番外編3 水津さんちの兄妹と茶トラ猫
一部前半の湊の話。
春の夕暮れ時、どこにでもある住宅街。学校帰りの学生が、まばらに見える。その中のひとり、ショートヘアの活発そうな少女が自転車に乗っていた。水津湊、今年高校生になったばかりだ。
「ただいま」
自宅に着いた湊は、玄関の鍵を開ける。平日なので、両親は仕事だ。大学生の兄は、バイトだろうか。
「にゃー」
「おかえりなさい」とでも言うかのように、湊を迎えたのは飼い猫の茶々丸だ。オスの茶トラ猫である。約二年前に兄が拾ってきた。
「茶々、ただいまー」
迎えにきた茶々丸は、湊の足元にスリスリする。けっこう甘えん坊だ。湊が玄関で、茶々丸をなでていると、バイクの音がした。
「ただいま、湊帰ってたのか」
「うん。兄ちゃんお帰り」
「にゃー」
湊といっしょに茶々丸も鳴いた。
「ただいま~。茶々は利口だな。かわいいなあ」
兄は茶々丸を抱っこして、スリスリしている。メロメロである。
湊は少しあきれ気味に兄をながめる。猫を溺愛している以外は、まともな兄だと思っているのだが。
兄は、茶々丸へのスリスリを止めて、そのまま玄関に座り込んだ。抱っこはしたままだ。そして、湊を見てしみじみと言った。
「湊も女子高生なんだな。俺のあとをついてまわってた湊が」
「それ十回くらい聞いたよ。っていうか、中学生になったときも同じこと言ってた」
湊は小さいころ、男の子のようだった。ボーイッシュというか、男女というか。言われなければ、女の子だとわからないレベルで。
そんな妹が、高校生になった。髪は短いが、ちゃんと女子高生に見える。少し年の離れた兄としては、感無量である。
「『オレ』とか言わなくなって、成長したなあ」
「小三で言うの止めたし。仕込んだの兄ちゃんだし」
「兄ちゃんのこと『ボス』とか呼んで棒きれ振り回してた湊が」
「ボスも兄ちゃんが呼ばせてたんじゃん」
「……ごめん」
「別にいいけど」
湊としては、小さいころはそうだったな、と言う程度の思い出である。「女の子らしくなった」と何度も言われるのが、少し鬱陶しいだけだ。
「あたしが女の子らしいって言ったら、真冬なんかどうなるんだろ」
「友達か?」
「うん、昔あたしのこと好きだったんだって」
「は?」
湊は、つい最近あった出来事を兄に話して聞かせた。高校で仲良くなった友達、雪真冬が、小さいころ遊んでいた子だったこと。その子が、湊を男の子だと勘違いして恋していたこと。
「……真冬ちゃんごめん。本当にごめん。で、どんな子?」
「こんな子」
湊はスマホで写真を見せる。いっしょにお弁当を食べている子のひとりが撮って、送ってくれたものだ。湊といっしょに真冬も写っている。
「この子に惚れられたのか、湊」
「らしいよ」
何か考えている様子の兄。兄の膝から降りた茶々丸は、毛繕いを始めた。
「もしかして、俺はモテ男を育てる才能があるのでは?」
「真冬だけだし、あたしは女だし」
「この子一人で十人分くらい価値あるだろ。なんだこの美少女は」
「うん、真冬かわいいよね。でも、他の子下に見るような言い方良くないよ」
「俺の妹、性格イケメン」
なにかずれた会話を続ける兄妹。
「湊が弟だったら、この子が義理の妹に」
「なんで結婚まですることになってるの」
「いくら美少女とはいえ、高一はなあ。兄ちゃん射程外だ」
「そういえば、彼女できたの?」
兄は大学生になってすぐに彼女ができた。そして約一年後に振られた。茶々丸を拾ったのはそのころだ。
「別に彼女がいないのと、茶々を可愛がるのは関係ない」
「あたし、そんなこと言ってないけど」
茶々丸を猫可愛がりする理由の一つに、拾ったタイミングもあるらしい。
「にゃー、にゃー」
「お、おやつか? よし、こっちおいで~」
兄は、茶々丸におやつをあげるために奥の部屋へ行った。
湊は自室に戻って制服から着替える。制服のまま茶々丸をなでたので、毛がついてしまった。コロコロでとらねば。
私服に着替えた湊がリビングに行くと、兄が茶々丸に埋もれていた。いわゆる猫吸いである。
「兄ちゃん、茶々が嫌そうな顔してる」
「そんなことない」
「ある」
猫の敏捷性を考えれば、本気で嫌なら逃げ出すだろう。普段可愛がってくれるから、仕方なく我慢しているといったところだろうか。
「そうだ湊、兄ちゃん彼女できそうなんだ」
顔を上げた兄が言う。解放された茶々丸は、伸びをしたあとクッションの上で丸まった。
「ふーん、よかったじゃん」
「反応が薄いなあ。湊が話ふったんだろ」
「兄ちゃんが茶々といても、ドン引きしない人だといいね」
湊は、茶々丸を可愛がっているが、猫吸いはよくわからない。猫に興味ない人なら、ドン引きだと思っている。
「大丈夫! 猫好きな子だから。茶々の写真や動画も『かわいい』って見てくれたし」
まあ、それなら平気だろう。兄の勘違いでなければ。
「そういう湊はどうなんだ。高校生だしそろそろ彼氏とか欲しくないのか」
「別に」
即答である。男子とは普通に話すし、嫌いではない。でも、特別興味はない。
「湊に彼氏できたら父さんが悲しむか」
「茶々ブラッシングする?」
「湊、お兄ちゃんの話を無視するんじゃない」
興味のない話題に移行したので、猫を可愛がるほうに行っただけだ。
「あたしのことより、兄ちゃんが頑張りなよ。いい感じの人いるんでしょ」
「それは兄ちゃん頑張ってる」
彼女ができたら、茶々丸への溺愛も少しは落ち着くだろうか。彼女が猫好きなら、二人で茶々丸を可愛がるかもしれないが。
「あー、湊は、あれか。もしかして彼氏じゃなくて彼女か。真冬ちゃんなら連れて来なさい」
「兄ちゃん、本当に高一範囲外なの?」
どうも、真冬の勘違いを知った人は湊とくっつけたがる。そういう話をしないのは、真冬狙いの男子くらいだろうか。男子バレー部の大崎とか。
「兄ちゃんが付き合いたいのは、さっき話した子だ。真冬ちゃんは、単に生で見てみたい」
「有名人じゃないんだから」
まあ、学校では有名になりつつあるが。あれだけ可愛いければ当然だ、と湊は思っている。実際は、湊との関係性も含めてなのだけれど。
「真冬ちゃんは小さいころ遊んだ子だって言ったよな」
「うん。おばあちゃんちの近くに住んでる子」
「あの可憐な子が、あの時の湊と遊んだのか?」
当時の湊は男の子が好む遊びが好きだった。おばあちゃんちなら、山遊び川遊びでもしていたのだろう。あのお人形さんみたいな子が、それをしていたのか。
「うん。川で水切りしたり、虫捕まえたりしたよ。真冬けっこう運動神経いいし、ああいう遊びも好きだったんじゃない」
「……それ、『大好きな湊くん』にあわせていたのでは?」
「そうかなあ」
兄の予想は正解である。もっとも、それを二人が知る手段はないのだが。
「性格イケメンだけど、鈍感だな。そこをなんとかできたら、なおよかったか」
「何ブツブツ言ってるの……痛っ」
ブラッシングに飽きた茶々丸が、湊を引っ掻いたのだ。
「茶々、引っ掻くんじゃないの」
「湊姉ちゃんがしつこいからだよな~。茶々~」
兄のデレデレの顔を見ると、これを好きになる人いるのかな、いたらかなり寛大な人だと思う。もしくは、同類か。
「あ、そろそろお米炊かないと。今日あたしの番だ」
水津家では、夕飯用の米研ぎは兄と湊の当番制だ。そろそろ準備しないと、夕飯が遅くなる。お腹がもたない。
キッチンに向かう湊に兄が声をかける。
「彼氏でも彼女でもできたら、兄ちゃんに報告するんだぞー」
「はいはーい」
適当に返事をした湊。湊がそんな話をするのは、いつになるだろうか。




