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魔法使いの王子様  作者: はちもく


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24/25

絵本

 二人は樹の根元へ戻った。


 王子が絵本を開く。


 最初の頁には、一人の魔法使いが描かれていた。


 黒い外套。


 顔は塗り潰されている。


 周囲には、糸で吊られた人々。


『むかしむかし、あるところに、とても悪い魔法使いがいました』


 王子は声に出して読んだ。


『魔法使いは、誰よりも強い力を持っていました。火も、水も、風も、空も、魔法使いの言うことを聞きました』


 頁をめくる。


 悪い魔法使いが指を振っている。


 町の人々は、全員同じ笑顔で踊っていた。


『けれど、悪い魔法使いは、それだけでは満足しませんでした』


『人々の身体を動かし、心を変え、国中の者を自分の人形にしてしまったのです』


 王子の指が止まった。


 城の使用人たちを思い出した。


 同じ笑顔。


 同じ声。


 同じ歩幅。


「どうしました?」


 ヨシュアが尋ねる。


「何でもない」


 頁をめくった。


『悪い魔法使いは、人々が苦しんでいることに気づきませんでした』


『皆が笑っているので、幸せなのだと思っていたのです』


 王子は隣を見た。


 ヨシュアは絵本を見つめている。


 いつもと変わらない穏やかな表情だった。


「似てるね」


 王子が言う。


「何がですか?」


「ヨシュアの魔法に」


「そうでしょうか」


「人を笑わせるところ」


「あの方々は、テオを悲しませましたから」


「うん」


「私は、テオに笑ってほしかっただけです」


「わかってる」


 王子はヨシュアの肩へ寄りかかった。


 白い髪が頬へ触れる。


「ヨシュアは、悪い魔法使いじゃないよ」


「どうして、そう思うのですか?」


「僕を助けてくれたから」


 ヨシュアは答えなかった。


 王子の頭へ頬を寄せる。


「続きを読みましょうか」


「うん」


 今度は、ヨシュアが絵本を受け取った。


 朗読する声が、静かな図書室へ響く。


『その国には、よい魔法使いも住んでいました』


 頁の中に、白い衣を着た魔法使いが現れる。


 胸元には鈴の形をした飾り。


『よい魔法使いは、悪い魔法使いへ言いました』


『人の心は、その人だけのものです。あなたが勝手に変えてはいけません』


『けれど、悪い魔法使いには、その言葉の意味がわかりませんでした』


 黒い魔法使いは首を傾げている。


『皆が笑っているのに、何が悪いのですか』


『皆が私を好きなら、誰も悲しまないでしょう』


『よい魔法使いは、悪い魔法使いと戦いました』


 頁いっぱいに、光が描かれている。


 白と黒。


 星。


 炎。


 割れた城。


 倒れる人々。


『戦いは七日と七晩続きました』


『最後に、よい魔法使いは自分の命を削り、悪い魔法使いを石の中へ封じました』


 次の頁には、大きな石碑が描かれていた。


 上から、小さな銀の鈴がぶら下がっている。


 王子の身体が強張った。


「これ」


「どうしました?」


「知ってる」


 鈴。


 石碑。


 あの日、城の奥で見つけたものと同じだった。


 か細い音に呼ばれ、幼い手を伸ばした。


 触れた瞬間、世界が暗くなった。


 黒いもやが飛び出した。


 母が倒れた。


「テオ」


 ヨシュアの腕が肩へ回る。


「読むのをやめますか?」


 王子は頁を見つめた。


 石碑の絵。


 封じられた悪い魔法使い。


「母上を殺した魔法使いの話かな」


「似ていますね」


「同じ鈴だ」


「昔の出来事をもとにした絵本なのかもしれません」


 王子は自分の胸元を掴んだ。


 布の下で心臓が速く打っている。


「やめましょう」


 ヨシュアが本を閉じようとする。


 王子はその手を押さえた。


「最後まで読む」


「無理をしなくても」


「知りたい」


 ヨシュアはしばらく黙っていた。


 やがて、閉じかけた絵本を開く。


『よい魔法使いは、鈴へ最後の魔法をかけました』


『心の清らかな者には、この音が聞こえるでしょう』


『けれど、決して鈴に触れてはいけません』


『悪い魔法使いが、再び世界へ戻ってきてしまうからです』


 王子は唇を噛んだ。


 心の清らかな者。


 自分には、音が聞こえた。


 それでも鈴へ触れた。


 悪い魔法使いを解き放った。


「僕は、清らかだったのかな」


「もちろんです」


「でも、封印を解いた」


「子供だったのでしょう?」


「六歳だった」


「ならば、悪いのは子供の手が届く場所へ鈴を置いた方です」


 ヨシュアは当然のように言った。


「テオは何も悪くありません」


「母上は死んだ」


「あなたが殺したのではありません」


「それでも」


 王子は目を閉じた。


 ヨシュアの肩へ、さらに身体を預ける。


 白い腕が背中を抱く。


 ゆっくりと撫でられた。


「僕が鈴に触れなければ、ヨシュアにも会わなかった」


「そうですね」


「それは、嫌だ」


 自分でも、ひどいことを言っていると思った。


 母が生きている過去と。


 ヨシュアに会えた現在。


 どちらかを選べと言われても、もう答えられない。


「ごめんなさい、母上」


 小さく呟く。


 ヨシュアは何も言わなかった。


 ただ背中を撫で続けていた。


 やがて呼吸が落ち着く。


「最後を、読んで」


 王子が頼む。


 ヨシュアは絵本へ目を戻した。


『こうして、悪い魔法使いは永遠に封じられました』


『人々は自分の心を取り戻し、国には笑顔が戻りました』


『本当の笑顔です』


『よい魔法使いの子供たちは、鈴を守り続けました』


『悪い魔法使いが、二度と目を覚まさないように』


 最後の挿絵には、明るい町が描かれていた。


 人々は、それぞれ違う顔で笑っている。


 泣いている者も。


 怒っている者も。


 誰かと手を繋ぐ者もいた。


 絵本の悪い魔法使いは、どこにもいない。


「終わり?」


 王子が尋ねる。


「そのようですね」


「よい魔法使いは、死んだの?」


「命を削ったとありますから」


「悪い魔法使いは、ずっと一人で石の中に?」


「ええ」


「永遠に?」


「きっと」


 王子は最後の頁を見つめた。


「少し、かわいそうだね」


「悪い魔法使いが?」


「うん」


「大勢を人形にしたのですよ」


「それでも、永遠は長すぎる」


 ヨシュアの肩から顔を上げる。


「ヨシュアが言ってた。百年も千年も、よくわからないって。でも、ずっと一人だったら、きっと長いよ」


 ヨシュアは王子を見た。


「テオなら、どうしますか?」


「何を?」


「悪い魔法使いを見つけたら」


 金色の瞳が、近くにある。


 試すような色はなかった。


 ただ、答えを待っている。


「鈴には触らない」


 王子は言った。


「母上のことがあるから」


「そうですね」


「でも」


 絵本の最後の頁へ触れる。


 人々が笑う町。


 誰にも見えない、石の中の魔法使い。


「話くらいは、聞くかもしれない」


「どうして?」


「本当に悪い魔法使いなのか、本人に聞かないとわからないから」


 ヨシュアは目を細めた。


「お優しいですね」


「ヨシュアが、そうしたから」


「私が?」


「皆が悪魔の子だと言っても、ヨシュアだけは僕に会いに来た」


 王子は再び、白い肩へ寄りかかった。


「だから僕も、そうするかもしれない」


「そうですか」


 ヨシュアの声は、ひどく静かだった。


 紙の葉が囁く。


 古い図書室に、二人しかいない。


 王子は少し眠くなっていた。


 朝から歩き続け、何冊もの本を読んだ。


 それに、絵本のせいで昔のことを思い出しすぎた。


「眠ってもいい?」


「どうぞ」


「帰らないで」


「どこにも行きませんよ」


 ヨシュアの膝へ頭を預ける。


 白い指が青い髪を撫でた。


「おやすみ、ヨシュア」


「おやすみなさい、テオ」


 王子は目を閉じた。


 すぐに寝息が聞こえ始める。


 ヨシュアはしばらく、その顔を見つめていた。


 やがて片手で絵本を持ち上げる。


 王子が最後だと思った頁を、静かにめくった。


 厚い紙が、音を立てた。


 物語は、まだ終わっていなかった。

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