あなたへ
王子は、魔法を使うことに慣れていった。
朝はカーテンを開ける。
着替えながら暖炉へ火を入れる。
庭へ出れば、青い花に水を与える。
読みたい本を、棚から手元へ飛ばす。
ヨシュアが作った食事が冷めれば、温め直す。
眠るときには天井へ星を置く。
人には使わない。
それだけは守った。
ヨシュアも、王子との約束を守っているように見えた。
使用人たちは以前と変わらない。
いつも笑顔で、命じられた仕事をこなしている。
彼らが自分の意思で動いているのか、そうでないのか。
見分ける方法を、王子は知らなかった。
*
十八歳の誕生日を迎える前日、王子は一人で庭へ出た。
ヨシュアには、部屋で待っていてほしいと頼んである。
「危険はありませんか?」
「城の庭だよ」
「転ぶかもしれません」
「転ばない」
「蜂に刺されるかも」
「刺されないよ」
「急に雨が――」
「待ってて」
そう言うと、ヨシュアは渋々頷いた。
王子が一人で庭を歩くのは、初めてだった。
いつも隣には、白い髪があった。
今日はない。
少し心細く、同時に新鮮だった。
青い花が咲く場所へしゃがみ込む。
初めて外へ出た日から、同じところに咲いている花。
季節が変わっても枯れないのは、ヨシュアの魔法だろう。
王子は土へ手を置いた。
目を閉じる。
作りたいものを思い浮かべる。
白い花びら。
金色の芯。
細い茎。
ヨシュアの髪と瞳に似た色。
既に咲いている花を変えるのではない。
何もないところから、自分の力で生み出す。
土が震えた。
小さな芽が顔を出す。
茎が伸びる。
白い蕾が膨らんだ。
しかし、花開く直前で動きを止める。
「咲け」
王子は言った。
蕾は震えた。
開かない。
もっと強く願う。
ヨシュアへ贈りたい。
いつも与えられてばかりだった。
部屋も。
服も。
食事も。
ぬいぐるみも。
庭も、星空も、魔法も。
すべてヨシュアにもらった。
だから、一つくらい。
ヨシュアが作ったものではない何かを、自分から渡したい。
「咲いて」
白い花びらが開いた。
朝日を受け、金色の芯が輝く。
王子は目を見開いた。
指先で触れる。
本物の花だった。
幻ではない。
ヨシュアの力でもない。
自分が作った。
花を摘み、城へ戻る。
待っていたヨシュアは、扉が開くとすぐに立ち上がった。
「お帰りなさい、テオ。お怪我は――」
「手を出して」
「はい?」
「いいから」
ヨシュアは両手を差し出した。
王子は白い花を、その掌へ載せる。
「これは?」
「僕が作った」
ヨシュアは花を見た。
白い花びら。
金色の芯。
その笑顔から、初めて表情が消えた。
「ヨシュアに」
王子は少し気恥ずかしくなり、目を逸らした。
「いつも、もらってばかりだから」
返事がない。
「気に入らなかった?」
「いいえ」
ヨシュアの声が、微かに震えた。
「とても」
花を包む指が、ひどく慎重に動く。
壊れやすい宝物を扱うように。
「とても、嬉しいです」
王子はヨシュアを見た。
金色の瞳が濡れていた。
「泣いてるの?」
「泣いていませんよ」
「泣いてる」
「嬉しいだけです」
ヨシュアは花を胸元へ抱いた。
「私のために?」
「うん」
「私だけの?」
王子は笑った。
「ヨシュアに作ったんだから、そうだよ」
その答えを聞いた瞬間、ヨシュアは目を閉じた。
何かを噛み締めるように。
長いあいだ待ち続けた物語が、ようやく正しい場面へ辿り着いたとでもいうように。
「ありがとうございます、テオ」
王子の名前を呼ぶ。
「私の王子様」
ヨシュアは花へ口づけた。
白い花びらが、淡く光る。
「大切にします。永遠に」
「花は、いつか枯れるよ」
「枯らしません」
「魔法で?」
「ええ」
「それじゃ、僕が作った花じゃなくなる」
ヨシュアは目を瞬いた。
王子は花へ触れた。
「枯れるまでが、この花だよ」
「枯れてしまっても?」
「また作る」
「同じものを?」
「同じかどうかは、わからない。でも、またヨシュアに作るよ」
ヨシュアは黙っていた。
花について考えているのか。
王子の言葉について考えているのか。
やがて、ゆっくりと頷いた。
「では、枯れるまで大切にします」
「うん」
「そのあとも、覚えています」
「それならいい」
王子は笑った。
自分で生み出した花を、ヨシュアが胸元へ飾る。
白い髪。
金色の瞳。
白い花。
想像していたとおり、よく似合った。
「魔法を教えてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
ヨシュアは、花に触れながら微笑んだ。
「あなたなら、きっとできると思っていました」
「誰でもできるんだろ?」
「ええ。魔法は誰にでも」
ヨシュアは王子の手を取った。
指を絡める。
「けれど、私へ花をくださるのは、世界でテオだけです」
二人の手の間で、淡い光が生まれた。
王子の魔法と、ヨシュアの魔法。
青と金の光が混ざり合い、どちらのものともわからなくなる。
その日、王子は初めて、自分の力で誰かを喜ばせた。
それが禁じられた力であることを、もう恐ろしいとは思わなかった。




