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魔法使いの王子様  作者: はちもく


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19/30

魔法

 その日、ヨシュアは指を切った。


 ほんの小さな傷だった。


 朝食の果物を切っている最中、林檎の皮と一緒に指先を掠めただけだ。


「あ」


 ヨシュアが声を漏らす。


 白い指に、赤い血が滲んだ。


 王子は椅子から立ち上がった。


「どうしたの」


「少し切ってしまいました」


「見せて」


「これくらいなら大丈夫ですよ」


「いいから」


 ヨシュアの手を取る。


 人差し指の先に、小さな傷がある。


 王子は眉を寄せた。


「料理が得意だと言ってなかった?」


「得意ですよ」


「得意な人は、自分の指まで切らない」


「林檎が少々、手強かったもので」


「林檎のせいにするなよ」


 卓上には、半分まで皮を剥かれた林檎がある。


 反論するように、つやつやと赤く光っていた。


「布を持ってくる」


 王子が手を離そうとすると、ヨシュアは笑った。


「本当に大丈夫です。すぐに治りますから」


 白い指先に、淡い光がともった。


 光は傷を包み、すぐに消える。


 血も、傷口もなくなっていた。


「また魔法?」


「はい」


 王子は治った指を見つめた。


「痛くない?」


「ええ」


「傷もない」


「ありませんね」


「僕にも、できる?」


 何気なく尋ねた。


 ヨシュアが黙った。


 王子は顔を上げる。


 金色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。


「魔法」


 もう一度言う。


「僕にも使える?」


「使えますよ」


 答えはあまりにも簡単だった。


「どうして今まで教えてくれなかったの?」


「聞かれませんでしたから」


「聞けば教えた?」


「もちろんです」


「でも、僕には魔術の才能がない」


 幼い頃、王都で適性を調べられたことがある。


 教師に言われたとおり術式を描き、決められた言葉を唱えた。机の上の石を光らせるだけの課題だった。


 石は何も変わらなかった。


 教師は、第三王子に魔術の才はない、と父へ報告した。


「魔術と魔法は違います」


 ヨシュアは林檎を置いた。


「魔術には、術式や道具や、正しい手順が必要です。決められた道を、間違えずに歩かなければなりません」


「魔法は?」


「道など、必要ありません」


 ヨシュアは王子の前へ手を差し出した。


 掌を上に向ける。


「行きたい場所へ、直接手を伸ばせばよいのです」


「それだけ?」


「それだけです」


 王子は疑った。


「そんなに簡単なら、誰でも使える」


「ええ」


 ヨシュアは微笑んだ。


「誰にでも使えますよ」


     *


 朝食のあと、二人は庭へ出た。


 教室は、青い花が咲く場所だった。


 王子は草の上に座り、ヨシュアと向かい合っている。


 二人の間には、小石が一つ置かれていた。


「まず、この石を持ち上げましょう」


「手で?」


「魔法で」


「どうやって」


「持ち上げたいと思ってください」


 王子は小石を見た。


 黒く、丸い石だった。


 持ち上がれ、と念じてみる。


 何も起こらない。


「動かない」


「本当に、動くと思っていますか?」


「思ってる」


「いいえ。動くはずがない、と考えています」


 ヨシュアは石へ指を向けた。


 小石が浮かぶ。


 王子の目の高さまで上がり、その場でくるくると回った。


「ずるい」


「ずるくありませんよ」


「ヨシュアには簡単だから」


「テオにも簡単です」


「できてない」


「できないと思っているからです」


 小石が地面へ戻る。


「魔術なら、石を持ち上げるための理由を用意します。風を起こす。糸を使う。石を軽くする。けれど、魔法に理由はいりません」


「石は、自分で浮かばない」


「そうですね」


「なら、理由がいるだろ」


「いいえ」


 ヨシュアは楽しそうに首を振った。


「石の都合を考える必要はないのです」


「石の都合?」


「石が浮きたいかどうかは、石が決めることではありません」


 ヨシュアは小石を拾い、王子の掌へ載せた。


「テオが浮いてほしいと思う。ですから、浮くのです」


「わがままだ」


「魔法とは、そういうものですよ」


 王子は掌の石を見た。


 指を開く。


 石は落ちた。


「もう一度」


 草の上へ転がった石を見る。


 浮いてほしいと願う。


 動かない。


「言葉にしてもよいですよ」


 ヨシュアが言った。


「浮かべ」


 石は動かなかった。


「お願いするのではありません」


「お願いしてない」


「石が拒んだとき、諦める余地が声に残っています」


「そんなことまでわかるの?」


「ええ」


 ヨシュアは王子の背後へ回った。


 肩越しに腕を伸ばし、王子の手へ自分の手を重ねる。


「相手に選ばせないでください」


 耳元で声がした。


「浮く以外の答えを、世界からなくすのです」


 王子は小石を見た。


 浮かばなければならない。


 そういうものだと思う。


 空を魚が泳ぐように。


 生垣の兎が跳ねるように。


 東の塔に星空があるように。


 ここでは、ヨシュアが望んだことが現実になる。


 ならば。


「浮かべ」


 小石が震えた。


 草の葉から、ほんの少し離れる。


 王子は息を呑んだ。


 驚いた瞬間、小石は落ちた。


「今」


「はい」


「浮いた」


「お見事です」


 ヨシュアの声は穏やかだった。


 けれど、重なっている手に力が入った。


「もう一度」


 王子は小石を見つめた。


「浮かべ」


 石が上がる。


 今度は、膝の高さまで。


 不安定に揺れながら、それでも落ちない。


「できた」


「ええ」


「ヨシュア、できた!」


 振り返る。


 すぐ後ろに、ヨシュアの顔があった。


 金色の瞳が、王子よりも嬉しそうに輝いている。


「素晴らしいです、テオ」


 小石が落ちた。


 けれど、もう気にならなかった。


「もう一回やる」


「はい」


「次は、もっと高く」


「ええ。どこまででも」


 その日、王子は小石を自分の頭より高く浮かせた。


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