変わりゆく季節
次に変わったのは、大広間だった。
天井から幾千もの硝子玉が吊るされ、床には白と金の線が描かれた。音楽が始まると、硝子玉が光り、風もないのに揺れる。
中央には、木馬が並んでいる。
白馬。
黒馬。
翼を持つ青い馬。
銀色の角を生やした馬。
「どれがよいですか?」
「子供の遊びです」
「そうですか?」
「そうだよ」
王子は十五歳になっていた。
少なくとも、ヨシュアがそう言った。
正確な誕生日を祝う者はいなかったため、本人は日付を知らない。ヨシュアは、王都で王家の記録を見たのだと説明した。
その記録に、王子の名前が書かれていたかどうかは教えてくれなかった。
「では、片づけましょうか」
ヨシュアが指を上げる。
「待って」
王子は青い馬を見た。
翼の先が、淡い光を放っている。
「……少しだけなら」
「もちろんです」
ヨシュアは青い馬へ王子を乗せた。
音楽が始まる。
木馬は床を回るだけではなかった。
一頭ずつ宙へ浮かび、大広間の中を駆けた。
天井の硝子玉が星となり、二人の周りを巡る。
王子は最初こそ鞍へきちんと座っていたが、速度が上がるにつれて身を乗り出した。
「ヨシュア、競争しよう」
「負けませんよ」
「僕の馬のほうが速い」
「私の馬をご覧ください。角があります」
「速さと関係ないだろ」
「強そうです」
「競争だって言ってるのに!」
二頭の木馬が、大広間を駆け抜ける。
壁際には、数人の使用人が立っていた。
白い手袋をつけ、胸の前で手を揃えている。
王子たちが通り過ぎるたび、一斉に拍手した。
「殿下、がんばってくださいませ!」
「王宮魔導士様も、お見事でございます!」
同じ間隔。
同じ調子。
同じ声量。
王子は一度だけ、彼らを見た。
皆、笑っている。
庭師のときのような、引きつった笑顔ではなかった。
自然で、穏やかな笑顔。
だから、もう気にしなかった。
「テオ、前を!」
ヨシュアが叫ぶ。
王子は顔を戻した。
目の前に柱がある。
手綱を引くと、青い馬が翼を広げた。
柱のすぐ横を掠めて上昇する。
「危なかった!」
「ヨシュアが驚かせるからだ!」
「私のせいですか?」
「そうだよ!」
大広間に笑い声が響いた。
壁際の使用人たちも、一斉に笑った。
王子の笑い声が止むと、彼らの声も同時に止んだ。
*
城は、季節が巡るたびに変わった。
使われていなかった温室には、菓子の実る木が育った。
春には苺の飴。
夏には硝子のように透き通った砂糖菓子。
秋には香辛料の匂いがする焼き菓子。
冬には、温かなチョコレートが殻の中から溢れ出す。
王子は最初、本当に食べられるのか疑った。
ヨシュアが先に口へ入れるのを見てから、恐る恐る一つ取った。
「甘い」
「おいしいですか?」
「うん。でも、甘すぎる」
「では、次は少し控えめに」
翌日から、実る菓子の甘さが変わった。
地下の貯蔵庫は、海になった。
階段を降りると水面があり、足を入れても濡れない。水中には色鮮やかな魚や、歌を歌う貝がいた。
使われていなかった礼拝堂には、季節を選べる扉が並んだ。
右の扉を開けば、花吹雪の春。
中央は、向日葵が咲く夏。
左には雪原が広がっている。
ヨシュアと雪合戦をしたあと、王子が暖炉の前で三日間寝込んだため、左の扉には「厚着をすること」と書かれた札が増えた。
西の回廊は、一歩ごとに音の鳴る道になった。
書庫の前は低い鐘。
階段のそばは弦の音。
ヨシュアの部屋の前だけ、王子の声に似た音で名前を呼ぶ。
『ヨシュア』
そこを踏むたび、床が喋った。
「これはやめて」
「なぜですか?」
「僕の声みたいで変だ」
「私は好きですよ」
「僕が呼べばいいだろ」
そう言ってから、王子は何度もヨシュアを呼んだ。
「ヨシュア」
「はい」
「ヨシュア」
「はい」
「ヨシュア」
「何でしょう?」
「呼んだだけ」
ヨシュアは、毎回嬉しそうに返事をした。
回廊の床は、翌日には普通の音へ戻っていた。
*
王子の身体も変わっていった。
頬に血色が戻った。
細かった腕や脚には、少しずつ筋肉がついた。
同じ年頃の青年に比べればまだ華奢だったが、もう風に吹かれて倒れそうには見えない。
背も伸びた。
十五歳の冬には、ヨシュアの肩ほど。
十六歳の夏には、目の高さが近づいた。
「もうすぐ、追い越すかもしれない」
新しい上着の寸法を測りながら、王子は言った。
「楽しみですね」
「嫌じゃないの?」
「なぜです?」
「ヨシュアは、僕を子供だと思っているから」
「思っていませんよ」
「今朝も髪を梳こうとした」
「お嫌でしたか?」
「嫌じゃないけど、自分でもできる」
「では、明日からはご自分で?」
王子は鏡の中のヨシュアを見た。
白い髪。
金色の瞳。
出会った日と、何も変わっていない。
王子ばかりが成長し、ヨシュアは同じ場所に立っている。
「……明日は、ヨシュアがやって」
「承知しました」
「明後日は自分でする」
「はい」
「その次は、またヨシュア」
「一日おきですか?」
「気分で決める」
ヨシュアは笑った。
「どうぞ、お好きなように」
王子は鏡へ向き直った。
ヨシュアの指が、青い髪を梳いていく。
幼い頃より色が深くなり、肩に触れるほど伸びていた。
額へかかる前髪を分け、ヨシュアが小さな銀の飾りを留める。
「これはいらない」
「よくお似合いですよ」
「子供みたいだ」
「では、こちらは?」
紫色の宝石がついた飾りを取り出す。
ヨシュアの耳飾りと同じ色だった。
王子は鏡の中で見比べた。
「それなら、いい」
「お揃いですね」
「だから選んだわけじゃない」
「そうですか」
ヨシュアは、ひどく嬉しそうだった。




