第五話「私の婚約者と妹」
【ベスチア王国・王宮】
豪華絢爛な造りが施された王宮。
その中でも贅の限りを尽くされた一際煌めかしい部屋は、この国の次期国王にあてがわれている私室だ。
私はその部屋の主に向かって、身振り手振りを使い懸命に語りかけていた。
「なんだ、ヴァレンティーナ、私は今お前に構っている暇などない」
「一大事なのです、王太子殿下。辺境の村で王国各地の結界に綻びが出来ていると耳に挟みました。もしそれが本当であれば、いつ魔獣が侵入してくるか分かりません」
「そうか」
「そうか…って…」
国民に今にも危険が及ぶかも知れない、逼迫した状況であるにも関わらず、王太子殿下は気のない返事を返しただけで、その興味は自らの膝の上に乗せた露出の多いとある女性へと注がれている。
(最悪…なんで実の妹と私の婚約者のイチャイチャを、目の前で見せれられなきゃいけないの…)
この男が現国王の嫡男であり、第一王子であり、この国の次期国王に選ばれた私の婚約者―――アレクシス・ディアロ・ベスチア王太子殿下である。
「ねぇ殿下、こんなお堅いお姉さまなんて放っておきましょう。代わりに私が殿下を愉しませて差し上げますわ。昨晩のような熱い夜を過ごしたくて、お腹が疼いてきますの」
「ふっ…本当に愛いやつめ。今晩もお前の事を、意識が飛ぶまでたっぷりと可愛がってやるぞ、マチルダ」
むせ返りそうな香水の匂いを漂わせる我が妹―――マチルダは、殿下へ体を絡ませながら蛇のような蠱惑的な笑みを浮かべ、私を不躾にねめつけた。
彼女と王太子殿下は数年前からこのような関係であり、マチルダもそれに便乗してほとんどこの王宮に入り浸っている状態だ。
アレクシス殿下には一応私という正式な婚約者がいるのだが、その本人の目の前で堂々とこんな事を口にしている二人の神経を疑ってしまう。
「お姉さまっていつも汗だくの泥まみれで、本当にみっともないわ。なんでこんな芋臭くて仕事しか取り柄のない方が、殿下の婚約者なのですか…?」
「ふん、そんなもの父上が勝手に決めただけだ。いずれ私が王となれば、こんな面白味のない女など放っておいて、お前の事を寵妃として扱ってやるぞ」
王太子殿下と私の婚約は、陛下が決めた事だ。歴史的にも神に選ばれた神聖な聖女が国王と結婚するのは通例らしい。
そんな事でアレクシス殿下とは私が聖女と選定されてからの付き合いではあるが、その関係性はこのとおり散々である。
殿下は私のような汗臭い仕事人間ではなく、愛嬌があり、守りたくなるようなほどに健気で可愛らしい女性が好きなのだそうだ。
そう―――この取り繕っているマチルダのような。
「あんっ♡アレクシス様、心の底からお慕いしておりますわ…。そうですわね、姉は仕事が恋人のようなものですから…全部姉に押し付けて、私達は思う存分睦み合いましょう」
「なっ…何を言っているのマチルダ!貴女も聖女の片割れでしょう?私一人で国を守るなんて事は出来ません。貴女も国を守る聖女として使命を受けたのなら、その使命をまっとうしなさい」
私がそう忠告すると、マチルダは本性を現すように、きっと目を吊り上げた。
「っ…!なにを、偉っそうに…!」
マチルダは私と同じ聖女として選定されたにも関わらず、自分の欲に溺れて全く仕事をこなさなくなった結果、私に大きな皺寄せが来ている状態なのだ。
はっきり言って、少しでもいいから一緒に働いてほしい。私一人だと本当に猫の手も借りたいような状況なので、同行してくれるだけでももっと多くの人を救えるかもしれない。
しかしそんな私の願いを砕くように、不愉快そうに顔を歪めたマチルダは、肩を震わせ、涙目で私を睨みつける。そして精一杯息を吸い込んだかと思うと―――
「なによっ、そんな上からものを言って!お姉さまが私の欲しいものを全部持っていったのが悪いんでしょう!?昔からずっとこんな事をして、まるで泥棒じゃない!」
「マ、マチルダ落ち着いて、王太子殿下の前よ。それに私は貴女から何も盗ってなんか―――」
「いったい私が何したっていうのよっ!」
私の声など耳に入っていない様子で、癇癪を起したように喚き散らすマチルダ。
ぶんぶんとかぶりを振り地団太を踏んでいるせいで、絹のように美しかった髪はくしゃくしゃに振りほどけた。艶やかなグロスを付けた唇も、ぎりぎりと噛みしめて真っ白になっている。
いつも感情が臨界点を迎えてしまうと、こんな風に一方的に吐き捨ててくるので、私としては取り付く島もなくなってしまう。
「ふっ、折角の綺麗な顔が台無しだぞ?私の可愛いマチルダ。ほら、こちらを見ろ…この私以外、何も見えなくしてやる」
(えっ…?アレクシス様って、こんなに寛大だったかしら)
普通であればどれほど熱の入った想い人だろうと、子供のように喚き散らす様を目の当たりにすれば、どんな殿方だって考えを改めるだろう。
なにより可憐で麗しい女性が好きだと公言しているアレクシス殿下であれば、そんな淑女の風上にもおけない女性など、興ざめするのが常であると思っていたが―――
私の予想に反し、王太子殿下はまるでそれをものともせずによしよしと頭を撫でながら、優しく彼女を諭している。
そして、その瞬間―――王太子殿下とマチルダの瞳が、暗く、昏く光る。
(なに、今の…?)
ぞくり、と背筋を何かが這った。
辺りに何かの気配を感じる。聖女である私でしか感じられないような、微かな魔の気配だ―――
「はぁっ、はぁ…。そうですわね、ごめんなさい、私の愛おしいお方。きっとあの計画さえ終われば、全部上手くいきますもの…あはっ、あはははははははっ!」
狂ったように高笑いをする妹。
何かがおかしい。
この子の異常な行動は、年を増すにつれて過剰になっている。
昔はこんな子ではなかった。いや、それは―――王太子殿下も同じだ。昔は傲慢な側面がありつつも、王子としての分別を弁え、民を想う信念のある子供だった。
いつから、こうなってしまったのだろうか。それはおそらく―――。
「まったく、ヴァレンティ―ナ、お前はさっさと下がれ。お前がいると、私のマチルダの機嫌が傾くだろう。邪魔者はさっさと寂れた田舎を徘徊していろ」
マチルダに諭すような優しい口調とは打って変わって、冷ややかな言葉をあびせるアレクシス殿下の一声で、思考にふけっていた私は現実へ戻される。
(そうだ、王太子殿下とマチルダの事は今考えても仕方ないわ。それよりも…)
今はそれよりも、火急の案件に対応しなければ。
国の事は、王室の人間が考える事だ。聖女である私は、民の為に今出来る事をやらないと。
そう思い、かぶりを振って王太子殿下に向き直る。私は退出を命じる殿下に対し、必死に食い下がった。
「いえ、もう少しだけ。結界の綻びについて、仔細を教えてください!手遅れになってからでは遅いのです、何か報告は上がっていませんか!」
「喚くな、うっとおしい!貴様、私のマチルダを貶めたあげく、まだ言うか!」
心底面倒そうに一喝したアレクシス殿下は、その勢いのまま私を睨みつけてまくし立てた。
一つ息を吸うと、私に対して募っていた日ごろからの不満を、まるで機関銃のように次々と浴びせてくる。
「全く、貴様は昔から口を開けば小言ばかり言いよって。やれ領地がどうだの国民がどうだの…そんなことは言われなくてもわかっている!
尊き王族であり、次期国王でもあるこの俺に、女が口を挟んでくるなど笑止千万!救国の聖女か何か知らんが、仮にも私の婚約者ならば粛々と私の後ろを歩いていればいいのだ!」
「なっ…なにを…」
「いつも汗だくの泥まみれで色気の欠片もない貴様を、婚約者という立場に置いているだけでも有難く思うがいい。
お前のその貧相な胸と枝のように細い身体では俺の食指など微塵も動かん。将来閨を共にして、不能にならないかと今から心配で堪らんな」
「…」
(やばいやばい、つい手が出そうになっちゃった。だめよ私、相手は王族、相手は王族…)
私はそう思いながら漏れ出してしまった剣吞な雰囲気をすぐに隠して、がっと右手を抑えた。
必死にアンガーマネジメントを行っている私に気づく素振りもなくそう吐き捨てた殿下の膝の上では、妹が口端を吊り上げ、くすくすと嗤っている。
殿下にこきおろされる私の様子を見て、すっかりと機嫌を取り戻したマチルダは、ここぞとばかりに私に対して蔑むような言葉を放ってきた。
「殿下、仕方ないですわ。この芋女、年中お仕事をしていて暇もないでしょう?きっと色恋沙汰とか男の話なんて、無縁の人生なんですの。ふふ、初心なお姉さまに、殿下の悦ぶこと…一から教えて差し上げてもよろしくてよ?」
婚約者であり聖女筆頭でもある私が、ここまでぞんざいに扱われ、こき下ろされているという事実は、殿下の寵妃を確約されているマチルダにとっても実に痛快だろう。
勝ち誇ったような顔でそんな風に挑発され、私もつい売り言葉に買い言葉で返してしまいそうになる。
(それはあなたの分も働いているからよっ!それに私だって、好きな男の一人くらい―――)
私は胸の内側のポケットに入れてある、唯一の宝物をぎゅっと握る。
脳裏に浮かんだのは、一人の黒髪の少年。
それは遠く淡い記憶。名も知らぬ彼から貰った言葉の一つ一つが、宝石のように胸の中で煌めいている。
(って、落ち着きなさい私―――話が逸れるところだったわ)
だがすぐに冷静になった私は、その温もりのある残像をかぶりをふって消し飛ばし、その思い出の男とはまるで正反対ともいえるこの王太子に意識を向ける。
実際、自らの快楽に従順なこの次期国王に対して、心が折れそうになった事も何度もあるが、今更そんなことでへこたれるつもりはない。
この王太子の怠惰っぷりは、婚約者として過ごした五年間の中で嫌というほど身に染みている。
こうなってしまってはもはや殿下にいちいち伺いを立てるほど無駄な時間もなく、半ば無理やりにでも自ら動く他ないのだ。
そう改めて決心し踵を返そうとした時、まさに寝耳に水のような言葉が、私の耳に飛び込んできた。
「あぁ、そういえば各地の薄汚い貴族共が、やたらと焦って何度も私に報告を挙げてきたな…。この俺に対してあまりにもまくし立ててくるものだから、身の程を知らぬ不届き者の声など聞くに値しないと断じ、その辺に放り投げておいた」
(なんてことっ…!)
それを聞くや否や、私はまるで餌にありついた獣のように乱雑にばら撒かれた資料を手に取り、端から端まで読み漁る。
するとそこに書いてあったは、なんと一月前から各所で起こっている結界の不良についての報告だった。そのどれもが早急に対応しなければ甚大な被害が起こりえる可能性のある地域で、私は全身から血の気が引いていく感覚を覚えた。
「嘘でしょ…。ここまで深刻な事態だったなんて…。もしかすると既に魔獣が居住区に侵入しているかもしれないわ。すぐに王都を発たないと…」
「あぁ、そうだヴァレンティーナ、ついでにいつも通りこれもやっておけ。もちろん父上と宰相には内緒でな」
「なっ…今は緊急事態ですよ!?それにその仕事は殿下の職務でしょう!?」
「ふん、どのみちお前は俺の妃となるのだから、今のうちから俺の仕事を覚えておいて損はないだろう?お前が必死に駆けずり回ったとしても、救える民などたかが知れている。それよりもこの尊き血を持つ私の心労を取り払う事の方が急務だぞ」
私は絶句した。
このような国家の緊急事態とも言える事態にも拘わらず、一切の焦りも見せず、目の前の妹に夢中になっている王太子。
現に悪化が止まらない王国の情勢、物価の上昇、治安の悪化、国境沿いでの諍い。
例え結界によって最大の国難だった魔獣を封じたとしても、それ以外の面でこの国は瀬戸際に瀕している。
更に次期国王がこの有様だ。民も不安を隠せず、未来を嘆くもので溢れている。この国が落陽に向かってことなど、誰が見ても明白なのだ。
―――でも、やるしかない。
私は、この国に産み堕とされた、この国の聖女なのだから。
「あはっ、あははっ」
そう決心して踵を返す刹那、マチルダが微かな声で何かを呟いた気がした。
だが私はもう、事態を対処するために思考に耽っていたせいで、何一つとして耳に入っていなかった。
「ようやく綻びに気が付いたのね…本当に間抜けな聖女さんだこと。ふふっ、ようやくこの王国が手に入るわ―――。もう少しで、あの男を―――」




