プロローグ―2 夫との思い出の味、馬肉料理ージャンヌ・ダヴ―の場合
プロローグの第2話は、ジャンヌ・ダヴ―視点の話になります。
似たようなことを、同じ頃にジャンヌ・ダヴ―も想い考えていた。
最初の人生での70年余りの日々、更に生まれ変わって来たからの20年近い日々、その中での1夜の夢と言えた50年余りの異なった歴史の流れた世界で送った日々、そう私は長い長い人生の旅路を経験した身なのだ。
(更に言えば、私の傍にいる土方鈴、岸澪、村山愛の3人も同様に、150年余りの人生の旅路を歩み続けている身でもある。
ある意味では、4人全員が祝福されているのか、呪われているのか、とまで考える長い人生の旅路だ)
そういった150年余りの自らの人生の旅路の中で、最も幸せだったのは、違う歴史が流れた世界に赴いて、野村雄の内妻になり、50年余りを共に過ごした日々だった、と自分は想いだす。
だが、それは本当に貧しいながらも、という枕詞が中々絶えない日々が半分余りを占めていた。
そうしたことから、自分が得意の家庭料理としてよく作ったポトフにしても、使う肉は豚肉どころか、少しでも安い馬肉が当たり前だった。
それこそ、私が最終的にだが12人も子どもを産み育てたし、更に雄には他の女性との間に3人も子どもがいて、その子らに養育費を雄が支払う必要もあったからだ。
貧乏人の子沢山の典型例だ、と雄は自嘲していたし、自分も共に嗤うしかなかった。
そうしたことから、私達の間の長男のアランが、陸軍士官学校に入ったときに、豚肉の入ったポトフを初めて食べて驚くような事態が起きた程だった。
(それこそ日本で言えば、家では豚肉の肉じゃがしか知らずに食べて、ずっと育ってきたのに、下宿して初めて牛肉の肉じゃがを食べる事態が起きたようなものだっただろう)
あの時のアランが、
「ポトフって、豚肉でも作れるんだね」
と言った際に、私は想わず最初の人生では、此処までの貧困ではなく、それなりにアランが豚肉の入ったポトフを食べられていたな、と考えたことを、今でも想いだしてしまう。
そう最初の人生の方が、生活費だけから言えば、まだ楽だった。
シングルマザーとはいえ、子どもはアランだけだったからだ。
それに対して、15人も子どもがいては、幾ら内縁の夫の雄が、フランス軍士官としてそれなり以上の俸給を得られるとはいえ、生活費的には極めて苦しくなるのは当然だった。
だが、最愛の男性である雄が、ほぼ常に私の傍に居て、私に惜しみなく愛情を注ぎ、私達の間の子にも愛情を注いでくれた。
(その代わり、私との間以外の子3人と、雄の仲は険悪なモノになった。
幾ら養育費を払ってくれたとはいえ、顔を見にも来ず、掠奪婚(?)をした私の傍に、雄は居続けたのだから、僕達のことも気に掛けて欲しい、と3人の子が雄に怒るのは当然だった)
そういった様々なことが絡み合ったことが、子ども達が相次いで独立して、生活が楽になった後も、雄が馬肉料理を好み続けた一因だったのだろうか。
雄は故郷の日本を訪れることはなく、いわんや会津を訪れることは無かった。
晩年になった雄は、馬肉料理を口にすると、よく小声で独り言を言っていた。
「馬肉は、故郷の会津でも食べたことがあって、故郷の名物料理なんだ。そして、3人の子どものこととか、色々と考える程に自分は故郷に還れない身だ。だから、馬肉を食べて、故郷の会津を偲ぶんだ」
私は、それが聞こえないふりを常にしていた。
雄の気持ちに、自分は寄り添わざるを得なかった。
だって、結果的に雄に日本を、故郷の会津を捨てさせたのは、自分だからだ。
もし、自分が強く雄の求愛を拒んで、日本に還らせていれば、こんなことにはならなかったのだ。
そう想うと、馬肉の味が雄の本来の故郷の味なのか、という想いが自分もしてならなかったのだ。
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