ぎる頃、二人は樹の根元へ座っていた。
探検用の鞄からパンを取り出し、半分ずつ食べる。
天井の紙の葉が、絶えず囁いている。
「何を話してるんだろう」
王子は頭上を見上げた。
「読まれなかった物語では?」
「本に戻りたいのかな」
「ここにいるほうが自由でよいのかもしれません」
「頁に書かれていたら、結末が決まってるから?」
「ええ」
白い葉が一枚、枝から離れた。
王子の膝へ落ちる。
紙には何も書かれていなかった。
「真っ白だ」
「これから何かが書かれるのでしょう」
「僕が書いてもいい?」
「その紙が許せば」
「魔法なら、許さなくても書ける」
ヨシュアが目を細める。
「そのとおりです」
王子は指先へ光をともした。
紙の上に、青い線が現れる。
星の形。
隣へ、長い耳の兎。
最後に、白い髪の人らしきものを描いた。
「これ、私ですか?」
「ヨシュア」
「とても似ていますね」
「嘘。失敗した」
顔の形が歪み、片目が大きい。
「私には、こう見えているのですね」
「違う。消す」
「待ってください」
ヨシュアは紙を取り上げた。
「いただきます」
「嫌だ。描き直す」
「こちらがよいです」
「どうして」
「テオが初めて描いた私ですから」
「もっと上手に描ける」
「二枚目もいただきますよ」
ヨシュアは大切そうに紙を折り、胸元へしまった。
そこには、王子が贈った白い花の押し花も入っている。
花は数日前に枯れた。
ヨシュアは約束どおり、魔法で永遠に咲かせようとはしなかった。
代わりに花びらを丁寧に乾かし、薄い紙へ挟んで持ち歩いている。
「次は何を探しますか?」
ヨシュアが尋ねた。
「古い物語」
「どれも古そうですよ」
「一番古いもの」
王子は立ち上がった。
円形の図書室を見渡す。
本棚は壁に沿って並び、上へ行くほど暗闇に溶けている。
「どれが一番古い?」
「本に聞いてみましょうか」
ヨシュアが紙の樹へ手を触れた。
白い葉が、一斉に揺れる。
ざわめきが広がった。
何百、何千という囁きが重なり、一つの方向を示す。
広間の奥。
二つの本棚の間に、細い通路があった。
「こちらのようですね」
王子は先に歩いた。
通路の奥には、小さな棚が一つだけ置かれていた。
収められている本も、一冊だけ。
子供向けの絵本だった。
焦げ茶色の表紙。
題名は消えている。
角は擦り切れ、綴じ糸がところどころ解けていた。
「これ?」
「そうみたいですね」
王子は絵本を手に取った。
思ったよりも重い。
表紙へ触れると、指先に微かな魔法の気配がした。
ヨシュアのものとは違う。
冷たく、深い力。
「魔法がかかってる」
「古い本ですから」
「本を守るため?」
「あるいは、物語を閉じ込めるためかもしれません」
「読んでも平気?」
「私がいますよ」
ヨシュアはいつものように答えた。
その言葉を聞くと、何も怖くなくなった。




