第四話「聖女も裏ではこんな感じです」
【半年前:ベスチア王国・ロウレ村】
「主よ。闇満ちるこの大地を、聖なる御光にて覆いたまえ。
主に選ばれし聖女、我が祈りを捧げ、御名のもとに命ず。
ここに顕れよ、何人たりとも踏み越え得ぬ、不可侵の聖域。
大地を包み、子羊たちを護り、癒し、災いと争いのすべてを退けよ。
この地に、永久なる安寧と平和を授けたまえ―――」
目の前にある聖印が施された大きな楔の前に立ち、詠唱と共にありったけの力を注ぐ。
やがて褪せていたその楔は黄金色に煌きを取り戻し、果てしない蒼穹の空へと光の柱を立てながら、この一帯を覆うように温かく神聖な力が満たされた。
「はぁっ…はぁ…」
結界を張り終えた私の額からは滝のように汗が滴り落ち、膝がガクガクと嗤っている。
ただでさえ聖魔法を使用するのは神経を擦り減らすというのに、ここまで大規模な結界を展開するとなると、魔力も集中力も底をさらう勢いで奪われてしまうのだ。
「ふぅ…一丁あがり。これで二月は魔獣が寄り付かないわ」
「さっすが稀代の聖女サマ、これだけ大きな結界を張れる魔導士なんて、見たことも聞いたこともありませんよ。それともこのくらい『救国の聖女』にとっては余裕でしたか?」
「もう、余裕なわけないでしょ!正直めちゃくちゃしんどいんだから。でも、この村の外れに住んでいる人の事も考えて―――って、わっ!」
「ヴァレンティ―ナ様っ!?危ないっ!」
倒れそうになった体を、後ろで支えていた部下が素早く抱き止める。
口では大層な事を言いながらこんな有様では恰好が付かないなと思いながらも、今は部下の心遣いに甘えるしかなかった。
「はぁ、はぁ…。ごめんなさい、ありがとうパトラ。ちょっと無理しすぎちゃったみたい」
「ヴァレンティ―ナ様…。すみません、私達ももっと何かできればいいのですが…。あなた一人にここまで仕事を押し付けている様を見ていると、心が痛くなります」
「何言ってるの、あなた達聖団の皆も魔獣を倒すのを手伝ってくれたり、たくさんサポートしてくれてるじゃない。パトラがいなかったら、私は今頃魔獣のお腹の中よ」
私の展開する神聖結界は、本来約一月が経過したあたりから次第に魔力が減少し始め、三ヶ月も経てばほとんど効果を失ってしまう。
その為に過密なスケジュールを組み王国全土を回っている訳なのだが、もしも私がすぐに駆け付ける事の出来ない遠方に行ってしまっている際に問題が起これば、多数の被害が出てしまう。
そんな悲劇を生まないためにも、私は力を振り絞って本来の倍の大きさの結界を展開するように心がけている。
とはいえ毎日ここまで満身創痍になっていて、そのうち倒れたりでもしたら本末転倒なのだが、今更なりふり構っていられない。
今この国にいる聖女は―――たった二人だけなんだから。
「だからそんな顔しないで…パトラ。こんなのいつもの事じゃない」
「貴女の信念は立派ですし、実際貴女の力のおかげでこの国は安寧が保たれています。
でも、私は貴女の血の滲む努力と身を粉にして働いているのを知っていますから、部下として心配なんです。いつか本当に倒れてしまうんじゃないかって」
「えー残念、友達としては心配してくれないの?所詮私たちは立場だけで繋がれた、冷たい関係だってことね。きっと数年後には連絡もなくなって、飲み会にも来てくれなくなるんだ…しゅん」
「茶化さないでくださいっ!」
この子はパトラ・ヴァンガード。私の所属する教会聖団実行部隊の一人。
いつもからかうといい反応をくれる聖団のツッコミ役だが、実力は折り紙付きで上位魔導士の資格を有しており、私が聖女として選定され教会に入った時からの付き合いである。
今もこうして筆頭聖女として聖務を行う私の手伝いとサポートをしてくれている。
そして、亡くなった母親を除けば気兼ねなく話せる唯一の存在かもしれない。
「すぐそうやってふざけて…。私達を心配させないようにしてるのは、バレバレなんですからね?」
「ち、違うわよ。平民出身だからこんな口調ってだけ。聖女として振舞う時はしっかりしてるでしょ?」
パトラは私の側近のような立場で四六時中一緒に動いてくれているため、このように聖務もプライベートもほとんど筒抜けだ。
だからいつも私の身体を気遣って小言を飛ばしてくれるのだが、最近は中々改善できない私に対し、若干呆れ気味である。
「あのですね…ヴァレンティーナ様はもっと自分を大切にしてください!いいですか?貴女が倒れたら本当にこの国は終わりなんですからね…!この結界も、聖魔法も、聖女であるあなた方しか扱えないんですから!」
「も、もう…大袈裟だってパトラは。それに大丈夫、この生活にも慣れたから、ちょっとやそっとじゃ倒れたりしないわ。ほら見てこの上腕二頭筋、少しは筋肉もついてきたでしょ?」
「いや細っ!またガリガリになってません?どうせまたあの意地悪王太子にも仕事を押し付けられて、食事もおざなりになってるんでしょう?いくら婚約者だからって―――」
「待ってパトラ、村の人達が挨拶に来たみたい」
どうやら世間話の時間はここまでのようだ。
私は村の方向から歩いてくる集団を見つけるや否や、すぐにパトラを制し、裾を払って背筋を伸ばす。
ヒートアップし小言をまくし立てていたパトラもすぐに状況を察し、咳ばらいをしていつも通りの凛とした表情を取り戻した。
臣民の前では、毅然かつ清廉たる聖職者でなければならない。これは教会に属する者として最初に叩き込まれる信条である。
「おいおまえら!聖女様がいらっしゃったぞ!」
「いつもありがとうねぇ。おかげで魔獣だらけだったこの村も、今や立派な穀物が育ってるよ」
村長を始めとして、村の人達が私達へお辞儀をする。
この辺り一帯は私が聖女として聖務を始めるまで、多数の魔獣の被害に遭っていたらしく、そのお礼の言葉には重みがあった。
聖務自体は大変だし、ほとんどお休みも貰えないので過酷ではあるが、こうして直接感謝を伝えられるのはこの仕事のやりがいでもある。
「いえ、この村が復興できたのは、皆さんの努力の賜物です。私の結界は単なる手助けに過ぎません」
私は何度も練習した作り笑いで微笑みながら、集まってくれた人々に向けて語るようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
聖女とは肩書きだけのものではない。真に民の安寧を願う純然たる使徒として、民に寄り添う役目があるのだ。
「はっはっは、いつ見ても神々しいな、俺たちの聖女様は!」
「謙遜しなくていいんだぜ?あんだけ酷かった魔獣の被害がぴたりと無くなったんだ、聖女様のおかげ以外の何物でもねぇだろ!」
「ふふ、心が清らかな皆さんでれば、これからもきっとご加護が与えられるでしょうね」
聖女としての厚い皮を被って接する私に、笑いかけてくれる村の人々。そんな気さくな彼らに戸惑いつつも、私はぴんと張った背筋を崩さずに応えた。
―――人類最後の天敵とも言われる魔獣。その存在は人々の暮らしを蹂躙し、いとも容易く命を奪う。
どんな大国もこの魔獣被害には手を焼いている中、偶然この小国に私という聖女が生まれたことは、国民にとっても救いとなったようだ。
それも直接的な被害を受けていた辺境に居を構える人々からすればなおさらだろう。
「しかもこの王国に二人も聖女様が生まれるなんざ、ほんとうに幸運だねぇ。王太子殿下もさぞお喜びになっているそうじゃないか」
「うっ…そ、そうですね…」
「妹さんと力を合わせて、大陸全土に名を轟かせてやりましょうよ!最強の姉妹聖女…なんつってな!」
「は、はい…が、がんばります…」
何の気なしに言った彼らの一言が、聖女として取り繕っていた私の喉を詰まらせる。
きっと本来ならばこうして姉妹揃って聖女に選ばれた事を、心から喜ぶべきなのだろうが、私の脳裏にはあの自分勝手な妹の顔が思い浮かんでしまい、何とも複雑な気持ちに苛まれる。
(うっ…まさか王太子殿下に続いて、マチルダの話まで出るなんて…。)
私には一人、血のつながった妹がいる。だが、あまりにも自由奔放で身勝手すぎる彼女とはあまりそりが合わない。
何より私と王太子殿下、そして妹との間には色々と問題が起きており、その関係性は何とも微妙なものなのだ。
複雑な胸中を悟られないよう、何とか誤魔化しながら苦笑いしていると、助け舟を出すように突然一人の村人が神妙な面持ちでこちらに語りかけてきた。
しかしながらその内容は私にとって助け舟などではなく―――更にこの胸をざわつかせるものだった。
「しっかし、大丈夫ですかい聖女様?なんだか最近、各地の結界が弱まって…また魔獣が押し寄せてるって聞いたけんどなぁ」
「え…なんですって?」
「いや!聖女様の力を疑ってるわけじゃねぇぞ!ただ、聖女様も年中無休で働いてっから、疲れんじゃねぇんかって話してたんだ!」
その話をしてくれた青年は、身振り手振りで誤解がないように必死に否定し、冷や汗をかきながら弁明してくれていたが、すでに私の耳には何も届いていなかった。
衝撃のあまり真っ白になった頭を再起動するように、一つ深呼吸をして、ゆっくりと整理していく。
第一、そんな報告は上がっていない。もしもそんな一大事が起こっていれば、聖女でもある私へと一番最初に話がくるはずだ。
つまり王国の異常が教会へと伝わっていない可能性がある。通常ならばそのような重要な連絡を怠るなどありえない話ではあるが、私には―――思い当たる節がある。
(まさか……)
脳裏に、あの王太子殿下と妹の顔が同時によぎる。
面倒な書類を嫌い、忠告を笑い飛ばし、都合の悪い話には耳を塞ぐ、私の婚約者。そしてそんな彼に色目を使い、共に怠惰に溺れているもう一人の聖女の姿が。
「……王宮へ戻りましょう。直接、殿下に確認します」
私の声は、自分でも驚くほど硬かった。
胸の奥で、嫌な予感が音を立てて膨らんでいく。
それはまだ形にならない不安で、けれど確かに何かが壊れ始めている、そんな感触だった。
―――そしてこの日が『救国の聖女』として奮闘していた私の、終わりの始まりだったという事を、私はまだ知らない。




