第六話「遠い記憶」
【ベスチア王国・コーデ村】
「なんでぇ!聖女様の結界は、絶対じゃなかったんか!わしの倅が…なんで食い殺されなきゃならんのじゃ…!」
「あんた!目ぇ覚ましてよ!この子置いて先に逝くなんてあんまりや!」
「畑も家屋も…皆でやっと立て直したのに…もう何もかも終わりや……」
私達教会の聖団は、王宮から魔獣の巣くう森に隣接している村々へ馬車を飛ばして向かったが、そこはすでに目を背けたくなるほど凄惨な光景となっていた。
綻びが生まれた結界はもはや魔獣に対しての防御という役割を果たしておらず、侵入してきた魔狼や魔猪が村の土地と人、食物、全てに牙をむいて蹂躙していた。
「パトラ、この人はまだ息があるわ!私が治癒魔法で大きな傷は治しておいたから、後の処理は任せたわよ!」
「待ってくださいヴァレンティーナ様!先ほど結界を張り直したばかりなのに、それ以上魔法を使ってしまったら、貴女の生命に関わります!治癒や魔獣の対処は私たちに任せて、一度身体を休めてください!」
「いえ、大丈夫よ…これは私が招いた失態だもの。例えどれほどこの身が削れようと、救える命は全員救ってみせる!」
私を気遣って声をかけてくれる部下を諫め、次々に『特大治癒』を血まみれで呻いている村人たちへとかけていく。
限界が近い事は自分が一番分かっている。でも、私が力を振り絞って魔法を駆使すれば間に合う命があるかもしれない。
魔力は生命力の余剰分。つまり魔法の過剰使用は文字通り命を削る行為なのだが、この地獄絵図を前にしては泣き言など言っていられない。
「それに結界は完全に壊れていた訳じゃなかったわ。魔力の残滓を見るに、何かが起こって穴が開いたような跡があったの。それを治すだけだったから、まだ余力は残っているわ」
「とは言っても、今日だけで三つの結界を治しているんですよ…!とっくに限界は超えてるはずです!どうか―――」
瞬間、どん、と大きな騒ぎが起こる。
何事かと驚いた私達は、手を止めずにその方向へと視線を移した。
「うわあっ!まだ魔獣が残っていたぞ!東の門だ!」
「女と子どもは急いで村長の家へ行け!まだ動ける男には余っている武器を渡す!」
「クレアッ!逃げるわよっ!早くこっちに来なさい!」
息つく暇もなく、次は魔獣の残党が姿を現したらしい。
幸いにもまだ村の外れの方で彷徨っている様子なので、住民たちを逃がす時間は十分にありそうだ。
私は声がかかった方角を確認すると、『特大治癒』を残りの重傷者達に一斉に施し、すぐに聖杖を手にして駆け出した。
「魔獣は私が一掃します!巻き添えにならないように、皆下がりなさいっ!」
そう力一杯叫んで村人たちを避難させようとしたところ、必死に走っていた彼らの視線が一斉に私に集まり、足が止まってしまう。
何故ならその眼は今までのような感謝や尊敬を含んだものではなく、私を疑い不信に思うような―――冷たく懐疑的なものだったからだ。
「聖女様…私達は貴女を信じていたのに…」
「こうなる可能性があるなら、言っておいてくださいよ…。武器も鉄砲も、ほとんど売り払っちまってたよ…」
「ぐすっ、ぐすっ…おまえのせいで、おねえちゃんが…」
(み、みんな…)
私はそんな多くの昏い感情を一身に受け、一歩後ろに下がって尻込んでしまう。
彼らの気持ちも痛いほどわかる。突如現れた理不尽に、自らの大切な人々や長年積み上げてきた営みが蹂躙されたのだ。
だが、私も聖女として民を護るために、それ以外の事は全て犠牲にして聖務に励んできた。
泣こうが喚こうが手を緩めることは許されず、背中に鞭を打たれながら行ってきた鍛錬。どれだけ体が悲鳴を上げようと絶対に休む事は許されない巡礼。左足に残る傷を負いながら魔獣の心臓を穿ち、油っぽい黒色の血を被った日々。
逃げ出したいと思った時は何度も何度も何度もあった。
お茶会を楽しみ煌びやかに着飾って持て囃される同い年の淑女たちを横目に、自らの使命を果たせと何度も言い聞かせてここまでやってきた。
私だけ泥にまみれ、汗を流し、文字通り血反吐を吐きながら今日まで邁進してきたのに。
その結末が、こんな―――
「なっ!皆さん、何を言っているんですかっ!?これまで聖女様がどれだけ身を削って王国を護ってくださっと思っているのですか!?そんな彼女に対して責め立てるなんて、あまりにもひどいですよっ!」
あまりのショックに、呆然と立ち尽くしてしまった私の背後から、懸命にパトラが擁護してくれている。
しかしもはや恐慌状態に陥ってしまった村人たちにとって、それは焼け石に水だった。
片目に包帯を巻きつけ、顎から血を滴らせた村人の一人が、叫ぶように言い返してくる。
「しらねぇよっ!俺らみたいな凡人は、魔法もよく分かんねぇし、聖女様が実際なにしてっかもよく分かんねぇんだ!」
「そうよ!私達は聖女様の結界なら大丈夫だって聞いてたから、枕を高くしてたのよっ!なのに、なのに…結局こうなってしまって…」
「ああ、俺たちに残ったのは、こうしてまたボロボロになっちまったこの村だ…。くそっ、せっかくここまでやってきたっつうのに…」
やるせない彼らのその発言が、私の心を大きく抉っていく。
結局アレクシス殿下の言ったとおりじゃないか。任命の儀であまねく民を救うと大口を叩いたくせにこうして誰も救えず、多くの犠牲を出している。
聖女になって初めて感じた自分の無力さに打ちのめされ、視界がぼやけていく。
そんな私の背中に優しく掌が添えられ、きつく聖杖を握りしめていた私の手を、もう一つの暖かい掌が包み込んだ。
「パトラ…」
「ヴァレンティーナ様…貴女は何も悪くありません。貴女は聖女として、これ以上ないほどに一生懸命やってきたのですから、下を向くことなんてありませんよ。それよりも今は、この現状をなんとかしないといけません、そうでしょ?」
そうだ。
今どれだけ憤ったとしても、もはやこうなってしまった事を変えることは出来ない。
今私にできることは、ただひたすらにこの現状を何とかするために奔走する事だけだ。
(後悔も反省も、後でどれだけでも出来る。今はただ…救える命のために、私のやるべきことをやらくちゃ)
「ありがとう…パトラ」
私は、胸のポケットにある、唯一の宝物をぎゅっと握りしめる。
そして一度かぶりを振って、この目の前の光景に視線を戻す。
―――そこから先は、ただ必死だった。
私達はその後も魔獣に襲われていた村を駆け足で周り、結界を張り直し、負傷に喘いでいる人々を治しながら迫ってくる魔獣を倒して回った。
途中、あまりの激務と苦痛に聖団を離れていく部下も大勢いたが、私は責め立てる事など到底できなかった。
私は残された聖団のメンバー、いや、残ってくれたメンバーとともに、身を削りながら聖女として救える命を救った。
そして気が付けば―――半年もの月日が経っていた。
【半年後:自宅】
「ごほっ、ごほっ…つ、疲れた…ってもんじゃないわ…ぶっ倒れちゃいそう…」
ぎい、という音とともに、床へ半ば倒れこむように寝そべった。
この狭く薄暗い物置き部屋のような家は、昔から私が住んでいる家だ。
唯一の家族だった母が病気で亡くなり、貧民のみなし子だった私達姉妹がなけなしの財産で購入した、居住区の隅の一角。
部屋に置いてあるのは、仕事着と薄着だけが入った小さなタンスにひび割れた机、床に薄い布を敷いただけの寝床。
パトラにこの部屋の事を話したら、仮にも救国の聖女がそんな場所で寝てるなんて信じらんない!と憤っていたが、給金はほとんどをマチルダが散財した借金の返済にあてているため、引っ越すこともできない。
何より聖務でほとんどこの家にも帰ってこないので、私はそこまで気にしていない。住めば都という言葉もあるし。
「そうそう、今はこうして横になれればなんでもいいわ…」
あれから半年の月日が経った。
殿下が投げ捨てた報告書の通り、王国各所の結界には何故か今までには見られなかった綻びが生じており、実際に各地で封印されていたはずの魔獣の被害が再発していた。
幸いにも結界を張りなおすことでその綻びはなくなり、また魔獣の侵入を拒むことは出来たが、結界の不良が生まれた原因は今でも分かっていない。
そして『神聖結界』という絶対的な防御により安心しきっていた人々は、急な魔獣の進行に対して完全に後手に周ってしまい、沢山の被害が生まれてしまった。
あれだけ優しかった村の人々が、皆心が裂けそうなほどに痛烈な表情をしていたことを思い出す。
「聖女様の結界は、絶対じゃなかったんか!」
(あれも全部、全部私の所為だわ…。私の展開した結界に問題があったから…)
目を背けたくなる現実の数々。しかしそこから目を背けることは、私には決して許されない。
死に物狂いで働いたこの半年間、夜通しで聖務を行うことなんて珍しくもなく、問題が起こった地域全ての対応が終わるまでに最短でこれほどの時間がかかった。
そしてようやく目途がついた今日、半ば這いつくばりながらパトラに肩を借りてここまで戻ってきたのだ。
「もう今はとにかく寝かせて…。お風呂も入ってないし、着替えもしたいけど、指先すら動かないし…」
こういうところが淑女としての自覚が足りないといわれる所以なのか、と自分でも苦笑いしてしまう。
そんな時、突っ伏していた私の視界に、ふとあるものが映る。
「お母さん…私、一体どうすればいいんだろう…」
小さなタンスの上、そこには小さな白黒の姿絵が飾ってある。
いつも明るく、天真爛漫。大輪の向日葵のような笑顔で、私達を明るく照らしてくれた存在。
絹のような黒髪と、村中の男性を虜にする華やかな美貌。
子気味のいい冗談と愛嬌で誰からも好かれ、貧しい村の中でも、彼女の前向きな姿勢が皆の希望になっていた。
子供のころからずっと、これからも私の憧れであり、お母さんのようになりたいと焦がれていた。
だが、そんな心の支えだったお母さんはもういない。
「はぁ…私、ずっと泥まみれになって走り回ってばっかりね。あの時だって、病気になったお母さんを助けるために、色んな所へ行って、あの花を探して…」
意識が朦朧とする中、天井の近くにある小窓を見上げた。
そこからは青白い月明かりが差し込んでおり、苛立つほどに綺麗で無垢な月光が、ぼろ雑巾のように地に臥せた私を照らしている。
そうだ、あの日もこんな満月の日だった。
「無理にお願いして、お隣の帝国まで行って探したけど、結局見つからなかった…。その代わりに―――」
私は何故、こんなにも一生懸命になっているんだろうか。
私は何故、こんなにも聖女として最後まで足掻いているのか。
私は何故、こんなにも人を救いたいと思っているのだろうか。
「そうだ…そう、あの時の男の子…。あの子みたいな、人が」
原点を思い返す。
母親の記憶と共に浮かび上がる、もう一つの影。
私は残された力を振り絞って、胸の内ポケットにしまってあった銀色のボタンを取り出す。
それは主に夜会服の袖に付けるカフスで、その中には薔薇の文様が綺麗に彫られていた。
このカフスは私にとって唯一ともいえる私物で、これだけは手放さないように肌身離さず身に着けているのだ。
「二度と、不幸になって…ほしく、ないから…」
淡い昔の記憶。
散々だった私の人生の中で、今も燦然と輝いている思い出。
大切に、大切に、私の心の奥に仕舞ってある、暖かい言葉。
それを思い返すと、いつも荒んだ心が浄化され、どれだけ辛いときでも前を向いていける。
そんな宝物のような記憶を思い返して、私は泥のように眠りについた―――
『これを君の母上に。といっても、気休め程度にしかならないかもしれないけどな』
『ええっ、そんなものもらえないよ!だってこれは、きみにとっても大切なものでしょ!?』
『いいんだ、私は本物の銀の薔薇を見つけられなかった代わりに、このカフスを母上に送ろうとしたんだが、間に合わなくてな…。今となっては私にとって、何の意味もないものなんだ』
何の気なしに吐き捨てたその言の葉には、一体いくつの想いが重なっていたのだろうか。
私には想像なんて出来ない。
でも、それを彼が差し出し、私が受け取る事には大きな意味があるような気がした。
『だから、これは、君に持っていてほしい』
『ありがとう…』
私はそのカフスを恐る恐る手に取ると、胸の前でそっと握りしめた。
神の時代には実際に現存したとされ、数多の不幸を救ってきた奇跡の花。
男神が求婚の際、美の女神にこの花を束ねて送ったと逸話が残っている、伝説の宝物。
それが今、確かに私の手の中にある。
そんな風に自惚れてしまうほどに―――私は。
『―――おい、どうした…?また泣いているのか…?こまったな…』




