皆の声
二年目の冬、城に小さな劇場ができた。
以前は、兵士たちの食堂だった場所だ。
赤い幕。
金色の手すり。
天井には魔法の星が浮かんでいる。
客席は二つだけだった。
王子とヨシュアの席。
舞台では、使用人たちが物語を演じた。
竜に囚われた姫を、勇敢な王子が助ける話。
十人ほどの使用人が衣装をまとい、歌い、踊った。
普段は厨房で野菜を切っている男が竜になり、廊下を掃除している女が姫になった。
庭師は王子役だった。
あの日、庭で踊らされていた男だ。
金色の冠をかぶり、腰に木剣を提げている。
顔には笑みがあった。
もう、笑わされているようには見えない。
自然な笑顔。
明るい声。
軽やかな足取り。
『今、助けに参ります!』
庭師が剣を抜く。
竜が火を吐く。
赤い布が何枚も舞台を横切り、ヨシュアの魔法で本物の炎へ変わった。
王子は身を乗り出した。
「危ない」
「大丈夫ですよ」
ヨシュアが笑う。
「熱くない炎です」
庭師は炎をくぐり抜けた。
竜へ剣を振り下ろす。
音楽が高まり、舞台中へ光が溢れた。
姫が救い出される。
王子と姫は手を取り合い、使用人たちが周囲で踊った。
幕が下りる。
王子は拍手した。
「すごい!」
幕が上がった。
役者たちは一列に並び、深く礼をする。
誰も息を切らしていなかった。
衣装は乱れず、額には汗一つない。
王子は庭師を見た。
男は笑っていた。
以前のような恐怖も、憎しみも、その目にはなかった。
「楽しんでいただけましたか?」
ヨシュアが尋ねる。
「うん。もう一度見たい」
「では、もう一度」
指を鳴らす。
使用人たちは顔を上げた。
幕が下り、すぐに劇が最初から始まる。
『助けてください、王子様!』
姫役の女が叫んだ。
先ほどと同じ高さの声。
同じ手の伸ばし方。
同じ瞬間に落ちる涙。
庭師が登場する。
『今、助けに参ります!』
先ほどとまったく同じ声だった。
「少し、休ませなくていいの?」
王子は小声で尋ねた。
「疲れていませんよ」
「でも、二回目だ」
「テオがお望みなら、何度でも演じられます」
「……そう」
舞台では、赤い炎が上がった。
庭師が木剣を振る。
最初の公演と同じ場所へ、同じ足で踏み込む。
同じ角度で剣を下ろす。
王子は途中から、物語ではなく庭師を見ていた。
男は完璧に演じている。
台詞を間違えない。
転ばない。
疲れない。
笑顔も消えない。
以前の庭師が、どんな声で話していたのか思い出そうとした。
低く、荒い声だった気がする。
けれど自信がなかった。
あの日、笑顔を戻してほしいとヨシュアへ頼んだ。
戻してもらった。
それから長い時間が過ぎた。
男がいつから再び笑うようになったのか、王子は知らなかった。
「どうしました?」
ヨシュアが顔を覗き込む。
「つまらなかったですか?」
「ううん」
王子は舞台へ目を戻した。
「面白いよ」
「よかった」
ヨシュアは嬉しそうに笑った。
劇が終わると、王子はもう一度拍手した。
使用人たちは礼をする。
庭師も、笑顔で頭を下げた。
*
三年目の春には、城のほとんどが変わっていた。
石壁は蔓草と花で覆われた。
廊下には光の蝶が飛び、夜になると道を照らす。
階段は、ときどき滑り台になった。
扉を開ければ、昨日とは違う場所へ繋がる。
温室。
海。
星空。
雪原。
劇場。
菓子の森。
二人だけの舞踏会場。
王子が望んだものは、何でも城の中に現れた。
欲しいと言わなかったものまで、ヨシュアは用意した。
朝はヨシュアの声で目を覚ます。
食事を作るのも、衣服を選ぶのも、体調を確かめるのもヨシュアだった。
夜には同じ部屋で本を読み、王子が眠るまでそばにいる。
使用人たちは城を掃除し、壊れた場所を直し、食材と備品を補充した。
王子の部屋へ入る者はいない。
直接言葉を交わすことも、ほとんどなくなった。
廊下ですれ違えば、皆が立ち止まり、微笑んで頭を下げた。
「ご機嫌麗しゅうございます、殿下」
誰も悪魔の子とは呼ばなかった。
誰も、王子の名前も呼ばなかった。
ある日、王子は食堂の前で、二人の侍女が立っているのを見つけた。
向かい合い、じっと互いを見つめている。
「何をしているの?」
声をかけると、二人は同時に振り返った。
「お待ちしておりました、殿下」
「何を?」
「ご命令を」
二人は同じ笑顔で答えた。
「僕は何も頼んでいない」
「はい」
「では、どうしてここに?」
「お待ちしておりました」
同じ答えだった。
王子は眉を寄せた。
「いつから?」
二人は笑っている。
「お待ちしておりました」
それしか言わない。
「ヨシュア」
呼ぶと、白髪の青年が回廊の角から現れた。
いつから近くにいたのだろう。
「はい。何でしょう?」
「この人たち、どうしたの?」
「テオのご命令を待っているのですよ」
「何も頼んでいない」
「では、戻っていただきましょう」
ヨシュアが指先を動かした。
二人の侍女は同時に頭を下げ、同じ歩幅で廊下を去っていく。
「ずっと、ここに立っていたみたいだ」
「そうかもしれませんね」
「どうして?」
「テオのお役に立ちたかったのでしょう」
「本人たちが、そう言ったの?」
ヨシュアは首を傾げた。
「同じことではありませんか?」
王子は遠ざかる侍女たちを見た。
曲がり角へ差しかかると、二人は同時に右足を出し、同時に姿を消した。
「……違うと思う」
「そうですか?」
「たぶん」
「では、次から待たせないようにします」
ヨシュアは微笑み、王子へ手を差し出した。
「今日は何をしましょうか?」
「星空へ行きたい」
「承知しました」
「それから、庭。青い花が咲いてるか見たい」
「ええ」
「昼は僕が作る」
「料理を?」
「ヨシュアより上手になったかもしれない」
「それは楽しみです」
二人は手を繋いで歩き出した。
王子は一度だけ、侍女たちが消えた角を振り返った。
誰もいない。
声もしない。
けれど、ヨシュアの手は温かかった。
*
四度目の夏が近づく頃、王子は十八歳になろうとしていた。
背はヨシュアとほとんど変わらない。
青い髪は肩へ届き、紫色の瞳からは、かつての怯えが薄れている。
寝台の上には、今も古い熊がいた。
白い兎のアルバも、その隣にいる。
増え続けたぬいぐるみは、今では一つの部屋を占領していた。
ヨシュアは変わらなかった。
白い髪。
金色の瞳。
明るい笑顔。
出会った日のまま。
「ヨシュア」
朝、王子が呼ぶ。
「はい」
「今日は髪、結んで」
「承知しました」
「外は暑いから、上着はいらない」
「薄いものだけでも」
「いらないって」
「では、日傘を」
「それもいらない」
「帽子は?」
「僕は子供じゃないよ」
「存じています」
ヨシュアは笑いながら、王子の髪を束ねた。
紫色の紐で緩く結ぶ。
鏡の中で、二人の姿が並んでいる。
もう、保護者と子供には見えなかった。
「何を見ているの?」
「テオを」
「いつも見てるだろ」
「何度見ても飽きませんよ」
「変なの」
王子は笑った。
立ち上がり、ヨシュアの手を取る。
「庭へ行こう」
「はい」
部屋の扉が開く。
廊下には、使用人たちが並んでいた。
王子が通ると、全員が同じ角度で頭を下げる。
「ご機嫌麗しゅうございます、殿下」
声が重なった。
以前は男も女も、年老いた者も若い者も、それぞれ違う声をしていたはずだった。
今は、一つの声に聞こえた。
王子は彼らを見た。
全員が笑っている。
目も、笑っている。
恐怖も、憎しみもない。
何もなかった。
「テオ?」
ヨシュアに呼ばれる。
「ううん。何でもない」
王子は白い手を握った。
「行こう、ヨシュア」
「ええ」
二人が通り過ぎると、使用人たちは顔を上げた。
誰も言葉を交わさない。
命じられるまで、その場から動かない。
城には笑顔が満ちていた。
花が咲き、星が巡り、空を魚が泳いでいた。
王子が望むものは、何でもあった。
王子が望まないものは、もうどこにもなかった。




